臆病と慎重
「……何か変だ」
そうタウフィークさんが言ったのは、玉響の町に着いて休憩を取っている時のことだった。
「星原にいたときは早朝ならこんなもんかって思ってたけど、もう昼近いぞ。さすがに静かすぎやしないか」
眉をひそめたタウフィークさんが、剣の柄にそっと手を置いた。
おそらく無意識なのだろうその仕草は、事の異常性を雄弁に語っている。
「対屋と寝殿を繋ぐ渡殿は、いつだって使用人が行き来していて賑わっているのに。……神様がいなからか? それともなにか異変が起こっているのか」
問われているわけではないと分かっているので、私と葉月さんはその言葉に反応することなく道順の確認に努めた。
玉響の町を抜け、町や村を横断すると、その先に第五の門のそびえ立つ山がある。
まずは手前の神ツ原村にある薬屋で回復薬を調達し、その後、山の中腹にある件の門を目指すのだ。
夕方までに村へ到着するのが理想である。
「タウフィーク、そろそろ出発しないと」
耳をピンと立てて警戒しているタウフィークさんに、葉月さんが声量を抑えて言った。
小さな声だったにもかかわらず、微かな音すら聞き逃さないとばかりに気を張っていた彼が、大げさなほど肩を揺らして振り返る。
迷う素振りを見せた後、「でも葉月」と目を細めた。
「引っかからないか?」
その目はいつもどっしりと構えている彼にしては珍しく不安の色を滲ませていて、思わずふたりして顔を見合わせる。
少し悩んでから、葉月さんが「分かった」と頷いた。
「時間が限られているから止まっている暇はないけど、進みながら様子を伺うことはできる。それでいいかな」
「ああ、そうだな。それがいい。聴覚はお前の方が上だろうから、俺はその分、すぐに動けるよう準備しておくよ」
「了解、頼んだ」
話が上手くまとまってよかった。
いつ「二手に分かれよう」と言われるかとヒヤヒヤしていた私は、ほっとして息をついた。
どこで敵と鉢合わせるか分からない以上、剣の腕が立つタウフィークさんと離れるのは怖い。
なにせ、剣術や武術に心得のないただの人間がいるのだから。
旅が始まってから、ずっと歯痒かった。
自分は何ができるのか、何をすべきなのか。自問自答を繰り返しながら旅を続けて早半月。
いまだに答えは出ていない。
まったくの役立たずというわけじゃないことは自負している。
だが、私がそばに居ることで生じるリスクの方が大きくて、葉月さんに同行したのは間違いだったのではないかと思ってしまう。
(まあ、そう思うたびに「それでも後悔はしてない」って結論に達するんだけど)
苦笑いを浮かべたとき、ふいに先頭を歩いていた葉月さんがピタリと足を止めた。
「……やはり。さっきは建物に反響していて分かりにくかったけど、この角度ならきちんと聞き分けられる。約1里先、たぶん寝殿の辺りからだ」
「ああ、俺にも聞こえる。しかもかなりの数だ。なんだろう、怒鳴り声みたいな……」
耳をパタパタと動かす葉月さんの横で、タウフィークさんが長い耳をピンと立てながら言った。
こんなことを言っている場合ではないが、ふたりとも非常に可愛い。
(それにしても、よく考えたら面白いよなぁ。狐とうさぎなんて、本来なら捕食者と被食者の関係のはずなのに)
うさぎ耳と肉食獣らしい三角耳が互いの弱点を補うように音を聴いている。
私はその光景を美しいと思った。
種族を越えた絆というのは、何故こうも尊いものなのか。
(……私たち人間が目指すべきは、こういう関係性なんだろうな)
人種や国、宗教観の違いで争いの絶えない現世。
果たしてそれは、神様の望む世界なのだろうか。
(違うよね)
音の発生場所の近くまで移動しながら、私は心の中で断言した。
ひとがそれぞれ違うのは、きっと互いの弱点を補うためだ。
(だからかな。超越した力を持つ偽神様が忌み嫌われるのは。補い合えない存在は異物でしかないから)
前を歩くふたりの足が止まった。
聴覚の平凡な私の耳も、ようやくその喧騒を捉える。
タウフィークさんの言った通り、竹垣の向こうから怒鳴り声が聞こえてきた。
「息子を返せ!」
「政府はひと殺しだ!」
「出てこい幹部ども! 今まで子供たちにした仕打ち、全部そっくりそのまま返してやるよ!」
「あなた達の引き起こした地揺れで一体どれほど犠牲者が出たと思うのですか!早くなんとかしてください!」
嘆く者、怒りに身を任せて声を荒らげる者、保身のために縋る者。
目的や言い分は違えど、彼らの視線の先は同じだ。
「ど、どうなってるんですか?」
あまりの迫力に圧倒されて、私は葉月さんの着物の裾を掴みながら尋ねる。
考え込む葉月さんの隣で、タウフィークさんが口を開いた。
「明星の連中の仕業だな。ああして政府が対応に追われているうちに門を閉じろってことだ」
竹垣の隙間から内部を覗き込むタウフィークさんにならって私もじっと様子を伺う。
すると、慌ただしげに廊下を往来するひとたちが目に入った。
大臣のひとりである天音と似たような服装の者が2人と、その部下と思しき者が何名か駆け回っている。
よほど都合の悪いことが起こっているらしい。
その誰もが大粒の汗を額に滲ませている。
「急ごう」
好機だとばかりに踵を返すタウフィークさんに、私も大きく頷いて足を踏み出す。
それに続こうとした葉月さんが、ハッとして竹垣を振り返った。
「……今、朔矢の声が聞こえた」
「え?」
驚いて目を見開く私の横で、タウフィークさんが聞き返した。
「違うとかやめろとか、切羽詰まった声だった。朔矢と私が友人関係であることは少し調べれば分かるはず。もしも危害を加えられているのなら助けに行かないと」
動揺を隠せない金の瞳につられて、私も一気に不安になった。
朔矢さんにはたくさん助けてもらった。
そんな彼に何かあったのだと思うと、居ても立ってもいられなくなる。
「落ち着けよ。時間がないって言ったのはお前だろ。ここまで来て役目を放り出すのか」
慌てふためく私たちを、朔矢さんとほとんど接点のないタウフィークさんが静かに咎めた。
引き際をきちんと見分けられるのが他人。
ましてや、相手は味方にすら見切りを付ける守り屋だ。
彼が正しい。
私も、今優先するべきなのが世界救済であることは分かっていた。
頭に上っていた血が、瞬時に冷めていく。
そんな私とは違い、葉月さんはキッと目を細めて義兄と対峙した。
「状況を確認したらすぐ戻る」
「いや、何か起こっていたら戻れないだろ……」
唖然と呟くタウフィークさんを、葉月さんがじっと見据えている。
ああ、これは。
私は思わず苦笑した。
これは絶対に引かないやつだ。
タウフィークさんが行方知れずだった時もそうだった。
私よりも付き合いの長いタウフィークさんも、彼の目を見て悟ったのだろう。
「あぁ、もう!少しだけだからな!」
そう言って頭を乱暴にかき混ぜたタウフィークさんが、竹垣に背を向けて走り出す。
「ついてこい。こっちに非常時に使う地下通路がある。そこから行くぞ」
私と葉月さんは逸る気持ちを必死に堪えながら、頼もしい守り屋の背中を追いかけた。




