1.砂漠の町。
乾いた熱い風が、砂の大地を吹き抜けて行く。
すらりとした長身の男が二人、目の前に聳え立つ強固な壁を見上げて立っていた。見渡す限り黄色味を帯びた砂だけの世界に、人が作り上げた白い防護壁が異彩を放っている。
「ほおぅ。これほど高かったとは……。見ると聞くとでは大違いだな! 凄いと思わないか? なあ、シア?」
僅かに背の高い方の男が、弾んだ声で隣に立つ連れの男に話しかける。その声は低めで、若々しく、力強い。
「ギル、あまり大きな声を出さないで下さい。目立ってしまう」
『シア』と呼ばれた男は、大きな声で話しかけてくるギルを、目深くかぶったフードの下から冷ややかに睨んだ。その瞳は薄青く、雪解けの澄んだ水を彷彿とさせた。
冷たい目で睨まれたというのに、ギルはまったく気にする様子は無い。口元に不敵な笑みを浮かべ、目にかかる黒髪を左手で無造作に掻き上げた。髪と同じ黒い瞳が好奇心で輝いている。精悍で整った顔立ちをしているが、笑みを浮かべた顔はどこか子供っぽく見えて、どうにも憎めない男だった。
二人の年の頃は、二十代前半だと思われた。若者特有のほっそりとした体形と、しなやかな体の動きがそれを示している。
シアの目立ちたくないという願いは叶う事はないだろう。彼らはすでに目立っていたからだ。
二人はどちらも地味な灰茶色のフード付きのマントに身を包み、ありふれた旅装であった。
だが、彼らが放つ洗練された雰囲気を隠すことができていなかった。品のある身のこなしに、整った容姿、腰に帯びた立派な長剣が、彼らがただの旅人ではないことを証明していた。
一つため息をつき、シアは視線を下げた。その途端、綺麗だが冷たい印象の目がとても優し気に細められる。
「フレイア様、もう間もなく町に着きますよ。よく頑張られましたね」
長身の男達の影に、十歳にもならないほど小さな子供が大人しく立っていた。フードの陰から覗く大きく澄んだ瞳は宝石のサファイアのように青く、顔は人形のように愛らしい。
稀に見る美しい少女だった。
そりが合わないように見えた男達だったが、少女に対してはぴったりと息が合った仕草で、それぞれがフレイアの小さな手を取る。
そして、人の波に溶け込むように、町へと通じる大門へと向かって歩き出したのだった。
砂漠の中にある町コモザは砂漠を超えようとする旅人達は必ずここに立ち寄ると言われるほど、かなり知名度の高い町だった。
そして、特に有名なのが壁だ。
この町を砂だけでなく盗賊達からも守る強固な壁は、目を見張るほど高く、かなり遠くからでも確認することができた。目印など無い砂漠においては、旅人達の道しるべにもなっていた。
壁に見劣りしない大きな門を通り抜けると、喧噪が訪れた人達を包み込む。町の中心へ向かって伸びる広い道は多くの行商人達の隊列でひしめき合い、道の両側には色々な露店が立ち並んでいる。まるで祭りのような賑やかさだった。旅人達の休息の場だけでなく、国々を渡り歩く行商人達の商売の場所でもあった。この町はあらゆる人種と物が集まる場所でもあったのだ。
「すごい店の数だな。全部覗いてみたいが、日が暮れそうだ。おい。シア、この人混みだ、殿下を見失うなよ」
興味深々な様子で辺りを見回していたギルがシアに声をかける。
「誰に向かって言っているのです? あなたと一緒にしないでください。それから、打ち合わせ通り殿下ではなく、フレイア様とお呼びしてください」
ピシャリと返されると、ギルは大げさに広い肩をすぼめて見せた。そんな二人の様子に、フレイアが笑みをこぼす。その笑顔を目にしたシアは、すぐに穏やかな表情へと変わる。
おそらく、この三人はこのようなやり取りをしながら旅を続けてきたのだろう。
人の流れに身を任せながらも、ギルとシアは小さなフレイアをしっかりと守りながら歩いていく。彼らは日持ちする食べ物を重点的に見ていた。
この町を過ぎれば次に向かう町まで、しばらくは過酷な砂漠の旅が待っている。道中オアシスが幾つか点在しているとはいえ、その前に十分な休息と準備をする必要があったのだ。
「……かなり、うざいですね」
突然、シアが呟いた。
「やはり、気づいていたのか……」
ギルが大げさな仕草で天を仰ぐ。
この町に着く少し前から、三人は後をつけられていた。シアがずっとピリピリとした危険なオーラを出し続けていたのはそのせいだったのだ。とうとう我慢が出来なくなったのだろう。
「! フレイア様? どうされたのですか?」
慌てた様子でシアが片膝を付く。フレイアがシアの外套の裾を掴んで、不安げに見上げていたのだ。
シアは堪らない様子で、包み込むように小さな体を抱き寄せた。
「こんなに、怯えられて……。大丈夫です。この私にお任せください」
そう告げると、シアはゆらりと立ち上がった。その目には不穏な光が灯っている。
「ギル、フレイア様をお願いします。……今すぐに殺ってきます」
