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奇妙なカバンが守ると言ったから  作者: 天色白磁
第一章 青の大陸
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困った時の無表情

 エリー母さんはとても働き者だった。

 この世界には電気がなく、家事の全てに手間がかかる。

 朝早くから、朝食の準備をして、手洗いで洗濯から掃除までをこなし、昼が終われば教会の仕事を手伝う。

 ありがたい事に、仕事をしながら、私の面倒まで見てくれる。


 ベッドに寝かされているより、私はおぶられている方が好きだ。

 母さんの体温と、優しい匂いは心地がいい。

 そして何より、母さんは楽しそうに、話までしてくれるのである。

 夕食が終わると薄暗いランプの下で、縫い物をする。


 セルジオとエリーは、とても仲が良い夫婦だと思う。

 エリーは縫い物をしながら、セルジオは木で何かを彫りながら、二人は毎晩のように会話を楽しむ。

 酒は食事の時に、口にするだけだった。


 日本の遠島家は、居間にあるテレビが、家族に話題を提供していたのだと思う。

 大きくなると、親の意にそぐわないであろう会話は、しなくなるものだから。


 まだ、日本の家を時々思い出すのは仕方がない。

 戻る事はできないだろうし、戻ったところで父を信頼する事は、おそらく不可能だろう、忘れなければいけない。

 もちろん、母と兄が心配ではあるが、この世界の私には何もできない。

 今できることは、薄情だとは思うが、考える事を諦めるだけである。



「エリーはいつも話し掛けているが、ベスはまだ話せないだろう?」

 セルジオが私の名前を口にしたので、思わず耳をそばだてた。


「リーザに聞いたんだよ。たくさん話し掛けた子供は、話し始めるのが、早いんだってよ。それで頭の回転もいいらしいよ。ベスは血筋がいいからね。私らと違って賢いに決まってるよ。顔立ちだって村で一番かわいいじゃないか」


「確かにかわいいが、人様には言うなよ。お前のガキは不細工だと、言ってるようなものだからな」

「ああ、本当だ。危なく言ってしまうところだったよ」


 二人は完全に親馬鹿だと思うが、そう言えば鏡を見ていない。

 赤ん坊の顔に興味はなかったが、何ヶ月目から子供の顔になるのだろう?


