5 十二歳1
「今日はなにを読んでいるんだい?」
人のほとんどいない図書館で、潜めた声がそっと届く。
顔をあげると、いつの間に来ていたのか向かいの席には美しい少年が座っていた。兄の友人。姉の婚約者候補。この国の第一王子殿下。リゼッタとの直接的な関係性はなし。彼はこの広大な図書館にいながら本を開くことも、手元に本を置くこともなく、ただ背筋をピンと伸ばして優雅に椅子に座っていた。感情の読めない整った笑顔はいつも通り。いつも通りと思えるほど、こうして話をする機会が増えていた。
最初こそ身分に沿った挨拶をしていたが、遭遇十回目を過ぎたあたりからそれもなくなった。もういいよ、と言われた時にはなにがいいのかわからなかったが、多分彼の護衛の任についている人とある程度面識ができたから挨拶はいいよとかだったのだろうと推測している。
おかげで彼の護衛ともすっかり顔なじみだ。
そんな護衛にも確認できるように本を翳す。
「『びっくり! 世界の不思議死因 七巻』です」
本のタイトルを確認したのだろう。生真面目な護衛の方が一瞬酸っぱいものを口にしたような顔をした。多分、またそういう妙なものを……、とでも思っているのだろう。リゼッタも最初こそ微妙なタイトルに引いたものの、これが案外読んでみると面白いのだ。
「七巻が六層にあるということは、前文明の内容に絡んでくるのかな」
「いえ、魔術陣の複合要因が起因なのは五と変わらないのですが、内容が不老不死に近づいてきました」
「なるほど、それは安易に公開できない内容だ」
「ですね。成功例の話はありませんが、どれもそれなりに厄介な魔術陣のようで、皆様なかなか凄惨な結末を迎えられたみたいです」
「まあ、不老不死の理論を完成させようとすると、最終的には身体の停止か永久回復に行きつきそうだしな」
さすがは殿下だ。
「大体そんな感じですね」
身体が変化しなければ老化も死も発生しない。人形に死という概念がないのと同じことだ。
もしくは、身体のすべての細胞の老化と死に対してタイムラグなく常に最善の状態まで回復できるなら、それもまた不老不死と言えるだろう。
尤も、人間は日々変化する生き物なのでどこかで矛盾が生じ、不協和音となってしまうようだけど。だって生きている以上記憶は蓄積され続けるし、呼吸や食事は少なからず身体に影響を及ぼす。『最善の状態を確定して固定できたなら、そのまま仮死状態で眠り続けるのが最善の方法ではないか』と執筆者の見解が書いてあったがその通りだと思った。意識はなくとも不老不死とはいえるだろう。等身大の人形と変わらないけれど。
「参考までに、どんな死因があるんだい?」
「そうですね……」
リゼッタもまだ全てに目を通したわけではないが、ちょうど今読んでいる方の場合は。
「喪失保管と再生を核に不老に挑んだ方は、三か月以上血や体液を流し続けて亡くなったそうです」
「上手く使えば血液を使った研究や治療に役立ちそうだな」
「まともな血液かはわかりませんが」
「ああ、そうなるのか。しかしそれはそれで興味を持つ者もいそうだが」
「興味がおありなのですか?」
「不老不死には全くないが、技術の方には少々興味あるかな」
まともではない魔術がまともではない動きをした結果なので、使えるのかは未知数だ。
「なんとなくですが、現代の身体再生術の元となったもののひとつなのでは? というような気もします」
「原理的に?」
「感覚的に」
あいにくリゼッタは好奇心は人並み以上にもっているものの、そこまでの専門知識を深めようとは思っていない。まずは浅く広く色んな分野の色んな情報を蓄えることを目標にしている。
