7 十二歳3
「う゛ああああああぁぁぁぁぁぁ……」
令嬢としてあってはならないこととは百も承知のうえで、それでも体力と気力が持たずに自室のベッドに唸り声と共に無様に倒れ込む。マナーの先生が見たら頭を抱えそうな惨状ではあるが、でも先生も今日の出来事を聞けばさすがに許容と同情をしてくれるんじゃないかなと思う。自室という安心できる場所、信頼している人しかいない場に帰ってきたことで一気に気が抜けた。と同時に今日の流されるままに巻き込まれた出来事を少しだけ冷静に振り返るだけの余力が湧いてきて、気づいた。
「いやどこからどう考えてもだいぶひどい」
遅ればせながらに、庇ってくれた姉の数々の優しさが身に染みてきた。あの時は殿下への暴言にハラハラしたが、冷静に考えてみればあちらがやったことの方が何万倍もひどい。すごくひどい。兄も言っていたが事前情報なしであんな暴力的な映像と情報と魔力波を浴びせられるなんて、ほぼほぼ精神攻撃に等しい。防御不可の、夥しい数の人類を殺戮せしめた魔王の所業とその魔力波をなんの準備もなく視ることになったのだ。さすがに完全なる再現ではないだろうが、そうはいっても冗談では済まない。あげく、映像記録には本物の魔王の姿が残されており、その存在の不気味さや悍ましさを正面から見せつけられれば相乗効果で気分も悪くなるというものだ。もしかして殿下はリゼッタのことが嫌いだから排除しようとでもしたのだろうか。少なくとも善意百パーセントというのはあり得ない。
だってあの魔力波の暴力的な浸食力。肉体と魔力をぐちゃぐちゃに混ぜて踏みつけられているような握られているような、言いようのない不快感。気持ち悪くて。不気味で。息苦しくて。肌が痛くて。とてもじゃないが直視していたくないのに、目を離すことが許されなかった。なんらかの魔術が蠢いていのだろうが、それでもあれはただの残滓。残滓ですらあれだけの影響力となれば、当時は一体どれほどの恐怖をばら撒いたのか。もはや想像ひとつできやしない。人類が滅びかけたのも理解できる。
大国の王侯貴族が堅実に平穏を維持している理由が実感できた。人間とは精神構造的に相容れることの少ないエルフや妖精ですら過度な暴虐は控えていると聞くが、それはそうだろう。感覚知の鈍い人間ですらこれなのだから、エルフや妖精にとっては一体どれほどの心身への汚染になるのか。あれが人間、エルフ、妖精に共通する強烈なトラウマなのだと捉えれば、現在の世界情勢が概ね平和なのも納得できる。だってあれは絶対に実体験したくない類のものだ。
そんな貴重な体験の機会を与えてくれた殿下には微々たる感謝はなくもないが、でもこれはさすがに怒っていいやつだと思う。
というか他の人たちは大丈夫だったのだろうか。カーティもエルゼも動揺している素振りは見せなかったが、それなりに衝撃を受けたのではないだろうか。心配だ。
「……ネネカ」
「はい」
うつ伏せに枕に顔を沈めたままなので声がこもってしまったが、ネネカはちゃんと反応してくれた。家に帰った早々兄と姉と別れて自室に籠って唸る不審者でしかないリゼッタに、なにも言わずなにも聞かず放置してくれる彼女の存在がありがたい。
「お姉様とお兄様は大丈夫かしら」
「本日はもうお休みになられると伺っております」
でしょうね。
「それならいいわ。私もさすがに疲れたから今日はもう休むことにする」
無理せず休むのが正解だと思う。体力的にも精神的にも疲労が大きい。
「軽食でもお持ちしましょうか?」
ああ。
そういえば、昼過ぎに王宮に行ったというのに気づけばもう夜。本来ならもうすぐ夕食の時間だし、言われてみればお腹が空いている気もする。深夜に空腹になるのも嫌だから少しはなにか入れた方がいいか。
「そうね。……できれば胃に優しいものがいいわ」
「かしこまりました。すぐに準備いたします」
一礼して去っていくネネカを横目に見送って、ごろんと寝転がる。
今日のあの場所に彼女は同席していなかったので、なにがあったかを知らない。だが、話してもいいとは言われている。そもそも映像の内容そのものは一定の年齢以上の貴族なら知っていることだし、映像を再生する魔術に関してだけ他言しないよう伝えればそれでよいとのことだった。どのみちネネカはリゼッタについて王宮図書館に行っているし、そもそもシオル侯爵家に仕える侍女なので当然口は堅い。王宮図書館二十階層まで同行させる許可も出ているので王宮側としても一定の信頼はあるのだろう。まあ、既に彼女の家や経歴、人格などの調査は済んでいると言い換えてもいい。勿論それは我が家としても同じことだが。
