悲しいほどに優しい心
「十五歳で試練を受けさせられ、帰らなかったあなたがいたから、主神官としてダニエル様は、ご自分の人生の十八年を、本部から私を守るために使おうと、お決めになったのだと思いますよ。言葉で言うほど、短い時間ではありません」
「私が兄だと、いつお気付きになったのですか?」
真顔で聞く風さんに、誰でも気が付くとは言いにくい。
「お会いしてすぐにでしょうか。そして、この草笛で確信しました。東の神社で、お婆さんが言っていたのです。十五歳の優しい流れ人が草笛を吹いていたと」
「エリザベス様は里の言葉がお分かりになるのですか?」
「ええ。完璧にね」
日本語は前世の母国語ですと、言葉にはできませんが。
「それは、うかつでしたね。私は戻れないと知っていて、海を渡ったのですよ」
「海? お婆さんは渡り人は空間を渡って来ると言っていましたが」
「四区にある始祖の教会から、東の神社へは空間を渡って来ますが、このショウカ国はラベーナにあるのですよ」
「あっ! ここって船も通れない、神の領域?!」
「その通りですよ。この島がある場所には、魔素がありません。ですから、体に魔力が常に流れているものは、ここには近寄れないのです」
ラベーナ神はこの世界を造る時に、ショウカ国も作ったと風さんは言った。
「なぜそんな事を?」
「魔力は何らかの要因で、大気中にとどまると、その濃度が増すらしいのです。そうなると、魔物は巨大化して、災害級の魔物に変化するようです」
ラベーナ神は、それが原因で滅んだ世界を、数多く見てきたらしい。
「人の探究心って、侮れないと思いますよ。このショウカ国を、隠し通せるのでしょうか?」
神の領域に挑んでいる人たちは、いつの時代にもいると聞いている。
「ラベーナ神は隠してはいませんよ。現にこの島国から事故で空間に流れた民が、今の四区の始祖と呼ばれる人たちなのですから」
「え? では四区の魔素が薄いのも? 彼らの中にはこの島を知っている人がいるのでしょうか?」
四区の人たちの肌色と、米文化や低魔力はショウカ国の流れだと聞かされれば、納得ができる。
だとしたらショウカ国の話が、昔話にでも残っていそうだと思ったのである。
「四区の魔素は、事故が原因だと聞いています。記憶については、エリザベス様も経験したでしょう?」
風さんは、苦く笑った。
記憶がなくなり、最悪、命を落とす事はお婆さんに聞かされた。
それが、魔力を持つ者に現れる症状なのだろう。
魔力の器を持っていない者は、魔力の吸収ができないので、生存は難しいと風さんは言った。
四区の先祖たちは、偶然魔力の器ができた生き残りの者で、彼らはこの島の記憶を、子孫に残さなかったようである。
「それで? 大神官候補と獣神官候補が、試練を受ける場がどうして命懸けなんですか? 魔力の高い大切な逸材もいるでしょう?」
風さんは、少し困ったように笑った。
「神や四神獣に正式に選ばれている者は、命を落とす事はありません。私のように陰謀により送られた者を、ラベーナ神は帰さないのです。そして、うぬぼれや悪意で送り神官を利用した者を、神は許しません」
「それを風さんは、知っていたのですか?」
「ええ。私の家は高魔力者を多数、輩出する家系ですからね」
風さんは三兄弟だったようだ。
風さんが十三歳も時、高魔力で主神官をしていた長男が、大神官となったようである。
早くに亡くなった両親に代わって、年の離れた二人の弟を守ってくれる優しい兄だったと、風さんは懐かしむように言った。
「十五歳になった私はある日、幼い時から私と弟の面倒を見てくれていた、大好きな神官とその友人に大切な話があると呼ばれたのです」
大神官になった者の家系に、高魔力者がいる場合、その家系が地位を独占する事を許さない派閥があると、その神官は言ったようだ。
新しい大神官が就任する度に、ていの良い殺人が起こるのだと、風さんは聞かされたらしい。
風さんはその年、学園の入試の魔力測定で、最高の魔力数値を出していたようで、風さんとその弟の命を狙う者の手から、すでにかばえる状況ではないと、神官たちはすまなそうに告げたと言う。。
風さんは、他国に行っている兄を待つ余裕もなく、弟であるダニエル様を連れて、神官たちと逃げたらしい。
しかし、本部から神官に送られてきたのは、学園に入る時の魔力検査の数値と、本部が発行した獣神官候補の、試練決行日通知だったと言う。
「獣神官は四神獣に認められた者と聞いていますが、なぜ本部が?」
「ラベーナ神が大神官にお告げになる事が最優先です。本部にいないはずの兄が発行した、試練決行日の書類でした」
神官たちに、兄弟で初の大神官と獣神官になれば、誰にも手出しはできないから、十二歳の弟を守るためにも、試練に挑めと説き伏せられたようである。
だがすでに、兄から試練の話を聞かされていた風さんは、そこで初めて、祖父の友人でもあったその神官たちが、既に味方ではない事を知ったのだと言う。
試練から逃げても、子供二人の始末には困らないだろうと考えた風さんは、弟を守る事にしたようである。