補足すると、この世界には治癒魔法というものは存在しないが、体内にある魔力をとにかくめちゃくちゃ使って自身の身体を再生させる身体再生術というものがある。治癒と置き換えてもいい。これそのものはかなり古い時代から使われていたもので特に珍しいものではなく、傷口に自身の魔力を集めることでなんでか治癒や欠損した部位の再生といった効能を発揮する。しかしこれは自身で魔力操作をしなければならないため、魔力が少なかったり意識を失っていたりすると使えないというとんでもない欠点がある。なんなら痛みで集中力を欠いても失敗することがある。あまりに本末転倒。とはいえ魔力操作そのものは慣れれば難しいものではないので、そこまで悲観するほどのものではない。
そして人類は強欲な生き物なので、当然だがその欠点の克服のためにあらゆる研究がなされ、既に大体手段はいくつも確立されている。その代替手段の途中段階の研究が、先の不老不死の話に繋がるのではないかとリゼッタは考えている。根拠はないが。
「それに、内容は大分意味深ですがこの本はあくまでも物語集なので、記載されている技術はほぼ信用できませんよ」
「あれ? 三巻の時は技術寄りだって言ってなかった?」
よく覚えてるな。
「三巻はもっとリアル寄りだったので」
「ああ、拷問とか?」
「それは二巻ですね。三巻はもっとこう、人体の構造に着目した内容でした。血をどれだけ失ったら死ぬか、とか、どの臓器を失ったらどのくらいの期間で死ぬか、とか」
「つまり拷問じゃないの?」
「分類としては医学書に近いですね」
「そうなるのか」
「でも根拠が書かれているわけではないので、あくまでも物語の域は出ませんね」
「まるで物語の体で技術提供しているような内容ではないか。随分と不穏な内容だ」
楽しそうに笑う王子様と、酸っぱそうな顔をする護衛の人。どこまでも反応が対極で面白い。
「とはいえ、医学をちゃんと勉強すれば真偽がわかる程度の内容でもあるので」
「確かに」
「表現もそこそこマイルドですし」
「きみは物語や神話から、凄惨で残酷なものまでなんでも読むよね」
「各種専門書は飛ばしていますよ。時間がかかるので」
「どちらかというと歴史が好み?」
「そちらも好きではありますが、個人的には『魔王とは一体どういう存在なのか』が気になります」
誰かに魔王について話したことはなかったが、せっかくのタイミングだ。前文明の崩壊事情に最も精通しているだろう王族の、しかも王位継承第一位の王子様に聞いてみるのもありかもしれない。パタン、と本を閉じると彼は少しばかり身構えるように微笑んだ。
「殿下は、既に映像をご覧になったのでしょうか」
件の前文明は、決して無抵抗で魔王に敗れたわけではない。なにせ高度な文明を誇った時代だ。魔獣の脅威も技術力でほぼ無効化するほどの力があればこそ、魔王を相手にあらゆる手段を試したはずだ。そして、当然ながらその記録も取っていた。
その中には当然だが魔王を捉えた映像記録もある。記録の殆どが文明崩壊時に喪失していたらしいが、それでも一部は現代でも再生可能な状態で残されており、アインも国の管理下の元厳重に管理されている。そして、その映像のいくつかは伯爵家以上の身分の者は十四歳を超えた時点で閲覧可能になる。
それがあるからこそ、文明崩壊から数百年(時間経過が曖昧なのは、いつをもって崩壊したと見做すかという定義が統一されていないためだ)経った今でもなお、人類は魔王という脅威を忘れていない。忘れることを許されていない。
「王族はきみ達より早く目にする機会があるが、私にはあれを表す言葉は思いつかない」
別に機密事項というものでもないので、回答はあっさりと得られた。
「もしかして無形なのですか?」
「いいや、そういうわけではないが。――だが、そうだな。……強いていうなら黒い化け物だろうか」
「それは、魔獣のような?」
殿下はゆるりと首を振る。
「私には、虫のようで、獣のようで、鳥のようで、美しい彫刻のようなものに見えた」
その要領を得ない回答にリゼッタは困惑した。文明を滅ぼすような精霊なのだから、もっとはっきりと形と存在感のある生き物なのだと思い込んでいたのだが。もしやもっと魔術的な、現象に近いものなのだろうか。
