聞かせて
『では、結奈さんの奈という漢字は、優しいという意味にしましょう。実際にそういう意味は含まれていますから。優しくて、多くの人に愛される。ね、ぴったりだと思いませんか?』
あのころの私たちは、まだ互いに距離の探り合いをしていた時期で、とくに葉月さんは私とどう接するか迷っているようだった。
そんな矢先、成り行きで自分の過去を打ち明けた私は、図らずも彼を追い詰めた。
彼の気分を損ねたのだと勘違いし、勝手に落ち込んだ私は、けれど何も行動に移さなかった。
葉月さんが心の内を話してくれるまで、ただ部屋の隅に座って自分の殻に閉じこもっていた。
さきほどの言葉は、そんな些細な仲違いの末、葉月さんが私に贈ってくれた言葉だ。
その言葉を思い出したのは、きっとその時の私のように蹲っている小春さんを目の当たりにしたから。
もう一度水を組んでくると告げて小屋を出たら、小春さんが川端に腰を下ろし、指先で水面をつついていた。
その姿が、いつか見た湯の温度を測る葉月さんの仕草にそっくりで、「あぁ、姉弟だなぁ」と思う。
しばらく眺めていると、ふと視線が交わった。
見られていた気恥しさと少しの怯えを滲ませた彼女は、立ち去ろうとしてよろけた。
「あのっ!」
「私、いま忙しいから」
慌てて声をかける私を、小春さんがすぐさま拒絶する。
しかし、私は確信していた。
彼女が大きな何かを抱えていることに。
そして、それらを誰かに話したくて、聞いてほしくないことに。
だから、どこかへ逃げようとする彼女の腕をしっかりと掴んで、まっすぐ目を合わせた。
「……なによ」
そう言って、小春さんはぎこちなく目をそらす。
話題提供の下手さに定評のある私は、一瞬迷ったのち、慎重に口を開いた。
「この旅が始まる前に、葉月さんが言ったんです。姉は両親を大切にしていたから、ひとを傷つけるために術を使うことはないって」
小春さんの瞳が僅かに見開かれた。
これは珍しく正解を引いたかもしれない。
私はこれ幸いと畳み掛けるように1歩前に出る。
「それから、罪のないひとの命を危険にさらすなんて小春さんらしくないって」
葉月さんはそう自信なさげに言っていた。
疑っているわけじゃない。
ただ、ハッキリ言い切るには、離れている年月が長すぎたのだ。
「なんで……あの子に私の何がわかるの」
トゲのある口調を瞬きでやり過ごして、私は必死に言葉を紡ぐ。
会話を止めちゃダメだ。
そう、私の本能が言っている。
「知りません。知らないんです、弟さんは。だから、さっきの言葉は、小春さんの人となりを理解していて出たものじゃないと思うんです」
ただ、小春さんを信じていたかったんだと思います。
そう私が口にするのと、小春さんの瞳から涙がこぼれ落ちたのは、ほとんど同時だった。
驚いて思わず口を噤む。
小春さん自身もびっくりしたようで、慌ててそっぽを向いた。
もう少し。
心のうちで呟いた。
もう少しで、彼女の用意した強固な壁を打ち破れる。
隔たりさえなくなれば、きっとこの姉弟の確執はなくなるだろうから。
「話してもらえませんか。小春さんが今どんな立場にいて、どうしてそんな状況に陥ったのか」
背を向けた小春さんの、水分を含んだ呼吸が震えている。
聞かれたくないことを尋ねている自覚はあった。
けれど、ここで引くわけにはいかないのだ。
葉月さんのためにも、小春さんのためにも。
少しの沈黙ののち、小春さんは諦めたように体の力を抜いて乱雑な仕草で涙を拭った。
それにならって、私も小春さんの腕を掴んでいた手を離す。
小春さんは一瞬ためらってから、覚悟を決めた顔つきで川辺に座り直した。
隣に私が座ったことを確認してから、彼女は重たそうに口を開いた。




