塩対応のアイドルにジョブチェンジします!
真っ暗闇のステージ。
スポットライトがあたるのはただ一人。
(あたるな、ちがう、こっちじゃない……!!)
緑野玲央名は、指を組み合わせて必死に祈り倒していた。
「それでは、栄えある一位の発表です!!」
(来るなよ! 俺以外ならもう誰でもいいから!!)
「西花高校アイドル選手権、今年の一位は、彩菜ーー!!」
(いやだーー!!)
一位の発表に向けて、すべての明かりが落とされて暗闇となっていた空間を、一条の光が引き裂く。
会場中のスポットライトが狙うはただ一人。
祈るように指を組み合わせて、目を瞑っていた玲央名を狙い撃ち。
「彩菜ー!」「すごーい!」「おめでとー!!」
うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ
ステージ上に並んでいた色とりどりのアイドルコスチュームに身を包んだ美少女たちが、玲央名の元へ駆け寄ってくる。
会場からは野太い声援。
アイドルの一人に抱き寄せられて「う」と玲央名は呻いた。そのまま、もみくちゃにされる。
選り抜きの美少女たちに取り囲まれているわけで、本来なら嬉しい状況のはずだが、玲央名はいま現在まさに、生きた心地がしていない。
何せ周囲に「彩菜」と認識されているブルー系アイドルコスチュームの美少女、実は中身が違う。
双子の兄・玲央名なのだ。
高熱を出した妹の身代わりとして、この場にいる。
「それでは、彩菜さん。一位に選ばれたいまの気持ちをお願いします!」
マイクを持った、セーラー服姿の美少女が近づいてきた。
西花高校二年。生徒会長の鷺沢可憐。
ストレートの黒髪に、黒目がちで大きな瞳。高い鼻と薄い桜色の唇。学校指定の制服姿にも関わらず、ステージ上のアイドルコスの少女たちを薙ぎ倒すようなオーラの持ち主。玲央名を取り囲んでいた少女たちがさっと身を引く。
可憐は玲央名の目の前まで歩いてきて、にこり、と微笑みながらマイクを差し出してきた。
(うちに帰りたい、以外にないです!)
玲央名は軽く咳ばらいをする。「あ、あ」と小さく声を出して高さを調整してから、マイクに向かって口を開いた。
「と、投票、どうもありがとうございます。西花高校の学校祭を盛り上げるべく、一日アイドル頑張ります!」
低い声は、熱烈な歓声にかき消された。命拾いをした。
(このまま喋り続けたら絶対バレる。無理)
身バレ回避のためにはなるべく喋らないに限る、と奥歯を噛み締めて、深々と一礼して挨拶を終えた。
長い一日の始まりだった。
* * *
西花高校の学校祭名物、本物のアイドルによるステージパフォーマンス。
参加するアイドルは全員、芸能事務所所属の新人アイドルである。
もともと西花高校では、学校祭に著名人を招聘して講演会を開くという伝統があった。
しかし二年前、予定の俳優が急遽来られない不測の事態が発生。芸能事務所からは、代打として無名の新人アイドルたちが派遣されてきてステージを行った。
これが評判となり、翌年の受験者数が目に見えて増えるほどの影響まで見られた。
以降、この催しは、様々な利害のもと定着させる運びとなり、今回が三回目である。
パフォーマンスの一環として、全校生徒・職員投票によってその年の「学校祭応援一日アイドル」を選出する「アイドル選手権」なる催しが開催されている。
これが、年々白熱したものとなりつつあった。
最初の年に投票で人気No.1に選ばれたアイドルが、そのときのスナップショットをきっかけに今や押しも押されぬトップへと上り詰め、昨年の一位もまたブレイクの兆しをみせているためだ。
いまや新人アイドルや業界関係者たちの間では「西花高校の選手権で一位に選ばれたアイドルは、ブレイクを約束される」と囁かれているという。
選手権で一位になったアイドルは、ステージパフォーマンス後、学校祭の盛り上げ役として現場に留まることになる。
ごく普通に出店で買い物をして学校祭を楽しむのが仕事で、無理をして生徒と写真を撮ったり握手をする必要はないとのことであったが。
(彩菜には悪いけど、落選してさっさと引き揚げ組に入って逃亡したかった)
無情にもスポットライトを浴びせかけられ、まさかの一位。
(彩菜の将来がかかっていると思ったから、お兄ちゃん頑張っちゃったんだよー! ソロがあるわけじゃないから歌は口パクでいいとしても、振付に関してはね! もう、完ッ璧にマスターしていたから! アイドルの彩菜はお兄ちゃんのあこがれでもあるからな! 彩菜が一番可愛く見える角度もばっちりわかってるから、つい! 彩菜じゃないのにやっちゃったんだよ、お兄ちゃん!!)