「言葉にするのは難しいが、見ればすぐにわかるよ」
意味深な殿下の言葉を深追いすることはせず、しかしリゼッタはせっかくなので自身の侍女であり家庭教師でもあるネネカにも聞いてみた。
「あなたには、魔王はどういう生き物に見えた?」
王宮図書館からの帰りの車の中。それはちょっとした雑談のひとつだった。そうですね、と思案する様子を見せはしたが結論はそう変わらなかった。
「殿下のお言葉とほぼ同じ印象です」
「虫で、獣で、鳥で、美しい彫刻を混ぜ合わせたような姿ということ?」
「言葉では形容し難く、私としてはそんなものを曖昧ではあれど言葉にされた殿下の感性に感動しました。恐らくですが、人の感覚では捉えきれない存在なのだと思います」
「そういうものもあるのね」
「あります。人類はこの世界に存在する知的生命の中で最も感覚知の鈍い生き物ですので、どうしても理解が遅れるのです。実際、エルフや妖精には全く異なるものに見えていたという記述を読んだことがありますし、人の感知の外にあるものなのだと捉えた方が私はしっくりきました」
確かに、魔獣というものの中にもそういう個体がいると聞く。人類には全然区別できないが、ぱっと見同じ形の生き物に見えても魔力の質が異なるから系統が異なるとかなんとか。まあ、それに関しては身体構造で区別するか、構成魔力などで区別するか、の基準値の違いによるものなのだろうが。しかしそういう根本的な認識の差異が小さなことから大きなことまでたくさんあるので、他種族との相互理解というものは難しいのだ。主にエルフ。妖精はそれ以前の話で、まともに対話できたらそれだけですごいと言われている。どういうこと。
「殿下も仰ってましたが、魔王については実際に映像を見た方が早いかと」
「ふうん。それってお願いしたら見られるものなのかしら」
「年齢制限が設けられているのはショックを与えないための措置なので、リゼッタ様なら問題ないかと」
「待って待って、それってつまり私が人でなしだと思われてるということですか?」
「少なくとも、血や怪我、人の生死に動じない方だという認識はあるかと」
「動じますよ……!?」
確かにあんな本を読んでいれば誤解を生むかもしれないけど、あれはテーマはどうあれ物語として普通に面白いんだって。ちょっと愛とか夢とか希望が薄めのシビアな物語というだけで。
「そうですよね。現実と物語は違いますからね」
「そうですよ」
「ですが、その区別がついている時点で平均的とは言い難いですね」
「うっ……」
「そもそもあのタイトルの本を読もうと思われる時点で特殊な趣向があるとは認識されているかと」
………………否定できない。
「……もしかして私は危険人物として国に目をつけられてたりするのかしら。あ、なるほど。だから殿下直々に様子を見にいらっしゃってるのね」
「いえ、リゼッタ様は多種多様な本を読んでいらっしゃるので、あくまでも興味の幅が広いだけという認識かと。殿下も似たような性質の方なのだろうと思われます」
「そう? あまり本には興味はなさそうだけど」
「殿下に仕える知識の管理者と相性がよろしくないのかもしれませんね」
「ああ、そういう可能性もあるのね。私と興味の範囲が似てるから私から話を聞く方が効率的なのか」
「あくまでも可能性の話ですが」
「わかってる」
せっかくの機会なので駄目元で父に魔王関連の映像記録の閲覧を希望したら、母には渋られたものの、父も姉も兄も特に気にした様子もなく。いいんじゃない? というざっくりとした反応をされたどころか、まだ見てなかったんだ? みたいな意外そうな顔をされた。どういう意味なんだろう。
申請はしておこうと父に言われた三日後に、あっさりと許可が下りた。何故か王宮図書館二十層までの許可証を添えて。
なんで?




