第3話『拉致と暴力』
不安になりながら街を歩いていると、薄暗い通りに出た。
ええと、確かここって奴隷の店がある街だっけか。図書館とかあればいいんだけど、ここにはなさそうだな。やっぱり宿屋とかがある方面の方がよかったか。
「あの、すみません」
「え? は、はい。なんでしょう?」
突然背後からニコニコした男に話しかけられ、声が裏返ってしまった。クールになれ一色。
……さっきまで人なんて一人もいなかった気がするが、オレと同じで迷い込んだのかな。
「服装からして、貴族様とお見受けしました。奴隷街は初めてですか?」
「貴族だなんて、そんなんじゃないですよ。ここに来たばかりでよく分かってないというか、なんていうか……」
疑ってしまったが、ここが死後の世界だというのなら助け合うのは普通か。そう考えると、少し気持ちが楽になった。大丈夫、緊張もしてない。
若いのに白髪か。……白髪というより、灰色に近いか。この人も街の人達のように染めているのだろうか。
「なるほど、では私が奴隷街についてご説明を致しましょう」
「本当ですか? ありがとうございます!」
ここはその言葉に甘えさせてもらおう。
色々と教えてもらいたい事があるのだ。この世界のことやこの世界での生き方を。
「おや、服に汚れがついていますよ」
細身の男はニコニコした顔を崩さずにオレの服についた汚れを払おうとしてきた。
「あっ、わざわざすみま……っ!?」
ドスッ……っと腹に拳がめり込む。目の前にいたはずの男は、気がついた時には腰を落とし、オレに強烈な腹パンを繰り出していた。
見えなかった。オレが見えたのは結果だけ、男の拳が腹にめり込むという結果だけだった。
……男の手が薄く、光っている。
「ああ、貴方はなんて運が悪い人なのでしょう」
薄れ行く意識の中で、微笑みから見下すような笑みに変わる男の顔が記憶にこべりついた。
* * *
「おい、こいつ金持ってねェぞ」
「おかしいですね……格好からして上級層だと思ったのですが」
会話が聞こえ、目を覚ます。そこは石に囲まれた小さな部屋だった。……地下か?
オレの手足は十字架に固定され、身動きが取れなくなっていた。服もインナーだけになっていて、胸当てや白い服はご丁寧に脱がされている。
なんだ、何が起こった。オレはこの男に腹パンされて意識を失って、ここに拘束されたのか?
目の前には、先程の白髪の男と、上半身が裸のスキンヘッドの巨漢だった。巨漢の身体には沢山の傷痕がある。
オレを捕まえたのは、会話からして金目的だろう。
「なん、だよ、お前ら」
「もう起きたんですか、随分と生命力のあるお方だ」
そんなこと褒められても嬉しくなんてない。まさに今、生命力なんて関係ない絶体絶命の状況なんだから。
「お前らが、奴隷商か」
「ふむ、無知だと思っていたのですがね。それは知っていましたか。私達はただの雇われですよ」
『路地には気をつけろ』あの時、おじいさんが言っていたことはこういうことか。盾に映る顔に驚きすぎて忘れてしまっていた。
「し、死んだ者同士だろ。助け合う気はないのか?」
「死んだ者同士……? 一体何を言っているんでしょうか」
男は死んだ者同士という言葉にピンと来ていない様子だ。なら、やはりここは死後の世界なんかじゃないのかもしれない。
灰色の髪は白髪にも見えるが、近くで見て確信した。これは地毛だ。
髪を染めている人が多いと思ったが、それらの人たちも全て地毛なのだろう。
つまり、ここはオレが元いた世界ではない。もしここが死後の世界だというのなら、オレは神を呪う。
「もういいだろ、こいにゃ価値はねぇ。こっちで処理させてもらうぜ」
「ええ、そうしてください」
処理という言葉に背筋がゾッとする。
灰色の髪の男は、興味なさげに部屋から出ていった。
「体力あるみてぇだな、楽しめそうだ」
「なに……?」
「ふっ!」
巨漢がオレの胸を殴ってきた。口から空気が溢れ出てくる。
「がああああああ!!?」
痛い。肋骨にヒビでも入ったのだろうか、息を吸う度に痛みが走る。
楽しむって、そういうことかよ。ふざけんな。
