迎えに行こう
「ダニエル様を、教会で待っていれば、良いのでしょうか?」
「この町の教会には、きっと行かないだろうな」
この町にくる事以外、私は何も聞かされていなかった。
急に、ダニエル様が離れたのは、ルベと私を守るためだと理解はしている。
「そう言えば、宿に泊まると聞いていた気がします。馬と馬車を替えるのが目的で、この町に寄るつもりでした」
「盗賊を捕まえたからな。この町の神官や領主が、ダニエル様を放ってはおかないだろうなあ」
そうだろうと私も思うが、ダニエル様はその手の事が苦手なのである。
きっと、逃げ出すだろうと思うと、思わず小さく笑ってしまった。
「しばらく、会えないのでしょうか?」
「それはないと思うが、今夜は無理だろうな。上等ではないが、安心できる場所がある。そこで待つとするか」
上等ではないが安心できる場所と聞いて、ふと思い出して尋ねた。
「そこって、酒場ですか? 店の前の木箱に、馬の好きなおじいさんが座っているでしょうか? 酒場の二階が泊まれるようになっていて、店主が客を選ぶ宿ですか?」
「ジル……。ベスをなんて所に連れて行ったんだ、あいつは」
ハーゲンは片手で額を押さえて、首を振った。
「二軒ともご飯がおいしかったですよ?」
「二軒だと?! 飯の問題ではない。女や子供が行く場所ではないだろうが」
私は女で子供だが、どちらかというと快適な場所だったのだが。
ルベとおいしいご飯が食べられて、眠る事ができれば十分なのだ。
それに風呂などあれば上等の宿だと思う。
私は宿に、それ以上を望んではいない。
スプーンとフォークの看板がある店の前で、馬車は止まった。
「おう、ここだ」
ハーゲンは馬車から私を降ろすと、その店の扉を開けた。
古いが、手入れの行き届いた店内に、テーブルが八席。カウンターにも椅子があった。
大きな窓から差し込む光の向こうには、庭があるようだ。
「いらっしゃいませ」
その声がする方に顔を向けて、ハーゲンは表情をわずかに緩めた。
「アン、元気そうだな」
アンと呼ばれた女性は、二十代の前半だろうか、濃い肌の色に明るい茶色の髪と目がとても映えている。
「あら? お子様連れとは珍しい。少しお待ちくださいね。父を呼んできます」
「ハーゲン。その様子だと人数は増えそうだな」
先程の女性の両親だと、一目で分かる男女が、笑顔を浮かべて奥から現れた。
「ああ、ダニエル様をここで待たせてほしい」
「まあ。随分お会いしていませんが、寄ってくださるのかしら」
ハーゲンの言葉に夫人らしい女性が、小さく笑った。
「この子を預かっているから、顔は見せると思うがな」
「それなら、広い方の部屋を使うと良い。飯はどっちにする?」
ハーゲンは私の顔を見た。
「悪いが飯は部屋で頼む。俺は馬屋に行ってくる。馬車を店の前に止めたままだ。ベス、夕食までには戻るから、ゆっくりしていろ」
店は表通りから少し入った、裏通りにあり、確かに道幅は狭い。
急いで店をでるハーゲンを見送ったあと、アンさんが言った。
「母さん、私がこの子を部屋に案内するわ」
「そうね。頼むわ」
私は紹介すらされていないと気が付いて、少し慌てた。
「ベスと申します。お世話になります」
「アンよ。さあ、行きましょう」
「はい」
入り口の横にある扉を開くと、階段があった。
アンさんは階段室に入ると、扉を閉めた。
「うちは宿屋じゃないから、二階に客は来ないのよ。安心していいわ」
「え? でもお客様がいました」
「うちは食堂だから、客がこなければ困るのよ」
「そうですよね。表の看板は確かに宿ではありませんでした」
「昔は祖父母が住んでいた部屋なのよ。今は私たちと裏の家で暮らしているの。階段はもう危ないから」
店と住居を分けるための扉だったと知って、少し肩の力が抜けた。
秘密の隠れ家を想像して、少し楽しくなっていたのは内緒にしておこう。
さほど長くはない廊下の、左右と正面に部屋の扉があった。
「ここよ。鍵はテーブルの上にあるわ」
「鍵ですか?」
祖父母が暮らしていたと聞いたばかりなので、私は首をかしげた。
「母さんはこの店の一人娘だったの。父さんは王都の店で働いていたから、友人が遊びにくるのよ。それで何組か泊まれるように鍵を付けたの」
笑顔を向けられて、うなずいた。
ここならばダニエル様も、人目を気にしなくて済むだろうと思った。
空気を入れ替えるかのように、窓を開けたアンさんが身を乗り出した。
「あら? 明日から市場が開かれるようね」
「市場ですか?」
私もアンさんの横で、窓から顔を出した。
馬車で来た道の先にあるのは、広場のようで、人々が忙しそうに働いていた。
「盗賊が市場を荒らして、警備が追い付かなかったのよ。おまけに店の人や客がけがをして、人足が激減したの。それで皆、店を片付けてしまったのよ」
市場はにぎわっていたのだろう。アンさんが寂しそうに言った。
「盗賊は人数が多かったようですから、食料が不足していたのでしょうか。村でも作って自分たちで作物を育てれば良かったのに」
アンさんは楽しそうに声をだして笑うと、私を見た。
「それは良いわね。彼らが生まれ変わったら、そうするように言ってくれる人が、そばにいるように祈ってあげましょう」
