やまねとわたしのもちゃもちゃ
「だから、私はハチになりたい」
と山根がほざいた。
妙な事を言うのはいつもの事だったので、しばらく聞き流す事にした結果の〆の言葉だった。
「どうした山根。このクレープ不味かった?」
山根が妙な事を言い出す時は、大抵たいした事が原因ではない。山根と私が友人付き合いを始めて、二年。
出会った時は――ああ、あの時もバカみたいに蒸し暑い梅雨の日だった。確かコオロギになりたいとか言っていたから、進歩していない。校門前で座り込んでリンリン鳴いてたから、思わず話しかけたのだ。お前、頭大丈夫?って。
それに比べたら私は進歩している。
それはそうと、今日もバカみたいに蒸し暑い梅雨の日だ。校門で、山根の元気がさっぱりないもんだから、私はクレープを食おうと、ヤツを誘ったのだ。
私のおごりだといったら、ひょこひょこついて来た。
大体この辺りのやり取りも阿吽の呼吸。
山根は薄く化粧をした顔を少々顰めて、蜂蜜がべっとりとかかったクレープを一口パクついた。
「私ね、人よりミツバチの方が"賢い"と思うんだ」
「そうかい、そうかい。そんなに賢いなら、何でミツバチは人間サマに飼われて蜂蜜を搾取されてんのかね、と」
山根の小さな手に持たれたクレープに、私はかぶりつく。蜂蜜が垂れ下がるほどにぶっ掛けられたクレープは、キラリと金色。眉をひそめて嫌そうな顔。
けど、嫌だとは言わせない。今日は私がおごったから。
多少行儀が悪くても、山根に文句は言わせない。
「別にミツバチじゃなくてもいいや。スズメバチでも、クロアリでも、なんなら、シロアリでもいいや」
クレープにトッピングとして振りかけられていた胡麻を見ながら、山根はぶーたれる。本当にどうでもいいことだが、ゴマを見て蟻とか言うから、私の食欲は半減だ。
この辺りで、山根の言いたい事も大体理解。
「今日は、社会性昆虫か」
「社会性昆虫よ。明日から」
ふぅん、と思う。山根のルージュの唇が、蜂蜜でてらてら光っていた。
「人間って本質的には分かり合えないじゃない」
「それで?」
「私は、彼らの、本能で自動的に群れを作って居る所にあこがれるんだ」
「そりゃー……まぁ、本能ちゃ、本能だね」
「きっとそれって、人間よりよっぽど高等だと思うのよ」
「ふむ」
確かに、人間は自動的に群れない。山根や私みたいに意識して群れようとしない限り、一人だ。
「でも、蜂のコミュニケーションはそんなに高等かな。私にゃそんなにたいした事やってるようには見えないけれど」
とりあえずジャブ。言葉のジャブ。
山根に主導権を握られても、どうと言う事はないけれど、なんとなく山根のドヤ顔が私は気に食わなかった。
「コミュニケーションだって、触れ合うのと、匂いでのやり取りですむんだよ?」
こいつ、意図的に論点をずらしやがった。
まぁ、いいや。私はドヤ顔を続ける山根をみながら、『喋らなくても意思が通じるなんて凄いじゃない』とかなんとか、きっと山根はそう続けたいんじゃないか、と推測。
案の定――
「言葉って言う誤解を生じるものを使わなくても通じ合うなんて、ステキじゃない?」
よし。虫以下にはならずにすんだ。内心ガッツポーズ。二年の付き合いは蜂の子以下ではないようだ。
「誤解が生じなければ、悩む事だってきっともっと少なくなると思うの」
うん、それでもなんでも彼らにだって悩みはあるんじゃないか、と私は思うのだが。
いや、ソレより何より。
「……彼らに悩む脳味噌って無いんじゃね?」
しばし、山根は沈黙。私は自分の手に持ったストロベリージャム山盛りのクレープをむしゃりと口に入れて、もちゃりもちゃりと咀嚼する。口の中に広がる安っぽいイチゴ色は、季節感もクソも無いけど私の好物だ。子供っぽいと山根は言うけれど、人のことが言えた口じゃないだろうに。