全力を出し過ぎたことを後悔しても、もう遅い。
勝ってしまったものは勝ってしまったのだ。
なお、校内の移動には生徒会長の可憐が付き添ってくれるという。
可憐が、すぐそばで、にこにこと邪気の無い様子で微笑んでいた。
(鷺沢可憐。ヤバい……。何がヤバいって、接点はあんまりなかったけど、俺と中学が一緒だったから、迂闊に話すとヤバいんだよ……!!)
* * *
「彩菜さん、どこか行きたいところありますか? お腹が空いているなら食べ物関係ですね。火を使うような出店は校庭です。焼きそば、焼き鳥、お好み焼。校内だと、喫茶関係がメインです」
学校祭関連の細かなタイムスケジュールや出店の配置は、すべて可憐の頭の中に入っているらしい。
廊下を並んで歩きながら、マネージャーの如く寄り添って説明を続けてくれている。
その間、いかにもアイドルのコスチューム姿のままということもあり、すれ違う生徒たちには男女問わず声をかけられる。
玲央名としてはひたすら「どうも」と答える程度の塩対応。
「彩菜ちゃん、一緒に写真撮ろうよ」
すれちがいざま、女子にぐいっと腕を引かれる。不意打に、玲央名はバランスを崩してよろめいた。
その瞬間、可憐が体を割り込ませてくる。
「彩菜さんは、そこまでしなくていい約束なので。みだりに手を振れるのはセクハラです。来年からアイドルさんたちが学校に来てくれなくなりますよ!」
少しくらいファンサービスした方がいいのかなと気にしていた玲央名であったが、その一言で妙に気が楽になった。
(鷺沢、中学のときも親切そうなイメージだったけど、こうして話してみるとやっぱりいいひとだな。成績優秀、美人で曲がったことが嫌いで有名だった。ついでに、剣道部主将で県大会常連。まだ続けているのかな、「女剣士」様は……)
チラッと視線を向けると、すぐに気づかれる。
「どうしました? どこか行きたい場所がありますか?」
「……べつに」
会話、最小限。
ふいっと顔を背ける。
(べつに機嫌悪いとかじゃ無いんだけどね!? 喋るとバレるから、声出せないだけで!!)
