困った時の無表情
エリー母さんはとても働き者だった。
この世界には電気がなく、家事の全てに手間がかかる。
朝早くから、朝食の準備をして、手洗いで洗濯から掃除までをこなし、昼が終われば教会の仕事を手伝う。
ありがたい事に、仕事をしながら、私の面倒まで見てくれる。
ベッドに寝かされているより、私はおぶられている方が好きだ。
母さんの体温と、優しい匂いは心地がいい。
そして何より、母さんは楽しそうに、話までしてくれるのである。
夕食が終わると薄暗いランプの下で、縫い物をする。
セルジオとエリーは、とても仲が良い夫婦だと思う。
エリーは縫い物をしながら、セルジオは木で何かを彫りながら、二人は毎晩のように会話を楽しむ。
酒は食事の時に、口にするだけだった。
日本の遠島家は、居間にあるテレビが、家族に話題を提供していたのだと思う。
大きくなると、親の意にそぐわないであろう会話は、しなくなるものだから。
まだ、日本の家を時々思い出すのは仕方がない。
戻る事はできないだろうし、戻ったところで父を信頼する事は、おそらく不可能だろう、忘れなければいけない。
もちろん、母と兄が心配ではあるが、この世界の私には何もできない。
今できることは、薄情だとは思うが、考える事を諦めるだけである。
「エリーはいつも話し掛けているが、ベスはまだ話せないだろう?」
セルジオが私の名前を口にしたので、思わず耳をそばだてた。
「リーザに聞いたんだよ。たくさん話し掛けた子供は、話し始めるのが、早いんだってよ。それで頭の回転もいいらしいよ。ベスは血筋がいいからね。私らと違って賢いに決まってるよ。顔立ちだって村で一番かわいいじゃないか」
「確かにかわいいが、人様には言うなよ。お前のガキは不細工だと、言ってるようなものだからな」
「ああ、本当だ。危なく言ってしまうところだったよ」
二人は完全に親馬鹿だと思うが、そう言えば鏡を見ていない。
赤ん坊の顔に興味はなかったが、何ヶ月目から子供の顔になるのだろう?
「リーザは五人も育てているんだ。いろいろと教えてくれるだろうな。だが、あの家の賢い子って誰だ?」
「そういやぁ。教室の後ろで立たされているのは、いつもリーザの子だねぇ。ああ、四番目の子かもしれないよ。ボタンがずれていないもの」
その程度で喜んでくれるなら、私は毎日のように親孝行ができるが、果たしてそれで良いのかは疑問である。
「……。ベスが話せるようになったら、一層かわいいだろうなぁ。その前に立って歩くかなぁ。子供ってこんなにかわいいものなんだな」
「ベスは特別だよ。人見知りもないし、夜泣きもしないだろう? リーザなんか、ベスがどこか悪いんじゃないかって言うんだよ」
「神官様がいらした時に、一応聞いてみるか」
「そうだね」
前世はどちらかと言えば、人見知りだったと思う。
ただ、来客を見て泣く事は、気の毒でできない。
毎日、あれほど一生懸命働いている二人なのだ、夜まで起こせる訳がない。
夜は夜で、私も忙しいのである。
筋力を付けたり、柔軟性を維持したり、やるべき事は多い。
エリー母さんの背中で、それはできないのだから。
そろそろハイハイをしたいのだが、どこでしたら良いのだろうと考えた。
この教会には絨毯の敷いてある部屋がないのだ。
日本人だった頃、洋画の一場面でヒールの母親と革靴の父親の横を、赤ん坊がハイハイしている姿が、妙に気になった記憶がある。
とはいえ、そろそろベッドでのハイハイも飽きてきたので、取りあえず敷物の上で、私に日光浴をさせている二人の前で、ハイハイを披露した。
二人が大げさに喜んでくれたので、そのまま椅子まで行って、つかまり立ちまでやってみた。
あぜんとしている二人を見て、やり過ぎたかと思ったが、その後は例のごとく、親馬鹿全開で喜んでくれた。
喜んでくれたのは嬉しいけれど、セルジオ父さん、たかいたかいが怖いです。
こんな事を喜ぶ子供がいるとは、信じられない。
百八十センチは優に超えているであろう人が、手を伸ばしているのだ。その高さから落ちれば、大人でも負傷は免れないと思う。
泣いたらセルジオ父さんが傷つくかもしれないと、何とか我慢をしたが、きっと顔はひきつっていたに違いない。
赤ん坊もいろいろと気を使って大変なのである。
もうじき、一歳になろうとしていた。
私は七カ月で歩き始めた。
五人の子供がいるリーザは、脚が曲がると渋い顔をしたが、ハイハイが嫌だったのだから、仕方がない。
教会は人の出入りも多く、両親は忙しい。
好きな時に手洗いができない、赤ん坊の身で、ハイハイは不衛生である。
おまけに、椅子の文化では、欲しい物は絶対に、床に転がってはいない。
エリー母さんのお陰で、話もできるようになった。
片言でも、話せる事がこんなに嬉しい事だとは、思わなかった。
二人は時間があると、散歩に連れ出してくれる。
公園デビューならぬ村デビューだが、村の様子を知る、良い機会である。
この村はとても高い塀に囲まれていた。
出入り口には村の人とは明らかに違う、国から派遣されている警備兵がいる。
それはまるで、囚人を監視しているかのようだった。
この村に感じるこの違和感はなんだろう。
ただきっと、この村と呼ぶには小さすぎるコミュニティは、なにかがある事だけは理解した。
この世界の子供は一歳まで生きると、祝福されるらしい。昔、乳児の死亡率が高かった名残のようだ。
次は五歳でその次は十歳だと、二人が話していた。
