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見習いの祈り

 けれど、抵抗しようと意気込んだくらいで状況が好転するはずもない。

 近づいてくる追手を睨みつけ、どう暴れてやろうかと思案する。

 相手側も多少は警戒をしているようで、私から目を逸らすことなく受け答えを行っていた。

 

「死なない程度でした弱らせていただいて結構です。捕獲したら出雲に戻りますよ」


「偽神のほうは?」


「放っておいて大丈夫でしょう。ただし生死を確かめた後に、ですが」


 短いやり取りを聞き流しながら、すばやく思考を巡らせる。

 

(ただ刀を振り回すだけじゃ、たぶん意味ないよね。私を死なせたくないっぽいし、そこを利用するなら……)


 私は深呼吸をすると、少し離れたところにいる彼らに「待って」と声を張り上げた。

 会話が止まったことを確認し、迷いなく懐刀を自分の首筋に押し当てる。

 私は唾を飲み込むと、唇が震えないよう気を付けながら口を開いた。


「いますぐここから立ち去らないと首を切ります」

 

「本気ですか?」


 天音と名乗る男が片方の眉を上げ、嫌味なほど上品に(あざけ)り笑った。

 男の落ち着いた態度に怯みかけ、それでも目元に力を入れて前を見据える。

 

「本気です。あなたたちは現世を消滅させるつもりなんですよね。そしたら当然、そこに住んでいる生き物は居なくなって、生きている人間は私だけになる。だから私に死なれると困るんでしょ」


 私を生かしてどうするつもりなのかは分からないが、わざわざ殺すなと命令するくらいだ。

 そうしなければならない理由があるのだろう。

 そう思っていたのに、男は贈り物を差し出すように柔らかく笑って肩をすくめた。


「いいえ、困りません。死にたければ勝手にどうぞ。愛するひとと心中など、ロマンチックで良いではありませんか。ぜひお二人の行く末を見届けさせてください」


 そう言われた途端、自身の首に刀を押し当てている理由が分からなくなった。

 あったはずの答えがぼやけ、目的を見失い始める。


(あれ、どうして私、自分から死のうとしているんだっけ。ええと……そうだ。彼らは人間である私を何かに利用しようとしていて、だから私が死んだら困るわけで……それなら、近づけば死ぬと脅せばなんとかなると思っていたけど、死んでいいって言われて……)


 頭がパニックで真っ白になった。

 そもそも葉月さんが動けない今、もう私に出来ることはないのではないか。

 いや、だから最後に思い切り抵抗しようと決意したのだ。

 

「ほら、早く彼の後を追わないと。妖の魂はね、体から離れた瞬間に消えてしまうのです。人間であるあなたが引きとめて天国まで導いてあげなければ、彼も消えてしまいますよ。さあ早く。でないと一生彼と会えなくなっちゃいますよ」


 あれ。あれ。

 急かされるたびに、混乱が広がって呼吸が早くなる。

 縋るように葉月さんへ視線を移し、刹那、ひゅっと喉が鳴った。


「は、葉月さん……?」


 震える声で名前を呼ぶも、応えてくれる気配はない。

 辛うじて息はしているけれど、いつ止まってもおかしくないほど浅い。

 

(このままじゃ葉月さんの魂が消えちゃう。それじゃあ、私が後を追わないと)


 心の中で呟くと、なぜかそれが最良の選択のように思えて、刃先を脈打つ首筋に当てながら安堵した。

 気持ちが異常なほど凪いでいる。

 大丈夫。あとは力を入れて横に引くだけ。なにも怖くない。

 

 目を閉じて、深呼吸をひとつする。

 最後の呼吸だと思うとなんだか名残惜しいけれど、未練はなかった。

 肺の中の酸素を吐ききり、そっと息を止めて(つか)を握り直す。


 ゆっくり位置を固定したところで、前方からドサリと鈍い音がした。

 何かが倒れたというより、重いものが上から落ちてきたような音だ。

 次いで、複数の驚いたような声が聞こえる。

 さすがに気になって目を開けると、私と追手との間にひとりの妖が立っていた。

 

