第二話
「エリザベート様、王女殿下より先日の試作品という物が届いておりますわ。」
王妃の私室にて多忙な執務の合間のひと時の休憩を楽しんでいたエリザベートへと、侍女のクレアが一つの箱を持って近付き声を掛けた。
「ありがとう、クレア。
思ったよりも早かったですわね。」
約束した十日が経つ前に届けられた試作品にエリザベートの顔が綻ぶ。
セレスティナから届いたという箱に、数日前に同じように届けられた各政策についての原案が重なってしまったのだ。
「うふふ!
あの子が提出した公共事業、上下水道の整備の優位性と不利益について、就職率低下への対策、孤児への教育支援について……。
他にも有ったけれど、特にわたくしの目をひいたのはその辺りかしら?
まだまだ甘い算定の部分は無いとは言わないけれど、今まで政務にほとんど関わっていなかった割には十分に及第点をあげれるものだったわ。」
エリザベートから見てまだまだ甘い部分はあるものの、そこは王や己だけでなく、そのほかの関係閣僚も含めて案を詰めていけば良いだけのこと。
まずは話すだけの価値のある提案を出すことが重要なのだ。
提出された原案について考えていれば、エリザベートはすっかり忘れていた一つの事実を思い出した。
「そう言えば、あの子にはまだ伝えて無かったかもしれないわね。
あの子の纏めた原案を陛下に、レオナルドへ渡してしまいましたことを。」
「……エリザベート様、お早く王女殿下に知らせてあげませんと、突然陛下に呼び出されることとなり驚かれてしまいますよ。」
悪戯を企む子供のような笑みを浮かべるエリザベートへと、忠告を聞き入れて貰えないだろうと思いながらも、一応クレアは慌てるであろうセレスティナのことを思い困った笑顔で嗜める。
「うふふ!
慌てるあの子の顔も見てみたいけれど……ね?
あんまり意地悪をして嫌われたく無いから、そっと伝えておいて下さるかしら?」
「畏まりました、エリザベート様。」
エリザベートの命令にクレアは内心安堵しながら了承の言葉を返す。
普段は貴婦人、淑女の鏡と称えられるクレアの忠誠を誓った主だが、本来の彼女は容姿とは真逆の活動的な性格であり、時々思い出したように悪戯を仕掛ける困った所があるのだ。
他者がエリザベートの容姿に騙されて痛い目を見る姿を何度となく目撃したことがあるクレア。
脳裏に過去の思い出を反芻させて苦笑してしまいそうになりつつも、決して感情を表に出さないクレアの返事に満足げな様子で微笑み、エリザベートの興味はセレスティナから届いたばかりの小箱へと移る。
「あの子からの届け物だけど……一体何かしらね?
わたくしを納得させるだけの商品となる物だとは思うのだけれど……?」
それは片手に持つには大きい真っ白な、飾り気の無い箱だった。
唯一の飾りといえば、箱に掛けられた真紅のリボンのみ。
華やかな飾りとは無縁のシンプルな純白の箱の中身をエリザベートは想像し、期待感が増していく。
「エリザベート様、お開けいたしますね。」
じっと箱を見つめるエリザベートの視界の中で、クレアの手によって箱のリボンが解かれ、開かれていく。
「まあ……!」
「……これは……」
開かれた箱の中身を見て、クレアとエリザベートはその美しさに感嘆のため息をついた。
純白の箱を飾っていたリボンと同じ真紅のベルベット生地の上に飾られた“それ”は、様々な色と形をしていた。
白地に黄色の小さな花びらが入った物、薄紅色の薔薇の形に整えられている物、四角い形の表面に可愛らしい猫の輪郭が彫り込まれている物……。
「……良い香りもするのね……」
誘われるようにエリザベートが箱の中へと手を伸ばし、薔薇の形に細工した物を手に取れば、ふわりと薔薇の花の香りが漂った。
「美しく、可愛らしいだけでなく、強過ぎない良い香りですわ。
あの子がただの飾りを作るとは思えませんし、何か仕掛けがあると思うのですが……?