ただ、十歳頃に魔力が安定するようで、魔力が測定される。高魔力者は国に登録されるようである。
十歳までの子供が魔法を使用する事は、許されてはいない。
事故にでもなれば保育者が、処罰の対象となる。
私はいつもの木綿の服を脱がされて、クリーム色のワンピースを着せられた。
この服はシルクで、エリーが持っている唯一のドレスだと話してくれた。
彼女は少しもためらう事なくそれをほどき、そして染めた。
エリーが私のために仕立ててくれた晴れ着だった。
「あんた、見てよ。貴族様の子にだって負けやしないよ」
「ベス。今日は村長の孫も誕生日だ。一緒に祝ってくれるらしいぜ。良かったな」
本当は家で、三人で過ごしたいとは、この服のためにも言えなかった。
「あい。かあたん、ふきゅありまと」
(はい。母さん、服をありがとう)
「ベス、似合っているよ。さぁ。私の娘をお披露目しようか」
「皆、知っているけどな。自慢の娘だ、減らない程度に見せびらかすかぁ」
村長の家は、他の家より少し大きいが、冠婚葬祭の場所であり、病院と学校を兼ねている教会が、村では一番大きい。
井戸も風呂も共同でないのは、教会と村長の家だけである。
村長の家に、集落の婦人たちが集まって料理をしたようで、若干茶色系統ではあるが、ご馳走が並び、男たちは酒を待っているようだった。
村長の孫であり、兄でもある彼の名前はウィリー。父親に抱かれてはいるが、茶色の髪と緑の目は母親譲りで、顔立ちは優しげである。
村長の挨拶の後で、実父が、ウィリーを抱いたまま、やってきた。
「ベス。また一段とかわいらしくなったね。ウィリーと小さな席を用意したんだ。さぁ、おいで」
「あい」
私は自分で歩いて、その後ろを付いて行った。
用意されていたのは、ラグが敷かれた場所で、トレーに手づかみで食べられる食事が並んでいた。
二人の父親たちは、酒の席に向かい。二人の母親が残った。
入れ代わり立ち代わり挨拶が続く。兄は大人が話し掛けると涙目になる。
私は「あい、ありまと」を何度言っただろうか。
トレーの食べ物を、両手でぐちゃぐちゃにする兄を見て、ああ、これが本来の赤ん坊の姿なのだと、しばらく観察していた。
エリー母さんが、見かねて大人の席から、クッキーを持ってきてくれた。
私は大切な服が汚れるのは嫌なので、玄関ホールに向かった。
数枚の絵画が飾られていたのを、来てすぐに見つけていたのだ。
芸術はどこの世界でも、共通するものがあるようで、初めて目にするその絵画に懐かしさを覚えた。
「ほう。絵は好きか?」
そう話し掛けてきたのは、村長だった。
「あい」
実父と同じ黒い髪ではあったが、その茶色の目には、老人とは思えない程の力があった。
「私の部屋に見せたい絵がある。見るかね?」
断りたいが、本当は祖父なのだから、ここは付き合うのが孫だと思った。
村長は私を抱き上げて、部屋に入った。
自室なのだろうか、この世界にきて初めて、座り心地の良いソファーに座った。
窓のカーテンは開いていたが、壁には深い色のカーテンがかけられている。
村長がそのカーテンを開けると、そこに一人の少女の肖像画があった。
私は表情を読まれないように、息を飲んだ。
その少女は間違いなく、火あぶりにされていた人だったのである。
黒い髪と、黒い瞳。真っ白な肌に唇だけが紅い。
夏場なのだろうか、白いドレスが似合う、典型的な美人だった。
「気に入ったかな? 彼女はミッシェル。彼女には双子の姉がいた。それが私の母親だったのだよ」
そう言って、村長はもう一度カーテンを引いた。
その肖像画の少女は、亜麻色の髪に茶色の目をしていた。
話の流れからすると、可愛らしいこの女性が村長の母親なのだろうが、二人は少しも似てはいなかった。
「私の母親だ。さぁ、ベス。聞かせてくれないか。お前はチキュウ人の記憶があるのだろう?」
チキュウ人とは地球人の事だろうか。
チキュウという言葉に驚いたが、それを気付かせる訳にはいかない。
一歳児は返事をしなくても、きっと、失礼にはならないだろう。
私は無表情という表情を作って、黙って村長を見つめた。
この世界の事も、この奇妙な村も私は何一つ理解をしていない。
村長であり、祖父であるというだけで、彼を信じて良いとも思えない。
「なかなか、賢い子だな。そうだよ、うかつにそれを言ってはいけない。ミッシェルの秘密を知っているのは、ほんの一部の人間だけだからね。もう少し成長してから、話そうと思っていたが、ベスの成長が驚く程早いのでね。この話はもう少し話ができる年になってから、ゆっくりとする事にしよう」
私はうなずきもせずに、黙って聞いていた。
転生者だと疑ってはいないのだろ。
さもなければ、一歳児を相手に語る、中二病の爺さんという事になる。
その時、扉の外で声がした。
「父さん。ベスと一緒でしょうか?」
「アリーゴか。ベスならここにおる」
扉を開けて実父の顔が見えた時には、ほっと胸をなで下ろした。
「連れてくるなら、言ってください。姿が見えなくなったから、エリーが心配していましたよ」
「そうか。孫との時間も自由にならんとは、不便なものだ」
「教会で週に三日も、会えるでしょう? アニータの方がつらいんですからね」
そう言うと、実父は私をエリー母さんのところに連れて行ってくれた。
私は、エリー母さんの胸に抱かれた途端、まぶたが重くなり起きている事が不可能になった。




