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【幕間】 万咲希と朔矢の出会い-前篇-

 生まれて初めて家出をした。

 両親と言い合いになり、そのまま勢いで飛び出してしまったのだ。

 

 財布を置いてきて無一文だというのに、早くも腹が減り始めていた。

 ここに来る途中で足を滑らせて膝を擦り剝いたし、日が落ちたせいで肌寒い。

 まさに泣き面に蜂だ。

 

 それでも俺は気にせず歩き続けた。

 心は怒りと絶望とで乱れ、胸の内をジリジリと焦がしている。

 帰るものか。それだけが頭の中を占めていた。


 それでも冷静さが戻り始めると、つい足が家の方に向いてしまう。

 家出が現実的でないことを理解しているせいだ。

 俺は迷いを振り切ろうと顔を上げ、そうして目の前に広がる見慣れない景色に涙を滲ませた。

 

 行く当てがないせいか、必要以上に世界が広く感じる。

 帰る気は毛頭ないが、野垂れ死にたいわけではない。

 

 むしろひとりで立派に生きて、あいつらを見返したかった。

 そのためにはまず働き口を見つけなければ。

 そう思い立って働けそうな店を探すためにキョロキョロと見回していた時、唐突に背後から声をかけられた。


「もし、そこの少年。この辺の子じゃないな」


 驚いて振り返ると、金の長い髪を緩く結った男が立っていた。

 長い尾を持っているので妖獣なのだろうけれど、どうやら耳は編み込まれた髪に隠れているらしく、何の妖かは分からない。

 

 俺は早々に種族の特定を諦め、今度はそのひとの性質を見極めようと努めた。

 女性のようなしなやかさを持ちつつも背筋をピンと伸ばして顎を引き、まっすぐこちらを見据える瞳は強い意志を宿している。

 その堂々とした佇まいは精悍な顔つきと相まって歴戦の武闘家のように見えた。

 

「……だったらなんだよ」


 全て分かっているとでも言いたげな表情に苛立ちが募り、つい初対面にもかかわらず失礼な態度を取ってしまう。

 しかし、目の前の男は眉1つ動かさず俺の足を指さした。


「怪我しているだろう。手当をするからついてこい」


「こんなの別に平気だし」


 子供じみた口調で突っぱねると、今度は不機嫌そうに眉を寄せた。

 さすがに怒らせたのかもしれない。

 怒鳴られると思い、自然と肩に力が入る。

 けれど、それは杞憂に終わった。


「擦り傷を甘くみるな。炎症の原因となるブドウ球菌や連鎖球菌は、ほんの小さな傷からも侵入できる。そして最悪の場合、切断せざるを得なくなる。足を切り落とされたくはないだろう」


 静かに諭す口が知らない言葉を連ねるので、思わず呆気にとられる。

 目を瞬かせた俺に、男はふっと薄く笑った。

 そんな優しげに細められた瞳から、俺は目が離せなくなった。


 それから朔矢と名乗った男は、自分の家に俺を連れていき、手早く傷の処置をしてくれた。

 お茶と甘味も出してもらい、すっかりもてなされてしまうと、あっという間に俺は警戒を解いてしまった。

 聞かれるがままに答え、それどころか質問されていないことまでペラペラと口にしてしまう。 

 男は妙に懐に入るのが上手かった。探られていることを気取らせないほどに。

 

「家はどこだ。君の種族が分かれば場所は割り出せる。暗くなる前に送っていこう」


「帰るかよ。あんな最低な親、顔も見たくない」


 吐き捨てるように言うと、朔矢さんはわずかに驚いた顔をした。


「ほう、迷子ではなく家出か」


 なんだ。全て分かっているわけではないのか。

 俺はホッとしつつもなぜか残念な気持ちになった。

 このひとなら言わずとも分かってくれるという期待を裏切られた気になったのだ。


「まあ、そういう感じ」


 素っ気なく答えると、今度は「お前、いくつだ」と尋ねられる。

 次々に問われるこれらの内容は何か意図があってのものなのか、それとも単なる思いつきか。


「13だけど」


 そう答えながら、俺は簡素な部屋の中を見回した。

 見たところ独身。室内に漂う独特ながらも嗅いだことのある匂いの正体は、おそらく漢方薬。

 そして手当を受けている時に見た手際の良さから、おそらく薬師を生業としているのだろうと察する。


 だったら良いか。

 俺は投げやりとも取れる気持ちになった。

 薬師ならば心理療法を行うこともあるだろうし、おそらく口も堅い。

 胸の内に秘めているものを吐き出すには丁度良い。


「話、聞いてくれる?」


 伺いを立てる俺に、朔矢さんは一瞬意外そうな顔をして、それから静かに頷いた。


「俺には弟がいたんだ。でもそいつ、偽神でさ。生まれてすぐに殺された」


 話の深刻さに気付いたのか、朔矢さんは診療道具を片付ける手を止めて椅子に腰かけた。

 その判断の早さに救われた。

 最初から聞く体勢を取られていたら、たぶん俺は話しにくく感じただろう。

 けれど、片手間に聞かれるのもなんか嫌。

 