……わたくしにはこれが何なのか分かりませんわ。」
うっとりとした表情で、愛でるように見つめるエリザベートは、様々な角度から見つめ、かざしたりしてみるが、手に持っている“それ”の正体が分からなかった。
「……エリザベート様、これを。
箱の中に説明書らしき物がございましたわ。」
「ありがとう、クレア。」
クレアが箱の片隅にあった説明書を見つけ、エリザベートへと手渡す。
早くセレスティナから送られて来た物の正体が知りたいエリザベートは、真剣な表情で説明書に目を通していく。
「……クレア……これはシャボンみたいですわ……」
「これが……あの、シャボンですか!?」
説明書を読み進めるうちに、大きな紫苑の瞳を驚きに瞬かせたエリザベートが呟いた言葉に、クレアも驚きの声を発してしまう。
「……これが……シャボン……。
汚れを落とすのには便利ですが……独特の獣の臭いがきつい、あのシャボン……。」
驚きが勝り、呆然とした表情のクレアが同じ言葉を繰り返してしまう。
「俄かには信じられませんわね……。
あの臭いは有りませんけれど、泡立たなければ意味がありませんわ。
一般的な液体で無いことも気になりますし、早速試して見ましょう。」
「はい、エリザベート様。」
驚きが過ぎ去れば、好奇心の強いエリザベートは、色とりどりのシャボンだという物を試してみたくて堪らなくなる。
そして、好奇心の赴くままに試してみたエリザベートとクレア。
水に濡らせば広がるたくさんの泡と花の香りに包まれることになった二人は満足気な表情で頷きあう。
エリザベートへと提出されたセレスティナの試作品のシャボン。
エリザベートの出した結論は、セレスティナへと自分達用の物を依頼したことで十分証明されたのだった。
※※※※※※※※※※
王妃へとシャボンの試作品を提出した次の日。
王城内にある王の執務室の前で正装とまではいかずとも、それに準ずるドレスに身を包んだセレスティナが立っていた。
(お母様……出来ることならば、もう少し早く知らせて頂きたかったですわ。)
扉の向こう側にいるであろう豪華な面々を思い、セレスティナは取り敢えず落ち着こうと深呼吸を繰り返す。
「王女殿下、準備はよろしいですか?」
多少は緊張した様子のセレスティナへ、ひーさまでも緊張するんだ、といった目をしたランスロットが扉へと手を添えている。
「問題ありませんわ、ランスロット。」
なんとなくランスロットの言いたいことが分かり、自分だって緊張くらいするのだといつものように軽口を返したいのを我慢してセレスティナは微笑む。
普段通りに見えるセレスティナの微笑にランスロットは頷き、小さく息を吸った。
「失礼致します。
陛下よりの命令により、第一騎士団所属、ランスロット・レパード。
第一王女殿下をお連れ致しました。」
ランスロットは姿勢を正し、入室を求めるために口を開いた。
王の執務室内からの入れ、という言葉を受け、ランスロットは扉を開き、セレスティナへと入室を促す。
「失礼致します。
勅命により、セレスティナ・スノウ・ベルフォード参上致しました。」
部屋の中にいる父であり、ベルフォード王国の王であるレオナルドへと、セレスティナは美しい淑女の礼をする。
「頭を上げよ、第一王女よ。」
「はい、陛下。
失礼致します。」
深々と下げた頭の上に、王の言葉が届く。
それに従い頭を上げたセレスティナの視界に映ったのは、予想以上の人数の面々の顔だった。
(宰相や第一騎士副団長は分かりますが、まさか叔父様やオリントス筆頭宮廷魔導師殿までいらっしゃるなんて……!)
今までのセレスティナならば、式典程度の時にしか会うことの無かった人物たちの大集合に引きつりそうになる頬を根性で押し止める。
「第一王女、いや、セレスティナよ。
この場は私的な場として振舞って構わぬ。
余も、多忙ゆえになかなか会うことが出来ぬそなたに、少しくらい父と呼ばれたいのだ。」
先日は王妃より二人でお茶会をしたと自慢されてしまった、と王は苦笑する。
「お言葉に甘えさせて頂きます、お父様。
ふふ、お父様はご多忙の身ですから、わたくしの我儘で貴重なお時間を奪う訳にはいきませんもの。
でも、お許し頂けますならば、セレスティナもお父様とお母様と一緒に少しの時間だけでも一緒に過ごしたいですわ。」
父である王へとセレスティナも同じ気持ちだ、とふんわりと微笑み返せば、王は心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「ふふ、兄上も最愛の妻との間に生まれた溺愛する愛娘には敵わないようですね。」
「ひょっひょっひょっ!
男親にとって娘とは格別なものと言いますからの!
まして、王女殿下は王妃様に生き写しと言えるほどにそっくりですからな!」
「クリストフ、サフィール老師……」
王として王座に座っている時とは全く違う雰囲気を纏う王へと、神官長と老師がからかうように声をかけた。
そんな二人へと拗ねたように、唇を尖らせて王が抗議の意味を含めて名前を呼ぶ。
「陛下、大の男がそのような顔をしても、可愛らしさの欠片もありません。」
「確かにそうですね、グウェン。
ふふふ……少女と見間違えそうな少年時代の陛下ならば、きっとお似合いだったと思いますよ。」
「グウェン、アスラン……」
幼馴染たちの容赦ない言葉に王はガックリと肩を落とす。
「セレスティナ殿下、お久しゅうございます。
この度は愚息の仕出かしたことをいち早く知らせて下さり、心より感謝しております。」
「昨年の式典以来ですな、王女殿下。
すでに孫と呼ぶ訳には参りませんが、あのアホを諌めて下さり心よりお礼申し上げます。」
「第三騎士団長、ガノン・レパードも、王女殿下にお会いさせて頂き、直接謝罪と感謝の意を伝えたいと申しておりました。」
そんな王を放置して、その場に集まった大人達は一人一人セレスティナへと声を掛け始める。
そして、その中でも特にセレスティナへと伝えたい思いがある人物がいた。
「王女殿下、この度は我が娘の窮地を救って頂き、心の底より感謝申し上げます。
貴女様があの場にいらっしゃらなかったら、我が娘がどのような目にあっていたか……!
