第二話
「其処までですわ、ライナス。
今すぐにその剣を下ろしなさい。
公爵令嬢である彼女に対する心無き仕打ちの数々、姉として恥ずかしい限りですわ。」
緊迫した場の空気を打ち破った大きな音の発生源へ騒ぎを起こしているライナス達だけでなく、すべての貴族達の視線が集中する。
全ての者達の視線の先である彼らのいるダンスホールへと続く階段の上には、緩く結い上げた白銀の髪に、神秘的な紫苑の瞳、儚げな月の女神の如き美貌を持つ美姫がいた。
「…………セレスティナ王女殿下…………。」
「……病弱な身ゆえに滅多にこのような場所へと現れることのない殿下が何故……?」
「……あの陛下や王妃様を思い起こさせる覇気を纏っている方が……本当にあのセレスティナ殿下なのか……?」
突然現れて凛とした声を響かせたセレスティナの姿に貴族達にどよめきが走る。
彼ら貴族達の知る情報の中でセレスティナ王女は病弱で争いを嫌う大人しい人柄であり、このように異母弟である第一王子に命令するように話す人物では無かった。
「…………」
どよめく貴族達よりも驚愕し、動揺したのは言葉を向けられたライナス自身だったかもしれない。
己の視線の先にいる普段であればライナスのどんな言葉に言い返すこともなく、悲しげに眼を伏せるだけの儚く弱い姉と同じ外見を持った女性。
そんな弱い女性と父である王を彷彿させる覇気を持った人物を脳裏で繋げることが出来なかったのだ。
「聞こえなかったのかしら?
今すぐにその剣を下ろしなさい。
それと、淑女の身体に無作法にも触れたばかりか、押さえ付けるなどという非礼を誇り高き騎士団長の子息や宮廷魔導師の孫である貴方達が行うなど恥を知りなさい。」
氷よりもなお冷たい、冷え切った紫苑の瞳をライナス達へと向けるセレスティナの声は決して大きい訳ではないのに力強く会場に響き渡った。
セレスティナの有無を言わさぬ言葉に、ライナスは振りかぶっていた剣を思わずゆっくりと下ろし、騎士団長の子息達は動揺を露わに顔を見合わせる。
「……ラ、ライナス様……?」
そんなセレスティナの作った流れに逆らう者がいた。
それは、今まで怯えたようにライナスの背中に隠れていたステラだった。
「………!
あ、姉上っ!
この一件は貴女には関係ないこと!
余計な口を挟まないで頂きたいっっ!!」
己の服を掴み、微かに引くステラの小さな戸惑ったような声に、ライナスはハッとする。
そして、いつものように強い口調で姉であるセレスティナに向けて言葉を叩きつけた。
そうすれば気弱なセレスティナはすぐに怯み、いつものように何も言えなくなるとライナスは思ったのだ。
「ふふふ……、貴方はとても面白いことを言うのね。」
しかし、ライナスの予想は外れてしまう。
繊細なレースで彩られた白い手袋で覆われた小さな手を口元に当てて優雅に笑みを浮かべる。
「何が可笑しいのですかっ!」
クスクスと笑うセレスティナに対して、己よりも下だと思っていた存在に少しでも恐れに似た感情を抱いた心を誤魔化すように、余計に怒りを込めた強い口調で叫ぶ。
「……私が面白いという理由すら貴方は分からぬのですか?」
「……っ」
ピタリ、とライナスの言葉に笑うことを止めたセレスティナの感情の消え去った瞳がライナスを射抜く。
普段と真逆のセレスティナの強い視線に射抜かれたライナスは、まるで蛇に睨まれた蛙のように身体を硬くしてしまう。
「どのような事情があるにせよ、ベルフォード王国の法では貴族が犯した罪を裁くことが出来るのは国王陛下のみ。
王子でしかない貴方に我が国が誇る公爵家の令嬢であるルクレツィア嬢を裁き、罰することは許されません。
まして、法や貴族に関することを除いたとしても、陛下の御前である公式な場においてではなく、このような悪意しか感じぬ衆人の面前でか弱き淑女一人を吊るし上げ、甚振るような真似をするなど、気高き青き血を宿す者のすることではありませぬっ!」
儚げな外見を覆す、身体の内側から発せられる苛烈な覇気と正論にライナスは怯み、ルクレツィアを押さえ付けていた騎士団長の子息と宮廷魔導師の孫の手が緩む。
己の発した言葉にライナスやその取り巻き達が怯んでいる状況を察し、セレスティナはゆっくりと階段を降りてルクレツィアの元へと歩み寄って行く。
どう言い返して良いのか分からず言葉を失っているライナスを一瞥することなくセレスティナはその横を通り過ぎる。
そして、公爵令嬢として弱みを見せまいと唇を噛み締めているルクレツィアの側に辿り着いた。
「……お、王女殿下、この者は……」
ルクレツィアの身体を押さえつけていた筆頭宮廷魔導師の孫は憮然とした表情ですでにその手を離していた。
しかし、未だ力を緩めているとはいえ騎士団長の子息はルクレツィアの体を押さえた状態のまま躊躇うようにセレスティナに対して何かを口にしようとする。
「貴方に騎士としての誇りが少しでも理解できるならば、今すぐにその手を離しなさい。」
「……っ」
そんな騎士団長の子息の言葉に耳を傾けることなく、セレスティナはルクレツィアの解放を命じた。
騎士という言葉を引き合いに出された子息は悔しげな顔で歯を食いしばり、数瞬躊躇ったのちにルクレツィアの身体から手を離したのだった。
「……ルクレツィア嬢、どうかお立ちになって。
ああ……婚礼前の淑女の肌になんて無体なことをっ……!
