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蝶の導き

 私がいくら両親を偲んだところで、二人は存在できるはずがない。

 だからきっと、体の機能が完全に停止するまでの過程で起きた脳の不具合だろう。

 そう思うのに、神力の気配や目の前の景色がこれは現実だと肯定してくる。

 

 あの頃と何ら変わらぬ姿で微笑みかけてくる両親を前にして、私はひたすら困惑していた。


「なぜ、父様と母様がここに……」


 言うべきことはもっと他にあっただろうに。

 上手く順応できない自分に呆れつつも、胸の奥底では微かな期待が芽生えていた。

 

 永遠に言葉を交わせないと思っていた二人と、もう一度話せるかもしれない。

 たくさん聞いてほしいことがあるのだ。

 

 大変だった日々や本当の弟のように接してくれるタウフィークや、生まれてきてくれてありがとうと言ってくれた結奈さんのこと。

 

 すごいでしょうと自慢して、たくさん褒めてほしい。

 素敵なひと達に出会えたのだねと喜びを肯定してほしい。

 

 そんな子供じみた思いが堰を切ったように溢れてくる。

 なかなか言葉にできない私を見て、母が柔らかく笑った。

 

「あらあら、あんなに慌てちゃって。あなたが驚かそうなんて言うからよ。だから言ったのに。話しかけてからの方が良いって」


 とても懐かしい声が聞こえてきて、思わず泣きそうになった。

 ひとの記憶で一番最初に失うのが音であると、どこかで聞いたことがある。

 次いで顔、最後に思い出を失くすらしい。

 事実、私が真っ先に忘れたのは両親の声だった。


 さすがに顔を忘れたことはなかったが、気配ほどはっきり覚えていられたわけではない。

 徐々にぼやけていく両親の表情に、言い知れぬ焦燥感を抱いたこともあった。

 

 どんな風に笑っていたか、叱っているときの顔は、心配してくれているときの瞳は。

 写真は残っていたが、さすがに笑顔以外の表情はなく、そしてその笑顔も写真機に向けただけの少しぎこちないものだった。

 

 結奈さんと見た記憶の中でほんの少しだけ思い出したけれど、どうしても声だけはすぐに消えてしまった。


「まいったな。ここまで驚かれるとは。ははは」


「はははじゃないわよ。まったく。いいから早く説明してあげなさい」


「私が? 千歳(ちとせ)の方が説明上手だろう」


 しばらく二人のやり取りを眺めていた私は、ためらいながらも一歩足を踏み出した。


「あの、夢ではないのですよね」

 

 なんとも愚かな質問があったものだ。

 夢の中だったとしたら、なおさら正確に指摘してくれるわけがないのに。

 夢の中では自分に都合の良いように話を持っていけるのだから。


 確かめる方法はない。

 本物だと思った気配だって、脳の片隅にあった記憶から作り出されたものかもしれない。

 そんなことをごちゃごちゃと考えていると、察したのだろう父が眉を下げて「どうだろうな」と答えた。


「私たちがお前の作った幻影だとしても、それを証明できる術はない。だから、我々の認識は間違っている可能性がある」


「父様と母様の認識……?」


 自然と目線が足元へいく。

 これがもし私の想像上の空間であるというのなら、父と母は私の問いになんと答えるだろう。

 

 実はまだ生きていて、どこか遠くでひっそりと暮らしていた?

 それとも、天国で幸せに暮らしている?

 

 ありえない。

 二人が殺される瞬間を、私は確かにこの目で見た。

 妖が死後の世界に行けない仕組みも、きちんと理解してる。

 それは人間が祈りの力の代わりに世の理を理解できないように、妖の能力に対する代償だった。


 もしも両親が私の願望に沿った回答をしたら、それはつまり、この二人が自分の作り上げた幻ということになる。

 父が口を開く瞬間まで、私は判決を待つ罪人のような気持ちで俯いていた。

 

「私たちのことを思ってくれる子がいてね」

 

 そのたった一言に大きな衝撃を受けて、私はハッと息を吞んだ。

 答えを求めるように顔を上げる。

 父は私の視線を一身に受け止め、ゆっくりと頷いた。


「優しい子だ。お前のために、ずっと祈ってくれていた。私たちがここに居られるのは、彼女のおかげだよ」


 そうか。

 私は声もなく呟いた。

 人間である結奈さんが私の両親に思いを巡らせたことで、二人の魂が(よみがえ)ったのだ。

 妖としての常識から限りなく離れてしまったが、それならば父と母が存在している理由はつく。


「葉月。お前はこんな所にいて良いのか?彼女を一人にして」


 諭すような口調にグッと喉を詰まらせる。

 両親と再会し、状況を把握した今、私の中にあった生への未練はさらに大きくなっていた。

 戻れるものなら戻りたい。もう一度、結奈さんに会いたい。

 

「でも、帰る方法なんてもうどこにも──」


 どこにもないと言いかけたとき、つと藤色に輝く蝶が一頭、目の前に現れた。

 ひらりひらりと私の周りを舞う様子は、どこかに誘おうとしているようにも見える。

 

「人の祈りの力というのは、けして死者にしか効かぬものでは無い。それは我々妖の力に比べたら分かりにくいのかもしれない。しかし、とても巨大な力だ」

 

 蝶を眩しそうに眺めながら、父が呟くように言った。

 徐々に輝きを増していくそれは、よく見ると脚のひとつに長い糸が結ばれている。

 不思議なことに、その糸は結奈さんから貰った腕飾りによく似ていた。

 

 松葉色と淡藤色と白藍、そして浅葱色の4色が複雑に絡まった一本の糸。

 父はそっと糸を掬い上げ、私の手にしっかりと握らせた。


「これはお前たちの結んだ縁だ。辿ればやがて元に戻れる」

 

 私はどこかへ飛んでいこうとする蝶を見て、それから両親の方を振り向いた。

 微かな名残惜しさを感じながら、それでも恋焦がれる気持ちが出立の足を急き立てる。

 

「……父様、母様。ありがとうございます。今までもこれからも、ずっと愛しています」


 生きている間は照れ臭くて言えなかっただろう言葉を紡ぐと、両親は嬉しそうに笑った。


「私たちも愛しているよ、葉月。時間の許す限り、ずっとお前を、お前たちを思っている。なにしろ葉月と小春は私たちのかけがえの無い宝物だからな。そうだろう、千歳」

 

「ええ、大事な大事な宝物よ。いつもあなたたちの幸せを願っているわ」


 母の声が震えていることに気づかぬふりをして、私は感謝の意を込めて深く頭を下げた。

 身を寄せ合って微笑む二人の姿を目に焼き付け、そして背を向けて蝶を追いかける。

 

 徐々にふたりの気配が薄くなり、母の「体に気を付けて」という言葉を最後に、私の視界は白く染まった。

またも1年近く温めていたお話です。

終わりが近づいてきたとはいえ、本編だけであと10話近くありますので、もうしばらくお付き合いのほどよろしくお願いいたします(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)

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