第一話
「うふふふふ……。
貴女とこうして親子水入らずでお茶をするなんて久しぶりですわね。」
瑞々しく輝く草木、色とりどりの可憐な花達が咲き誇る王城の一角にある王妃の庭園。
その庭園に繊細な作りの円卓と椅子が準備され、真っ白な染み一つないテーブルクロスの上には春咲きの薔薇と、優美な銀製のプレートスタンドに一口大の小さな菓子が飾られ、香り良い紅茶も添えられている。
「そうですね、お母様。
私もお母様と一緒にお茶を出来て嬉しゅうございます。」
王がライナス達に処罰を下した日から数日。
とある日の昼下がりにセレスティナは一人の麗しい淑女と向き合っていた。
柔らかな日差しに反射してより一層輝く白銀の髪、雪のように白い肌、紫苑の瞳。
歳を重ねても変わることのない美しさを保ったその人物こそ、ベルフォード王国の王妃にして、セレスティナの母であるエリザベート・セレン・ベルフォードだった。
「セレスティナ、此度の第一王子の一件の采配は本当に見事でした。
今までの貴女と同一人物とは思えない程に、第一王女としての立場に沿った立派な行動だったと思いますわ。」
「……お褒めの言葉を賜り恐縮ですわ。
本来ならば、あのようなことをライナスが起こす前に諫めることが出来れば良かったのですが……。」
己を褒めるエリザベートの優しく、儚げな美しい微笑の裏に隠されているものを、記憶を取り戻してから何となく察しているセレスティナの背中に冷たい汗が流れる。
「……本当はね、貴女と楽しいお話をして過ごしたかったの。
でも、今日はお互いに話しておきたい話題がありますものね。」
「はい。
私も出来るならばお母様と楽しい時間を過ごしたかったと心より思います。
ですが、残念なことにお母様にどうしても話したいことが出来てしまったのです。」
残念だわ、と呟くエリザベートにセレスティナも同じ想いだと返す。
同じ話題でしょう、と微笑みを浮かべ、無言で己へと言葉の先を促すエリザベートに対し、一度眼を閉じてからセレスティナは口を開いた。
「次期王に選ばれる可能性の高かったライナスは王位継承権を失い、公式に発表しておりませんが……王籍よりも除外されたと聞きました。
数少ない中立派を除けば王国の二大勢力である改革派と保守派の均衡は、ライナスへの処罰を切っ掛けに大きく崩れたと思います。
そして、ライナスの他に王位継承権を持つ現王の血を継ぐのは私と第二王子のみ。
他に王位継承権を持つのは陛下の末の弟である神官長と、長子であるご子息。
陛下の王姉である方は他国に嫁ぎ、王位継承権をすでに返上されております。
他にも傍流はいますが、王位継承権を認められるほど王家の血の濃い方はおりませんわ。
そうなると、王位継承を巡って第一王位継承権を持つ私の周辺も騒がしくなり、今までのように過ごすことは難しくなると思うのです。」
「クリストフ殿とそのご子息は王位を望まないでしょう。
そして、アレを支持していた者達にとっては王位継承権の剥奪は面白くない事柄でしょうね。
なんとしてでも、アレの復籍と王位を得ようと無能な者はあらゆる手を尽くすことでしょう。
ですが、面倒なのはアレの復籍も、王位継承権の奪還も諦め、切り捨てる存在ですわ。
……そして、その者達にとって……より王座に近づく貴女とあの子は邪魔で仕方のない存在となる。
特に、近く呼び戻す予定とはいえ、現時点で他国に留学中のあの子とは違い、王国内にいる第一王位継承権を持つ貴女の方がより危険な立場となりますわね。」
今までとは全く違う強い力を宿したセレスティナの声音や雰囲気に、エリザベートは内心驚きを覚えながらも、表情に出すことなく微笑み己の考えを告げる。
「お母様、私は今まで病弱を理由に受け身の生き方をし、次期王位を継ぐと思っていたライナスに遠慮していました。
……ですが、あのように道理をわきまえぬ愚かなことを平気でするような者に、多くの民を守り、導く立場である王位は相応しくありません。
ゆえに、陛下も罰するという意味も含めて王籍と王位継承権を剥奪なされたのだと思います。
……もっとも、保守派の勢力に打撃を与えるという意味も有るのでしょうが。」
セレスティナは王であり、父でもあるレオナルドの心を思い、悲しげに顔を歪めるが、すぐに真面目な表情を浮かべた。
「病弱な私が王になっても余計な混乱を招く可能性が高いと思います。
それゆえに、私が王位を進んで望むことは余程のことが無い限りありません。
ですが、私自身がどんなに王位争いに巻き込まれぬように大人しくしていても降りかかる火の粉はあるでしょう。
だから、私は私自身を守るためにも降りかかる火の粉を払い、排除しようと思います。」
まるで雨上がりの青空のように晴れやかな笑顔を浮かべたセレスティナに、エリザベートは瞳を瞬かせる。
生まれ変わったように強気な発言をする娘の姿に、エリザベートは己の血の繋がりを垣間見て、知らず手で隠した唇が釣りあがっていく。
「ふ……うふふふふふふ!
