第5話『レイジの教育係』
予想通り、小屋のドアにはマンションのように番号が書いてあった。外観はボロいが、中は意外としっかりしているので、住むだけなら事欠かないだろう。
それに、オレはボロアパートで生活してきた人間だ。このくらいなんてことは無い。
「……地図、か」
壁にはこの世界の地図であろう紙が貼られていた。所々が掠れて消えかかっている。前に住んでいた人が剥がさずに放置したものだろう。
大陸は三つある。一番大きな大陸は左上から右中にかけて伸びている。二つ目の大陸は、右下から左中に伸びている、一つ目の大陸と距離が近い。三つ目の大陸は左下にあり、ドーナツのような形をしていた。地図全体を見ると、なんとなく恐竜の化石ようにも見える。ティラノサウルスの頭の骨に似ている。
一番大きな大陸に、黒い丸が書かれていた。ここが今オレがいるスレイヴィアだろう。
地図を見ていると、背後で扉がガチャっと開いた。
「入るぞ」
「もう入ってるじゃん。ノックぐらい……あっ」
「ど、どうした?」
教育係であろう人が家に入ってきたので振り向きながら返事をすると、そこには髭を生やした見覚えのあるおじさんが立っていた。
この人は、オレが捕まった時に殴ったふりをしてくれた人だ。名前は……そう、フラジール。
「……なんでもない。教育係でいいのか?」
「おう、フラジールっつうんだ。お前は?」
「レイジ」
フラジールさんはオレの顔をじっと見つめると、はぁーとため息をついた。
「……お前、若いのにこんなところで働くのか」
そんなに顔が幼く見えるか。若返った、というより顔が童顔になった、中性的になったの方が近いからな。そう思われるのも仕方が無い。
「金がないんだ」
「その服装でか?」
今度から胸当ては外しておこう。貴族と思われるのはごめんだ。……それともこの服だろうか。いい布でも使っているのか。そもそもこの服が貴族っぽいのか。
「……金を盗まれたんだ」
「そういうことにしておこう。うし、じゃあちょっと仕事の説明でもするか」
そう言いながらフラジールさんはドカッと床に座った。構わず座るんだな、まあいいけど。
「仕事つっても最初は荷物運びや掃除ばっかりだ。奴隷と直接関わるのはオーナーに認められた人の仕事になる。俺みたいにな」
「へー」
ドヤ顔をしたフラジールさんに苦笑いする。奴隷と直接関わる、ね。つまり真面目な人間じゃないとそういった仕事は任されないという事だ。
「ただ、人手が足りてないのは俺たちが担当してる奴隷の世話だから、真面目に働いてりゃすぐにそっちの仕事が貰えるぞ」
これはあれか、真面目な人が少ないせいで奴隷関係の人手が足りないということか。そしてオレを殴ってたのは暇な奴らか。ふざけやがって。
まあ、真面目にやればその人たちと関わることはほとんどないだろうな。そう考えるとやる気が出てきた。
「なるほど、だから暇な人が多かったのか」
「そうだ。てかなんでそんなこと知ってるんだよ」
「あー……サボっている人を見かけたんだ」
「あいつら……はぁ」
再びフラジールさんはため息をつく。この人は苦労人か、何となくわかってきたぞ。
この人が教育係で本当によかった。あっ、オーナーも真面目に働いて欲しいから真面目な人を教育係にするのは当然か。
「とりあえず、数日は荷物運びに耐えてくれ。それまでは教えられることなんてほとんどないからな」
「了解。聞きたいことがあるんだけど、この街に本って沢山あるか?」
「魔導書か? 魔導書なら魔道具店に置いてあるぞ」
魔導書……? 魔法が存在するのか。ますますファンタジーだな。
「できればこの世界の歴史とか、他国を詳しく知れる資料とかを見たいんだけど」
「んん? なんでそんなもんが欲しいんだ?」
……ほぼ死後の世界ではないと確信しているが、一応試してみるか。
「この世界に来たばかりなんだ。フラジールさんはいつ頃ここに?」
「俺はこの街の生まれだが……この世界ってどういうことだ?」
間違いない。ここは死後の世界なんかじゃない。異世界というものだろう。
つまり、別世界。オレはどうやら異世界に飛ばされてしまったらしい。どうせファンタジーな世界に行くのなら、もっと優遇されてもいいのに。
「間違えた、この街に、だ」
「変なやつだなぁ、お前」
「よく言われるよ。それで、本が手に入る場所ってのは?」
「本屋は高いしな、図書館ならどうだ? 格安で読めるぞ。どこだったかな……確か、東の門の近くだ」
「東の門か……」
東の門ってどこだろうか。東の門がどこなのかを聞いたらさらに怪しまれそうな気がするので、ここまでにしておこう。既に世界に来たばかりという発言で怪しまれているが。
東の門、あのおじいさんが説明してくれた街の分布からして東の大通りの先だろう。ちなみにオレが最初に野菜屋さんとかを見てたのは南の大通りだ。
あのまま先に進んでいたら南の門についたのだろうか。
「行くなら明日にしておけよ。今日はもう遅い、ここに住むんなら、パンを買いだめしといた方がいいぞ。ここから飯屋までは遠いからな」
そうなのか。お店ということは南東部にあるのだろう。
みかんを食べたとはいえ……いや、みかんは食べてないな。野菜屋には行ってないんだから。とにかくお腹が減ってきた。死んでからも食事が必要になるとは。いや、この場合は生きてるのかな。どっちなんだこれ。
そんなことを考えているが、今オレはお金がないことに気づきました。まる。
「あの、お金ないんだけど……」
「ああ……そうだったな。うーん……うちで食ってくか?」
「さすがに悪いよ」
「でも金ないんだろ?」
「うっ」
お金がない、お金がないと飯も食えない。異世界でも結局は金か。現実は非常である。
「いや、さすがに数日迷惑かけんのは……」
「はぁ……ほらよ、貸しだ」
「えっ」
フラジールさんは腰につけた皮袋から小さな皮袋を取り出し、渡してきた。ジャラっと音が聞こえた。金属がぶつかる音だ。おそらく貨幣だろう。
「給料出たらちゃんと返せよ?」
「あ、ありがとう……ございます」
貸し、か。お金を借りたことはあまりないから少し怖いな。
空腹を誤魔化せればいい。早速パンを買いに行こうか。米はあるのかな? 米があったところで炊けないけど。
「んじゃ、仕事は明日からだ。今日はもう好きにしてていいぞ。とは言っても、行く場所は決まってるだろうがな。急がねぇと間に合わねぇぞ」
「……マジか」
フラジールさんと分かれたオレは、日が沈む前に買い物を済ませるため、南東部の街を目指して走るのだった。