第五話
「……ど……どういうことですの……?」
足早に立ち去って行ったジェダイトの背中を呆然と見送ったセレスティナは、未だに“婚約は迷惑では無い”という言葉に戸惑っていた。
「(王配は迷惑なのに、私との婚約は迷惑だと思っていない?
私と婚姻すれば王配の座は必ず付いて来ますし、王配の座は私との婚姻で付いてくる……あれ?
王配が私で、私がおうはい……?
…………混乱の極みですわ……!」
悪役めいた微笑とともに残されたジェダイト言葉を上手く噛み砕くことが出来ず、セレスティナは頭を抱えて混乱してしまう。
「(……幼い頃は仲が良かったですが、十代になる頃にはお互いの身分も、立場もありましたから共に過ごす時間は皆無と言っても良くなりました。
それは致し方なきことですし……それ以来は祭典の時くらいしか会うこと有りませんでしたし、ジェダのことですから私のことなどさっさと忘れていたと思っていました。)」
頭の中で何度も繰り返されるジェダイトの言葉に込められた裏側を読もうとする。
しかし、普段のセレスティナならば容易く読み取れるはずのそれが、今回に限って全く読み取ることが出来なかった。
「(そもそも……今も、昔も、私は恋愛経験がありません……。
昔は女子校で、今の王女という立場では気安く異性と関われる環境ではありませんでしたもの。
恋をする、ということ自体……私にはわかりませんわ。
それに……王女という立場で恋愛感情など必要ありません。
第一……恋した相手と結ばれるなどという御伽噺のようなことは有り得ませんもの。)」
己の過去や立場を顧みたことで徐々にセレスティナの心は冷静さを取り戻していく。
さらに落ち着こうとセレスティナは頭を上げ、目を閉じて数回ほど深呼吸を繰り返す。
深呼吸を終えて再び目を開いたセレスティナの心は平静さを取り戻していた。
「(……ちょっと落ち着きましたわ。
ジェダの性格を鑑みますに、私との婚約は邪魔ではないとは”他の異性よりはマシだ“、ということでしょう。)」
彼が好きや嫌いの色恋沙汰を抱くことは無い気がします、とセレスティナは結論づけた。
「婚約については一旦横に置いておきましょう。
ジェダが王位を欲しがるならば、熨斗を付けて渡して仕舞えば良いだけのこと。
婚約したからといって必ずしも婚姻まで至るとは限らぬのが貴族社会ですもの。
……まずは、私が政策に関与し、同時にシャボンも軌道に乗せる必要がありますわ。」
婚約の一件を無理矢理に頭の隅へと追い払ったセレスティナは、今後の己の行動を考え始めようとするのだった……。
※※※※※※※※※※
「本日は皆様と楽しいひと時を過ごすことが出来て嬉しゅうございましたわ。」
数十日後……セレスティナが婚約について頭を悩ませていた“王女の中庭”に色とりどりのドレスを纏った数十人の貴婦人たちの姿があった。
「まあ、王女殿下!
滅多にお会い出来ない貴女様のお茶会に招待して頂き、此方こそ楽しいひと時を過ごせたのですもの。
私達の方こそ、この場を設けてくれた殿下に感謝の気持ちで一杯ですわ!」
「カミール侯爵夫人の言う通りですわ!