 そんな面倒くさい自分の心情を、朔矢さんは即座に打ち消してくれた。

 俺は向けられた真摯な瞳に背を押され、長年誰にも言えなかったことをポツポツと話し始めた。

 

「弟が生まれたのは6歳の頃。ずっと不思議だったんだ。父さんと母さんがどうして自分の子供をあんな簡単に見殺しにしたのか」


「覚えているのか」


 相づち代わりの問いに首を振り、俺は「でも」と続けた。

 

「朧げだけど、変だなっていう気持ちだけは残っていたんだ。いくら優しくされても、ずっと次は自分が捨てられるんだって思ってた」


 言いながら胸が痛かった。

 愛されて育ってきた自覚はあって、それなのに愛情を素直に受け取れない自分が惨めで、なにより恥ずかしかった。

 あれだけ胸の内で燃え盛っていた怒りに、ほんの少し両親への罪悪感が混じる。

 ぐっと膝の上で拳を握り、浮かんだ感情を抑えつつ口を開いた。


「昨日、一族の定例会議があって、俺に家を出るように言ってきたんだ。それで言い争いになって」


「まて、どうして家を出る必要がある。それから、誰が家を出るように言った」


 ようやく、そういえば自己紹介がまだだったと気づく。

 種族の説明をしないと話が進まないのに、うっかりしていた。


「あぁ、えっと……俺は(さとり)って妖で、覚一族はアルミラージ一族から依頼を受けて犯人の心を読む仕事をしているんだ。でもこの力は負担が大きいから、ひとりにつき一度、それも短時間しか使用できない。それから、ひとが沢山いると混乱するから山奥に行かなきゃいけないんだ」


「短時間ならすぐに家に帰れるだろう」


 間髪入れずに言われ、俺は曖昧にうなずいた。


「普通ならね。でも、今回の犯人は色んなところに繋がりのあるやつらしくて、そういう時は事件が全て解決するまで関係者はひとまとめにされるんだ。未解決になるかもしれないから、そしたら帰ってこられないだろう、覚悟しておけって父さんに言われた」


「家を出るよう言ったのも君の父親か」


「うん。会議から帰ってきてすぐに言われた。ついに来たかって、案外あっけなかったなって思ったら、なんか急にイライラしてきてさ。『誰が行くかよ』って言って、そしたら怒鳴られて……で、言い合いになった」


 もうダメだと思うような深刻な悩みでも、ひとに話すとちっぽけに思えてしまうのはなぜだろう。

 まあ、実際にしょうもない悩みなのかもしれないけれど。


「それは見捨てたというわけではないだろう」


 そう一蹴されて、しばし俺は黙った。

 沈黙が続き、その間にも感情はコロコロと変わっていく。

 しょうもないと蹴ったはずの悩みを、尾ひれをつけてでも深刻な物にしたくなった。


「見捨てたんだよ。そうじゃなかったら、なんで弟は殺されて、俺はまだ家に残されているの」


「それはお前が偽神ではないからだ、というのは承知の上だろうな。客観的な視点から申せば、お前は簡単に息子を手放した両親に不信感を抱いている。それはつまり、お前が自分の両親を信じたいと思っている証拠だ」


「はあ!?」


 このひと、言葉が足りないってよく言われそう。

 なぜ不信感を抱いていることが、信じたいという気持ちに繋がるのか。

 俺は驚いて二の句が継げぬまま朔矢さんを見上げた。


「ならば本人に直接問い詰めれば良い。納得のいく理由が聞ければ、お前も少しは気持ちが楽になるだろう」

 

「聞いたよ。でも、お前には早いって」


 両親との話し合いはとっくの昔に諦めていた。

 だから朔矢さんにも諦めてもらいたかった。

 それなら仕方ないなと言って、あわよくばここに置いてもらえないだろうか。

 そんな俺の下心を知ってかしらでか、朔矢さんは「わかった」と頷いた。


「今日はもう遅いから明日になってしまうが、俺も共にいこう。少しは仲介できるかもしれん」


 わかったとは。

 望んだ言葉じゃなかったので、俺は頬を膨らませて視線を逸らした。

 そうしながら、自分の冷静な部分が首をかしげる。


「……なんでそこまでしてくれるの」


 尋ねると、朔矢さんは少し考えてから僅かに口角を上げた。


「俺は幸いなことに両親との仲は良好だ。しかし、家族に多様な形があるということは一応理解している。理解したうえで言うと、やはり極力家族間の諍いはなくすべきと思う。まあ、要するにただのお節介だ」


 それだけ言うと、朔矢さんは「客間を整えてくる」と踵を返した。

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