「……きっと、それでもハッピーだと思うわ。悩みを感じる事が無ければ、生きることが素晴らしく幸せだと思うの」
「さよけー」
「そうよ」
もちゃ、もちゃ、もちゃ。
女子二人でファミレスの四人席を占領して、クレープを食う様は、相当イケてないと私は思う。
だけど仕方ない、今日はなんとも茹る暑さ。梅雨の時期だから仕方ない。
「女王蜂なんて、いいじゃない。多数の働き蜂に囲まれて優雅に生活してるんだよ、彼女」
「ふぉう」
もう一口。山根の手にたれ落ちそうになっていた蜂蜜をべろりと舐める私も相当バカっぽい。
けれど、一見賢しらな事を言っている様で、実の所相当山根がアホの子であることは、二年の付き合いで判っている。だんだんとオチが見えてきた、と思う。
山根が元気がなかった理由。
「ソレって逆ハーっぽくない?」
夢見る乙女の顔つきで、山根は極め付けに頭の悪い台詞を吐いた。一瞬で私がゲンナリな気分に陥る事はとりあえず無視して、山根は頭の悪い欲望を垂れ流す。
「なんかこう、甘い蜜だけ食べて、男はべらせて、すっごい憧れない? しかも自動的にそんな立場に!」
「んで、一応突っ込むと女王蜂ってさ、別に女王って言うほど女王してるわけじゃなくて。なんていうかシングルマザーって言う方が正しいよね、一生に一回交尾するだけだしさ」
「ふぇ!?」
交尾と言う台詞をはいた瞬間、山根の顔が瞬間湯沸かし器LVで赤くなった。いや、どんだけだよ山根。
「取り巻きって言うか、働き蜂は全部メスだしさ、しかも自分が産んだ子だしさ。いや、あんた自分の娘に世話してもらいながらダラダラするのってどうよ」
「……多少憧れる」
駄目だこの子。
「んで、社会性昆虫はもういいの?」
「もういい」
「逆ハーも?」
「うん」
もういいらしい。
「んでさ。あんた結局何で悩んでたのさ」
「人が本能的に分かり合えない所」
まだ引っ張るのか、蜂。少々食傷気味の突っ込みを入れようと、私が大きく口を開いた時に、
「私、結構あの人の事好きだったんだけどなぁ」
私と山根は親友だ。そのつもりだ。
でも、四六時中ネットリ蜂蜜みたいな関係じゃない分、学校での山根の事は驚くほど私は知らない。
気になる男が居るとかは聞いていたけれど、実際に口に出して言われると胸の中がモチャモチャとする。
しかもそれが――
「ああ、フられたんだ」
「うん」
済んでしまった後の話だったという事も、また私をモチャモチャとさせた。
沈黙が、モチャモチャとした甘ったるいクレープを、口腔でモチャモチャにしていく。
山根のモチャモチャした感情も、口の中のクレープみたいにモチャモチャになって腹の中に流し込めれば良いだろうに。山根も私もその辺り、少し不器用だ。私は、モチャモチャの気分のまま、言葉をつむいだ。
「きっと、あんた振った奴は大してあんたの事、知らないし」
私も山根の事を驚くほど知らないけれど、驚くほど知っている事もある。
「知ってたら絶対に離さないよ」
こんなまだるっこしい言葉を使わずに。皆にこいつの良さを伝えたい。
人間は難しい。
私も今日はミツバチになりたい気分だ。
少しミツバチになれ、私。
私は八の字ダンスとフェロモンで、進む方向を仲間に教えるミツバチみたいに、テーブルの上に足をかけて、尻を突き出そうとして――
「頭大丈夫?」
心底呆れたように山根がほざいたので、とりあえずぶん殴った。
山根と私は親友だ。
「雨が飴だったら、蜂大喜びだよねぇ」
「結局蜂引っ張るのけ……」
雨の止んだ帰り道。少しモチャモチャとしているけれど、親友だ。