貴女様から招待して頂けて、私達はとても光栄に思っていますもの。」
私も、私も、とセレスティナ主催のお茶会に招待された貴婦人達が頷く。
「これから皆様のお力をお借りする機会が増えますもの。
少しでも、わたくしのことを知って頂き、わたくしも皆様と仲良くして行きたいと思っていますわ。
そのためにも、今後も定期的にお茶会を主催していきますので、是非皆様には参加して頂きたいと思ってますの。」
セレスティナは己が提案した政策に関係する貴族達の妻や娘達を前に微笑む。
そして、パチン、と手に持っていた扇を鳴らせば、純白の箱に真紅のリボンが飾られた箱がお茶会に参加した貴婦人達と同じ数だけ、ミオンを先頭とした次侍女達の手により運ばれてくる。
「これは此度のお茶会のお土産ですわ。
実は、母である王妃様や、わたくしも愛用しております花の香りのするシャボンですの。
とても良い品だから皆様にも是非試して頂きたくて。」
自分の手元に運ばれて来た籠の中に手を伸ばし、お土産にも入っているシャボンを貴婦人達に見せながらセレスティナはにっこりと微笑む。
「気に入って頂けると嬉しいですわ。」
初めて見る花の香りのシャボンに色めき立つ貴婦人達の様子に、お茶会の目的の一部を達成できたと確信し、セレスティナは扇で口元を隠しながら満足気な笑みを浮かべるのだった。
お茶会に招いた貴婦人達が帰ったあと、セレスティナは己の執務室にいた。
「(上下水道設備について、まず資金を十分に確保する算段と反対意見を説得するに値する分析、利点を宰相と話し合って、もう一度纏め直して……。
あとは信頼に足る専門家を集めて、効率よく工事を進められる手配をしなければなりませんわ。
工事が始まれば、王都の失業者も減りますわね。
そうなれば地方から働くために来る人々が増える可能性も考慮して、騎士団に皆様に治安維持に尽力して貰わねばなりませんわ。
それに……教育についても早期に力を入れたいですが、孤児の問題も捨て置けません……。
うぅぅ……流石に全部一緒には厳しすぎますわ……)」
やりたいこと、気になることが多過ぎるセレスティナは眉間に皺を寄せてしまう。
「……もっと体力と時間が欲しいですわ」
食事を改善し、無理のない範囲で体力作りに励んでいる効果か、微々たるものではあるが以前よりも病弱な状態を脱しているセレスティナ。
しかし、前世の記憶の中にある身体能力とどうしても比べてしまうため、全く満足出来ていなかった。
「………………」
そんなセレスティナをチラチラと見つめる蒼色の瞳があった。
「……イザベラ?」
セレスティナは蒼色の瞳の持ち主であり、護衛の一人であるイザベラへと何か用事があるのかしら、と声を掛ける。
「……不快な態度を取ってしまい、申し訳ありません……」
特に咎めた訳では無いセレスティナの声にピクリと身体を震わせたイザベラは、申し訳無さそうに謝罪の言葉を口にする。
「別に不快に思ってはおりませんわよ?」
公式の場でも無いのだから最低限の礼節を守れば、ある程度普通に会話を交わすことなど気にする必要はないと考えているセレスティナ。
護衛と紹介された後に、私的な場においてはあまり仰々しくしないで気安く接して欲しいと頼んでいた。
だが、護衛になって間もないイザベラはセレスティナへどのように接して良いのか、戸惑い迷っている様子だった。
「ふふ……セレスティナ様。
イザベラは王族に対する礼儀作法に則った対応は出来ても、気安く接すると言うことが分からず戸惑っているのです。
彼女は幼い頃より大人達の中に放り込まれ、同い年の者達と接する機会が多くは有りませんでしたから。」
セレスティナの護衛の一人として同じく執務室内にいるアレクシェルが、面白そうに目を細めて笑う。
「ああ〜、だからなんですか〜。
“気安く接する”とはなんですか、と私に尋ねられたんですね〜。」
そろそろ休憩を〜、とお茶の準備を始めたミオンが納得したようにうんうんと頷く。
「…………」