王女殿下の迅速な判断と行動だけでなく、傷付いた娘を慰めて頂いたことでその心まで救って頂きました。
どんなに感謝の言葉を並べても、全く足りませぬ。
……王女殿下、もしも今後何かお困りのことがあれば、いつでも私にご相談ください。
我が一族総出で王女殿下のために力を尽くすことをお約束致します……!
そう……例えば、殿下の戴冠の邪魔になる輩の抹さ、ではなく、排除など、我が家の影はその分野も得意中の得意ですからな。」
「(……あ、この人……目が笑っておりませんわ……)」
怖いほどに無表情な宰相の感謝と忠誠がふんだんに詰め込まれた言葉以上に、その眼が語る本心にセレスティナは多少引いてしまいそうになった。
「……うふふ……シェパール公爵は冗談がお上手ですね。
わたくし如き小娘に王位は勤まりません。
公爵の感謝のお気持ちだけ頂いておきますわ。」
冗談では無いのだが……、と小さく呟く宰相の声をセレスティナは聞かなかったフリをして他の大人達へと視線を向ける。
「神官長、いえ、クリストフ叔父様、オリントス老師、お久しゅうございます。
サミュエル殿とダレン殿のこと、わたくしも本当に残念でなりません。
ライナスのことも含め、彼らをわたくしが諫めることが出来れば良かったのですが……。
フォード副騎士団長、レパード第三騎士団長のお心受け取りましたわ。
わたくしも、ランスロットの父であるレパード騎士団長とは近いうちにお会いしたいと思っておりましたの。」
前世の記憶を思い出していない私では諌めるなんて無理だったでしょうけれど、という本音は告げず、もの憂げな表情を浮かべ、セレスティナは三人へと答えた。
「殿下、そのお心だけで十分です。
第一、殿下が元第一王子を含めたあの者達へと諫言しても、その耳を貸すことはなかったでしょう。」
「その通りですの。
その上、殿下があの五月蝿い側室殿の相手をすることになったかもしれませんのう。
……あの母ありて、この子あり。
まっこと、己の立場をわきまえるということを理解してませんからの。」
神官長と老師のため息交じりの言葉にセレスティナも苦笑してしまう。
「……あの血筋は三代に渡って碌でもありませんね。
王女殿下の寛大なるお言葉、感謝にたえません。
レパード騎士団長も感激すると思います。」
小さく低い声で囁かれたアスランの言葉はセレスティナに聞こえることは無かった。
しかし、アスランの一番近くにいた宰相は深く頷き、同意を示した。
「殿下、レパードの血を受け継ぐ者の一人として感謝申し上げます。」
セレスティナの背後で無言で控えていたランスロットが、セレスティナへと跪き感謝の意を告げる。
「立ちなさい、ランスロット。
すでに一族から除名されている者がなしたこと。
貴方は汚名を返上するために、連日連夜駆け回っていると報告を受けておりますもの。」
ランスロットに立つように促し、セレスティナは話題を変えるためにも未だに肩を落として暗雲を背負っている王へと声をかけた。
「えっと……お父様、大丈夫ですか?
あの……わたくしをお呼びになりましたのは、お母様に渡しました物のことでしょうか……?」
ガックリと沈んだ様子のレオナルドへセレスティナは困ったように声をかける。
愛娘から優しく、労わるように掛けられた言葉に、王は情けない父だと思われる訳にはいかない、とすぐに姿勢を正した。
「うむ!
何の問題もないぞ、セレスティナよ。
そなたを呼び出した理由だったな。」
コホン、と一度咳払いをした王は背負っていた暗雲を消し去り、真面目な表情を浮かべる。
「エリザベートより渡されたシャボンや原案については、宰相を含めて仔細を詰めて行き、近く関係閣僚を招集して議会に掛けるつもりだ。
セレスティナ、そなたは原案の発案者として、この政策に関わることを許す。
宰相とも十分に連絡、相談を行いながら、民のために政策を推し進めよ。」
「慎んで拝命仕ります、陛下。
未熟ではありますが、ご期待にお応えできますように努めてまいります。」
王の言葉にセレスティナは淑女の礼を返す。
「うむ。
それと、そなたに紹介したき者達がおる。」
「……?」
己へと紹介したい者達という王の言葉に思い当たる人物がいないセレスティナは首を傾げてしまう。
そんな不思議そうな雰囲気を醸し出すセレスティナを安心させるように周囲の大人達は微笑む。
そして、入って参れ、という王の言葉を合図に執務室の扉が開くのだった……。




