五芒星の門
早朝の矢のように降っていた雪は、昼食をとっている間にやんだようで、友待つ雪だけが僅かな光を受けて青白く輝いていた。
出発前に入った温泉のおかげでポカポカしていた私たちは、名残惜しく思いつつ宿を出た。
「太陽が出ていたらもう少し暖かかったんですけど」
そう言って恨めし気に空を見上げる私の横で、葉月さんがつられたように顔を上げた。
「あれだけ鬱陶しく思っていた現世の夏空が正直恋しいです。旅館の方には感謝をしてもしきれませんね」
「はい。本当にありがたいです」
私たちは両手で握りしめていた竹筒を揺らしながら微笑み合った。
その竹筒は出発する前に仲居さんが渡してくれたもので、中には温かいお茶が入っている。
不知火と呼ばれる妖が開発した、長時間保温可能の温石入りなので、宿を出て一時間以上経った今でも温かいお茶が飲めるのだ。
「そういえば……温石って、治療器具として使われていますよね? 葉月さんから教えてもらったことがあったような……」
ふと思い出して尋ねると、葉月さんがコクコクと何度も頷いた。
「温罨法のことですね。入眠促進やリラクゼーション、疼痛緩和などの効果があります。不知火一族の温石は薬師界隈でかなり重宝されているのですが、まさかこのような使い方をするなんて驚きました」
私は相槌を打ちながら、竹の水筒に視線を落とした。
「みんな異常事態に負けないよう頑張っているんですね」
感慨深い心地になってポツリと呟く。
「そうですね。この温石のように、きっとどの種族も臨機応変に対応しています。そんな強かに生きるひとびとのためにも、この旅は必ず成し遂げなければなりません。……結奈さん」
葉月さんの話を聞いていた私は、静かに名前を呼ばれて顔を上げた。
何かあったのかと思ったが、金の瞳はまっすぐ私を見つめている。
「はい」
遅れて返事をすると、葉月さんは唇の端を微かに上げて笑った。
「最後までそばにいてくださいね」
ずいぶん今さらなことを言うなぁ、と目を瞬かせてから、私は大きく頷いて見せた。
「もちろんです!」
当たり前なことだとしても、言葉にすることは大切だから、きっと葉月さんはあえて口にしたのだろう。
だから私は迷わず肯定する。
旅の最後に笑っていられるよう、祈りを込めながら。
それから私たちは雪山を一つ越え、ひときわ大きな山を登っていた。
山といっても傾斜は緩やかなので、登山初心者の私でも余裕で中腹までたどり着いた。
「少し休憩しましょう」
葉月さんがそう言って風呂敷を薬箱から取り出す。
その大きな風呂敷を近くの岩に広げると、二人そろって腰を下ろした。
ここに来るまでに何度かそうしていたので、風呂敷はすっかり濡れてしまっていたが、それでも気持ち的に敷いていた方が落ち着くのだ。
お茶を飲む私の横で、葉月さんが何かを見つけて目を見開いた。
「あれは……浅葱蝶かな」
「えっ、蝶ですか?」
唐突な虫の名に驚いて聞き返す。
そのまま葉月さんの視線を辿ると、行き着いた先には鮮やかな青緑の花が咲いていた。
花にしては珍しい色合いだが、花弁の形はたしかに蝶のように見える。
こんな天候の中、枯れずに生えているということは、おそらく雑草の類いだろう。
誇らしげに咲き誇る蝶の花に、私と葉月さんはしばし沈黙した。
「浅葱蝶っていうんですね」
花のそばに寄りながら言うと、葉月さんも隣にしゃがみこんで頷いた。
「はい。他には吸い蝶花とも呼ばれています。由来はスイカズラ科だからというのもありますが、この花のある特徴から名付けられたと言われています」
「どういう特徴なんですか?」
首を傾げる私に、葉月さんが待ってましたとばかりに笑ってみせた。
