第1話『生きる意味』
戻れ……戻れよ……戻れって!
ふざけるなふざけるなふざけるな、こんな所で終われるか。まだ、途中なんだ。まだ、救えてないんだ!
「っ……魔眼使いか」
目が焼けるように熱い。
やった、これで……もう一度————
* * *
酷い夢を見た気がする。午後二時半、久々の昼寝から目覚めたオレは脂汗を拭いながら着替えを済ませた。
一年ほど前に父親が他界し、オレは一人暮らしとなった。
母親は妹を産んだ時に衰弱して死んでしまった。そのせいもあってか、まだ幼い妹は生まれつき身体が弱く、入院をしている。
代わってやれればと、何度思っただろうか。
ふと、オレは一年前を思い出す。高校に入学し、夢と希望に満ち溢れ本当に楽しかった一年間。
次の春、オレは二年に上がることなく高校を中退した。学費なんて払っていたら、生活ができないからだ。
家を売り、安いボロアパートに引っ越した。親が残してくれたお金は妹の入院費に消えていく。
父親は稼ぎが良かったようで、貯金はたっぷりとあった。
それでもいつかは底をついてしまうので、オレはアルバイトを始めた。妹の入院費の追加と、自分の生活のために。
いくつも掛け持ちをしているアルバイトはとても辛く、何度も辞めたいと思った。だけど、会う度に笑顔を向けてくる妹の顔を見ると、辞める気が失せた。
このまま、妹の為に働き続けよう。そう思った。
そんな妹も、今日で12歳だ。妹が幼く、母の命日と自分の誕生日が重なったことにピンときていないのは不幸中の幸いだろうか。
そうだ、今日はケーキを持って行ってやろう。医者には止められると思うが、こっそり渡せばバレることはないはずだ。きっと大喜びしてくれる。
なに、この日のためにちょっとずつだが貯金してきたんだ。妹のどんな要求にでも自分の金で応えられる。……あんまり高くなければ。
今日は早朝のバイトのみにしているので、一日中妹と過ごすことができる。とは言っても、妹の欲しいものを聞いてから買い物をするため、共にいられるのは夜からだが。
肌をつく寒さに顔をマフラーに深く埋める。漏れ出す白い息がより一層寒さを強調させていた。
大きな白い建物に足を運ぶ。妹が入院している病院である。
自動ドアを通り中に入ると、暖かい空気が冷えた体を包み込んだ。外、今日が一番寒いんじゃないかな。
「一色怜時さんですね。どうぞ」
「ありがとうございます」
毎日のようにお見舞いに来ているので、病院側からも覚えられてしまった。ほぼ顔パスと言っても良いだろう。
エレベーターに乗り、妹の病室に向かう。そして、扉を開けた。
真っ白な部屋には、窓の外を見つめる妹がぽつんと座っていた。
「冬花、来たぞー」
「あ、お兄ちゃん!」
妹、一色冬花が真っ白なベッドに寝ている。
冬花に近づき、近くにある椅子に座る。いつもの席だ。
「寒くないか?」
「ちょっとね……でも、これくらい平気」
「そうか、よかった」
ここに来るまでの間、本当に寒かった。冬花は身体が弱いので、体調を崩していないか心配だったのだが、大丈夫なようだ。
「お兄ちゃん、今日何の日か知ってる?」
「んー? いやーわからないなー」
「えー、本当に?」
「なんだったかなー」
「むー……」
どうやら妹はオレの口から言わせたいらしい。だがオレには一つ考えがある。忘れているふりをして夜にケーキを持ってサプライズするのだ。
目の前のこいつが大喜びする姿が目に浮かぶ。それを想像するだけで思わず笑がこぼれてしまう。
「もう、何笑ってるの?」
「思い出し笑い。それより今日は一日休みなんだ、お兄ちゃんが何か買ってきてやるよ」
「本当!?」
冬花の目の色が変わる。多分、今日が誕生日ってこと知ってるのバレてるな。
でも、それは冬花のプライドが許さない。何としてでもオレの口から聞きたいのだから。
「ああ、なんでも好きなものを言ってくれ」
「じゃあ、じゃあ……カメラがほしいっ!」
「カメラ?」
カメラ……写真を撮りたいのだろうか。この小さな病室からは、窓の外くらいしか撮れるものなんてないのに。
「うん、お兄ちゃんと一緒に写真撮って、ずっと持ってるの。それで元気になったら、一緒にお外の写真を撮りに行くの。無理……かな?」
なんだ、そういうことか。
正直、凄く嬉しい。年甲斐もなくはしゃぎたい気持ちをぐっと堪えて、冷静に対応する。
「そうか……よし、わかった。オレが買ってきてやる!」
少し声が上ずってしまった。やれやれ、冷静なことで有名なオレがここまで乱れるとは。
「やった! じゃあ、約束ねっ」
「ああ、約束だ」
冬花の細い指と指切りをする。少しでも衝撃を与えたら崩れてしまいそうな気がして、力を入れられなかった。
その後は、しばらくなんでもない会話を続けた。こんな日常がずっと続けばいいのに。もちろん冬花が退院して、二人暮らしをすることが一番の理想だが。