セレスティナの前で隠したかったことをバラされてしまったイザベラは、気まずげに視線を逸らして顔を俯かせる。
薄紫色の髪の合間に覗く白い耳は羞恥からか赤く染まっていた。
「ふふ……ごめんなさい、イザベラ。
戸惑わせてしまいましたわね。」
「そ、そのようなことは……ありませ、ん……」
イザベラの可愛らしい悩みを知ったセレスティナは、その微笑ましさに顔を綻ばせる。
羞恥で赤く染まった顔で必死に否定し、首を振るイザベラの姿に説得力は無かった。
「う〜……微妙に好敵手出現の予感ですぅ〜。
セレスティナ様〜、ミオン特製の紅茶が準備出来ましたので、そろそろ休憩など如何でしょう〜?」
新たな好敵手の出現にミオンはセレスティナ様の一番の部下の座は渡しませんよ〜、と気合いを入れ直す。
「ありがとう、ミオン。
一段落付きましたし、頂きますわ。」
一寸の無駄のない動きで瞬く間に給仕の準備を終わらせ、セレスティナの元へと小さな可愛らしい焼き菓子と紅茶を運ぶ。
「ふふふ……アレクシェルにまだきちんとお礼を言えていませんでしたね。
素敵なお友達を紹介してくれてありがとう。
お陰でシャボンの増産と販売経路を確保出来ましたわ。」
淹れたての紅茶の香りがふわりと辺りに漂う中、セレスティナはアレクシェルへと微笑を向ける。
「いえいえ、あれしきのこと。
僕は紹介しただけで、彼女の心を掴んだのはセレスティナ様のお人柄ゆえだと思います。」
いつ何時、何が有っても良いように、決して座ることなく、他者に悟らせることもなく、周囲を警戒し続けているアレクシェルが、セレスティナの言葉に笑みを浮かべる。
「彼女は気難しくて、厄介な……そう、一見は艶やかで美しくも、“鋼鉄の棘と猛毒を持った花”のような女性ですからね。」
セレスティナが前世で読んだ物語の“チャシャ猫”のような笑みをアレクシェルは浮かべて笑う。
その笑みを受けたセレスティナは、脳裏に“鋼鉄の棘と猛毒を持った花”と例えられた一人の淑女の姿を思い浮かべると同時に、少しばかり格好付け過ぎたかもしれない、と少しだけ後悔するののだった。
……時は遡り、アレクシェル達がセレスティナの護衛に付いて数日が経過した頃……。
「お会い出来て光栄ですわ、王女殿下。
侯爵位を賜っております、モンタギュー・ゴンザ・ローゼンバークが娘、オリヴィア・ルル・ローゼンバークと申します。」
セレスティナの執務室に一人の令嬢が招かれていた。
ワインレッドのドレスに流れる長い波打つ漆黒の髪に、垂れ長の菫色の瞳、色気を感じる印象的な涙ぼくろ。
「どうか顔をあげて下さいませ、ローゼンバーク嬢。
こうして直接お話しするのは初めてですわね。
セレスティナ・スノウ・ベルフォードと申します。」
十代半ばの少女でありながら女性としての色香を既に香らせ、どこか蠱惑的な印象を受ける笑みを浮かべたオリヴィア。
その色香をを纏った笑みに負けないように、セレスティナも母親譲りの清廉な美貌を意識した微笑を返す。
「ふふふ……ローゼンバーク嬢、どうぞ此方にお掛けになって?
わたくし、貴女とお会いするのがとても楽しみでしたの。」
「まあ!
私如きには勿体無いお言葉ですわ。
私の方こそ、王女殿下にお会い出来ることが嬉しくて仕方ありませんでしたの。」
うふふ、あはは……と、まるで狐と狸が化かし合うかのように、お互いを意識して伺い合う二人の姿は、側から見れば麗しい淑女二人が楽しそうに会話に花を咲かせているようにも見える。
暫くの間、互いに真意を隠した貴族らしい会話を交わした二人。
「ふふふ……本当に王女殿下とお言葉を交わすことが出来てまるで夢のようですわ。
……今までの貴女様のお噂は、きっと偽りばかりだったのでしょう。
それとも……これは私の見る儚い泡沫の夢かしら?」
セレスティナとの真意を隠したやり取りに見切りをつけたのか、先に仕掛けたのは蠱惑的な瞳の中に挑発的な視線を滲ませたオリヴィアだった。
「あら、わたくしの噂ですか?