試練までは、二人の安全は確保されているのだ。
風さんは、二人に見つからないように、兄に真相を書いた手紙を出したが、試練の日がきてしまったようだ。
風さんは送られる日、ようやく二人っきりになれたドナート様に、訳を話してダニエル様を託し、ドナート様はそれを引き受けたと言う。
全てを聞かされていないダニエル様は、風さんが無事に戻ると、疑ってはいなかったようだ。
「待ってください。神の山にいるっていう事は、許しがあったのですよね?」
「ええ。確かに額に赤いアザがでました。ですが……」
それは全てを知った、大神官である長男の悲しみを、神が聞き届けたようだ。
「私はここで聞かれたのです。全てを忘れてこの国の民として生きるか、それとも、全ての思い出を持ったまま、この山と神殿のために尽くすかと……」
生きて帰る選択肢はなかったのだ。
覚悟を決めていたとはいえ、それはどんなにつらい選択だっただろう。
「忘れる方が楽だったでしょう?」
「兄と弟が、あの海の向こうにいるのです。二人の幸せを祈る事が許された身の上に、不服などはありません。こうして、ダニエルの大切なエリザベス様にも、お会いできました」
風さんは私を通して、今のダニエル様を知る事ができたが、ダニエル様にとっては十五歳で死んだ、悲運の兄のままなのだ。
「私は風さんの事を、ダニエル様に言っても良いのでしょうか?」
風さんは、少し寂しそうに笑った。
「諦めていた者が、生きていては、また心が騒ぐでしょう。私の事が傷になっているのでしたら、エリザベス様が元気に戻ってやってください。私の話はダニエルの傷を広げるだけです。それに話す事は、おそらくできないでしょうね」
「どう言う事ですか?」
「このショウカ国での時間は、全て記憶に残らないのだと聞いています。ここから無事に戻る事が試練に合格した、証しなのですよ」
「ここでの思い出を消すなんてひどい。東の神社でも、とても良くしてもらったの。初めて一人で登山もしたのよ。風さんとも知り合えた。それを全部忘れるなんて嫌よ、絶対!」
風さんは、まるでダニエル様のように、困った顔で優しく私をみつめた。
「きっと、おなかがすいているのでしょう」
その言葉を、私は幾度聞いただろうか。
「ダニエル様と同じ事を言うのですね?」
「あの子はおとなしい子でしたが、おなかがすくと、とても悲しい顔をしましたからね。私はオムレツ位しか作れませんでしたが、それでもいつも笑顔になってくれました」
懐かしそうに、風さんはそう言った。
「私にも作ってください。風さんのオムレツ」
「そんな物で良いのでしたら、作って差し上げますよ」
私たちは、庭から神殿の奥に移動した。
風さんは、料理人たちに何かを話した後、手早く料理を始めた。
出来上がったオムレツを食べた私は、涙を堪えたくて、きつく目を閉じた。
ダニエル様のフワトロのオムレツは、私の小さい時からの大好物で、その味は、この優しいお兄さんの味だったのだ。
「どうしました?」
「これと同じオムレツを、食べて育ちました。だからこそ、私には分かる事があるんです。ダニエル様はこのオムレツから感じる、お兄さんの気持ちが大好物だったんですよ」
「そうなのでしょうか。そうでしたら嬉しいですね」
風さんにとって、ダニエル様はたった一人の、守るべき存在だったのだろう。
そんな兄の気持ちを、分からないダニエル様ではない。
四区の教会に向かう部屋は、床だけが石で、壁がないかのようだった。
ただ、その風景が異様に見える大きな要因は、四つの色違いの鳥居だと思う。
ご丁寧にこま犬までいるのである。こま犬とは認めたくないが……。
青い鳥居にはカメとトラ。赤い鳥居にはトリとライオン。黒の鳥居にはヘビとゾウ。白い鳥居にはキツネとオオカミである。悪ふざけだろうか。
「それでは、エリザベス様。お好きな鳥居からお戻り下さい。ちなみにどの鳥居を選ばれても、安全に戻る事ができます」
風さんは、本気で言っているのだろうか。
しばらく風さんを見ていたら、そっと微妙な表情をして笑った
「それなら、四つも鳥居はいらないですよね? どう見ても、鳥居は大陸の色のようですが」
「ラベーナ神からのお祝いが違うのだと聞いております。私には戻った経験がありませんので、分かりかねます」
風さんはズルイ……。
鳥居の前のこま犬が違っているが、その祝いが何かが分からなければ、選びようがない。
そう言えば、ルベの会話が途切れた最後の言葉が“オオ”だった気がする。
私はオオカミとキツネのこま犬がある、白い鳥居を指差した。
「あの白い鳥居にします」
私はそれから、振り向いて風さんに抱き付いた。
「風さんを忘れたくない。ダニエル様も私も、風さんが大好きよ」
「良い獣神官になってください。あなたにお会いできて良かった」
「私のためにあの曲をお願いしても良いですか?」
「ええ。喜んで」
私は風さんから目を離さずに、後ろ向きに歩いた。
草笛に歌詞はない。
美しい旋律を、少し高い声で草笛がうたっている。
悲しいほどに優しい風さんの心が、いつか優しさに包まれますように……。