食事を終えて少し気力が回復したので、人払いをしたうえでネネカに今日の出来事を取りとめもなく感情のままにうわーっと話した。あいにく、まとめたり簡潔にするだけの元気はなかったので。気づけば最終的には愚痴のようになってしまったが、彼女は気にした様子もなく真剣に話を聞いてくれた。
「前文明の技術力とはすごいものなのですね」
「ええ本当に。それほどの文明を持っていながら手も足も出せずに滅んだのだから、魔王の恐ろしさは疑うまでもないと確信したわ」
「しかしそこまでの情報が残っていてもなお、魔王という存在は未知のままだと」
「らしいわね」
「そんななか、リゼッタ様が王宮図書館二十階層に入る権限を得たと」
「そう」
「現在我が国の貴族にその権限を持つ者は他にはいない」
「そう」
「そうして貴重な人材ということで遺物管理局や各研究所に目をつけられてしまい」
「そう」
「その研究のために件の再生魔術とやらも覚える必要があると」
「そう」
「勿論国としても王宮図書館二十階層以降の調査と情報収集は最優先事項なので、侯爵家という確固たる身分と信頼を持つリゼッタ様をなるべく早く囲い込みたい」
「らしいわ」
「それを効率よく進めるためになるべく強力な権限を与えたいから、何かしらの成果を十八歳までに出せと」
「そう……!」
びっくりするほどの無茶ぶりだ。『とはいえ成果が出せなかったからといって手放す選択肢はないのだから、きみの好きにして構わないよ』と殿下には言われた。なにがあるのかわからないのに成果を出せと言われてもね、とその場にいた皆がリゼッタに同情的だった。ついでに言えば、国王陛下や王妃殿下も似たような反応らしい。そもそもリゼッタはまだ十二歳で学園にも通っていないのだ。将来に期待とはいえ王家としてはうまく謎が解明出来たら嬉しいな~という淡い展望があるだけでそこまで重要視していないのだ。が、どうやら各研究所や遺物管理局がリゼッタに重い期待を寄せているらしく、強力な権限はどちらかというとそちらに振り回されないためにもあった方がいいだろうという王家からの同情的措置に近いとか。
「どうあれ将来は安定ですね」
「そうね。もしかしたらお姉様が殿下の婚約者に内定したのは私の影響かも」
「その可能性はありますね。現在のリゼッタ様の価値は王族の方々に準ずるといっても過言ではないのかもしれません。ですが、調査と情報収集、場合によっては解析までをも担うのであればどう考えても王妃にはなれません」
「どう考えても荷が重すぎると思う」
「そもそも妖精はどういった基準で許可を与えているのでしょうね」
「初代国王の血統と盟約を交わしているから、王族は簡単な意思の疎通はできるらしいけど、複雑なやり取りはできないらしいわ」
でなければ誰にどんな許可を与えたかを知ることもできないので当然といえば当然だが。しかしそれならまずは王族に権限を与えればいいだろうにと恨めしく思ってしまうが、こればっかりは価値観の相違というやつらしい。
「命の危険はないのでしょうか」
「絶対に安全だと言い切ることはできないそうなので、注意は必要ね。ただ、人類の知識に興味を持つ存在だからこそ盟約が可能だったそうなので、警戒しすぎる必要もないらしいわ」
「承知ました」
王宮図書館二十階層以降に足を踏み入れるということは、妖精に深く関わることと同義。命の危険は少ないらしいが、安全を保障することは誰も断言できない程の未知の領域。
とはいえ行かないという選択肢はありえない。もしもそこに魔王に関する情報があるならばどんな些細なものでも確認しておきたいし、ないならないでその事実を証明できる状態にはしておきたい。でなければ未来永劫いつまでも、もしかしたらあそこには有益な情報があるかもしれない、と疑ってかからなければならないからだ。疑い続けることは非常に労力を使うし、いらないもめ事を誘発することもある。あるならあるでぜひとも有効活用したい。
そのためにまず必要なのは、件の妖精と友好的な関係を確立することだろうか。過去に二十階層への立ち入りを許可された者は身分年齢性別問わず十数名はいるらしいが、なかには途中で権利を剥奪された者もいるらしい。それが妖精の気分によるものなのか、なにかしらの制約を侵したことによるものなのかは不明とのことで、正直魔王並みに謎が多いとかなんとか。そんなところによくまあ侯爵令嬢を放り込むなと感心したが、当然姉はよく思ってないし、母も不満はあるらしい。とはいえ当主である父が了承し、次期当主である兄も不服ながら承知しているとなればリゼッタに選択肢はない。元々は王家に由来のある妖精なので拒絶するのも難しいのだろう。それに、魔王という存在を少しでも遠ざける情報が見つかる可能性があるというのであればリゼッタとしても願ったり叶ったりだ。
「がんばろ……」