一発、二発と次々に殴られる。その一発一発が全て重く、オレの体力をガクンガクンと削っていく。
顔を殴られた時に口内を切ったようで、口から血が溢れてくる。ああ、不味い。本当に、不味い。
「ふははっ……ペッ」
「うおっ、てめぇ……ッ!!!」
目の前の巨漢に、血を吐きつけた。
いい気味だ。今更死なんて怖くない。間違ってこの世界に迷い込んでしまったのなら、ここで即退散といこうじゃないか。妹はきっと、この世界では報われるはずだ。それを見届けられないのは残念だけど。
額を殴られ、ゴスッという音が脳に響く。一瞬意識が飛びそうになるが、なんとか持ちこたえる。
扉の奥からゾロゾロと男達が入ってきた。ああ、こいつらもオレを殴るのか。痛いのは嫌なんだけどな。できれば、一瞬で終わらせて欲しい。
「よォ、ザクロドスが言ってたのはこいつか?」
「おせぇよ。こいつがそうだ、死ぬまで殴っていいってよ」
ザクロドス……先程の灰髪の男か。覚えた。多分、一生忘れない。
……なんだ? 指先に何かが触れた。
「————ッ!!!」
指先に激しい痛みが走る。悲鳴を上げそうになるがあまりの痛みに声が出ない。恐る恐る指先に視線を向ける。爪が、無い。男がペンチのようなもので剥がしているようだ。
痛い、痛い、痛い。血が滲んでいる。じわじわと出てくる血に全身がさぁっと寒くなる。
「殺せ……さっさと殺せよ!」
顔を上げると、目の前にくすんだ金髪の男が立っていた。その男は拳を構え、そして————。
「ほらよっ!」
ゴッ————。
思いっきり、顎目がけてアッパーを繰り出してきた。脳が揺れるのを感じた。次の瞬間、再び意識が飛んだ。
* * *
目を覚ました。
何時間経ったのだろうか。全身が痛い。いい加減死んでもおかしくないなと自分ながらに思う。
身体中に切り傷が見える。爪も全て無くなり、至る所から血が出ている。
「まだ生きてやがるぞ」
「死んでなかったのか」
オレもそう思うよ。いい加減刃物でもなんでも使ってくれ、早く死にたいんだ。
「ほらフラジール、生きてたぜ。殴ってやれ」
「やれやれ!」
オレのように騙されて連れられてくるのは珍しいのだろう。人を嬲ってここまで楽しめるとは。
それとも、ここの奴らが狂っているだけなのか。……後者だろうな。
「……」
「……ぁ」
髭面のおじさんがこちらをじっと見てきたので、何か喋ろうと思い喉を絞ったが、激しい痛みが走り、出てきたのはかすれ声だけだった。
喉も、潰されていたのか。
「すまない……」
「……!」
おじさんはオレの腹に手を当て、その手を思いっきり殴った。音が鳴るほど強く振るった拳は、オレに当たる直前におじさんの手のひらに吸収された。オレにはさほどの痛みはない。
おじさん……? なんで……?
「おーおー容赦ねぇなぁ!」
「いいぞーー!」
周りはみんな騙されて、おじさんが本気で殴ったと思っているようだ。
もしかしてこのおじさん、悪い人じゃないのか……?
「はぁ……もういい。俺はまだ仕事がある、もう行かせてもらうぞ」
「相変わらず仕事ばっかだなぁお前は」
「羨ましいねェ、オーナーに認められてるマスター様はよォ」
「羨ましいのなら真面目に働くんだな」
おじさんは男達に見送られて外に出て行った。そうか……こんな所にもいい人っているんだな。死ぬ前にそれを知れたのは、よかったのかもしれない。
それからも殴られ、蹴られ、痛みに耐えた。否、痛みなど感じなくなっていた。
……ダメだ。もう、意識が……。
寒い。身体がどんどん冷えていく。死ぬのか。
屋上、寒空の下自殺した時の記憶がフラッシュバックする。
冬花、この世界のどこかにいるのかな……こっちでは、幸せになれるといいな。元気に走り回って、友達も沢山できて。
凍える身体とは裏腹に、右目が熱くなる。泣いてるのかな、オレ。冬花、お兄ちゃん、疲れたよ。
もう、力が……入ら、な……。
「死んだ……か」
「おい、こいつ目が……!!」
もしも、もう一度だけチャンスが与えられたのなら。
そんな願いが届いたら。その時はもっと、上手くやろう。