第2話『終わりと始まり』
屋上。普段は誰も来ることがない病院の屋上はとても静かで、凍えるほど寒い。
妹が死んだ。その事実を突きつけられたオレは、医者からの説明を途中で抜けだし、ここに来ている。
冬花はもういない。もうあの笑顔を見ることは出来ない、一緒にいられない。それだけで、生きるという選択肢は失われた。
なら、どうする?
————自殺だ。
死ねば亡き両親にも、冬花にも会うことが出来る。あいにくオレには友人なんていないし、仕事仲間とも仲良くしているつもりは無い。
もう失うものは何も無いんだ。この思いを残したままずるずると生きていこうとは、とても思えない。
頭から落ちれば、死ねるだろうか。
死ぬことが怖くないとは、言えない。今も数十メートル下のアスファルトを見て、足がすくんでしまっている。
「……今行くよ」
これ以上この世界に留まっていたら、狂ってしまいそうだ。
身体を前に傾ける。そのまま、オレは空中に向かって倒れ込んだ。
さようなら、オレのいた世界。
最後に見た星空は、今まで見たことないくらいに、澄み渡っていた。
* * *
『そなたは救いを求めるか』
救い……? そんなもの、もう叶わない。冬花は戻ってこないんだから。
『そなたの願いはなんだ』
願い、か。そうだな、もし時間を巻き戻せれば、オレは後悔のないように生きていたんだろうな。
『承認した。いつか私に返しにくるのだぞ』
返しにって……てか、お前は誰なんだ。
* * *
凍えるような寒さが、一瞬にして消え去った。
いくつもの情報が脳を刺激する。嗅ぎなれない匂い、人の話し声。
ここは……どこだ。
身体は……動くな。目を開けてみよう。
「……え?」
目の前に広がっていたのは、石で建てられた建物と、色とりどりの髪の毛、大きな馬車だった。
およそ日本とは思えない光景を見て動けずにいたが、まずは落ち着こうと自分の立っていた広場のイスに座った。
空は雲がかかっていて、薄暗い。だが、それでも外は明るいようなので、夜ではないだろう。
どうなっているんだ、オレは確かに飛び降りて死んだはずだ。実は生きていて緊急搬送された? だとしたら何故こんなところにいるんだ。
オレは確かに死んだ。だとすれば、ここが死後の世界と考えるのが妥当だろう。
死後の世界というのなら、冬花もここに来ているかもしれない。確信はないが、可能性はある。絶対に探し出してみせる。
次に気になったのはオレの服だ。オレはこんな服を持っていない。皮の胸当てや靴、これではまるで中二病だ。
周りの人を見る、胸当てなどを付けている人の数は少なかった。
街を見渡して場所を確認する。
広場の中心には噴水があり、そこから東西南北の方向へ大きな道が四本通っているようだ。
とりあえず、ここは街の中央ということで間違いなさそうだ。
混乱する頭をどうにか抑え込み、無理矢理にでも身体を動かす。まるで頭が働かない。ここはどこなのか、まずはそこからだ。
通行人に話を聞いてみようか。
「は、はろー?」
「ああ!? なんだァ?」
「あっいえ、ナンデモナイデス」
手前の優しそうなおじいさんに話しかけたつもりだったのだが、横から来た色黒マッチョメンが勘違いして反応してきた。お前じゃない、オレが話しかけたのはおじいさんだ。
あのマッチョメンも死んだのだろうか。その筋肉で亡くなったのか……筋肉は裏切らないとは言えなくなったな。
というか、日本語が通じたぞ。死後の世界というものは翻訳までしてくれるのか。
「おじいさん、お聞きしたいことがあるのですが」
「ん、わしかの。どれ、申してみぃ」
「この街に来たばかりで、名前も何も知らないんです。教えてください」
「何も、か。珍しいの、このスレイヴィアの街を知らぬ者がいるとは」
「スレイヴィア……」
スレイヴィア、それがこの街の名前のようだ。少なくともオレはそんな名前の街を見たことも聞いたこともない。
まず、日本ではないだろう。やはり死後の世界だろうか。
「この街は大きく四つに分かれておる。北西部は畑、北東部は民家、南西部は奴隷街、宿に行くのなら南東の街じゃな。この街は奴隷で有名な街じゃ。路地には気をつけるんじゃぞ」
「あ、ありがとうございます」
そう言い残すと、おじいさんは杖をつきながらどこかへ消えてしまった。もう少し聞きたかったんだけどな。
しかし奴隷か……中学の頃に奴隷制度だとか、そういうのを習ったような……。死後の世界なのに、奴隷制度があるのだろうか。
まあ、街について少しは知れたし、宿に行く前に街を歩き回るのもいいかもしれない。
様々な店が連なっている通路に出た。ここは南東部の商店街だ。服屋から宿屋まで、とにかく沢山の建物が並んでいる。
金もないので窓なしウィンドウショッピングをしていると、いきなり襟を掴まれた。えっなに、万引きなんてしてないぞ。
「テメェさっきの野郎だな」
「ちょっ、なんですか!?」
振り向くと、ガタイのいいオジサンがこちらを睨みつけていた。怖い、怖すぎる。
怯えていると、店の中から赤いエプロンをつけたオバサンが出てきた。あ、ここ野菜屋さんか。店の前に果物とかが沢山置いてある。
「ちょっと、やめなよあんた。人違いだよ」
「んんん? 人違いだぁ? 随分似てると思うんだがなぁ」
「商品を倒してったのは頬に傷のある男だよ、確かに似てるけど、こんなに若くなかったろう?」
「うーん……そう言われてみれば、そうか。すまなかったな! これやるから許してくれよ、な?」
野菜屋のオジサンはそう言うとオレにみかんを渡してきた。貰えるのなら貰っておこうか。
「うちの主人が悪かったね。あんた気弱そうな顔してるんだから、気をつけなよ」
「は、はあ」
気弱そう? オレが? これまでの人生でそんなことを言われたことは無いんだがなぁ、この世界の人に比べたら気弱そうな顔してるのかな、オレ。
適当にふらついていると、ふとあるお店が目に入った。それは『武器屋』だ。
武器、その存在が死後の世界という可能性を潰してきた。
もしかしたら、オレは中世にタイムスリップしたのかもしれない。中世にもみかんはあるのだろうか。
店内には、鏡のような巨大な盾が鎮座していた。どれ、気弱そうな顔をしているか確かめてみようかな。
「……誰」
盾に映るオレは、自分の知っている顔とは全く違う顔をしていた。
幼い顔立ちに、厚手の布の服を着た見覚えのない少年が、そこに居た。