うふふ……それは是非ともお聞きしてみたいわ。」
オリヴィアの瞳に宿っている挑発を気付きながらもさらりと受け流し、セレスティナは穏やかな微笑を崩すこと無く問い返す。
「王女殿下を楽しませることが出来るほど、大した噂ではありませんわ。」
感情を出すこと無く受け流すセレスティナへと、その華やかな美貌に毒を含ませ、隠していたオリヴィアが微笑む。
「病弱で、気弱な、か弱き姫君というつまらない噂ですわ。
そう……貴女様が第一王子殿下に色々とお譲りになっているというお話も有りましたわね。」
王族の怒りを恐れぬのか、わざと挑発してその真意を、全てが間違ってはいなかったはずの噂から変化したセレスティナを見極めようとしているか、オリヴィアは怯むことなく言葉を続ける。
「貴女様が私に“なに”を求めてお呼びになったか、未熟な身なれど考えて参りましたの。
我がローゼンバーク家は現状では改革派にも、保守派にも属さず、数少ない中立を保つ家。
財務大臣の地位を恐れ多くも任されております我が父は、両派閥からのお誘いが絶えませんわ。
そんな父や我が一族にも責が及ぶ可能性があるならば、微かに指を動かすにしても細心の注意が必要です。」
艶やかで、色香の漂う笑みを浮かべるオリヴィアの菫色の瞳は、決して笑ってはいなかった。
「お力をお貸しする以上、その相手である貴女様のことを知る必要がありますわ。
……あの第一王子殿下の起こした騒動を切っ掛けに人が変わったとしか思えぬ貴女様のお心を。」
射抜くように強い意思の篭った眼差しを向けるオリヴィア。
「わたくしは何一つとして変わってはおりませんわ。」
その視線を真っ向から受け止め、セレスティナは変わらぬ清楚な微笑みを浮かべ続ける。
「…………」
ここまで挑発されても真意を語るつもりは無いのかと、オリヴィアが心の中で嘆息し、話は終わりですわね、と思考を打ち切ろうとした。
「ですが」
しかし、パチリと音を立てて白いレースがふんだんにあしらわれた純白の扇を開き、口元を隠しながら言葉を続けたセレスティナの表情は儚く、清楚な笑みなど浮かべてはいなかった。
「噂や影を通して知り得た表面上の情報で、わたくしの何を知り得ると言うのでしょう?
わたくしは何一つ変わってはおりません。
病弱な身は真実、気弱な心は民を巻き込みかねぬ無用な争いを避け、か弱きこの身は己の身すら守れませんわ。」
繊細で美しい扇に隠れること無く見える紫苑の双眸には、輝く自信と覚悟に満ち溢れていた。
「わたくしはこのベルフォード王国の王女です。
この国の民によって生かされているからこそ、王族の一人として民を愛し、慈しみ、守ることが生まれながらの使命と心得ております。
無論、民のためならば、この首も、命も、全てを捧げるつもりです。
……それは、王位継承権争いでも同じこと。
二つの派閥の均衡を守り、要らぬ苛烈な争いによる混乱を避けるためにも、第一王子とシェパール公爵令嬢の婚姻は必要なことでした。」
「だから……第一王子殿下に表面上はお譲りになっていた、と?」
セレスティナの言葉の信憑性を確かめようとオリヴィアは菫色の瞳を細める。
「シェパール公爵令嬢は優秀な方。
第一王子に関しては……すでに言わずもがな、ですわね。
病弱なわたくし自身は王位を望むべきでは無いと思いますが、少なくともあのような第一王子を王位に付ける訳にはいきません。
だからこそ、わたくしはあの場に立ったのです。」
「…………」
国を、民を思うセレスティナの強い言葉に、オリヴィアは静かに瞼を閉じる。
そして、暫しの逡巡の後に再び瞼を開けば、その瞳に迷いは無かった。
「度重なる非礼をどうかお許し下さい、王女殿下。
未熟で、愚かな私に出来ることがあるならば、どうかお申し付けくださいませ。」
席を立ち、許しを求めるオリヴィアの言葉にセレスティナは優雅に微笑むのだった。