 黒いマントを目深に被っていて、背の高さや体の線からして男だろうと推測する。

 呆気に取られているうちに、その男は背を向けたまま走り出した。

 ものすごい速さで距離を詰め、追手を剣で一掃する。

 まるで剣舞でも踊っているような洗練された動きに思わず目を奪われた。


 その妖は大臣を除くすべての追手を制圧すると、手早くその場の全員を拘束して身をひるがえし、私の目の前にしゃがみ込んだ。

 冷たい手が私の手から刀を取り上げ、フードを乱雑に取り払う。


「あっ……」


 長い耳と黒い角、そして正義感を宿した赤い瞳。

 謎の男の正体は、タウフィークさんだった。

 タウフィークさんは倒れている葉月さんを一瞥し、痛みをこらえるように顔を歪めたあと、静かに天音に向き直った。


「組織に潜入していたとき、何度も噂を耳にしたよ。白蔵主(はくぞうす)という狐の妖がいて、ひとの心を操ることができるって」


「狐……?」


 思わぬ言葉に眉を寄せ、口の中で呟く。

 狐の妖が霊狐だけではないことは知っていたが、ひとの心を操る狐なんて聞いたことがない。


「妖の能力をひとに向けて使うことは政府によって禁じられているはずだ。それをまさか、禁じる側が破るとはな」


 タウフィークさんの声が怒りに震えている。

 大切な義弟を追い詰めた相手の前で冷静でいろという方が無理な話だろう。

 しかし、後ろ手に縛られている大臣は、真っ向から感情をぶつけられたにもかかわらず悠然たる態度で笑った。

 

「お察しの通り、その白蔵主とは私の事です。化け狐とも言われていますけどね、人間以外には化けられないので常世じゃ使えなくて。もうひとつ、動揺したり不安になったひとの心につけ入ることで、思い通りに事を動かすことができます。まあ、今回は残念ながら上手くいかなかったですけどね。死んだはずのアルミラージが邪魔をしてくれたおかげで」


 そこでようやく、白蔵主の能力が私に使われていたことを知る。

 どの辺りから操られていたのか定かではないが、危うく自決するところだった。


「悪いが意識を奪わせてもらう。拘束するだけじゃ危険だからな」


 タウフィークさんは言いながら天音に近づき、躊躇いなく腕を振り上げた。

 その腕から目を逸らした天音は、薄く笑いながら口を開いた。

 

「悪いだなんて少しも思っていないくせに」


 鈍い音とともに、手刀を入れられた大臣が崩れ落ちる。

 タウフィークさんはその様を確認することなく、私と葉月さんの元へ駆け寄った。


「結奈ちゃん、葉月はどうなっている?」


 私はその問いに答えられなかった。

 答えられないというより、答えたくなかった。

 心を操られていたとはいえ意識のあった私は、タウフィークさんが来た直後に葉月さんの呼吸が完全に止まったことを知っていた。

 

 言えない。言いたくない。

 口にしてしまったら心が壊れてしまいそうだ。

 タウフィークさんはそんな私の様子から察して、がくんと膝を折った。


「うそだろ……間に合わなかった……?」


 茫然と地面を見つめていたタウフィークさんは、しかし気持ちを振り払うように葉月さんの体を揺すった。

 

「おい、葉月!しっかりしろ! 起きろ馬鹿! くそっ、なにかないのか!?」


 悲痛な叫びを聞きながら、私も震える手を伸ばす。

 もう少しで触れるというところで、私はピタリと動きを止めた。

 信じられない光景に目を疑いながら、しっかりと見るために彼の右腕の袖をめくる。

 

「……神力? でもこれは……」


 私の声に反応して、タウフィークさんも反対側から覗き込む。

 葉月さんの右手首には、私が誕生日プレゼントとして贈った矢羽根模様のミサンガが巻かれていた。

 そして不思議なことに、そのミサンガは琥珀色と暗い緑の光を帯びていた。

 

「結奈ちゃん、これはどういう……」


 尋ねるタウフィークさんに「分かりません」と答えつつ、4色のカラフルな刺繍糸を模様に沿って撫でる。


「緑と紫は無事に旅を終えられるように。白藍(しらあい)は私たちらしく居られるように。浅葱色はずっと一緒に居られるように。……人間には……祈りの力がある」

 

 光のごとく飛び交う思考とともに、様々な気持ちが溢れてくる。

 もしかしたらと思ったことはあった。

 だから、会うことは叶わずとも、見てくれていると思えば心の支えになるだろうと祈ったのだ。

 

 それがまさか、こんな形で作用するとは。

 私は勢いよく顔を上げると、あふれ出した涙を拭いながら口を開いた。


「まだ間に合うかもしれません!」


「間に合う……?」


 狼狽しているタウフィークさんから葉月さんに視線を戻し、冷え切った彼の手を両手で握りしめる。

 祈るように額に彼の手をつけると、ミサンガの神力が一際明るく輝いた。

 

 呼応するように地面に散らばっていた浅葱蝶の回復薬も瞬き始める。

 花弁が私たちの周りをクルクルと舞い、やがて辺りは眩い光に包まれた。

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