意外な案内人
鬼ごっこで「待て」と言われて待つやつなどいない。
当たり前な事なのに、つい口にしてしまうのは何故だろう。
私はそんなことを考えながら、足場の不安定な獣道を力走していた。
「待てよ、ムラド! 一旦話し合おう!」
何度も呼びかける同室の隊員の声に振り向くことはない。
がむしゃらに走る様はまるで手負いの獣のようで、下手に手を出せば噛みつかれそうだ。
とてもじゃないが、人参を食む可愛らしい生き物と同種のあやかしとは思えない。
ウサギだなぁと感じるところといえば、稀有な髪色くらいだ。
チョコレート色の髪の内側にチラチラと明るい茶色が見えていて、どうして彼の髪色がチョコレートオターと言われているのか分かった。
ちょうどインナーカラーのようになっていて、よくネザーランドドワーフなどに見る配色だ。
おそらく地毛だろうそれは、触ったらモフモフしていそうで非常に手が疼く。
「六番隊、3チームに分かれるぞ。葉月くんと結奈さんは副族長を探してくれ。敵が他に居ないとも限らない。慎重にな」
追いかけっこが長引くことを予見したのか、隊長が手短に指示を出す。
私たちはうなずくと、鬼ごっこ隊から離脱した。
徐々に走るスピードを落とし、呼吸を整える。
「水分補給をしてから、動きましょうか」
葉月さんが流れる汗を鬱陶しそうに拭いながら言った。
丁寧な彼らしくない仕草に、疲れているなぁと思いながら、背負い籠から水筒を探す。
ついでに2人分の手ぬぐいも引っ張り出すと、遠慮なく葉月さんの額に押し当てた。
力が強すぎたのか「うぐっ」と聞こえた気がするけれど、まあ大丈夫だろう。
「本当に居ましたね、内通者さん」
私は水筒を傾けながら言った。
書いたのは葉月さんの姉である小春さんらしいが、その場にいる誰もが、罠かもしれないと口に出すまでもなく思った。
それでもムウェズィヌールの森に赴いたのは、単純にそれ以外の情報を持っていなかったからだ。
伸るか反るかという完全な賭けだったが、どうやら一先ず無駄足にはならなかったようだ。
「姉がどのような意図であの端書きを寄こしたのか分かりませんが、タウフィークがこの森にいる可能性は高いと思います。であれば、私たちがここに来る理由は十分です」
葉月さんの眼差しに強い意志を感じて、私は静かにうなずいた。
以前、レオドール様から聞いた話では、小春さんは組織によって幽閉されているとのことだった。
つまり、彼女が自分の意志で組織に居る可能性が低いということ。
百パーセント彼女の言葉を信用することはできないけれど、少しでも見込みがあるのなら行かずにはいられない。
(探って、疑って、作戦を練った。あとは、タウフィークさんを見つけるだけ)
小休憩を終えた私たちは、事前に当たりをつけていた場所に向かって歩き出した。
相変わらずの暑さだが、日差しが木々に遮られているおかげで、幾分かマシになったように感じる。
「……ん、水の音?」
ふと葉月さんが立ち止まった。
地図を見て首を傾げつつ、再び耳を澄ませる。
「このあたりに川や湖はないはずだけど……」
葉月さんは「湧水かな」と呟いて、捜索を再開した。
水の音が聞こえない私は、邪魔にならないよう黙ってその背中を追う。
しばらく探し回っていると、先ほど別れた六番隊が戻ってきた。
無事にムラド隊員を捕縛できたようだが、その割にはどの隊員も浮かない顔をしている。
「一番隊から連絡があって、副族長の剣が、ミフラブ渓谷の空き小屋から見つかったそうだ」
隊長の言葉に目を瞬かせる私の横で、葉月さんが息を呑んだ。
ただ剣が見つかったという報告をされただけにしては、やたら大げさな反応をする周りに困惑していると、それに気づいた隊員のひとりが口を開いた。
「守り屋は『命ある限り剣を手放すべからず』の信念のもと、仕事に取り組んでいます。だから、行方不明になったとして、剣だけが見つかった場合は、その者を死者として扱うように決められているんです」
ようやく私は先ほど聞いた隊長の言葉を理解して、目を見開いた。
