出会いの場
男は警戒する私たちの目の前まで来ると、スッと腕を上げ、まっすぐ葉月さんの方を指した。
「その背負い箱、もしかして薬師さん?」
軽い口調でポンと投げられた問いに思考が止まる。
少し間を開けて、葉月さんが慎重にうなずいた。
「……はい、月夜町から来ました」
様子を伺いつつも正直に返す葉月さんに、私は少しだけ緊張を解く。
どうやら追手ではないらしい。
その証拠に、男は両手を腰に当てていて武器を取り出す気配がない。
それどころか、葉月さんの言葉にぱぁっと表情を明るくさせた。
「よっしゃー! ナイスタイミング!」
「……急患ですか?」
相当酔っているのか、いちいちリアクションが大きい。
葉月さんが戸惑いがちに尋ねると、男は人懐っこい笑みを浮かべたまま、無遠慮に空いている椅子に座った。
「それがさぁ、明日の早朝に出港する予定の船があるんだけどぉ、そこに乗るはずの船医が来られなくなっちゃったんだ。そこで物は相談なんだけどぉ、良かったら代わりに入ってくれないかなぁ。見たところ旅人のようだし。ねっ、お願い。薬師さんの行先までで良いからさ!」
男の言葉に、その仲間たちが「今なら宿泊費や食事もタダだよー」などと言いながら踊り始めた。
酔っ払い、怖い。
じゃっかん引き気味の葉月さんが、思案顔で口を開いた。
「それは願ってもない話ですが……」
「ですがー?」
なぜか乗組員全員が声を揃えて尋ねてくる。
その勢いに圧倒されつつも、葉月さんは至って普通の調子で続けた。
「実は、今夜泊まる宿がなくて困っているのです。そこで、宜しければひと足早く部屋をお借りできないかと」
すっかり楽しくなっちゃっている船員たちが、葉月さんの言葉にいちいち合いの手を入れてくる。
そして話を聞き終えると同時に、一斉に親指を立てた。
おまけに、バチコンと擬音語が聞こえてきそうなほどの勢いでウィンクをしてくる。
「いいよー!」
「ほ、本当に大丈夫なんですか?」
とうとう胡散臭く思えて聞いてみれば、最初に話しかけてきた男性がにっこりと笑った。
「大丈夫、大丈夫。船長も良いって言ってる」
「えっ、船長さんもここにいらっしゃるのですか?」
「ううん、いないよ。でもいいってさ! 大船に乗ったつもりでいてくれよ、船だけに! あはははは」
それだけ言い終えると、男性は「また後でねー」と手を振りながら、上機嫌で自分のテーブルに戻っていった。
「あのひと達のこと、本当に信用しても大丈夫なんですかね」
「どうでしょう。酔っ払いの言葉ほど信用ならないものはありませんから」
葉月さんはそこで一度言葉を切ると、ホールスタッフが運んできてくれたパンに手を伸ばしつつ、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「……ですが、言質はとりました。どう言われようと、綸言汗の如し。一度口にした言葉を消すことはできません。というより、させません。そういうわけで、今夜の寝る場所の心配はなくなりましたね」
見かけによらず強かな葉月さんに心の内で拍手しつつ、私は苦笑を漏らした。
「……それにしても、やっぱりお酒って怖いですね。この前やらかしたときも思いましたけど」
この前というのは、もちろん旅館の宴で酔って記憶を飛ばした夜のことだ。
今思い返しても恥ずかしくて悶絶してしまう。
思わず頭を抱えると、葉月さんが首を横に振った。
「いえいえ、結奈さん、それは違いますよ。お酒の飲み方を知らないから怖く思えるのです。ほら、何事も無知であることが一番怖いでしょう?」
たしかにと頷く私に、葉月さんはにこやかに続けた。
「自分に合った飲み方を見つけることが、お酒と向き合う第一歩ですよ」
「……葉月さんもそうだったんですか?」
そう尋ねると、葉月さんはくすぐったそうに微笑んだ。
何かを思い起こすように目を細め、小さく首肯する。
「ええ。初めてお酒を飲んだときはタウフィークが付き合ってくれたのですが、お互いそれなりに強かったもので、最後は勝負みたいになってしまって……」
「ど、どうなったんですか?」
ゴクリと息を飲んで続きを促す。
葉月さんは頼んだワインの水面を見つめ、ふっと笑声を零した。
「気がついたら朝になっていて、横には酷い顔色のタウフィークが転がっていました。気分は悪いし、罪悪感はすごいし。最悪でした。ですが、おかげで自分の許容量を把握出来ました」
「そんな究極の方法で確かめるしかないんですか!?」
ギョッとして問いただすと、今度こそ葉月さんは声に出して笑った。
「すみません。例えが悪かったですね」
私は葉月さんの次の言葉を待ちながら、カルパッチョにフォークを入れた。
薄切りにした牛フィレ肉で削ったチーズとルッコラを包んで頬張る。
ルッコラのピリッとした辛味とフィレ肉の旨味、そして濃厚なチーズの風味が口いっぱいに広がる。
飲んだことはないが、ワインが合いそうだなと思った。
「やはり最初は、ゆっくり自分の体と相談しながら飲むと良いですよ。私のは失敗談です」
そう言って、葉月さんは楽しそうに笑った。
それからしばらくの間、運ばれてきたアクアパッツァやピザを口にしつつ、互いの昔話を語り合った。
葉月さんと出会ってまだ半年も経っていないが、私たちは実際の月日より何倍も濃い時間を過ごしてきた。
故に、もう何年も一緒にいるような感覚になっている。
けれど、こうして彼の幼少期の話などを聞いていると、まだまだ知らないことばかりだ。
とくに、『タウフィークとのくだらない喧嘩集』はとても面白かった。
微笑ましいものから男の子らしい喧嘩まで、色々な出来事を話してくれた。
そうして夜も深まり、デザートのレモンジェラートに差し掛かったころ。
私は話題の中心となっていたタウフィークさんを思い、目を伏せた。
「……タウフィークさん、大丈夫でしょうか。無事だといいんですけど」
私の言葉を受けて、同じようにジェラートをつついていた葉月さんが切なそうに眉を下げる。
「分かりません。ですが、海を渡ったら知る術があります」
「……というと?」
私が問うのと同時に、流れていた音楽の曲調が変わった。
スローテンポな曲のせいで、賑わっていた店内が数段静かになる。
その雰囲気につられたのか、葉月さんは声量を落として「実は」と切り出した。
「入港地の【ジャンナ】にはアルミラージ一族の本屋敷があるのです。守り屋の拠点は天中ですから、あまり屋敷にひとはいないと思いますけど、それでも誰かしら居るでしょう」
「なるほど! アルミラージの誰かに話を聞くんですね?」
声をひそめながら返すと、葉月さんはその通りとばかりに大きく頷いた。
「そういうことです。もしかしたら私たちの杞憂で、タウもそこにいるかもしれません」
情報のない今、歯がゆさばかり募っていく。
私でさえ不安なのだ。
家族同然の仲である葉月さんは、さらにもどかしいだろう。
「屋敷にいるといいですね」
「……はい。本当に」
葉月さんの祈るように呟いたその言葉は、再び流れ始めたアップテンポな音楽に溶けて消えた。
町や料理はイタリアのイメージだけど、個人的にはケルト音楽が流れていてほしいな。




