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空駆ける絹

「とりあえず状況を整理しようか」


 私と葉月さんの手当てを終えたタウフィークさんが、持ち運び用の救急セットを懐にしまいながら言った。

 

 石の混じった斜面を転げ落ちたので、手足には酷い擦り傷ができていた。

 それを慣れた手つきで処置してくれるタウフィークさんには、とてもじゃないが頭が上がらない。

 

「状況……そういえば、いま何時ですか?」

 

 先ほどの騒動ですっかり頭から抜けていたが、実は今、私たちは世界を救っている最中なのだ。

 空が雲に覆われているせいで正確な時間は分からないが、かなり長い間足止めを食らっていたはずだ。

 加えて最後に時計を見たときには既に16時を回っていた。正直、聞くのが怖い。

 

「ちょっと待って。あー、6時過ぎだな」

 

 懐中時計を引っ張り出したタウフィークさんが、飲み屋をハシゴするサラリーマンのような気軽さで時刻を告げる。

 2時間のタイムロスを嘆くにしては、彼の声は深刻さが足りなかった。


「なんとも緊張感のない……」


 気の抜けたらしい葉月さんが、それでも悩ましげに顔を歪める。


「しかし、月夜町から出雲まで15里弱。それを休まず歩くとして、およそ10刻……」


(10刻ってことは、1刻が2時間と考えて……)


 いくら言語という概念がないとはいえ同じ日本語が翻訳されるはずもなく、時おり古めかしい言い回しをする彼とは会話に手間取ることがある。


「20時間かぁ。……えっ、20時間!?」


 私はギョッとして繰り返した。

 今から20時間も歩き続けるなんて正気の沙汰じゃない。

 休み休み行くとなれば、まだ可能だろうが。


「本来徒歩で行く距離ではないのですが、牛車を扱う(くだん)一族が天中に移ってしまい、必然的に歩くしかなくて」


 目を瞑った葉月さんが疲れの滲んだ声で言った。


「件一族って、唯太郎さんの……」


 懐かしい種族名に、あの江戸訛りの男性を思い出す。

 確かに牛車で行けばだいぶ楽だっただろう。


「月夜町は山に囲まれていて、地揺れによる被害が怖いからね。そういう危険な場所に住んでいるひとたちは、あらかた俺たちアルミラージが避難させたよ」


 雪の上にあぐらをかいて座ったタウフィークさんが、さらりと説明した。

 事も無げに言っているが、地震の怖さを知らない人たちに避難するよう説得するのは大変だっただろう。


「被害が少なく済んでいるのはいいけど、危うく自分で自分の首を絞めるところだった」


 危ない危ないと爽やかに笑う彼に、私は2度ほど瞬きした。


「危うく……?」


「どうしたら間に合う。牛車もだめ、徒歩も時間がかかりすぎる。術を使うにしても、神力が足りるかどうか……」


 タウフィークさんの言葉に引っ掛かりを覚えて尋ね返す私の声と、考え込んでいた葉月さんの声が重なる。


「10刻というのも、順調に行けばという意味だから、実際はもっとかかるだろう。せめて倒木や崖崩れがなければ……」

 

 そう零しながら、葉月さんはゴロンと雪の上に転がった。

 そのまま仰向けになり、遠くの空を見上げる。


「あっ」


 そして、何かを見つけた。

 目を見張り、勢いよく起き上がった葉月さんは、すぐに合点がいった様子でタウフィークさんを見た。


「タウフィーク、笑っていないで早く言ってよ」


 咎める口調とは裏腹に、彼の表情は明るさを取り戻している。

 私も状況を把握しようと見上げて、同じように「あっ!」と叫んだ。

 

「一反木綿さん!」


 視線の先に白くて薄いものが3枚、高く伸びた木々の上をヒラヒラと飛んでいる。

 なるほど。タウフィークさんは一反木綿の存在を知っていた。

 だからあまり焦っていなかったのだ。


(そういえば、タウフィークさんがここに駆けつけてくれた時、たぶん上から降ってきたんだよね。ドサッて聞こえたし)


 要するに一反木綿さんの上から飛び降りたのだろう。

 何はともあれ、希望の光が見えてきた。

 

「それじゃあ第五の門まであっという間ですね!」


 嬉々として言う私に、しかしタウフィークさんは眉を下げた。


「ところが、そうでもない」


「えっ?」


 万事解決と喜んでいた私は、見えかけていた希望の光が一瞬で萎んでいくのを感じた。


「たしかに出雲の屋敷までは全力で飛ばしてもらって1時間あれば着ける。でも、そこから第五の門まで向かうとなると、かなり時間がかかるんだ」


「そんなに離れているんですか? 出雲町にあるって聞いていたから、てっきりすぐ近くだと思っていました」


「いや、まあ正しい道で行けばそれなりに近いよ。でも、あそこには政府の目があるからね。正面からいくのは危険だ。さらに、一反木綿での移動は目立つから、途中で降りて徒歩移動になる」


