追憶
人生で1番神力を使ったと思う。
立ち上がれないほど強い疲労感に襲われ、酷い悪夢を連続して見た時のような気分になった。
次第に息を吸うことすら億劫になり、酸素不足による眠気が訪れたときには、すでに死への危機感など無くなっていた。
おそらく体は雪の積もった地面を転がっているのだろうけれど、不思議と寒さを感じない。
まるで体が地面に溶け込んだような、一体化したような、そんな心地よさに包まれる。
(これが死というものなら、案外悪くないのかもしれない。あぁ、でも、結奈さんを1人にしてしまうな……)
ふと想い人のことを思い出し、少しだけ未練が生まれる。
しかし、すぐにまた眠くなって思考が解けていった。
代わりに、過去の記憶が次々と頭に浮かんでくる。
彼女のことを考えていたからだろうか。
そのほとんどが彼女と過ごした日常の光景だった。
(結奈さんに会うまでは、生きる楽しさなんて忘れていた。約束を果たすためだけに生きる毎日だったから、記憶に残るはずもないか)
そう、初めは神崎夫妻との約束を守るためだった。
彼らに償うために、そして自分への嫌悪感を薄めるために。
そんな汚い動機で、私は結奈さんの転送先を上書きした。
それから数年後。
事前に指定していた転送先で、私は眠っている彼女をじっと見つめていた。
神崎夫妻の面影を探し、自分の想像していた「結奈さん」と照らし合わせる。
柔らかそうな髪質は父親譲り、ぷくりと可愛らしい唇と形の整った小鼻は母親譲り。
なるほど、確かに彼らの娘だ。
それから彼女の意識を、半ば強引に引き戻した。
パチリと大きな目が開いて、しっかりと視線が合って……あぁ、榛色の瞳は母譲りだ。
戸惑いを隠しきれない様子の結奈さんだったが、予想より早い追手の到着に気づいた私は、これまた強引に家へと招き入れた。
一日経って、私の中にあった結奈さんの印象は、大いに変わった。
母似の物静かな子だと思っていたけれど、実際はとても表情豊かな子だった。
笑ったと思ったら、次の瞬間には泣きそうな顔をしていたり。
楽しそうにしていた様子が、いつの間にか落ち込んでいたり。
そういう所を見て、とても頭の良い人なのだと理解した。
色々なことを一辺に考えられるから、その分気づかなくても良いことまで気づいてしまう。
例えばそう、私の家族事情とか。
話題に出しては、様子を見て引っ込める。
そうやって私との距離を推し量る彼女を、私は優しい方だと思った。
そんな彼女と暮らすようになってから、私は悪夢を見るようになった。
しばらくの間見なくなっていた、あのおぞましい事件の夢だ。
彼女の中に神崎夫妻を見たからだろう。
もしくは、過去の話をなかなか打ち明けられない自分に失望したからか。
足元に散らばる鮮やかな赤。
家族同然に思っていた一族の断末魔の叫び。
父様と母様の崩れ落ちる背中。
その場にそぐわない美しい満月。
結奈さんの両親が切り裂かれ、最後は決まって暗闇に包まれる。
「あぁ、独りになってしまった」
そんな幼い自分の声とともに目が覚めるのだ。
夢を見たあとは寝る気がしなくて、懺悔の如く護符を描いた。
描きながら、自分が殺めた妖達に、そして助けられなかった神崎夫妻と一族に謝り続けた。
のうのうと生き延びていることに罪悪感を抱いていた。
いよいよ限界を迎え、話の途中で眠ってしまった自分に、結奈さんは顔色が良くないからと薬湯を差し出してくれた。
事情を深く聞いてきたりはせず、そっと寄り添ってくれた。
そのことにどれだけ私が救われたか、きっと結奈さんは知らないだろう。
彼女と過ごして一ヶ月が経った頃には、私はもう、彼女の中に神崎夫妻を探すことは無くなった。
代わりに、彼女の新たな一面を知ることが、毎日の楽しみになった。
たくさんのキラキラとした思い出が降り積もり、消しかけていた自分の存在が確かなものになっていく。
結奈さんとの日々は、かけがえのないものへと変わり、彼女の存在は、気づけば手放せないほど大きなものになっていた。
結奈さんのことがどうしようもなく大切で、命にかえても守りたくなった。
たくさん辛い思いをした彼女に、幸せになってほしかった。
叶うことなら、自分の手で。
けれど、それは単なる夢物語だった。
もう自分が生きているのかすら分からず、気がつけば長い長い一本道を歩いていた。
結奈さんのもとに帰ろうにも前に進む足が止まらない。
どうやら自分は引き返せないところまで来てしまったらしい。
「なんとか結奈さんだけは生き延びてほしい。最後にタウフィークの気配がしたから、あれが気のせいじゃなかったら、きっと大丈夫……」
そう言い聞かせるも、彼女の言葉が耳から離れなかった。
逃げた先に居場所はない。
現世の消滅が迫り、同族のいない世界に1人残された彼女の言葉は、痛みを伴って胸に響いた。
ああ、ダメだ。
未練だらけじゃないか。
まだ消えたくない。
もう一度、結奈さんに会いたい。
ずっと一定だった感情が揺らいで、途方に暮れる。
淡々と足を動かしていた先ほどまでが不思議なくらい、1歩が重くなる。
そしてとうとう立ち止まり、私は後ろを振り返った。
「ここを引き返したら、戻れるのだろうか。いや、でも動けない。もう無理なのか。他に道は……」
そこでふと、右の手首に温もりを感じた。
それと同時に、どこか懐かしい神力の気配がする。
不思議に思って腕を上げると、2つの光が交差するように手首を覆っていた。
「……この気配……父様と、母様?」
10年の月日が経っているというのに、この2つの気配だけは1日たりとも忘れたことがなかった。
琥珀色の神力は父のもので、千歳緑は母のものだ。
私は顔立ちもそうだが、神力の色も母に似ていて、だから自分の神力の色が好きだった。
ちなみに、姉の小春は父方の祖母の神力と似ていたらしいが、病気で私が生まれるより前に亡くなったので直接見たことは無い。
「近くにいらっしゃるのですか……?」
そんなはずはないと分かっていながら、つい呼びかけてしまう。
亡くなった両親の存在を感じ始めているということは、たしかに自分は死んだのだろうけれど、それにしたって信じられない。
妖は魂が体から離れた瞬間に消えるのだ。
生者がいくら偲ぼうと、妖には故人を発出させる能力がないのだから。
それなのに私がもう一度2人に呼びかけると、手首にまとわりついていた2色の神力は一層強く煌めいて、その存在を露わにした。
あまりの眩しさに瞬きをした、その瞬間。
2つの光は戯れるように宙を飛び、やがて私の前に2つの人型を作った。
実はこの59話、最終章のエピローグと共に一年以上温めていたお話です。
ようやく出せて嬉しい(*´艸`)




