2 十歳
この世界には契約紋というものがある。これは直接身体に付与するもので、代表的なものは初級契約の基礎五紋というもので、【世界の秩序を保つことを宣言する】という内容だ。
これは過去の大厄災の反省から生まれたもので、簡単に言えば【知識を悪用しない】という約束だ。これは人間の世界では統一規格として運用されているものの、悪用の範囲そのものは国によって異なっている。定番で言えば他者を害したり、自然を故意に破壊するといったところだろうか。
つまり、魔王が再び発生するような状況にさせないための布石だ。
貴族はこの契約紋を十歳で刻印するのが義務になっている。
「刻印箇所は?」
「右の二の腕、左の二の腕、右の太もも、左の太もも、の順でお願いします」
「了解」
契約紋の魔術はさほど難しいものではないが、貴族であれば一族の中に専門の人間を決めるのが定番となっている。シオル家ではリゼッタの叔父がその任を担当しているので、当然今目の前にいるのは叔父だ。同席しているのは母と兄。
「刻印箇所に問題なければ、ここにサインを」
契約紋は専用の紙に契約内容を書くことで発動する。契約書には契約内容と刻印箇所優先順位の五か所と契約者の名前が必要になる。ちなみに、基礎五紋というのは刻印箇所を優先順位五か所とすることに由来している。五か所を定めるが、あくまでも優先順位。リゼッタの場合は契約が発動すると右の二の腕に現れる。例えばリゼッタが右腕を失うことになれば、刻印は左腕に移動する。そういう仕組みだ。ちなみに五つめは額にすることが義務付けられている(額の刻印を欠損するイコール死、という考えの元に決められている)。
「できました」
サインを書いた契約書を叔父に差し出すと、内容を確認した叔父がふっと紙に息を吹きかける。すると契約書はうっすらとした光の帯になり、リゼッタの右腕に服の上から巻き付くようにしながら溶けていった。契約紋の発動がどんなものかは聞いていたが、初めて見たそれはとても不思議なものだった。光が溶けた二の腕を見つめてもこれといって変わったところはない。勿論痛みや不快感のようなものもない。
「これで完了だけど、気分はどう?」
「問題ありません」
「よかった。契約は無事に成されたから、あとで刻印を義姉さんとカーティに確認してもらってね」
「はい。ありがとうございました、叔父様」
さすがに初めてのことなのでちょっと緊張していたのだろう。にっこりと微笑んだ叔父が退室していくと同時に肩の力が抜けた。
刻印の目視確認をもって契約は完了となり、完了した旨は家から国に報告される。なお、母と姉が同席してくれているのはその目視確認のためだ。
「やっぱり叔父様の刻印は綺麗だな」
「そうなのですか?」
私の腕をじっと見つめながらそういうのは姉のカーティだ。当然、カーティの刻印を施したのも叔父なので見慣れたもののはずだが。と、自身の刻印を見ようとして気づいた。二の腕の外側を見るのって意外と難しい。
「ああ。装飾品のような美しさだ。色も素晴らしい」
「カーティ。リゼッタにも見えるように鏡を持ってきてあげるといいわ」
紅茶を飲みながらこちらを見守っていた母が、二人のやりとりを見てふふと小さく微笑む(確認作業は姉に丸投げで、母は立ち上がる気配もない。別にいいんだけど)。
「ほら、見えるかい?」
幾度か鏡の角度を調整してもらって、小さな円形のレースのような模様が自身の腕に刻まれているのが見えた。よく見ると、小指の爪くらいの小さな円の中に複雑な紋様が刻まれている。色は、なんというか、虹色と言えばいいのだろうか。角度によって見え方の変わる複雑な色を帯びている。
「色って黒じゃないんですね」
「定番は黒らしいが、叔父様は凝り性なんだそうだ」
「……凝り性」
「趣味のようなものね。わたくしも詳しいことはわからないのだけれど、一生に一度のことだからとそれぞれに似合う色を調合しているそうよ」
どうやってそんなことをしているのかは全然わからないし、この色が似あうのかはわからないが、想像していたものとは全く違ってとても美しいものであるのは確かだ。
「お姉様はどのような色なのですか?」
「私? 私のはリゼッタより赤い色が強いかな」
そうしてカーティが見せてくれた紋様は形こそ同じものの、色味が全く違うからだろうか。まるで違うもののように見えてくるのだから不思議なものだ。
なにはともあれリゼッタの初級契約の基礎五紋は無事に刻印された。
この契約、対象者は幅広いものの王侯貴族は全員義務付けられていることもあり、十歳で行うのが通例となっている。多少前後したところで問題はないが、学術機関に通うためには刻印が必須となるので遅くする例はあまり聞かない。
だがそれは王侯貴族に限った話で、平民は必要に応じて刻印することが多いと聞く。平民でもある程度以上の知識を必要とする職業は必須。例えば商会の経理は必須だが、店の販売員は任意であることが多い。農耕や畜産を生業にしている人たちは対象外で、漁師なども対象外だ。基準は国によって異なるが、我が国アインではその知識が何者かを害することに関わるか否かが基準になっている。なので、剣や魔術を使うものは自動的に契約対象になったりもする。剣術も知識ひとつ、という考え方だ。
ではこの契約を破ったらどうなるかというと、別にどうにもならない。
勿論罪があれば罰を受けることになるが、それは国や領地の権限で執行されるもので、契約紋が直接対象者に影響を与えることはない。ただ、対象者が契約を破棄したという事実がその身に残るだけだ。だけではあるが、契約を破棄した人物は社会的信用度を失くすため、生きにくくなるのは必至だ。
少なくともこの国では契約紋がない人よりも契約破棄をした人の方が社会的地位は低いというのが暗黙の了解だ。自業自得なので、勿論これに対する救済措置はない。
国への報告書は明日にも提出されるらしく、何事もなければその日のうちに承認されるとのことだった。ということは。
「これでようやく図書館に行ける……!」