「でも、もし生きていたら……」
縋るように言うと、隊長がゆっくりと首を振った。
物分かりの悪い子供に言い聞かせるように、低い声音で「仕方ないんだ」と続ける。
「身内の捜索に夢中になって、国民の安全を蔑ろにしたら、守り屋の名折れだろう」
「そんな……でも、じゃあ、剣が見つかったからって捜索を止めるんですか!?」
あまりの急展開に心がついて行けず、口ばかりが急く。
「やっとここまで来たのに。剣だって、タウフィークさんの捜索をやめさせるために、わざと置いたのかもしれないじゃないですか」
「そうかもな」
隊長がさらりと肯定するので、余計に混乱して二の句が継げなくなる。
黙り込んだ私に、隊長は苦しげな表情を浮かべた。
「副族長は生きているかもしれない。今引き返すのは敵の思惑どおりなのかもしれない。だが、憶測で動くより、規則を守って行動する方が大事だ。それに、ここに来るまで色々な場所を見て回ったが、ひとの居た痕跡はなかった。一番可能性のあったこの周辺だって、居なかったんだろう?」
「それは……」
「決まりがなければ、俺たちは一生をかけてでも仲間を探す。それこそ、仕事そっちのけで。それじゃあ駄目なんだ」
迷いを払拭するように言い切った隊長は、すでに私たちに背を向けている。
そんな哀愁を漂わせている背中を見て、ここで諦めるのはおかしいと言うことはできなかった。
自分にとっての大切なひとは、他人にとってそうでもなくて。
がむしゃらに助けようとする当事者と違い、引き際をきちんと見極められるのが他人。
その『他人』を無理矢理やっているのが守り屋なのだろう。
誰よりも必死になりながら、誰よりもシビアに状況を把握する。
そうして時に、無情と非難されるような決断を下すのだ。
何も言い返せず、黙って目を伏せる。
そのとき。
「何か来ます!」
突如として隊員から鋭い声があがった。
それに混じって、何かの近づいてくる音がかすかに聞こえてくる。
「構えろ」
隊長の指示を受け、隊員たちがすばやく剣を抜いた。
徐々に大きくなる音に、全員の体に緊張が走る。
そしてとうとう、その『何か』が私たちの前に飛び出した。
(あれっ、この子……)
音の正体は、いつか見たオオカミだった。
何をするでもなく佇む黒い獣は、知性の宿った瞳をジッとこちらに向けている。
しばらく見つめ合ったあと、オオカミはくるりと踵を返した。
少し歩いて、また振り返る。
「……ついて来いってか。なんなんだ、あのオオカミは」
警戒を緩めつつ、隊長が言った。
声に疲れが滲んでいるのは、気のせいではないだろう。
「結奈さんに襲いかかって来たオオカミと同じ術玉の気配がします」
すっと目を細めて答える葉月さんにうなずきながら、私はそっと腕の傷を撫でた。
だいぶ治ってきたが、跡はくっきりと残っている。
「敵か?」
短く尋ねる隊長に、葉月さんはぐっと眉を寄せた。
「どうでしょう。ずっと敵だと思っていましたが、色々と状況が分かった今、断言するのは早計かもしれません」
隊長は少し考えてから、オオカミについていくことを決めた。
長の判断に従い、捜索隊はふわふわの尻尾を追いかける。
そうしてしばらく歩いていると、細い水の音が聞こえてきた。
おそらく、先ほど葉月さんの聞いた音はこれだろう。
道なき道を進み、水音のする方へ向かう。
やがて、前を歩いていたオオカミが立ち止まった。
せせらぎとともに視界いっぱいに広がるのは、青い空と立派に枝葉を伸ばした木々のつむじ。
要するに、崖のへりであった。
「死ねと!?」
ぎょっとして隊長が叫ぶ。
ともに驚いていた葉月さんは、しかし何かに気づいて一歩前に出た。
「巧妙に隠されていて分かりにくいですが、微かに神力の気配がします。この崖、おそらく幻術です」
言いながら、彼は慎重に手を伸ばした。
次の瞬間、探っていた空間が陽炎のように揺らいだ。
その歪みに手を差し込み、通り抜けられることを確かめる。
剣を抜いて幻術の先に地面があることを確認したのち、葉月さんは崖下に足を踏み入れた。