それでこそ、このわたくしの娘ですわ!」
娘の変わりように一瞬言葉を失っていたエリザベートだったが、小さな笑い声を徐々に大きくしていき、心底楽しそうに言葉を続ける。
「ええ、その通りですわ、セレスティナ。
あの戯け者達に遠慮する理由など最初からありませんもの。
降りかかる邪魔な火の粉は全て排除なさい。
お前は正統なる血筋だけでなく、第一王位継承権を持つ誇り高き王女。
ふふ……やっと遅まきながらも王族の一員として目覚めたこと、母はとても嬉しいわ。」
儚げな美貌に似合う優しげな微笑みを覆し、王妃としての高い誇りと品格に満ちた力強い笑みを浮かべたエリザベートに気圧されかける。
しかし、セレスティナはここからが本番だと、気圧され、負けぬように腹に力を込めた。
「それで、わたくしの可愛いセレスティナ?
貴女は一体何をするつもりなのかしら?」
「まずはお母様にご相談があります。
私は自分の身を守り、己の意思を示すためにも、行動していかねばなりません。
ですが、何の実績もない病弱な王女である私が動かせることは微々たるもの。
まして、結果が出るか分からぬことに民の血税を無駄にする訳にはいきません。
それゆえに、私の剣となり、盾となる実績を得るためにご協力して頂けないかと。」
とても楽しげに笑うエリザベートへと、セレスティナは負けないように答える。
「…………」
そのセレスティナの言葉にエリザベートは眼を細め、口元を扇子で隠し、首をかしげる。
セレスティナが動かせる手駒は少なく、その活動資金も多くはない。
しかし、その活動資金は商売をしてまで手に入れる必要は無い、とエリザベートは思ったのだ。
やりたいことがあるならば政務の一環として提案し、王の許可を得て、正式に公共事業の一環として動き出して仕舞えばいいのだから。
しかし、セレスティナが欲しいのは実績だけではない。
前世の知識を再現するために個人で所有し、自由に動かせる資金である。
欲を言えば、セレスティナ個人が信用して用いることができる人材、人脈も手に入れたいと考えていた。
「(成功するつもりですが、失敗する可能性が少しでもあることに民の血税を使うことは、前世の記憶が拒否感を示しますから。
個人的に試してみたい分野は私自身の資金を使い、上水道整備や開拓事業などの方面では公共事業の一環として提案する方向で進めたいですわ。
……まあ、それは建前で私自身の前世の記憶にある様々な物を作りたいというのが本音ですが。)」
もっとも、ライナス達の一件での波紋が多少落ち着くまでは王へと奏上は難しいとセレスティナは考え、王との面会を先延ばしにしていた。
ただし、すぐにでも奏上できるように公共事業などについての資料を纏め終わっているため、王への提出だけならすぐにでも可能な状態だった。
「その資金と実績を元手に経済の活性化と公共事業、開拓事業、慈善事業まで関われるようになりたいと考えています。
そのために公共事業などについての原案はすでに準備をしておりますので、よろしければ目を通して頂けると幸いです。」
商売……と、真剣に思考を巡らせるエリザベートへとセレスティナは畳み掛けるように言葉を続ける。
「商品となるものを実際に作成開始しておりますし、試験品を十日以内には提出することは可能です。」
「では、それを見て決めましょう。
貴女の言う原案もあとで届けてちょうだい。
それと、王族の一人として経験を積むためにも、貴女の執務を増やすように陛下へと伝えます。」
それを見て決めてください、と話すセレスティナへと暫し逡巡してエリザベートは頷いた。
「ありがとうございます、お母様。
王族の一人として相応しくあれるように精進を重ねたいと思います。」
座っていた席を立ち、淑女の礼をするセレスティナへと、エリザベートは微笑を浮かべて頷くのだった。
「あの子の変わりよう、嬉しいけれど複雑だと思うのはいけないことかしら?