弟の貴女に対する酷い言動の数々……一人の姉として申し訳なく思います。」
押さえつけられるように拘束されていた身体が自由を取り戻したルクレツィアは、乱れたドレスや髪もそのままにセレスティナへと頭を下げる。
そんなルクレツィアの傍へと膝をつき、ドレスが汚れることも気にせずにセレスティナは申し訳なさそうに声を掛けた。
「私のような者に勿体無いお言葉です、王女殿下。
どうか、どうか、お立ちくださいませ……。」
セレスティナは申し訳無さそうにルクレツィアの腕に残った痣へと手を伸ばし、哀しげ瞳を伏せる。
そんなセレスティナへとルクレツィアは大丈夫です、と哀しみを和らげることが出来るように微笑みを浮かべた。
「……殿下、どうか発言をお許し頂きたく。」
「貴女はアレクシェル・バッファム嬢……。
発言を許しますわ。」
そんな二人の傍に見守り続ける貴族達の輪の中から、一人の少女が進み出て頭を下げる。
肩より少し長い程度で切り揃えられた黄金の髪が、下げられた頭に従いサラリと揺れた。
「ありがとうございます、殿下。
シェパール公爵令嬢は体調が優れないご様子。
別室にて休養して頂いた方が良いのでは、と愚考いたします。」
「そうですわね。
アレクシェル嬢、ルクレツィア嬢のことをお願いしてもよろしいかしら?」
その言葉に同意したセレスティナはルクレツィアの身をアレクシェルへと託す。
何か言いたげな様子の弟や子息達を視線だけで牽制し、微かに不安そうな感情を浮かべたルクレツィアへとセレスティナは安心させるように微笑む。
ルクレツィアを支えるように歩くアレクシェルの背中が煌びやかな扉の向こう側に消えたのを確認して、再びライナス達、騒動を起こした者達へと向き直り華やかな笑みを浮かべた。
「いくらライナス様のお姉さんでもひどいです!
訳も聞かずにライナス様のことを責めるなんて!
ライナス様は私がルクレツィア様に酷いことをされたから、それを助けようとしてくれただけなんです!」
怯んで二の句を継げなくなったライナスに変わるように、その背中に隠れていたステラが涙ながらに叫んだ。
ステラの声に会場にいた貴族達の微かな囁き声すら消え去り、シーンと静まり返る。
「貴女の言うライナスの訳など、このような事態を引き起こした以上関係ありません。
第一、誰が貴女の、騒動の中心人物の一人である貴女の意見を求め、発言を許しましたか?」
「……え?」
ライナスへ向けていた厳しい視線をセレスティナは静かにステラへと向ける。
セレスティナの問いかけにステラは困惑した声で答えた。
「王女であるわたくしに対し、男爵令嬢でしかない貴女が許可を得ることなく話しかけることも、意見を言うことも許されません。
学院の最終学年である令嬢がその程度のマナーもご存じないのですか?」
「……っ」
学院の品位も下がりましたわね、とセレスティナは眉をひそめる。
セレスティナの言葉にステラの顔が悲しげに歪み、大きな眼に涙を浮かべ始めた。
「姉上、言い過ぎでしょう!
それに、彼女は私の婚約者です!
今は男爵令嬢でしかありませんが、ゆくゆくは未来の王妃になる身です!」
「ライナス様……。」
ライナスの己を庇うように再び背中に隠し、発せられた言葉にステラは頬を赤く染めてはにかんだ笑みを浮かべた。
頬を染めて喜び、笑みを浮かべたステラへとチラリと視線を向けてライナスも満足そうな笑みを浮かべる。
しかし、ライナスのステラを庇う言葉の中に決して許されない言葉があった。
その言葉の意味を理解した貴族達に動揺が走り、セレスティナは頬が引きつりそうになるのを根性で押し留める。
「ライナス、それは陛下がお決めになったことですか?」
「……?
ステラとの婚約については陛下に報告はまだ出来ていませんが、快く了承して頂けるに決まっています。」
愚弟の失言に絞り出すように紡がれたセレスティナの問いかけに対して、ライナスが答えた内容は望んだものではなかった。
弟の言動に頭を抱えたいのを我慢して、セレスティナはライナスにも理解出来るように言葉を尽くす。
「その点も気にはなりますが、わたくしが一番気になっているのは其処ではありません。
その者が万が一にでも貴方の婚約者になったとしても、婚姻の儀を挙げるまでは男爵令嬢でしかありません。
そんな男爵令嬢でしかない者が王女であるわたくしに対して許しも無く発言すること許容する等という愚かしい結論も一旦置いておきましょう。
わたくしが問いかけたいのは、どうして貴方の婚約者でしかない令嬢が王妃になると断言できるのですか?」
「どうして、とは可笑しなことを聞くのですね。
王位を継ぐのは私なのですから、その妻であるステラは王妃になるに決まっているでしょう。」
妙なことを聞く、と心底思っている異母弟の顔にセレスティナは王女の仮面を投げ捨てて、大声でアホかぁぁっ!!、とツッコミ代わりの鉄拳と魂の叫びを叩き込みたい気持ちに苛まれた。
病弱で、王国の未来など背負う気の無かった気弱な自分に心底戻りたくなったのだ。
しかし、転生する前のアラフォーOLの記憶を得た今のセレスティナには、眼の前にいる愚弟とそのお友達達に王国の未来を任せた際の未来がありありと見えてしまった。
…………もし万が一、億が一にでも、この愚弟と脳味噌お花畑ヒロイン、その愉快な仲間達が国の舵取りを任された暁には、躊躇うことなく他国へと亡命しようと心に誓う。
「……………。」
ドヤ顔している愚弟の無駄に整った顔立ちにイラっとしながら、セレスティナはあともう少し時間を稼げば良いかしら?、と重たい口を再び開くのだった。




