第2章 一年前の科学館に於いて
あの人の名前は、内田祐。今年で三年生になる。確か、囲碁部と科学実験研究同好会、通称科実研を兼部して居た筈だ。其れを何故知って居るのかと云うと、此の質問に答える為には話を1年戻す必要が在る。
清峰県清峰市中洲。此の微妙に行きづらい場所に、清峰市立科学館と呼ばれる科学館が在る。此の科学館は、此の地方では最大級の科学館であり、其の為場所が良くないにもかかわらず来場者数が非常に多い。そして、此の科学館を拠点として中高生主体で活動している、科学館ガイドボランティアサークル、略してKGBCと云う団体が在り、僕は其れに所属している。中1の時に入ったので、丁度今年で4年目になるのだが、此のサークルについて先ず説明しておきたい。此のサークルの活動内容、其れは、年3回行われるイベントにてガイドのボランティアをすると云うものである。尚、主宰は辻井一司先生。実は此の人、附高白川の教師で、しかも副校長である。
僕が内田先輩と初めて出会ったのは、中3の頃のKGBC夏発表だ。と云っても、内田先輩がKGBCに入った訳では無い。偶々此の年附高白川科実研では、小規模乍らも超電磁砲(即ちレールガンである)の試作に成功したそうで、偶々科実研顧問がKGBC主宰の辻井先生(当時は未だ副校長ではなく教務部長且つ物理担当であった)であったことも幸いし、特別に科実研の夏発表への有志参加が認められたのである。然し先述した通り、此の科学館は微妙に辺鄙な所に在った為人の集まりが悪く、有志参加とはいえ最も活動的であった内田先輩一名が参加したに留まったのである。尚その頃僕は附属中学生で、連絡進学するつもりであったので、よく内田先輩にも話し掛けた。其の結果よく覚えて居たと云うのが事の顛末である。
但し、此の実研は結局失敗が多かったと云うことも、実はよく記憶して居るのであるが(苦笑)。