閑話二
「(……こんな生活は僕の知っている神に仕えるものではありません……!)」
蒼天に輝く太陽を作物が育つ畑の中心で見上げ、その儚げな美貌を歪めて一人の少年が心の中で呟いた。
ベルフォード王国の王都の近郊に古めかしい石造りの塀に囲まれた神殿がある。
その神殿を囲うように高く積み上げられた石造りの塀には蔦が生い茂り、外界を完全に拒絶するように高く聳え立っていた。
その重々しい歴史を感じる神殿の中には、簡素な黄土色の神官服に身を包んだ数十人の神官達が共同生活を送っている。
神への祈りや学習の合間に自分達で炊事・洗濯・掃除を行い、口にする作物を育て、家畜を世話し、外貨を得るための労働に励む。
王都近郊にある男性向けの神殿の中では一番規律が厳しいと有名な“サーデス神殿”。
その数多の欲が渦巻く世俗の価値観や一般的な生き方から離れて神の愛、神の価値観を学ぶ神聖な場所に、黄金の髪に、少女のような美貌の少年、サミュエル・ビルス・ベルフォードはいた。
「(……どうして……こんなことに……)」
春から夏に移り変わりつつある季節の中で、徐々に暑さを感じるようになってきた太陽の熱。
そんな目に眩しい太陽の光を浴びながら、サミュエルは地面へと視線を落とす。
「……キリがありませんね……。」
その視線の先には順調に育つ瑞々しい農作物の数々が育っている。
しかし、そんな農作物の合間には生命力豊かな雑草が生えてしまっていた。
「(普通の神殿では、このような作業は神官見習いの仕事ではありません。
神官見習いは神の尊い教えを学び、恵まれない方々を慰める慰問などが主な役割だと聞き及んでおりました。
それなのに、農作業や家畜の世話など……一体何の意味があるというのでしょうか?」
胸中に渦巻く不満をサミュエルが口にすることは無かったが、その顔にはありありと不満を浮かべていた。
「くっ」
しかし、任されている区画の草むしりなどの作業を終える必要があるサミュエルは、ため息をつきながら雑草の一つを掴み引き抜く。
「(……あの夜……あれから全てが可笑しくなってしまいました……)」
サミュエルの脳裏に思い浮かぶ“あの夜”。
それは、時を遡ること数ヶ月前の夜。
あの夜の騒動がサミュエルの運命を変えてしまった。
第一王子であったライナスを含む騒動を引き起こした当事者の一人として、その責任を問われ王位継承権を剥奪されたサミュエル。
反省の意を示して王の怒りを和らげるためにも、とアーガスト侯爵の勧めもあってサミュエルはこの神殿へと入ったのだ。
しかし、どんな神殿に赴いても王族の一人として丁重に扱われていたサミュエルにとって、このサーデス神殿での生活は辛過ぎるものだった。
朝は薄暗い太陽が昇る前から起床し、素早く身支度を整えて神殿の祈りの間に集合、朝日が顔を出すまで全員で神への祈りを捧げる。
祈ることは決して苦ではないが、朝日を合図に始まる神殿の清掃、家畜の餌やり、食事の準備などの労働はサミュエルにとって辛いものだった。
朝の労働が終わり、やっと食事かと思えば、神殿の責任者である筆頭神官の神話の一節を用いた講話。
食事の前の祈りを済ませて食卓を見れば、王族であるサミュエルにとっては今まで食べていた同じ名を冠するものとは思えない固く、味気ない数個のパン、幾らかの豆と野菜の浮かぶ味の薄いスープ、一欠片のチーズが並ぶ。
サミュエルにとっては質素過ぎる朝食以降も自給自足ゆえの農作業に、家畜の世話、神話を学ぶ読書の時間、日に七回以上の祈りの時間、食事の準備と片付け、掃除、洗濯、奉仕活動や労働が日が沈む就寝時間まで延々と続く……。
清貧や自己奉献を良しとする外界と遮断された囲われた自由のない生活。
神への礼拝、感謝、賛美を捧げ、罪の赦しを願うだけの辛い労働に満ちた生活。
王族の生まれを理由に特別扱いされることなど一切ない、その他大勢の一般的な見習い神官達と同じ扱いをされる生まれて初めての生活。