「違う! 殿下は、おまえが放つヤバい雰囲気に怯えているんだよ! そこは、気づけ!」
殺気をみなぎらせ今にも剣を抜いて駆け出しそうな連れの腕をギルは急いで掴んで引き止める。振り向いたシアの顔は、かなり不服そうだ。
だが、今はシアの心情にかまっているわけにはいかない。町に来て早々面倒事を起こしてもらっては困るのだ。
ギルは心の中で盛大に溜息をつく。
シアは通常であれば、思慮深く、冷静沈着な男なのだ。
だが、この小さな主のことになると、理性のたがが外れるどころか、一瞬で吹き飛ばしてしまう。その暴走を止めるのがギルの役目のようになっていた。
ギル本人は気付いていない事だが、彼は適当にみえて意外と面倒見の良い男だったのだ。
「シア、いつまで殿下を立たせておくつもりだ? それに、俺は腹が減っている。まずは腹ごしらえだ!」
シアの気をまぎらわそうと、ギルが明るく提案する。
「……そう、ですね。フレイア様の疲れを取るのが先決でした。では、あの角の店にでも入りましょうか?」
すぐに気持ちを切り替えたらしく、シアはすぐにフレイアの体を軽々とその腕に抱き上げた。
そして、器用に人を避けながら店に向かって歩き出す。その姿を眺めながら、ギルはやれやれと右肩を揉む。
だが、油断なく鋭い視線を巡らせることは忘れていない。差し迫った危険がない事を確認すると、ゆったりとした足取りで二人の後に続いたのだった。
目当ての店はかなり繁盛していた。席が無ければ他の店を探すつもりでシアとギル、フレイアの三人が店の前まで来ると、丁度食事を終えた客が数人出て行き、運良くすぐに席に案内されることとなった。
「いらっしゃい! 何になさいま……す──」
フードを脱いだシアの姿を見て、注文を取りに来た店の若い女の動きが止まる。
「スープとパンと飲み物を三人分、それと隣の席の方と同じ肉の料理を一皿。あと、この店のお勧めの料理があればいくつかお願いします。もし、新鮮な果物もあるのでしたら、持ってきてください」
シアはすぐさま料理を注文する。
だが、女は返事も忘れてシアの顔を凝視したまま突っ立っていた。それは仕方がないことだった。性別を超えたシアの美貌には、免疫のない者達はどうしても目が釘付けになってしまうのだ。
まるで絵画から出て来たような整った顔立ち、やわらかな白銀の長い髪は後ろで一つに編んで垂らし、極寒の湖を思わせる薄青い瞳を見れば、まるで伝説の中に出てくる冬を支配する精霊のようだ。
そんなシアの風貌を初めて目にした者はみな似たような反応を示す。
だが、シア本人はどんな時でもフレイア以外の者を気に留める事はまずない。今も固まったままの女を見事に放置したまま、すでに甲斐甲斐しくフレイアの世話にいそしんでいた。
「おい、酒を一つ追加してくれ」
ギルの声でやっと我に返った女は、慌てて注文を再度確認すると顔を赤らめたまま走り去って行く。
頼んだ料理はすぐに運ばれてきた。香辛料の香りが空腹を刺激する。見た目も旨そうだ。どうやらあたりの店だったようだ。
「……さすがに、奴らは店の中まではついて来なかったな。案外俺達の思い過ごしだったのかもな」
のん気そうに呟くと、ギルは酒を旨そうに喉へ流し込みながらさり気なく店内を見まわす。
「いいえ、あのイヤらしい目はフレイア様を狙っていました」
鋭い眼差しをギルに向け、シアは言い切る。
「イヤらしい……って、盗賊ではなく、人攫いだったのか?」
「街道で私達からフレイア様を奪う気だったようですが、隙がみあたらなかったのでしょう。この町まで、のこのこ付いて来ましたからね」
そう言って、シアは湯気が立つ焼きたての肉にナイフを突き立てた。
「お、おい! 怖いって!」
自分の体に腕を回し、わざと大袈裟に震えるギルを凍らせそうな目で黙らせ、シアは食べやすく切った肉をフレイアの皿へ取り分けていく。
「さらに、今は窓際の男と奥の男達がフレイア様に見惚れています。非常にお可愛いですからね。仕方がないこととはいえ、良い気はしません。食べ終わったらすぐにこの店から出ましょう」
「おまえ本気で怖い……」
げんなりと呟くギルに、ふんと鼻で応じ、シアは肉汁で汚れてしまったフレイアの口元を拭う。
「シア、俺にも肉を取ってくれ」
「切ってあるんですから、自分で取って下さい」
皿をシアの方へ押し出すギルに対し一瞥だにせずシアは言い捨てる。
「ちぇっ」
ギルは子供のようにすねた声を漏らし、まるでふてくされたように肉を摘み上げると、口の中に放り込んだ。そんなギルの姿を、フレイアはにこにこと微笑んで見ている。フレイアが楽しそうにしているので、シアの表情は柔らかい。
だが、そんな二人の姿をギルは酒で喉を潤しながら思慮深く眺めていた。
読んでくださってありがとうございます。
楽しんでいただけたでしょうか?
まだ三人の素性はまったくでてきてないですね。これから明らかになってくると思います。
一緒にこの物語を楽しんでいただけると嬉しいです。