不覚
両端の生い茂る木々がわさわさと枝葉を震わせ、四方からはカラスや小鳥の警告するような鳴き声が響き渡った。
車輪の下では、なんだかパキパキと異様な音もする。
大きく車体が揺れる中、私は葉月さんの腕の中で言葉を発する余裕もなく縮こまっていた。
やがて辺りが静まり返ると、ようやく私たちは動き出した。
まずは窓から周囲を伺い、安全を確認する。
大丈夫そうだと目くばせして、私と葉月さんは馬車を出た。
「うわっ……」
「これは……」
思わず漏らした驚きの声は、静寂に支配された森の中に吸い込まれた。
呆然と立ち尽くす私たちの足元は、大きくひび割れていた。
地面のひび割れは長く広く続いていて、所々に細い木が横たわっている。
「いやぁ、参りましたねぇ。最近はこの酷い地揺れもめっきり減ったと思ったんですけど。……うーん、行く先がこれじゃあ、馬車で通るのは無理かなぁ」
同じく呆けていたらしい御者の男性が、実に残念そうに肩をすくませた。
困ったような表情を浮かべてはいるものの、顔には分かりやすく「もう帰ってもいいかな」と書いてある。
私と葉月さんは顔を見合わせて、一度道に視線を戻し、また見合わせた。
「ここから歩くとなると、目的地に到着するのは真夜中。さらに徒歩で帰るとなると、屋敷に戻れるのは翌日のお昼過ぎになってしまいますね。あの辺りは宿泊できるような施設もありませんし」
葉月さんが組んだ自分の腕を人差し指でトントンと叩きながら、呻くように言った。
この仕草は、最近知った葉月さんの考えているときの癖だ。
やがて、深く考え込んでいた葉月さんは、二ッと口角を上げて御者を見た。
どうお代をもらおうかと思案していた御者が、その様子に気づいてビクリと肩を震わせる。
「ま、まさか、このまま目的地まで乗せろと仰るんじゃないでしょうね。無理ですよ。障害が多すぎる。運賃は半分でいいですから、ここから先はご勘弁を」
何か言われる前にと口を開く男性に、葉月さんは「いえ」と頭を振った。
「ここまでで大丈夫ですし、お代も元のままで結構です」
「へ?」
予想外の返答に一瞬何を言われたのか分からないといった顔をして、御者は目をパチクリさせた。
心なしかホッとしているように見える。
しかし、こういうにっちもさっちもいかなくなった時の葉月さんが悪賢い狐になるのを、私は良く知っていた。
(わぁ、すごく目が生き生きしてるなぁ……)
楽しそうで何よりだ。
キラキラとした笑みを浮かべている恋びとに、私は心の内でグッドサインを出した。
「その代わりと言ってはなんですが、少々神力をいただけませんでしょうか。知り合いに手紙を出したいのです」
「はぁ? ……あっ、いや、失敬。しかし神力ならあなたやそこのお嬢さんだって……」
そこまで言いかけて、御者は思い当ったように小さく「あぁ」と呟いた。
「働いていると、どうも忘れがちで。そうか、大抵の妖は神力を提供して生計を立てているんでしたね。なるほど、お代の半分は神力分ですか」
やっと理解した御者は、それくらいならと快く了承してくれた。
なんとなく腑に落ちない顔をしてはいたが。
お金を払ってまでして他者の神力を使う者など、あまりいないのだろう。
ただ、呪印のせいで神力の使用を極力避けなければならない葉月さんからしたら、めちゃくちゃ理にかなっている。
ちなみに、葉月さんの言う知り合いとはハサンさんのことだ。
帰る手段を寄こしてもらうことで、なんとか明け方には屋敷に戻ろうという腹積もりらしい。
連絡符用の携帯転送機を取り出した御者は、葉月さんの手紙を手早く送ると、早々に撤退の準備を始めた。
引き返そうにも道が荒れているので、いったん馬だけ連れて戻るのだという。
「それじゃあ、お気を付けて。この先は一本道ですけれど、少しでも道から外れると入り組んでいますからね。慎重に進んでください」
私と葉月さんはお礼の言葉とともに、去っていく御者の背中を見送った。
初めはいい加減なひとだと思ったが、案外面倒見の良いひとだった。
暗くなると危ないからと小さなランタンを貸してくれて、小腹が空いたとき用に干したデーツも持たせてくれた。
「とても親切な方でしたね……」
なんとなく居心地悪そうに、葉月さんが言った。
ジャンナはアルミラージ一族が常駐するだけあって、ぼったくりや盗みの多い町なので、つい警戒しすぎてしまうのだ。
こういう優しいひとだっているのに。
「そろそろ私たちも行きましょうか」
「そうですね」
デーツの入った麻の巾着袋とランタンを持ち、私たちは門への道を歩みだす。
さきほどの地震のせいでガタついた地面は、とても歩きづらい。
慎重に数歩足を動かしたところで、ふと葉月さんが何かを思い出して道を引き返した。
そのまま御者の男性が置いて行った馬車に向かい、ドアを開ける。
何も言わず戻って来た葉月さんは、苦笑交じりに肩をすくめた。
「……やられました」
「えっ?」
「懐刀を盗まれてしまったみたいです。手紙を書いた時に馬車の座席に置いたので、おそらくその時に」
そう話す彼の表情は、悔しいとか悲しいという感じではなく、どこか納得しているように見えた。
「ランタンと干したナツメヤシの実は、懐刀から意識を逸らさせるために渡したのでしょうね」
私は「なるほど」と相槌を打ってから、疑問が沸いて眉を寄せた。
自分の懐刀を取り出し、じっくりと眺めてみる。
「ううん、素人目には分からないんですけど……これ、やっぱり高いんですか?」
柄の部分はシンプルな木の素材で、刃も至って普通。
唯一目を引くものといえば、鞘に結ばれた金色の紐くらいだ。
何で盗んたんだろうと不思議に思う私に、しかし葉月さんは大きく頷いた。
「ええ。有名な刀工が打っただけあって、すごく高品質な物でした。下緒も、一見ただの紐に見えますけど、上質な絹糸で作られていました。売ったら一年は遊んで暮らせますよ」
柊朔さんに合わせる顔がないと首を垂れる葉月さんの横で、私は手のひらで転がしていたそれをそっと懐に収めた。
初心者になんてものを持たせるんだと思いながら。




