気持ちの行き場
猫耳の少女はしばらく呆気に取られていたが、次の瞬間、強い力で私の腕を捻りあげた。
悲鳴をあげる暇もなく首にナイフをあてられ、小さく息を飲む。
即座に札を構える葉月さんに、少女が低い声で「動くな」と言った。
私はそっと彼女を盗み見てから、大人しく細い腕の中に留まった。
(変に刺激するより、ここは口の上手い葉月さんに任せた方がいいよね)
葉月さんもその判断に至ったようで、慎重に札を袖に仕舞う。
「あなた、偽神でしょ。あの騒動で唯一生き残った霊狐一族の」
華奢な体を震わせ、小さな口から発せられた声は強い怒りを滲ませていた。
言葉の節々から「なんで生きているの」という意が伝わってくる。
容姿に似つかない表情と声が痛々しくて、とても悲しい気持ちになった。
「あなたは薬師襲撃事件で亡くなった薬師の、遺族の方ですね」
葉月さんは表情こそ変えなかったが、罪悪感の含んだ声音で答えた。
私の腕を掴んでいた少女の手に、微かに力が入る。
「兄を亡くした。優しくて家族思いの、とても立派なひとだった」
とげのある声を聴きながら、私は葉月さんをじっと見つめた。
少女はあからさまに敵視している。
お札をすっかり仕舞ってしまった彼は、一体どう対処するつもりなのだろうか。
一ミリでも動いたら喉を掻ききられそうな緊張感の中、最初に動いたのは葉月さんだった。
そっと両手を後ろに隠した瞬間、わずかに彼の背後の草花が揺れる。
一歩足を踏み出すと同時に、葉月さんは口を開いた。
しかし、言葉を交わすにしては、少女は冷静さを失っていた。
「弁明も謝罪もいらない! 死んで詫びろ!」
少女は張り裂けんばかりの声で叫び、ナイフをギュッと握り直した。
刺激しないように身動き一つしていなかった私は、あまりの剣幕に悲鳴を上げかける。
しかし、押し当てられたナイフが私の首を傷つけることはなかった。
ナイフと私の腕をつかむ両手が不自然に硬直し、焦ったような息遣いが耳元に届く。
その吐息に嗚咽が混じり始めた頃には、私もナイフも葉月さんの手に渡っていた。
彼の左手には仕舞ったはずのお札が握られていて、先ほどの少女の動きが止まった理由にようやく気づいた。
「結奈さん、お怪我はありませんか?」
少女から目を離さずに尋ねられ、私は大きく頷いた。
恐怖で喉が張り付き、声は出なかった。
静かな森の中に、少女のすすり泣く声だけが響いている。
「あの……」
どう声をかけるべきか迷って、私は何か言おうとしていた口を閉じた。
彼女にかけるべき言葉はなんだろう。謝罪か慰めか、それとも怖い思いをした苦言か。
しかし、そのどれもが不正解な気がして途方に暮れる。
「やめて。何も言わないで、聞きたくない。ひと殺しのくせに良いひと気取りしないで。悪者はそっちでしょ?」
絞り出された声はひどく震えていた。
きっと、彼女自身がどうしたら良いのか分からないのだろう。
自分は悪くないと言いながら、その瞳は混乱と迷いに揺れていた。
「あの、一度話し合いませんか。落ち着いた場所で。お互い、ちょっと冷静になった方がいいと思うんです」
対峙する二人の間にいた私は、結局状況を引き延ばすことしかできない。
それでも黙っているよりはマシだと思うことにして、蹲ったままの少女に手を差し出す。
しかし、彼女は私の手を見ることなく俯いた。
「冷静にって……だって、どうしたらいいのよ! 敵だと思っていたひとが、こんな……こんな普通の……」
わっと声をあげて泣きだした少女を、私と葉月さんは目に焼き付けるように見つめた。
彼女は私たちの罪の形であり、巨大な厭悪の一端だ。
本当は目を逸らしてなかったことにしたかった。
自分が誰かを傷つけたという事実に押しつぶされそうで、とても苦しい。
けれど、自分のしたことから目を背けるのは、一番やってはいけないことだ。
しばらく泣き続けていた少女は、やがて落ち着きを取り戻していった。
涙を拭いて立ち上がって彼女の表情が、いくらか年相応のものに変わっている。
「さっき言っていた話し合い、応じてあげる。でも勘違いしないで。あんたたちを信用したんじゃない。敵を知るために、それからあのひとへの償いのために行くの」
力の入った目が、正しく輝いている。
まっすぐ顔を上げた少女は、少しぶっきらぼうに澄々花と名乗った。
ちょっと短め(><)
そして来週は逆に長くなる予感……!