なんの落ち度もないどころか、普通に親切な可憐に対してまで塩対応。
罪悪感は目いっぱいある。
そーっと視線を向ける。
平均身長を上回る可憐と、双子の妹と大きく変わらない身長の玲央名では、視線の高さがほとんど変わらない。
横顔を見られていたらしく、バチっと目が合ってしまい、玲央名は息を飲む。
「彩菜さんって、もっと愛想が良いと思っていました」
「は?(どういう意味だ?)」
「アイドルっていつもニコニコしていて、ファンには過剰に明るく接するサービス業だと思っていました。それなのに、そっけない態度で……」
「いや。べつに(嫌とかそういうんじゃないから! いまは声出せないだけ!!)」
顔を逸らし、ぼそぼそと返事をする。
心の中は大焦りなのに、対応はやはり、至って塩。
(ファンサ最悪? 印象悪い? 彩菜の評判が地に落ちる? アイドルって同性からの人気も大事だよな、うん)
彩菜がファンから嫌われるわけにはいかない。
だが話せば話すほど男だとバレる可能性は上がる。
ぎりぎりの状況が辛くて、つい「トイレ」と呟いてしまった。
「ああ。そうだったんですね。えーと……彩菜さん目当てのひともたくさんいそうですし、トイレに入るならなるべく人のいないところが良いですよね。職員室前の職員トイレに行きましょう」
「ありがと」
(気遣い抜群だな!? 優しい……)
案内されるままに職員室方面までくると、教室もなく催し物をしているエリアから離れるせいか、人通りが少なくなってくる。
切羽詰まっていたわけではないが、ここは用を済ませておこうとたどり着いたトイレに向かった。
「彩菜さん、そっちは男子トイレです。女性用はこっち」
「(わっ、素だった!! やばい。あ、でも女子トイレ!? 入るの!?)うん」
焦りをなんとか誤魔化しつつ、女子トイレに向かう。
これだけ人通りがなければ、中には誰もいないかもしれない、と覚悟をしてドアを開いて入った。
* * *
正面にすりガラスの窓。右手に手洗い場、左手に個室が並んでいて、人影はない。
(誰もいない? 良かっ……)
ぎいっと音がして、一番奥の個室のドアが開いた。
出て来たのは、帽子、サングラス、マスクを身に着けた大柄な女性。肩幅が広く、全体のパーツが大きい。
玲央名をちらりと見て、歩く速さを落とした。すれすれ、肩が軽く触れるほどの距離を通ってドアを出て行く。
出て行ってくれて良かったと思った瞬間、ほとんど反射のような勢いで玲央名は振り返って女性の後を追いかけていた。
違和感。
(水を流した音がしなかった。手も洗わなかった。いやにゆっくり俺のことを見てた……!?)
「待って!! 女子トイレで何してた!?」
廊下に出て、後ろ姿に声をかけると、振り返りもせずに突然走り出した。
びっくりした顔をして固まった可憐にぶつかって転ばせても止まらない。
黒だ。
確信して玲央名は走り、背中に羽織っていたジャケットを掴む。するりと脱がれて、さらに逃げられる。
(このやろう!)
踏み込んで、体当たりをしてその場に押し倒す。
体重をかけて乗り上げて、両手で腕や肩をおさえこみながら声を張り上げた。
「鷺沢さん! 職員室、誰か呼んできてくれ!!」
全然声を作っている余裕はなくて、まずいとは思ったが、それどころではない。暴れている相手を押さえていて余裕がない。
「はなせっ」
玲央名に向けて叫ばれた声は、案の定女性の声ではなかった。
はっと気づいたときには玲央名は思い切り弾き飛ばされていた。
勢い、廊下の壁に叩き付けられて、体のあちこちを打ち付ける。
立ち上がった女装の男が逃げ出そうとする。
その正面に可憐がいるのを見た瞬間、痛みを忘れて玲央名は立ち上がった。
「避けて!!」
(止めようと思ったら怪我するから、俺に任せて!)