「一色さん、そろそろ……」
む、もうそんな時間か。時が経つのは早いなぁ。バイトの時間も早く感じればいいのに。
「わかりました。じゃあな冬花、また夜くるからな」
「うん!」
冬花の笑顔を目に焼き付け、病院を去った。
さて、今からカメラとケーキを買わなければならない。
安物の防寒具を身につけたオレに容赦なく強風が襲う。おかしい、去年はここまで寒くなかったのに。いや、最近まではここまでの寒さじゃなかった。
まずはカメラを買おうと電気屋を目指してわっせと歩く。そういえば電気屋ってどこにあるのだろうか。普段行く機会がないので、場所を知らない。
やむなく格安スマホで調べる。久しぶりに出向いた街には、知らない店がいくつも建っていた。オレが一年間バイトに励んでいる間に、街は随分と変わっていたようだ。
「変わるもんだな……」
思わず口に出してしまう。オレから色々なものを奪っていったこの街は嫌いだ。なのに、自分の知っている風景が変わっていくのを見ると胸が苦しくなる。
思い出。父との思い出だろうか、それとも、母との思い出……? 母については、もうほとんど覚えていない。この街にも、一緒に買い物をしに来たりしたのだろうか。
* * *
買い物を済ませたオレは、少し高めのケーキとデジタルカメラを持って、病院へ向かう。辺りが暗くなるにつれて、人影が見えなくなっていた。
今日はやけに人が少ない気がする。少し不安になったので、気持ち早めに足を動かす。
「静かよね、今日は」
「……誰だ?」
「向こうに用があるの?」
突然話しかけてきた茶髪ロングの女性が病院のある方角を指さした。誰が見ても美人と答えるであろうその顔は、どこか悲しげだった。
「ああそうだよ。急いでるんだ、悪いな」
「そう。貴方、気をつけた方がいいわよ」
「……?」
振り向くと、女性の姿は無かった。今の一瞬で視界から消えるなど不可能だ。彼女の言葉は気になるが、今は妹を優先させてもらう。
病院に到着した。カウンターにも、待合室にも人はいなかった。おかしい、いつもは一人くらいはカウンターに残っているのに。
今更許可は要らないだろうと妹の病室に向かう。通り越したどこかの部屋がやけに騒がしく感じた。
ブーッ、ブーッ、ブーッ
「うわっ」
突然電話が鳴った。マナーモードにしているため、バイブレーションのみだ。
どうせバイト先からだろう。シフトを変えるつもりはないのでこのまま無視でいい。
ブーッ、ブーッ、ブーッ……
妹の病室の前でコールが鳴り止む。誰から掛かってきたのかくらいは確認しておこうかな。
『中央病院』
「……え?」
この病院からだ。前に来た時に忘れ物でもしていたのだろうか。
まあ、今は妹が先だ。そんなのは後でいい。
扉に手をかけ、ガチャっと開く。
————オレの目に真っ先に映ったのは、冬花のベッドを取り囲む医者たちだった。
「なっ、どうしたんですか!?」
「!? お、お兄さんですか! 妹さんが、妹さんが!」
月明かりに照らされた病室は暗く。カーテンが邪魔で冬花の顔がよく見えなかった。
ピーーーーーーーーーー。
高い音が鼓膜を揺らした。
「…………っ!!!」
紙袋を落とし、冬花のベッドに駆け寄る。
嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ。
ありえない、こんな、こんなことがあっていいわけが無い。
嫌だ……ふざけるな、ふざけなよ。二人で写真撮るって、一緒に外に写真を取りに行くって、約束したのに。
聞けなかった、最期の言葉を。
確かに目の前にいたのに、あと数歩だけ歩けば辿り着けたのに。
動かなくなってしまった妹の目には涙が浮かんでいた。何かを、伝えたかったのだろうか。
「は、ははっ……」
心の深い場所にあった何かが、崩れ去った音がした。
『ふははは……今日は良い収穫をした』
ドス黒い気配を感じ、冬花の胸を見る。そこには影のような、真っ黒な傷が残っていた。
傷……? どうして、こんなに大きいものが。
これが、死因……?
「死因は、心臓発作です」
「え……? じゃあ、この傷は……」
「傷、ですか? 傷は見当たりませんが」
冬花が死んで、動揺したことによる幻覚? そんなことはない、確かに胸の辺りには黒々とした傷がついている。
一度落ち着いたことにより、冷静になってしまった。それと同時に、現実がオレを襲った。震える手で冬花の頬を撫で、膝をつく。
死んだ、冬花が、死んだ。
「は、ははっ……」
その日、オレは生きる意味を失った。
はじめまして、瀬口恭介と申します。この度は『スレイヴアルカディア—時空の迷い人—』をお読みいただき、誠にありがとうございます。
ほんの少しでも、応援していただけると作者の励みになります。長い長い作品になると思いますが、今後もよろしくお願いします。