「見ていてください」
そう言って花びらに手を伸ばす。
その指先が花弁に触れた瞬間、浅葱色のそれは萼からプツンと離れ、まるで本物の蝶のように宙を舞った。
「わぁ! 綺麗!!」
私はヒラリヒラリと舞う花の蝶を仰ぎながら叫んだ。
花びらは少しの間曇天の下を羽ばたいていたが、やがて力を失ったように地面に落ちた。
すっかり魅了された私は、もう一度見たくなって浅葱蝶に触れてみる。
「……あれ?」
同じように飛び立つものと思っていたが、私の予想とは裏腹に全く変化が生じない。
小首を傾げる私に向けて、葉月さんは申し訳なさそう眉を下げた。
「神力を流す必要があるので、残念ですが……」
「あぁ、なるほど。……ん? 神力を流す!? 葉月さん、神力は極力使わないって話だったじゃないですか!」
あまりにもサラリと言ってのけるので、危うく聞き逃すところだった。
ギョッとして立ち上がる私と反対に、勢いに押された葉月さんが身を縮める。
「すみません。結奈さんに喜んでもらいたくて、つい。調子に乗りました」
「うっ、その言い方はずるいですよ。怒れないじゃないですか! 実際に嬉しかったし……。でも、次からはダメですよ! 葉月さんの体が一番たいせつなんですから!」
子供を注意する母親のような気持ちになるのは、きっと目線がいつもと逆だからだろう。
「はい、ごめんなさい。もうしません」
そして、謝りつつも可笑しそうに口元を緩ませている葉月さん。
完全に面白がっている彼に、私は何度も言い聞かせることとなった。
休憩を終え、木々の間を縫うように歩き続けていた私たちは、やがて行き止まりに着いた。
夜の時間帯に入ったのだろう、辺りはすでに真っ暗だ。
「着きました」
「え、ここですか?」
細い木々が複雑に絡まり合っており、とてもじゃないが先には進めなさそうだ。
しかし、葉月さんはなんの躊躇もなく足を踏み入れる。
そして、次の瞬間、葉月さんの姿が消えた。
「えっ……ええっ!? どういうこと!?」
開いた口が塞がらないとはこのことだろう。
けれど、私が右往左往しているのはほんの僅かな時間だった。
というのも、呆然と突っ立っていた私の目の前に、葉月さんの顔がぬっと現れたのだ。
「結奈さん、大丈夫ですよ。思い切り飛び込んじゃってください」
「うぉわ!」
驚いて変な声が出た。
「は、葉月さん、なんで顔だけ……?」
葉月さんは私の言葉に一瞬キョトンとして、それから慌てて出てきた。
もちろん、五体満足で。
「失礼。驚かせてしまいましたね。実はここ、幻術がかけられているのです。とても巧妙な術なので、大半のひとの目を欺けます。念のため中を確認してきましたが、誰かが待ち伏せている気配もありませんでした。安心して入ってきてください」
(誰もいないのならよかったけど……別の意味で緊張するなぁ、これは)
私はゴクリと息を吞むと、葉月さんに手を引かれながら、おそるおそる幻術を通り抜けた。
視界いっぱいに広がる樹木に、堪らずギュッと目を瞑る。
その僅か数秒足らずで景色が一転。いつの間にか目の前には巨大な門があった。
石で造られたそれは、空に届くほどの高さで横幅もかなりある。
「これが、五芒星の門……?」
「はい。地震の影響か、それともすべての門を開いた代償なのか、酷い状態ではありますが」
葉月さんの言う通り、門の状態はかなり悪かった。
大きなひびが稲妻のように四方に走り、半開きの扉の先はどこまでも闇が広がっている。
神聖な雰囲気はどこにもなかった。
浅葱蝶、いつか見てみたいなぁ。
架空の植物だけど。
ちなみに、浅葱色は新撰組の羽織の色です。