……どう思いまして、クレア。」
セレスティナが去った後の王妃の庭園にとどまっているエリザベートは、微笑みながら側に付き従う茶色の髪の侍女へと声をかける。
「エリザベート様、以前の気弱で萎れかけた蕾の如き王女殿下に比べ、まるで息を吹き返して花開いたのような今のお姿は頼もしいと思います。
そんな成長なされた王女殿下のお姿に巣立ちの予兆を感じ取って、エリザベート様は母親として嬉しいと同時に一抹の寂しさも感じてしまうものかもしれません。
……ただ、王女殿下の商売を始めるという発想には些か驚きましたが……。」
初老の穏やかな雰囲気を纏うクレアと呼ばれた女性は、エリザベートの問いかけに落ち着いた声音で答えた。
「たしかに、あの子がどこか遠くに行ってしまうような寂しさがありますわね。
もっとも、まだまだ一人前とは言う訳にはいきませんわ。
まあ、最初からわたくしの実家である侯爵家に金銭面で頼ろうとしなかった誠意は認めましょう。
ですが、この停滞しつつある王国の市場で己の動かせる資金を増やし、あの子が今すぐに国政の一端に食い込めるだけの成果をあげることは現実的に難しいですわ。」
セレスティナの言っていた資金を増やすための商売について思いを馳せ、エリザベートは眉を寄せてしまう。
「ふふふ……でも、王女殿下のあの強い意志の宿った瞳はエリザベート様そっくりでございました。
どんなに困難な道のりであろうとも、必ずや成し遂げると言うエリザベート様にそっくりのお覚悟をクレアは感じ取りましたわ。」
あの王女殿下のお姿は若い頃のエリザベート様に似ている、と幼い頃から側にいるクレアに微笑ましそうに告げられ、エリザベートは思わず視線を逸らし紅茶へと手を伸ばす。
「若かりし頃のエリザベート様も大概無茶をなされていましたから、やはり血は争えぬとクレアはしみじみと感じました。」
丸眼鏡の奥の目を細め懐かしそうに過去の出来事を語りながら、クレアは新しい紅茶の入ったポットを準備する。
咲いては散る、儚い花のような過去の記憶の中に、今尚色褪せることのない悲しみを思い出し、エリザベートは静かに瞳を閉じた。
「……わたくしの身にあのようなことがなければ、あの子の生まれ持っての身体の弱さはなく、最初から女王へとなる道を歩んでいたかもしれませんわね。」
「……エリザベート様……」
空になったティーカップに注がれた紅茶を再び開いたシオンの瞳で見つめながらエリザベートがポツリと呟き、クレアが沈痛な表情を浮かべ痛ましげな視線を向けた。
「……仮定の話をしても致し方ありませんわ。
セレスティナのことですが、あの子の周辺がきな臭くなるのは目に見えています。
今のあの子の護衛だけでは些か心許ないことも事実。」
気持ちを切り替えるように張り詰めた雰囲気を霧散させたエリザベートは、愛娘の護衛を強化する方法へ思考を切り替える。
「……そうですわね。
クレア、陛下の今日の予定を調べ、わたくしが会えそうな時間を探してくださる?
陛下に相談してからだけれど、お父様に護衛にちょうど良い者がいないか聞いてみましょう。」
やることがたくさんだわ、と楽しげに微笑むエリザベートはさらに悪戯を思いついた子供のように顔を輝かせる。
「うふふ!
セレスティナは本心から嫌がっていたみたいだけど、今のあの子ならば十分に王位が務まると思いませんこと?
わたくし、あの子が王となった姿を是非とも見たいわ!
そうとなれば、王家の血筋の若者との婚約を進めないといけないわね!
近親婚は微妙だけれど……ここ数代はあまり血の濃い婚姻は無かったから大丈夫でしょう。」
満面の笑みを浮かべるエリザベートは水を得た魚のように己の願う未来絵図を現実にするための方法を練っていく。
「うふふふふふ…………。
第一側室への監視も増やさなければなりませんわね。
アレが愚かな一手を差した瞬間に、必ず証拠を抑えなければなりませんわ。
そして、父親である狸爺諸共……!
