出港前に
温かい布団にくるまって眠っていると、ギギギと木々の軋む音が聞こえてきた。
少し離れた所からは賑やかな声もしている。
私は心地よい目覚めとともに、あくびを一つ漏らした。
「ふあぁ……。あー、良く寝た」
伸びをしながら、なんだか起き方がおじさん臭いなと反省。
見上げると知らない天井が広がっていて、ようやくここが船の中であることを思い出した。
昨晩、お酒と音楽で盛り上がっていた乗組員たちは、きちんと約束通り船まで案内してくれた。
そうして船長にも快く承諾してもらい、無事に寝床を確保することができたのだ。
「そういえば、葉月さんから七時頃に医務室へ来るよう言われているけど、何をするんだろう」
小首を傾げつつ、手早く身支度を整える。
早朝は冷え込むのでシャワーはパスし、髪を軽くとかして一つに結ぶ。
薄く化粧をすると、寝巻きを脱いで襦袢を着込んだ。
初めこそ一時間近くかかった着付けも、今ではニ十分あれば着られる。
男性の着物と違って女性は着付けの工程が多く、かなり複雑だ。
ここまで着こなせるようになった自分を褒めてあげたい。
「よし、準備完了!」
着替えを終え、少し部屋を片付けたあと、私はふと備え付けの机に目を向けた。
そこには寝る前に編み始めた四色の糸が、まるでタコの足のように四方へ広がっている。
出来上がりまであと半分といったところか。
今日中に完成させようと頷いてから、部屋を出た。
医務室は私の寝泊まりする部屋の一つ上の、四階にあった。
八階まであるので、ちょうど真ん中に位置していることになる。
ちなみに、葉月さんの泊まっている部屋は私の二つ隣だ。
先に客室に寄ってもよかったのだが、早起きの彼の事だから、おそらく既に医務室にいるだろう。
「おはようございます、葉月さん!」
挨拶とともに入室すると、案の定、葉月さんがいた。
なにか読んでいたようで、机に開きっぱなしの本が置いてある。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
顔を上げた葉月さんが、にこやかな笑みを返してくれた。
結わえた髪が肩越しに揺れていて、ローブの着ていない姿は久しぶりだと気づく。
「はい、もうぐっすり」
「それは良かった。一週間ほどの短い船旅とはいえ、何が起こるか分かりません。休めるうちに休んでおかなければ」
「そうですね。話に聞いていたとはいえ、すごい人数でした。あんなにたくさんのひとの命を背負わなければいけないと思うと、ちょっと怖いです」
ここに来るまでの道すがら、窓の外を覗いて驚いた。
広い波止場がひとで埋め尽くされているのだ。
チェントロネプのような小さな町の一体どこに収容できていたのか不思議なくらい、とても混雑していた。
「洋上生活の間、薬師は私たちだけになりますからね。それだけ責任も大きくなります。一般客の乗船が始まっていない今のうちに、色々と準備しておきましょう。すぐ対応できるように」
頼もしい師匠の言葉に、私は力強くうなずいた。
葉月さんは何度か船医を務めた経験があるらしいが、レオドール様の専属薬師になってからは、遠出をすることすら無くなったという。
久しぶりだから気を引き締めなければと言っていた。
「早速ですか、薬の配置を確認しつつ、器具の滅菌を行います。掃除は行き届いていましたので、終わったら朝食にしましょう 」
そう言って案内されたのは、診療室の隣に設けられた小さなスペースだった。
そこには壁に沿うようにして設置された薬棚と、世界観にそぐわない現代的な装置が置かれていた。
「これが滅菌用の機械です。結奈さんもご存知かもしれませんが、オートクレーブと呼ばれていて、電気で動きます。もっとも、常世では神力を使いますけれど」
滅菌用の機械があることは知っていたが、実際に使ったことはない。
恐らく来年以降に学ぶはずの使い方を、今教えてもらっていることに、優越感で顔がにやけてしまう。
説明が終わると、実際に滅菌する器具を入れ、時間を設定していく。
給水などの作業を行ったのち、スイッチを押して機械を作動させる。
それも終えると、今度は薬棚のチェックに移った。
「うわっ、茯苓めちゃくちゃ多い……」
「酔い止めの薬が重宝される現場ですから。漢方とは別に、ショウガやハッカ、オオアザミなどのハーブ類も置いてありますね」
生薬だけでなくハーブまでそろっていることに驚きつつ、作業を進めていく。
棚には有名どころの薬草はもちろん、ラウファンのように特殊なものもそろっていて、手配した船医の器量が良いことがわかる。
しばらくして、不意に私は一つの引き出しの前で動きを止めた。
「あれ、こんな薬草あったっけ?」
ぽつりと呟いて首を傾げる。
引き出しの中には、朱殷色の毒々しい花弁が入っていた。
私の声が聞こえていたのか、葉月さんが横から覗き込んでくる。
「あぁ、これは常世の薬草ですから、分からなくても仕方ないですよ。コラソンという多年草です」
「コラソン。一体どんな効用があるんですか?」
尋ねる私に向けて、葉月さんはおもむろに小瓶を差し出した。
「これです」
おしゃれな装飾の施されたそれは、葉月さんが門を閉じたあとに飲んでいる回復薬だった。
「この回復薬の主成分で、神力や妖力を高めてくれます。主に疲労回復や冷え性の薬に使われますね」
「神力を高める……」
葉月さんの言葉を反芻しながら、反射的に差し出された小瓶を受け取る。
言葉になる前のぼんやりとした閃きを感じたが、それはすぐに消えてしまった。
(なんだろう。なんか今、すごく良いことを思いついたような……)
「なんだったかな……」
口をついて出たその言葉は、汽笛の音にかき消された。
本日のお品書き
・タコ足の四色糸
・コラソン
・ひらめき