王族の一人である己のために無条件に整えられた一番質の良い部屋、一級品の食事、身の回りの世話をする侍従、もちろんサミュエル自身が労働に従事することもない環境。
サミュエルのために無条件に整えられ、与えられる……その環境は当たり前のものだった。
だからこそ、無意識に特別扱いされることに慣れていたサミュエルは現状に大いに戸惑い、簡単に受け入れることが出来ないでいたのである。
「(……この生活のどこに神と向き合い、愛を学ぶ時間があるのでしょうか……?)」
サミュエルにとっては厳し過ぎるサーデス神殿での自給自足の生活。
しかし、サーデス神殿は王都近郊という条件ならば厳しいと評価されるが、世間一般で最も厳しいと評価される山奥の神殿と比較すれば、どうしても厳しさは見劣りする印象のある神殿なのであった。
「うっ……手が……」
考えごとをしながらの慣れない草むしりをしていたサミュエルは、雑草を掴んでいた手に走った痛みに眉を寄せる。
雑草を引き抜く際に手を傷付けてしまったのか、サミュエルの土で汚れた手のひらに微かに血が滲んでいた。
神殿に入る前には傷一つ無かったサミュエルの真っ白な手は、自給自足の生活の中で徐々に傷が増え、皮膚は荒れてしまった。
「…………彼女も……こんな理不尽な扱いに耐えているのでしょうか……?」
サミュエルにとっては過酷な労働を強いられ、狭く飾りっ気のない自室、疲れ切った身体を癒すことの無い固過ぎる寝台、味の薄い粗末な食事……。
理不尽だと本人は思っている環境の中でサミュエルは恋い慕う、心優しく、可愛らしい、純粋な少女のことを想う。
男性のみが所属するサーデス神殿と王都近郊にあるということで兄妹のような関係にある、同じく自給自足の共同生活を送る女性用の“アミラス神殿”に入ることとなったステラ。
己と同じように辛い労働を強いられ、無理をしていないだろうか……?
小さくて愛らしい、あの華奢な手が傷付いてしまっているのではないだろうか……?
厳しい環境に健気に耐え、影で涙を流しているのではないだろうか……?
「何か……僕にステラのために出来ることが無いでしょうか……?」
サミュエルは今の自分でも大切な少女のために出来ることが無いか考える。
月に一度だけ見習い神官達は責任者である筆頭新官の許可を得て、サーデス神殿からの外出を許されていた。
それはサミュエルにも与えられた権利である。
サミュエルは一瞬だけステラに面会に行こうかと考え、すぐに首を振り、その考えを脳裏から消し去る。
なぜならば、アーガスト侯爵よりステラに会うことは現状では王の怒りを助長し、互いのためにならないと厳しく言い聞かせられていたからだ。
加えて、サミュエルは同じように神殿の外に出ることも止めるように忠告を受けていた。
「……あまり気が進みませんが……彼女に頼んでみましょうか?
おそらく彼女もか弱い、無実の令嬢を助けることを拒絶しないでしょう。
それに、彼女は婚約者である僕の頼みを無下にはしないと思いますし。」
ステラとは全く違う性格の苦手意識のある婚約者をサミュエルは脳裏に思い浮かべる。
幼い頃に親が決めたサミュエルの婚約者。
その婚約者のことがサミュエルは幼い頃より苦手だった。
己のことを好いてくれている相手には申し訳ないとは思っていても、苦手なものは苦手だとサミュエルは思う。
「……ステラのためですし……頑張りましょう。」
大切な少女のために出来ることをしよう、とサミュエルは決意を新たに両手を握りしめる。
……しかし、サミュエルは気が付かない。
“ステラのため”という言葉をまるで免罪符のように考えるサミュエルは全く気が付いていなかった。
自分のその考えが婚約者の少女にとって、どれだけ失礼な考えかということを……。
そして、サミュエルを信じてなどいないアーガスト侯爵がその行動を見張り、逐一報告をするように指示した者が潜んでいることを……。
恋い慕う少女のことだけを盲目的に慕うサミュエルは、全く気が付いていなかったのである……。