「リーザは五人も育てているんだ。いろいろと教えてくれるだろうな。だが、あの家の賢い子って誰だ?」

「そういやぁ。教室の後ろで立たされているのは、いつもリーザの子だねぇ。ああ、四番目の子かもしれないよ。ボタンがずれていないもの」


 その程度で喜んでくれるなら、私は毎日のように親孝行ができるが、果たしてそれで良いのかは疑問である。


「……。ベスが話せるようになったら、一層かわいいだろうなぁ。その前に立って歩くかなぁ。子供ってこんなにかわいいものなんだな」

「ベスは特別だよ。人見知りもないし、夜泣きもしないだろう? リーザなんか、ベスがどこか悪いんじゃないかって言うんだよ」


「神官様がいらした時に、一応聞いてみるか」

「そうだね」


 前世はどちらかと言えば、人見知りだったと思う。

 ただ、来客を見て泣く事は、気の毒でできない。

 毎日、あれほど一生懸命働いている二人なのだ、夜まで起こせる訳がない。


 夜は夜で、私も忙しいのである。

 筋力を付けたり、柔軟性を維持したり、やるべき事は多い。

 エリー母さんの背中で、それはできないのだから。


 そろそろハイハイをしたいのだが、どこでしたら良いのだろうと考えた。

 この教会には(じゆう)(たん)の敷いてある部屋がないのだ。

 日本人だった頃、洋画の一場面でヒールの母親と革靴の父親の横を、赤ん坊がハイハイしている姿が、妙に気になった記憶がある。


 とはいえ、そろそろベッドでのハイハイも飽きてきたので、取りあえず敷物の上で、私に日光浴をさせている二人の前で、ハイハイを披露した。

 二人が大げさに喜んでくれたので、そのまま椅子まで行って、つかまり立ちまでやってみた。


 あぜんとしている二人を見て、やり過ぎたかと思ったが、その後は例のごとく、親馬鹿全開で喜んでくれた。

 喜んでくれたのは嬉しいけれど、セルジオ父さん、たかいたかいが怖いです。

 こんな事を喜ぶ子供がいるとは、信じられない。


 百八十センチは優に超えているであろう人が、手を伸ばしているのだ。その高さから落ちれば、大人でも負傷は免れないと思う。

 泣いたらセルジオ父さんが傷つくかもしれないと、何とか我慢をしたが、きっと顔はひきつっていたに違いない。

 赤ん坊もいろいろと気を使って大変なのである。




 もうじき、一歳になろうとしていた。

 私は七カ月で歩き始めた。

 五人の子供がいるリーザは、脚が曲がると渋い顔をしたが、ハイハイが嫌だったのだから、仕方がない。


 教会は人の出入りも多く、両親は忙しい。

 好きな時に手洗いができない、赤ん坊の身で、ハイハイは不衛生である。

 おまけに、椅子の文化では、欲しい物は絶対に、床に転がってはいない。


 エリー母さんのお陰で、話もできるようになった。

 片言でも、話せる事がこんなに嬉しい事だとは、思わなかった。

 二人は時間があると、散歩に連れ出してくれる。

 公園デビューならぬ村デビューだが、村の様子を知る、良い機会である。


 この村はとても高い塀に囲まれていた。

 出入り口には村の人とは明らかに違う、国から派遣されている警備兵がいる。

 それはまるで、囚人を監視しているかのようだった。

 この村に感じるこの違和感はなんだろう。

 ただきっと、この村と呼ぶには小さすぎるコミュニティは、なにかがある事だけは理解した。




 この世界の子供は一歳まで生きると、祝福されるらしい。昔、乳児の死亡率が高かった名残のようだ。

 次は五歳でその次は十歳だと、二人が話していた。


 ただ、十歳頃に魔力が安定するようで、魔力が測定される。高魔力者は国に登録されるようである。

 十歳までの子供が魔法を使用する事は、許されてはいない。

 事故にでもなれば保育者が、処罰の対象となる。


 私はいつもの木綿の服を脱がされて、クリーム色のワンピースを着せられた。

 この服はシルクで、エリーが持っている唯一のドレスだと話してくれた。

 彼女は少しもためらう事なくそれをほどき、そして染めた。

 エリーが私のために仕立ててくれた晴れ着だった。


「あんた、見てよ。貴族様の子にだって負けやしないよ」

「ベス。今日は村長の孫も誕生日だ。一緒に祝ってくれるらしいぜ。良かったな」

 本当は家で、三人で過ごしたいとは、この服のためにも言えなかった。


「あい。かあたん、ふきゅありまと」

(はい。母さん、服をありがとう)

