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あの日のこと

「……あの夜、私は一族のひとたちに連れられて屋敷を出たの。私を次期族長にって言ってくれていたひとたちで、良くしてもらっていたから、何の疑問もなくついて行った。もちろん大切な儀式の日だったから、すぐに戻るつもりだったわ」


 あの夜と聞いて、すぐに満月が思い浮かんだ。

 次いで、広々とした宴の間と、微笑みを浮かべる両親の姿を思い出す。

 どちらも、かつて葉月さんに見せてもらった記憶だ。

 

「私を連れ出したひとたちは、ここでは葉月が生きづらいだろうから政府に受け渡すんだって言っていた。実際にあの子は一族の中で腫れ物扱いをされていたし、姉である私自身どう接していいか分からなかったから、正直ホッとしたわ」


 でも、と小春さんが口の中で呟いた。


「私たちは屋敷に戻れなかった。一族のひとたちも、そして私も、みんな政府の手のひらで踊らされていたのよ」


 私はそっと小春さんを盗み見た。

 浮かんだ表情はとても苦しそうで、こちらまで胸が痛くなる。

 同時に、自分の中で出来始めていた彼女のひととなりが確信めいたものに変わる。


「葉月を引き渡すだけの約束だったのに、彼らは一族ごとあの子を葬り去ろうとした。実際に、屋敷やその周辺にいた霊狐はもれなく殺された」


 声の震えに気づかないフリをして、私は小さく相槌を打った。

 逃げ惑う霊狐たちと、血の海と化した宴の間。

 あの光景は、正しく地獄絵図だった。


「そのあと、話が違うって抗議する皆を人質にして、政府は無理やり私を計画の一部に組み込んだ」


「計画……?」


 とっさに聞き返す私に、小春さんが目を伏せて頷いた。

 着物の端を強く握っているせいで、彼女の手は一層白くなっていた。


「10年後、偽神は約束を果たすために動く。そして世界を混乱に陥れるだろう。引き金は我々が引く。時が来たら、お前には弟の擬餌(ぎじ)になってもらう。……そう言われて」


 話を黙って聞いていた私は、眉を寄せて思考の海に身を沈めた。

 葉月さんの果たそうとした約束というのは、十中八九、私のお母さんと交わしたものだろう。


 いや、約束というよりお願いに近いかもしれない。

 黄泉の貴族に命を狙われている私を救ってほしい。

 お母さんはそう叫んで、その直後に野妖に殺された。


(でも、なんで約束のことを組織が知っているんだろう……)


 唐突に生まれた疑問は、しかしすぐに解消された。

 湿った地下の匂いと、しきりに眼帯を擦る男の姿を思い出したからだ。


(そっか。あのひとが聞いていたんだ)


 私は最悪の偶然を目の当たりにして、思わず空を仰いだ。

 そうして、憎たらしいほど晴れやかな青空に目を細める。

 

 あの日、霊狐一族を殺しに来た野妖は、葉月さんの神力の暴走によって大半が命を落とした。

 けれど、ひとりだけ奇跡的に生き残った妖がいた。


 それが、セドリックの屋敷の地下に住んでいた眼帯の男だ。

 彼は状況を把握していて、さらにそれを政府に報告していた。

 政府はきっと、そこでお母さんと葉月さんのやり取りを知ったのだろう。


「計画については分からないけど、私が政府側にいる理由は今話した通りよ」


 そう結ぶ小春さんに、私は「なるほど」と呟いてうなずいた。

 つまり、彼女は人質をとられていて、やむを得ず五芒星の門を開けたということになる。

 葉月さんの言ったように、小春さんの意志で開けたわけではなかったのだ。


「もっと慎重に行動するべきだった。お母様とお父様に恨まれていても仕方がないわね」


 自嘲めいた笑みを浮かべて、小春さんが言った。

 まるで確信を持っているような言い方だ。

 

 愛をもらい損ねた子供のように、どこか諦めがついた悲しい表情は、初めて会ったときにも浮かべていた。

 

 きっと彼女の癖なのだろうと見当づけて、その事にいっそう悲しくなる。


「恨んでなんかいませんよ」


 間髪入れずに否定すると、今度は小馬鹿にするように口元を歪めて笑った。

 

「へえ、会ったこともないのに?」


 正論だと心の中で呟く。

 けれど、自分の発言を取り消す気は毛頭ない。

 

 私は勝手に縮こまろうとしている背筋を目いっぱい伸ばして、まっすぐ小春さんを見つめた。


「以前、葉月さんにあの時の記憶を見せてもらいました。すごく怖くて、あまり思い出したくない光景だった。でもひとつだけ、場違いだと思うけど、美しいなと思った姿があるんです」


 そこで、ずっと視線を逸らしていた小春さんと、初めてきちんと目が合った。

 先を促された気がして、私は向けられた視線に応えるべく口を開く。

 

「逃げ惑うひとたちの合間を縫って、小春さんのお母さんが必死にあなたを探していたんです」


 私は目を伏せて、記憶の奥に焼き付いたワンシーンを思い起こす。

 栗色の結い上げた髪を乱して、必死の形相で辺りを見回す女性。

 それはまさに、大切な子供を心配する親の姿だった。


「自分だって命の危険にさらされているのに、真っ先に小春さんの身を案じていた。お父さんだって、とても心配そうな顔をしていて。そんな子供思いの優しいひとたちが、自分の娘を恨むはずありません」

 

 言いたいことは正しく伝わっただろうか。

 そんな不安を胸に様子を伺った私は、小春さんの表情を見て、自分の言葉がきちんと相手に届いたことを察する。

 

 大きな後悔と、それを上回るほどの複雑で切ない気持ちを滲ませ、彼女はぐっと歯を食いしばっていた。

 叫びたい衝動を抑えているようにも見える。

 やがて、小春さんは唾を飲み込んで口を開いた。


「…………私、本当は、お母様と離れたくなかった」


 秘密を打ち明けるように、とても小さな声で彼女が零したのは、嘘偽りのない真っ直ぐな思いだった。

 今の告白が呼び水となったのか、彼女の刺々しいオーラが揺らぐが分かった。


「お父様にも認めてもらいたかったし、葉月やみんなを死に追いやるつもりもなかった! それなのに、私の……私のせいで、お母様もお父様も死んじゃった……!」


 大人の汚い思惑に巻き込まれ、無理やり一族の命を背負わされた小春さんは、きっと今まで誰にも本音を言えなかったのだろう。

 堰を切ったように泣きだした彼女に、私はようやくホッと息をついた。

 

 本当によく似た姉弟なもので、彼女もまた、儚く消えてしまいそうな雰囲気があった。

 

(でも、もう大丈夫。これできっと、二人は前に進める)


 私は自分の名前を呼ぶ葉月さんの声に返事をしながら、小春さんの背中を数回擦った。

 最後にポンと軽く叩いてから、私は一刻も早く彼女にひとりの時間を渡すべく、慌てて桶を水で満たした。

またひとつ繋がりましたね!

次回も一歩、真実に近づきます。

次の町への出発はもう少しかかりそう(_ _*))

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