……それに、セレスティナが王位を継いだ時のアレの顔もしっかりと見たいわねえ。」
「エリザベート様、あまり無茶はなさらないでくださいませ。」
うふふふふ……と、とても楽しくなってきたと笑うエリザベートを諌めるように、クレアは心配と諦めの入り混じった複雑な視線を送るのだった。
※※※※※※※※※※
「……少し疲れてしまいましたわ。」
王妃とのお茶会を終えたセレスティナは自身の部屋へと戻り、緊張した身体を伸ばし、一息ついていた。
(本当に体力が無さ過ぎて悲しくなってしまいますわ。
これは体力を付けるための運動を始めるよりも前に、ストレッチから始めて、少しずつ散歩をしてみましょうか?
生まれ変わる前の感覚で動けば、すぐに倒れちゃうかもしれません。
重々気を付けなければいけませんね。)
自室から多少距離はあるとはいえ、同じ建物の中にある王妃の庭園へ行っただけでも疲労感が漂う己の体の脆弱さにセレスティナはため息をつきたくなる。
「お疲れ様でした〜、セレスティナ様!
少しお疲れみたいですし、侍医を手配致しましょうか?」
そんなセレスティナへとずっと付き添っていたミオンが心配そうに声をかける。
「心配してくれてありがとう。
少し休憩すれば大丈夫ですわ、ミオン。
……それよりも、頼んでいた物の進行状況は如何ですか?」
心配そうな表情を浮かべるミオンを安心させるようにセレスティナは微笑む。
そんなセレスティナの気持ちを察してミオンは満面の笑顔を浮かべる。
「はい!
セレスティナ様の言いつけ通りに作成させておりますが……あの、海藻の灰や油を使ったあれは一体何なのですか〜?」
セレスティナがミオンへと材料と作成手順を説明して作成をお願いしたもの。
「ふふ……あれはね、シャボンの一種よ。」
「へ……?」
微笑むセレスティナの答えにミオンは気の抜けた返事を返してしまう。
「シャボンって……あのシャボンですよね、セレスティナ様?
あのドロドロしてて、獣臭い匂いはするけど汚れは落ちる。」
「そう、そのシャボンよ。」
何か大きな衝撃とともに受け入れやすい商品となる存在を考え続けた時、セレスティナの脳内に浮かんだのは“石鹸”だった。
セレスティナの生まれ変わったこの世界にも既に“シャボン”と呼ばれる液状の石鹸が存在していた。
しかし、シャボンと呼ばれるそれは汚れは確かに落ちるものの、とても獣臭い代物だった。
それは、製造過程の工程で動物の油を使用しているため、どうしても香りが残ってしまうのだ。
臭いを我慢すれば汚れが取れる便利な代物ではあるのだが、その臭いを嫌う者は少なく無かった。
流石に、王侯貴族が使用するものは獣臭さを出来る限り押さえ込もうとしているようだが、それでもセレスティナにとっては十分に匂いはきついと感じてしまう。
「私がミオンにお願いしたものは上手くいけば獣臭さは有りませんし、花の香油を混ぜて香りを良くするつもりなの。」
本当に出来るかは分からないけど……、と苦笑するセレスティナへとミオンはキラキラとした眼差しを向ける。
「でも、本当に花の香りのするシャボンが出来たら貴婦人方が放っておきませんよ〜!
きっとみ〜んな高いお金を払ってでも欲しがると思います〜。」
「そうだと良いのだけど……。」
絶対に売れます〜!、と満面の笑顔を向けてくるミオンへとセレスティナは嬉しそうに微笑む。
(もしも、固形石鹸が成功して出来たら……高位貴族向けに美容成分を含んだ石鹸を作っても良いと思のです。
作り方は前世の趣味の一環で作ってたのでわかりますし、シャボンが元々ありますから受け入れやすいと思います。
あとは、お母様を含む一部の高位貴族のご婦人方に愛用して頂いて広告塔となって頂けるように、もっと工夫を凝らさなければいけませんわ。)
ミオンへと言葉を返しながらセレスティナは、試作品が無事に完成することを祈るのだった。
……そして、その数日後に試作品第一号が完成することとなる。