「ベス、似合っているよ。さぁ。私の娘をお披露目しようか」

「皆、知っているけどな。自慢の娘だ、減らない程度に見せびらかすかぁ」



 村長の家は、他の家より少し大きいが、冠婚葬祭の場所であり、病院と学校を兼ねている教会が、村では一番大きい。

 井戸も風呂も共同でないのは、教会と村長の家だけである。


 村長の家に、集落の婦人たちが集まって料理をしたようで、若干茶色系統ではあるが、ご馳走が並び、男たちは酒を待っているようだった。

 村長の孫であり、兄でもある彼の名前はウィリー。父親に抱かれてはいるが、茶色の髪と緑の目は母親譲りで、顔立ちは優しげである。


 村長の挨拶の後で、実父が、ウィリーを抱いたまま、やってきた。

「ベス。また一段とかわいらしくなったね。ウィリーと小さな席を用意したんだ。さぁ、おいで」

「あい」


 私は自分で歩いて、その後ろを付いて行った。

 用意されていたのは、ラグが敷かれた場所で、トレーに手づかみで食べられる食事が並んでいた。



 二人の父親たちは、酒の席に向かい。二人の母親が残った。

 入れ代わり立ち代わり挨拶が続く。兄は大人が話し掛けると涙目になる。

 私は「あい、ありまと」を何度言っただろうか。


 トレーの食べ物を、両手でぐちゃぐちゃにする兄を見て、ああ、これが本来の赤ん坊の姿なのだと、しばらく観察していた。

 エリー母さんが、見かねて大人の席から、クッキーを持ってきてくれた。


 私は大切な服が汚れるのは嫌なので、玄関ホールに向かった。

 数枚の絵画が飾られていたのを、来てすぐに見つけていたのだ。

 芸術はどこの世界でも、共通するものがあるようで、初めて目にするその絵画に懐かしさを覚えた。


「ほう。絵は好きか?」

 そう話し掛けてきたのは、村長だった。

「あい」


 実父と同じ黒い髪ではあったが、その茶色の目には、老人とは思えない程の力があった。

「私の部屋に見せたい絵がある。見るかね?」

 断りたいが、本当は祖父なのだから、ここは付き合うのが孫だと思った。


 村長は私を抱き上げて、部屋に入った。

 自室なのだろうか、この世界にきて初めて、座り心地の良いソファーに座った。

 窓のカーテンは開いていたが、壁には深い色のカーテンがかけられている。

 村長がそのカーテンを開けると、そこに一人の少女の肖像画があった。


 私は表情を読まれないように、息を飲んだ。

 その少女は間違いなく、火あぶりにされていた人だったのである。

 黒い髪と、黒い瞳。真っ白な肌に唇だけが紅い。

 夏場なのだろうか、白いドレスが似合う、典型的な美人だった。


「気に入ったかな? 彼女はミッシェル。彼女には双子の姉がいた。それが私の母親だったのだよ」

 そう言って、村長はもう一度カーテンを引いた。


 その肖像画の少女は、亜麻色の髪に茶色の目をしていた。

 話の流れからすると、可愛らしいこの女性が村長の母親なのだろうが、二人は少しも似てはいなかった。


「私の母親だ。さぁ、ベス。聞かせてくれないか。お前はチキュウ人の記憶があるのだろう?」

 チキュウ人とは地球人の事だろうか。

 チキュウという言葉に驚いたが、それを気付かせる訳にはいかない。

 一歳児は返事をしなくても、きっと、失礼にはならないだろう。


 私は無表情という表情を作って、黙って村長を見つめた。

 この世界の事も、この奇妙な村も私は何一つ理解をしていない。

 村長であり、祖父であるというだけで、彼を信じて良いとも思えない。



「なかなか、賢い子だな。そうだよ、うかつにそれを言ってはいけない。ミッシェルの秘密を知っているのは、ほんの一部の人間だけだからね。もう少し成長してから、話そうと思っていたが、ベスの成長が驚く程早いのでね。この話はもう少し話ができる年になってから、ゆっくりとする事にしよう」


 私はうなずきもせずに、黙って聞いていた。

 転生者だと疑ってはいないのだろ。

 さもなければ、一歳児を相手に語る、中二病の爺さんという事になる。


 その時、扉の外で声がした。

「父さん。ベスと一緒でしょうか?」

「アリーゴか。ベスならここにおる」

 扉を開けて実父の顔が見えた時には、ほっと胸をなで下ろした。


「連れてくるなら、言ってください。姿が見えなくなったから、エリーが心配していましたよ」

「そうか。孫との時間も自由にならんとは、不便なものだ」


「教会で週に三日も、会えるでしょう? アニータの方がつらいんですからね」

 そう言うと、実父は私をエリー母さんのところに連れて行ってくれた。

 私は、エリー母さんの胸に抱かれた途端、まぶたが重くなり起きている事が不可能になった。








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