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【幕間】 万咲希と朔矢の出会い―後篇―

 随分と短い家出だったなと思いながら、俺は歩きなれた道を進んでいた。

 両親への複雑な思いが解消される日になるかもしれない。

 そんな期待を胸に抱きつつも、歩みはカタツムリの如く遅かった。


 覚一族の村は天中の近くにあるため、どんなにゆっくり歩いてもすぐに着いてしまう。

 俺は昨日ぶりの実家の前で、今すぐ逃げ出したい衝動に駆られていた。


「こういうのは勢いが大事だ。ゆくぞ」


「えっ、ちょっと待っ──」


 俺の止める間もなく、朔矢さんが実家の戸を叩いた。

 反射的に踵を返そうとした俺の首根っこを、朔矢さんが物凄い勢いで掴む。


 逃げられないと悟り、頼むから留守であれと願うも虚しく、家の住民は早々に出てきてしまった。


「はい、どなた……って、万咲希! あんた今の今まで一体どこほっつき歩いてたの!!」


 一日ぶりの母は疲れの滲んだ顔を険しくさせ、キンキンとよく響く声で怒鳴った。

 頭に血が上ると一気に視野が狭くなるひとなので、どうやら隣に立つ朔矢さんのことは見えていないようだ。


「万咲希くんの母上殿」


 このままじゃ埒があかないと思ったのか、朔矢さんが長々と説教を垂れる母を遮った。


「横から失礼するが、彼は今日、あなた方ご両親に大事な話があるそうだ。とりあえず席を設けてもらいたい」


 堂々たる態度に呆気にとられた母が、ぽかんと口を開けたまま朔矢さんを見上げる。

 どうやらようやく彼の存在を認識したらしい。


「は……えっと、失礼ですが、どちら様?」


 すっかり毒気を抜かれた様子で尋ねる母に、朔矢さんは簡単な自己紹介と、ついでにここに来るまでの顛末を話した。

 言葉足らずが幸いして、話は実に簡潔であり、そして何より俺の数々の無礼が見事になかったことにされている。

 そのことにホッとしつつ、そっと母親の様子を伺う。


「息子を保護して下さったことは心から感謝します。ですが、初対面の方に我が家の込み入った事情を知られるのはちょっと……」

 

 黙って話を聞いていた母は神妙な顔つきで言った。

 そりゃそうだ。

 心の中で同意して、今度は朔矢さんの方に視線を移す。

 

「無論、己の無礼は承知している。しかし家に帰る代わりに俺も同席するというのが彼との約束だ。申し訳ないが共に話を聞かせてもらう」


 とうとう有無を言わせない物言いが気弱で周りに流されやすい母を押し切った。

 いつまでもひと様を玄関に立たせるわけにはいかないからと眉をひそめながら客間に通される。

 敷かれた座布団に腰を下ろしたところで、1日ぶりの父が母に連れられて二階から降りてきた。


「それで、話とはなんだ?」


 人生初の家出をしたことで、さすがに父も気まずい思いをしているようだ。

 それとも、予定にない訪問者に戸惑っているのだろうか。

 ぎこちない仕草で向かいの座布団に座った父が、やはりぎこちなく尋ねた。

 

 先ほどのように朔矢さんが説明してくれるとばかり思っていたが、彼は静かにこちらを見つめているだけで、一向に口を開く素振りを見せない。

 この先はお前が話せと言わんばかりの様子に突き放された気分だ。

 けれど、そのために来たのだったと思い出し、ようやく言葉を探しだす。


「えっと、どこから話したらいいのか分からないんだけど……」


 じっと両親に見つめられて、俺は耐え切れず俯いた。

 昨日の家出中に感じていた怒りがいっさい消え、よくわからない罪悪感だけがじわじわと心と口を重くさせる。

 言いよどむ俺に焦れたのか、父がため息交じりに「分かった」と言った。


「そんなに仕事が嫌なら断りの連絡を入れよう。いくら族長の判断といえど、たしかに子供のする案件ではなかった。家出をするほど嫌がる息子に無理強いはしないさ」


 優しく目を細める父に嬉しいと思えない自分は、もしかしたら異端者なのかもしれない。

 隣に座っている朔矢さんも、問題児だと眉をひそめるかもしれない。

 そんな思考が頭をかすめたのは一瞬で、すぐに体中の血が沸騰するほどの怒りを覚えた。

 