全部言うこともできずに、靴が脱げたまま走り出す。追いついた男の背中にもう一度体当たりを食らわせた。
男は、手にしていた鞄を取り落とす。中から細かな機械のパーツのようなものが飛び出す。
(隠しカメラ)
男がふらついた瞬間、追いついて来た可憐が、伸ばされた男の腕を避けながら掌底を顎に叩きこんだ。
その一撃が決め手になった。
騒ぎを聞きつけた職員たちが集まってきて、男はその場で身柄を確保された。
* * *
「外部の人間が入ってくると、絶対にこういうことがあると……。対策はとっていたんですが、職員トイレは人通りも少ないから盲点だったみたいですね」
職員たちが話し合いの上ですぐに警察を呼んで、事件とはなったが、学校祭は引き続き行われた。
玲央名も可憐も事情聴取は受けたものの、必要であればまた後日と早々に切り上げてもらうことができた。
そのまま、来賓用の一室を休憩用にと案内された。「アイドルの彩菜」が巻き込まれたことに教職員が代わる代わる謝罪に現れる一幕もあったが「アイドル見たいだけでは?」と可憐が締め出し、一段落。
差し入れられたペットボトルのお茶と、出店の焼きそばと焼き鳥を応接セットのローテーブルに並べて、向かい合って昼食となった。
事情聴取は玲央名もなんとか声を作って答えたが、可憐がかなりの範囲を答えてくれた。
それでも、可憐には素の声を聞かれているので、バレている可能性は高い。
割り箸で焼きそばを食べながら、玲央名はちらりと正面に座る可憐を見る。
視線に気づいて顔を上げた可憐に、にこりと微笑み返された。
(控室で何人かアイドルを近くで見たけど、鷺沢さんレベルはいなかった気がする。世界で一番可愛いのは鷺沢さんか彩菜かって。いや、そんな場合じゃない)
可憐は、感じよく微笑んだまま言った。
「アイドルって、アイドルの仕事中は愛想笑い浮かべてファンサービスしまくるかと思っていたの。だけど、彩菜さんはステージ上でも警察の前でもそっけない塩対応で。そこまでいくと裏表が無い感じ。だけど、盗撮犯に気付いて捕まえようとしたり、私のことかばってくれようとしたり……」
食べかけの焼きそばをローテーブルに置くと、可憐は突然立ち上がって玲央名の座るソファまで歩いてきて、隣に腰かけた。
きらきらとした目で見ながら、夢見るような調子で続ける。
「真っ暗闇の会場で、ステージだけ明るい中で、キレッキレのダンスを踊っているときからカッコイイと思っていました。その媚びない性格と、怯まない強さと……何よりすごく可愛い。あこがれちゃう」
ぎし、とソファを軋ませながら距離を詰めてくる。
「好きみたい」
「ええっ……、彩菜を!?」
(焦り過ぎて一人称が自分の名前みたいな感じになっちゃったけど。ええっ、気付いてない!? 中身男! 兄貴! 玲央名だよ!?)
「ふふ。焦らせてごめんなさい。でも、いまちょっとアイドルにガチ恋する気持ちがわかりかけていて」
(……気付いてない!? 本当に!?)
明かす?
明かさない?
ぐるぐるしている頭で考えてはみるものの、適切な答えが思い浮かばない。
彩菜は中学からアイドル活動で別の学校だったので、可憐の記憶にはなく、接点のなかった玲央名に関しては覚えていなくても仕方が無いとは言え。
中のひとは男ですよ! と言えば彼女ができる絶好の機会かもしれない。
できるかな?
ただし「お前も女装して女子トイレに入ったということか!」という事実が明るみになり、社会的に死ぬ。
かといって、明かさないと。
以後、可憐は彩菜に熱視線を注ぐようになるだろう。
(彩菜に……)
お兄ちゃん、コアなファンをひとり増やしたみたいだぞ?
胸の中で妹に話しかけつつ、つばを飲み込んでなんとか言った。
「付き合うとかはちょっと無理かもなんですけど……、アイドルなので。でも『推し』みたいな好意的な概念なら嬉しいです」
可憐は相変わらず感じよく微笑んだまま「わかりました」と答えてから言った。
「彩菜担としてよろしくお願いします。全身全霊で推していきます。塩対応アイドル最高……!」
……。
お兄ちゃん、コアなファンをひとり増やしたみたいだぞ!?
明かせないのは残念だが仕方ない。
次会うときは今日のことは話せないとしても。
同担として今後顔を合わす機会はいくらでもあるだろう。
彩菜には、今後「塩対応アイドル」を意識してみないか、と進言しようと心に決めつつ。
「(これからは妹推し活動仲間として)よろしくお願いします」
玲央名は心の底からの一言とともに、可憐に握手を求めた。