「はい、そうですね」
私はそんな事を言える立場ではない。
人の命を奪っておいて、生まれ変わった後の幸せを祈るなど、おこがましいにも程がある。
『ベス、落ち着け! 大丈夫だ。ゆっくり息を吐け』
私は呼吸を整えた。
『ごめんなさい。大丈夫』
ルベとの会話が聞こえていないアンさんは、少し黙った私を気遣うように、優しい笑顔を向けた。
「あら、ごめんなさい。旅で疲れているでしょう。ゆっくりしていてね」
「いいえ、お話ができて楽しかった。ありがとうございます」
「私もよ。また後でね」
アンさんはそう言うと、部屋をでて行った。
ルベがカバンから獣の姿になって、テーブルに果実水の容器を置いた。
『飲むだろう?』
「うん。ありがとう」
『明日は市場があるのなら、ハーゲンと見に行くといい。部屋にこもっていては、退屈だろう。欲しい物があれば買うと良い。金は我から取り出せ』
ルベがいるから一人でも良いのだろうが、私に何かがあると、守ろうと獣になったルベが人目に付いてしまう。
私のせいではないが、二度もさらわれた身では、情けない事に説得力はない。
「うん。市場って何を売っているの?」
『ほとんど食い物だな。王都より安くて、新鮮な物が並ぶ。ダニエルはどうせ顔が知られているから、今回は買い物もできぬだろう』
「足りない食材とか、私には分からないよ。ルベは?」
『王都までなら、十分足りているだろう。ベスが食いたい物を買うといい。菓子も売っているからな』
「お菓子、おいしそうな物があるといいなあ」
果実や木の実が好きな私は、おいしいが焼き菓子と飴は、毎日食べたいとは思わない。
だが、おいしそうな物と出会えるのは楽しみだと思った。
ハーゲンが戻ってきて、夕食になった。
ラバーブ国は、ヨーグルトの種類も多く、それを使った料理も多い、
何にでもトマトを使うので、料理の種類はあるが、味はどれもどこか似ている感じがする。
まずくはないが、トマト料理はルベの口の周りを考えると、不安になる。
ルベの口元の毛が変色するのではないかと、そればかりを心配していた。
「情報では、王宮から魔法師団が駆け付けるらしい。そうすればダニエル様も解放されるので、うまく逃げ出せると思う」
「この町に戻るには、まだ一週間くらい掛かりますか?」
「早くてその位だろう」
「この町を通り過ぎて、王都に向かっているのに、私を迎えにくるのは時間が無駄ですよね。こちらからダニエル様を迎えに行って、そのまま王都に向かえば、ダニエル様が面倒な思いをしなくても、良くなりませんか?」
「ベスをこの町に連れてくるように言われたのだが。ルベウス様もご一緒ならば、その方法も良いかもしれない」
『それは良いな。ダニエルも楽だろう』
『そうハーゲンに言ってもいい?』
『そうしてくれ』
私はルベの言葉を、そのままハーゲンに伝えた。
「そうか。俺はここから仲間と、王都に戻るつもりだったんだ。ダニエル様の部下の一人だが、人がふえても構わないか?」
「ルベをご存じの方なら、私はかまいません」
ハーゲンが部屋を出て、すぐに扉をたたく小さな音と、話し声が聞こえた。
どうやら彼は隣の部屋で、ハーゲンを待っていたようである。
「ルベウス様、ご無沙汰しております。エリザベス様初めまして、ディランと申します」
金色の髪と青い目の彼は、赤の大陸の人ではないのか、白い肌をしていた。
『ディランは、剣が強い。魔法は全然使えんがな』
「お世話になります。ベスとお呼びください、ディラン様」
「様は勘弁してください。どうかディランと」
「では、ディラン。よろしくお願いします」
「ベス、王都までの飯の心配はしなくていいぞ。ディランの飯はうまいからな」
「そうなの?! ルベはお肉が好きです」
ハーゲンの言葉を聞いて、私はそう伝えたのだが、何がおかしいのだろう。
二人は大笑いをしている。
ディランは私の顔をのぞき込んで、優しく聞いた。
「では、肉を焼きましょう。それでベスは、どんな料理が好きかな?」
「何でも食べます。好き嫌いはしません。すごくからい食べ物は少し苦手」
振り向いてディランは、ハーゲンに言った。
「明日は市場に寄ってからだな」
「ああ、俺はその間に馬車を用意しよう」
次の日の朝。
私はルベのカバンを持って、ディランと市場を歩いていた。
知らない野菜や果実、木の実や香辛料を聞きながら、歩くのは楽しい。
お菓子の新しい発見は、真っ黒なクレープだった。
「それは、赤の大陸に育つ実で作っているんだ」
ディランはそれを買うと、私に食べてみろと手渡した。
「すごく香ばしい! おいしい」
「見た目は良くないが、パンもうまいぞ。焼きたてをパン屋で買って行こう」
「はい。楽しみです」
ルベが肉や野菜を持っているので、足りない物だけを買い、私たちはパン屋に寄っていた。
黒いパンをルベの言いなりに買ったが、多すぎると思う。
広場の外で待っているハーゲンと合流して、私たちは町を後にした。
人数が増えたので、久しぶりの幌馬車である。
幌を半分上げると、こもっていた空気が散っていった。
ディランが毛布をたたんで、私の座る場所を作ってくれた。
「ありがとうございます」
私の膝の上で、ルベは丸くなって目を閉じた。