「じゃあなんで弟を見殺しにしたんだよ! あいつだって、物心ついてりゃ死ぬの嫌がっただろ! ……それとも、物言わぬ弱者は嫌がる権利すらないって?」


 弟を想っての言葉ではなかった。

 そんなカッコいいものではなくて、次は自分が捨てられるのだという恐怖心から出たものだ。


 父は呆気にとられて口を噤んだ。

 伏せた瞳が戸惑い気味に揺れ、そっと閉じられる。

 やがて何かを決意した父は、俺の顔をまっすぐ見つめて口を開いた。

 

「こればかりは言えないんだ。話すにはお前はまだ小さすぎる。ましてや、見ず知らずの者に話すことなどできない。お引き取り願いたい」


 気持ち悪い。

 ここまで混じりけのない嫌悪感を覚えたのは生まれて初めてだ。

 

「話せないってなんだよ。どうせ見捨てた言い訳が思いつかないだけだろ。この……ひと殺し」


 ここまで低い声が出たのも初めてだ。

 俺が言い終わると同時に、静かに父の隣で話を聞いていた母がキッと目を吊り上げて怒鳴った。

 

「こらっ、万咲希! あんた自分の父親になんて口の利き方をするの!!  お父さんはあなたのことを思って──」

 

「知るかよ! 父さんだけじゃない。あんたも同罪だろ! 俺はあんたらとは違う。このひとの許で、たくさんの命を救う立派な薬師になるんだ!!」

 

 もう何も聞きたくない。

 俺は母の声を遮ると、大声でまくし立てて朔矢さんの手を掴んだ。

 両親の制止の声を振り切り、乱暴に下駄をひっかけ、無我夢中で家を飛び出した。

 無理やり引っ張り出された朔矢さんは、ただ無言で俺のあとを追う。


 そのまま来た道を引き返すと、数十分ぶりの朔矢さん家にたどり着いた。

 乱れに乱れた呼吸を整え、戸を開けてくれた朔矢さんに甘んじて家に入れてもらう。

 そうしてようやく落ち着きを取り戻すと、俺は玄関の三和土(たたき)にぺたりと座り込んだ。


「ほら、やっぱりダメだった。やっぱり俺の親、おかしいんだ」


 涙を堪えて吐き捨てるが、何の言葉も返ってはこなかった。

 酷い親だと言ってほしかった。

 自分の気持ちを肯定してほしかった。

 それなのに、朔矢さんはただ無言でこちらを見下ろしている。


 その瞳がなぜか先ほどの父親のものと重なって見えて嫌になる。

 子供には分からないだろうと低く見て、世界の全てを知った顔で接してくる、あの気に食わない態度。

 俺は我慢できずに拳で床を叩いた。

 

「何か言えよ! どうせお前も俺が癇癪を起した子供だって言いたいんだろ!」


 自分の怒鳴り声が狭い部屋の中に虚しく響く。

 それから少しの沈黙ののち、朔矢さんは落ち着いた声音で「いや」と言った。


「お前たちのことを部外者の俺が口出しすることはできない。だが、ひとつだけ言えることがあるとすれば、俺はお前の行動を子供の癇癪だと思っていない」


「……え?」


 驚きと期待に目を見開き、反射的に顔を上げる。

 見上げた先で、まっすぐな視線とぶつかった。


「ご両親がどのような事情を抱えているかは分からない。だから話せないと言ったことについて責めるつもりは一切ない。第一、両親への評価を俺に委ねることは間違いだ。それからお前自身の評価も。俺はお前を評価しないし、お前のご両親を否定しない。それが無関係な者の正しい立ち位置だろう」


 やはり彼の言うことはよく分からなかった。

 話が飛んでいるような気もするし、繋がっている気もする。

 首を傾げて会話を反芻していると、朔矢さんはふっと笑った。


「まあ、無関係でいられるのも今日で最後だろうが」


 また、分からないことをいう。

 目線だけで尋ねると、彼はいっそう笑みを深め、羽織を脱ぎながら家にあがった。


「今日は疲れただろう。ゆっくり休んでおけ。明日は朝5時から薬草を採りに山に入る。寝坊するなよ」


「は? 何を言って……」


 眉間に皺を寄せる俺に、朔矢さんはさも当然のように「お前、俺の弟子になるのだろう」と言った。

 あの勢い任せともとれる言葉を、子供の口から出た軽いものと受け取ることだってできたはずなのに。

 朔矢さんは馬鹿にすることなく、そして跳ね除けることもなく、迎え入れてくれた。


「いいの……?」


 まだ声変わりのしきれていない高い声が、頼りなさを滲ませて放たれる。


「俺は厳しいぞ」


 そう言って笑う朔矢さんの瞳は、言葉とは裏腹にとても優しかった。


「ありがとう! いや、ありがとうございます、師匠!!」


 俺は満面の笑みを浮かべ、差し出された大きな手をとった。

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