●ちょっと応用編 その2 地の文応用編 感情を乗せよう!(心が動いた時、セリフチックに)
地の文って何ぞや? という方も居ると思うので簡単に説明すると……
地の文ってのは、セリフ以外を指します。
例)僕は空を見上げた。すると、羽の生えた猫が飛んでいるのが見えた。
こんな感じです。主に、状況説明とか、~が言ったとか、あるいは心理描写をするときに使います。
で、ここからが大事な話なのですが。
読んでいて読みづらいと感じる小説、固いと感じる多くの小説が、この地の文の心理描写をないがしろにしています。
機械的で、人間味の薄い文章になってしまっています。
悪い例)僕は驚いた。猫に羽が生えていることに。そして当たり前のように空を自由に飛んでいることに。
私が言う心理描写というのは、怒っているとか悲しんでいるとか、そういった『第三者視点』からの評価の話ではありません。
この僕というのが、「僕は驚いたんだ。猫に羽が生えていることに、当たり前のように空を飛んでいることに」と言うセリフを言うキャラなら、上記の文章でOKです。
ですが、そうではないとすれば、上記の例文は心理描写が甘いと言わざるを得ません。
もっと感情を乗せましょう。
つまり、こういうことです。
改良した例)えっ、何で!? 何で猫に羽が生えて、当たり前のように空を飛んでるんだっ!?
これが感情を乗せた地の文、心理描写です。
まんまセリフやん、そう思ったあなた、その通り。
だって1人称の地の文は、主人公の心の中ですもん。
だから地の文もセリフっぽくなるのです。心の叫びというやつです。
驚いたり、怒ったり、悲しんだり、悔しかったり、寂しかったりと、主人公の感情が動いた時。
こういったセリフ的な文を使う事で、地の文に主人公の感情が乗り、読者が小説にのめり込み易くなります。
このテクニックは、文学好きな人から見れば、チープで、邪道な表現です。
だから文学好きだけど、なろう小説をあまり読んだことのない方が書いた文章は固くなる。
そんな文章を沢山見てきました。あぁ、文学的だなぁ、でもなろう受けしないないだろうなぁ、と。
もし心当たりがある方がこの文章を読んでいるのなら、よかったら地の文を少しセリフチックにしてください。
小説は読まれてなんぼです。今でこそ純文学と言われている小説も、昔は大衆娯楽の1つでした。
時代時代によって柔軟に形を変えて、今のなろうという形があるのです。
話がそれましたが、地の文へ感情を乗せるというテクニック、是非とも使ってみてくだされば幸いです。
あ、言い忘れましたが、感情を乗せすぎると逆にくどくて読みづらくなるので、その辺はいい塩梅でお願いします。




