明星
「一度は聞いたことあるんじゃないかなぁ。明星って名前」
そう話を切り出したのは、結奈さんの腕を傷つけた狼藉者だった。
細められた瞳は、他者を試しているように思えてどうにも居心地が悪い。
「アルミラージみたいに一族で生業にしていると、どうしても隅々まで悪い奴らを見つけ出せないでしょ。なんて言ったって、犯罪組織の合言葉が『ウサギ耳を見たら逃げろ』だもんなぁ」
嫌味を言ったわけでは無いようだが、視界の端でタウフィークが眉をぴくりと動かすのが分かった。
大方、話を遮る訳にもいかず、しかし酷い言われように納得がいかないといったところか。
義兄の静かな葛藤を垣間見て、私は思わず苦笑した。
「変装も変化の術も手がかかる。だから、種族も出身もバラバラな、犯罪対策を目的とした非政府組織がつくられたんだ」
「それが明星……」
ポツリと呟く結奈さんは、なんだか得心したように見える。
おそらく、現世にも似た機関が存在するのだろう。
うちの守り屋はどうかと視線を移すと、こちらはやはりと言うべきか、オオカミに疑惑の目を向けていた。
「この国に詳しい俺たちの間でも、ほとんど都市伝説みたいな扱いだよ。まさか本当に存在していたとは」
そう口では言うものの、タウフィークは再び警戒を強めた。
半信半疑を体現したような態度は、同じく常世で生まれ育った私にも共感できる。
「八年前だったかなぁ。諸々のほとぼりが冷めて、ようやく霊狐一族の事件について調査できるようになったということで、役人として行政府に潜入していたんだ。あの事件は開示する情報を必要以上に制限していて、明らかに第三者の接触があったからねぇ」
ちくり。心が微かに痛みを訴えた。
あの恐ろしい出来事が頭をよぎる。
それでも、誰かに認知されていたことが分かって、少しだけ救われたような心地になった。
「それから小春ちゃんと出会ってさ。色々あって結託したんだ。それで、そんな小春ちゃんからの依頼で、今は組織に潜入しているの」
一度言葉を切ってから、オオカミは追考するように目を伏せて「いや」と言った。
「政府からもお目付け役ってことで組織へ潜入するよう命じられているから……二重スパイってやつか。まあ、つまり、俺は君たちの味方ってこと!」
口調に深みがないせいか、どうにも素直に受け入れられない。
それに、いくら任務のためとはいえ、結奈さんに怪我を負わせた罪は重い。
だが、話の筋は通っていた。
これまでの彼の行動に対する矛盾撞着が、一気に意味を成してくる。
タウフィークもようやく納得がいったようで「なるほど」と頷いた。
「どうりで国の術使いリストに該当者がいないわけだ。国に察知されていたら、秘密組織ではないもんな」
そう締めくくるタウフィークに、オオカミは満足げな笑みを浮かべた。
「ご理解いただけたようでなによりです。それでは改めまして、明星に所属している志苑と申します。種族は送り狼です。以後お見知りおき……はしないでね。もう会わないだろうし」
なんとも締まらない挨拶をするこの男を、やはり私は好きになれなかった。
味方だからといって、言葉遣い一つにおいても素の姿を見せない彼に、どうして警戒心を捨てられるだろうか。
しかし、そんな了見の狭い自分とは 反対に、結奈さんは申し訳なさそうな顔をした。
「すみません、失礼な態度をとってしまって」
丁寧に謝る結奈さんに、好戦的だった男の表情が和らいだ。
彼女のこういうところを、私はいつも尊敬している。
「全然いいよぉ。世間から外れたやつらの集まりみたいなとこで、君らの反応は正しいんだし」
そこまで聞いて、瞬時に「野妖」という文字が浮かんだ。
社会の決まりを破り、罰せられた者が行き着く立場の名称だ。
自然と先ほどの結奈さんに向けていた嫌な視線を思い出し、ついでに種族名も手伝って、彼がどんな罪を犯したのか察する。
「桃源郷の神様と黄泉の王様によって設立された組織でさ。犯罪に手を染めた妖が更生した後の、社会貢献できる場を提供したいって作ってくれたんだぁ。ちなみに、この小屋も明星のものなんだよぉ」
そう嬉しそうに語る男の顔を見て、私は軽く頭を振って悪感情を散らした。
彼が犯した罪を、無関係の、それも同じように過ちを犯した自分が嫌悪するのは間違っている。
間違っているのだ。
「しかし、機密文書を盗まれたときは身が縮んだよ。あれは結局どうしたんだ? もちろん奴らに渡さなかったんだろう?」
しばしの会話ののち、ふと尋ねるタウフィークの声は、親しみのこもったものに変わっていた。
純粋な疑問をぶつけられた志苑さんは、一度きょとんとしてから、まるでとっておきの宝物を見せる少年のように微笑んだ。
「渡したよぉ、もちろん。だって、あの古文書は決められたひとしか開けられないように細工されていたからねぇ。大丈夫、内容は読まれていないから」
そう断言する志苑さんの言葉に、私は思い当る節があった。
件の古文書は、幼いころに一度だけ父に見せてもらったことがある。
神様と霊狐一族の長だけが読むことを許された、貴重な歴史書だ。
そこには常世と現世の関係や、二つの世界を結ぶ方法が書かれている。
……というのは父から聞いた話で、残念ながら古文書の内容はあまり覚えていない。
おそらく、まだ文字をさほど読めない年頃だったのだろう。そのため、実のところ、神様の執り行う月結びの儀式がどのようなものなのか私も知らないのだ。
「古文書の仕組みについて、政府側は知らなかったのよ。まさか読めないようになっているとは思っていなかったみたいで、私に問う事すらしなかったわ」
姉が肩をすくめつつ言った。
こうして聞いていると、彼らの計画の杜撰さに疑問が沸いてくる。
そして、第一の門を閉じた直後に現れた、組織からの追手と思われる術使いについても。
まだ分からないことだらけだ。
私は頭に響く鈍痛に気づかないふりをしつつ、思考を巡らせ続けた。
さては次の町に行くぞ詐欺だな……?
……再来週は!絶対!!次の町に行きます!!!(三度目の正直)




