第3章 旧校舎の弥生庵に於いて
囲碁部の部室は、校舎の裏手に在る旧校舎一階の、一番奥に佇んでいた。其の名も弥生庵。十二畳ほどの和室である。実際は囲碁部は四畳ほどしか使わず、残りは茶道部が使っていることも多いのだが、後から聞いた話では茶道部の活動していない時間帯は囲碁部が広々と弥生庵を使っているらしい。さて、先ほど僕は旧校舎と云ったけれども、実は旧校舎と云うのは名ばかりで、最近二階に大講堂を整備する際に改装したとのことで、其の為か全体的に非常に綺麗になっている。此の旧校舎の一階には、A教室、B教室、C教室と呼ばれる空き教室と、弥生庵、給湯室、倉庫、そして勿論御手洗も在る。3つの空き教室は本来選択授業や補習に使われる部屋なのだが、教育実習生の来ている時期は、A教室が其の控え室に宛てられる。尚、旧校舎のうち使わない部分は取り壊されたらしく、今使われている建物自体はそこまで広くはない。
さて、僕の方はと云うと、此の弥生庵の前にて少々戸惑っていた。と云うのも、弥生庵の戸がピタリと閉じられており、其の戸も磨り硝子で出来ていたため、中の様子が全くと言って良いほど伺えなかったのである。辛うじて中の電灯が点いていることと、話し声がすることは分かったのだが、話している内容までは伺えなかった。然し、何度部活紹介にて配られた生徒会誌の地図と見比べても囲碁部の活動場所は此処に違いない筈だ。二分ほど考えた結果此の結論に至った僕は、思い切って部室の引き戸を開けた。
引き戸を開けると、其処には聞いた通りの和室が在り、中には先述した馬鹿二名を含めた数人の先輩達、そして一年生と思しき生徒が三名いた。因みにその内の一人は中学の時同じクラスだった和谷さんで、中学二年の春休みにあった英国での希望制語学研修では、帰りの飛行機で僕の右隣の席に座っていた。どうでも良いことだがこの時左隣には当時担任であった中家遼一先生が座っており、日本に着くまでずっと十時間以上個人懇談をして居る気分になった物だ。閑話休題、囲碁部のことに話を戻すが、部室では内田先輩が早速9路盤と呼ばれる小さな碁盤を用いて囲碁の基本の規則を解説している所だった。少しの間其れを見ていると、どうも解説が終わったと見えて、先輩は僕を含めた一年生4人で簡単に囲碁を打ってみる様に促した。僕と打つ様言われた仁科さんと云う人は、「囲碁をやったことのある人と打つのは...。」と少し抵抗したのだが、この時内田先輩は、「まあ、多少は...、ね?」と暗に手加減指示を送ってきたので、僕は取り敢えず引き分け(囲碁では引き分けのことを特に持碁と云う)を狙って打つことにした。然し如何しても経験者が打つと、分かる人が見ればそうと分かってしまうらしく、例えば、一カ所が一段落ついたら別の場所に打ってみる、と云った経験者にとってはごく当たり前な動作であっても、此れは経験者の手だと内田先輩は評していた。
その後、対局、即ち囲碁を終え、もう一人の方の馬鹿みたいな人(稲田と云うらしい)と話してみたのだが、其れによると、此の囲碁部は今は仮入部期間だからか人も多く、和気藹々とやっている様に見えなくもないけれども、三年生は一応十人居るものの引退が迫っており、二年生は稲田先輩一人しか居ないと云うことで、実は廃部の危機らしい。...然し僕は、この話を聞いても意志は変わらなかった。いや、聞いたときに一層意志を固めたと言っても過言ではないであろう。
仮入部一日目、僕は囲碁部への入部を心に決めた。