 土地勘もなければ常世の常識もない私には出雲がどんな所か分からないけれど、彼の言っていることは理解できた。

 相槌を打つ私の隣で、タウフィークさんと同じく常世育ちの葉月さんが、再び思考の海に沈んでいく。

 

「そうなると遠回りして深山町(みやまちょう)あたりから入るのが一番早いかな」


 知らない地名をさらりと口にする葉月さんに、タウフィークさんが頷いて同意した。


「うん。深山から星原(ほしはら)を通って行くしかない。幸い、黄泉比良坂と第五の門は出雲の町を挟んで正反対の場所にある。森の正面に見える屋敷さえ抜けられれば大丈夫だ」


 話し合いが終わると、すぐさま私たちは一反木綿さんに行き先を告げて出雲に向かった。

 ちなみに、捕まえた追っ手はタウフィークさんが簡易転送機でアルミラージの屋敷に送った。


 風の切れる音と湿った空気を全身で受けながら、雪を背負う山々を見下ろす。

 所々茶色い地面が見えて痛々しい。

 きっと、現世はさらに酷いことになっているのだろう。


「まったく、この老体を顎で使うとは。あとで君のお父上に文句を言っておこう」


 しばらくして、タウフィークさんを背に乗せた一反木綿さんが、大げさなほど声を尖らせて言った。

 それを聞いて、仲間に(ふみ)をしたためていたタウフィークさんがギョッと目を剥いた。


「ちょっ、待ってよ絹さん! それは行きに謝っただろ!?」


「ほほほ、焦っておる、焦っておる」


 お茶目なおじいちゃんに振り回され、タウフィークさんがムスッと不機嫌そうな顔をした。

 どうやら気の置けない間柄のようだ。


「からかわないでよ」


 そう文句を言うタウフィークさんに、私は首を傾げて尋ねた。


「お知り合いですか? かなり怒っていますけど」


「ああ、一反木綿の族長だよ。異族会で良く話すんだ。機嫌悪いけど安心して。俺ら大の仲良し」


「誰が大の仲良しじゃ! 余りもんでいいとか無礼な物言いをしたのはどの口じゃったかの!」


 本気なんだか冗談なんだか分からないテンションの掛け合いだが、やはり仲は良い方なのだろう。

 とりあえず気になった言葉があったので、私は再び口を開いた。

 

「余りものというと?」


「ほら、彼らは太陽の光が苦手だろう? でもこの異常気象で太陽が隠れて、昼間から仕事ができるようになった。それで一反木綿一族は昼夜問わず大忙しなんだ。なにしろ、移動時間が劇的に速いからね」


 そういえば以前、葉月さんから彼らは陽光で焼けてしまう体質を持っていると聞いたことがあった。


「残っていたのは隠居したじじばばのみ。そこで、まだまだ動ける現役のわしと最近までバリバリ働いておったこの2名に白羽の矢が立ってしもうたのじゃ」


 うんざりといった口調の割に誇らしげなのは、きっとこの仕事が好きだからだろう。

 それはとても素敵なことだと思う。

 しかし、顔を綻ばせた私とは反対に、タウフィークさんは片方の眉を上げて物言いたげな顔をした。

 

「息子さん、もう十二分に大人だろ。そろそろ席を譲り渡したら?」


 歯に衣着せぬ言い草は、やはり仲が良い証拠だろう。

 言われた絹さんも、声を荒らげはすれど、そこに険悪な空気は無い。


「何を言う! たしかにうちの息子は優秀だが、わしはまだまだ現役じゃ! 振り落とされたいか!!」


「怖いって。でもほら、いつまでも居座っているから『いっぺん古紙回収されろ』なんて言われるんだよ」


 おっと、これは酷い。

 私と葉月さんはそっと顔を見合せた。

 これは止めた方がいいやつだろうか。

 しかしタウフィークさんが意味深な視線を寄越してくるので、2人そろって口を噤む。


「なんと失礼極まりない! いったい誰が申した!!」


「あなたの優秀な息子さんだよ」


「の、の、典絹(のりまさ)ぁぁぁ!!!」


 その日、絹さんの最高飛行速度が更新されたという。

 お陰様で深山町まであっという間に着いた。

のりまさぁぁぁあ!!!

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