ゴブリン討伐
「親睦を深めるには食卓を囲むのが一番だ。そう思うよな、お前らも?」
南寮の食堂の隅、班員であるトーマたちを見回してガランは笑った。
トーマは愛想良く、そうですねと返すのだが、残りの三人は何も言わなかった。
「んじゃ、一人ずつ自己紹介していってもらおうか」
不平、不満を孕んだ視線がガランを突き刺す。が、彼はそんな視線を全て受け流してへらへらと笑っていた。
「まずは俺からな。……あー、んん、俺はお前らの班長、ガランだ。ここのギルドからは何年か離れてたけど、訳あって戻ってきた。ま、班長なんてやってるがよ、言っちまえばお前らと同じ新人だ」
ガランは一度言葉を区切ってから、もう一度四人を見回す。
「……若いってのは気難しいな。ま、よろしく頼む。んじゃ、次は坊主、お前から右回りな」
「ぼっ、僕から、ですか?」
トーマは自分を指差して、あたふたと視線をさ迷わせた。
「え、えと、と、トーマ、です。大陸の北部にある、シアンの村ってところから来ました。街にはまだ来たばかりで慣れていないけど、よろしくお願いします」
頭を下げて机にぶつける。一連の動作をつまらなさそうに見遣り、レオは口を開いた。
「農民らしい挨拶だな。良いか、貴様はこのレオ・バーンハイトの臣下なのだぞ。もっと堂々としていろ。良いか民草、この俺がレオ・バーンハイトだ!」
「……二回言いやがった」
ぼそりと、トーマの対面に座る少女が呟く。
「しかし馴れ合うつもりはない。貴様ら庶民は精々俺の邪魔にならんよう、隅でこそこそと生きているのがお似合いだ。努々忘れるなよ、庶民ども」
「レオ、ね。ふうん、ま、口だけでっかくなるなよ」
「何を言う。俺がハイゴブリンを倒した実力者だというのを知らないのか貴様」
ガランは鼻で笑い、それから皮肉っぽく口の端をつり上げた。
「アレを倒したのはお前一人の力じゃねえだろ。んじゃ、次」
全員の目が黒いマントを羽織った男に向く。レオより身長は低いが、威圧感があった。長い黒髪をゴムで縛り、常に目を閉じている彼は先ほどから一言たりとも喋っていない。が、全員に注目されて観念したのか、
「……ウェッジ」
一言だけ、喋った。
恐らくは自分の名前なのだろう。それだけを告げて、ウェッジはだんまりを決め込んだ。
「服装からして根暗だな、てめぇ」
少女がウェッジに突っ掛かるが、彼は微動だにしない。と言うか眠っているのかもしれなかった。
「最後はお前だよ、お嬢ちゃん」
「くっそつまんねぇ。ガキのママゴトじゃねぇっつーの」
「抵抗しないでさっさと言えよ。そっちのがガキっぽいぜ?」
へらへらと笑うガランが気に入らないのだろう。が、これ以上長引かせるよりは早く済ませた方が良いと判断したらしい。少女は唇を噛み締め、艶かしく息を吐いた。
「ジュリ。そっちの偉そうな奴に乗っかる訳じゃねぇが、オレもてめぇらにゃ興味ねぇ。馴れ馴れしく名前を呼んでみろ。その時は容赦なく切り刻んでやるからな」
吐き捨てるように言い放つと、ジュリと名乗った少女は席を立つ。
「おいおい、話はまだ済んじゃいねえぞ?」
「済んだだろうがよ。うぜぇんだよ、ジジイ」
「……お前ら、飯はしっかり食ったな?」
「はあ? てめぇ何を……」
ガランはそれぞれの空になった食器を指差して、にやりと笑った。
「働かない者はご飯を食べちゃ駄目だと言う素晴らしい言葉がある。ギルドに入ったからには、ギルドの為に働かないとな。そうは思わねえか?」
「全く思わん。俺の為に誰かが働くのは当然で、俺の前に食事が出るのは当然なのだ。行くぞ農民、プリカとやらが言っていたが、基本的に班の者とは付き合わなくても良いのだろう」
レオも席を立つが、トーマは席を動けない。ガランに気を遣った訳ではなく、彼も働かない者に食事は与えられないと、村で言い聞かせられていたのである。自分に出来る事があるなら、話だけでも聞くのが筋だと思ったのだ。
「基本的には、だ。必要な時は班の奴らで行動しなきゃならねえ。それが今だ。お前ら喜べ、早速依頼を受けられるぞ」
「依頼、ですか? ……依頼って、なんですか?」
「坊主、馬車乗ってる時に俺が言わなかったか? うちのギルドはかなり適当にやってるが、やる事はやってんだよ。それが依頼だ。どこのギルドでも依頼ってのは必ず受けてるもんだ。要はお金をもらって困った人たちを助けてあげようって話だな。突風同盟は規模が大きいから街でも名が知られてる。依頼の数もそこそこ多いんだ」
「へえ、金がもらえんのかよ?」
ジュリは席に座り直し、ガランを流し目で見る。
「いや、もらえない。依頼主はこの俺だからな」
ガランは自身を指差して、残念だったなと言わんばかりにジュリを見返した。
「……やってらんねぇ」
「同感だな。バーンハイトの長子である俺にただ働きをさせようとは、貴様、叩き切られても文句は言えんぞ」
「ただ働きじゃねえぞ。お前ら、飯は食ったんだろ? その食材はどうしてると思ってんだ。ギルドの奴らが真面目に依頼をこなして、金をもらって、その金で用意してるんだぞ。新人のくせにうだうだ言ってんじゃねえっつーの」
トーマは申し訳なさそうに厨房を見遣る。たまたまそこにいた者と目が合い、何度も頭を下げた。そして、ガランに顔を向ける。彼をまっすぐに見つめて口を開いた。
「分かりました。僕、その依頼ってのを受けます」
「いや、坊主だけじゃ駄目だ。今回はガラン班に依頼してるんだからな、お前ら四人で受けてもらう」
「金は出ねぇうぜぇめんどくせぇ。やるんならそこの田舎モンだけで良いじゃねぇかよ、オレはやだね」
ジュリは腕を組んでトーマを見据える。彼はその視線が怖くなって俯いた。
「四人でやらなきゃ意味がねえんだよ」
「何故だ? 貴様の依頼とやらを達成出来るのなら誰が、何人で行っても構わないだろう」
「これが普通の依頼ならな。お前らがただのプレイヤーだったならそれでも構わなかっただろうが、舐めた事いつまでもぐだぐだ抜かしてんじゃねえぞ、ガキども」
ガランに射竦められたレオとジュリが黙り込む。鋭い眼光と重い圧をぶつけられて、トーマは口を開く気をなくした。
「お前らはそんじょそこらの三流ギルドのプレイヤーじゃねえんだ。昨日今日入ったばかりの新人だっつってもよ、突風同盟のプレイヤーなんだよ。これ以上俺の指示に従わねえって言うんなら、ここを辞めてもらっても良いんだぜ」
「……へえ? 言う事聞かないと分かった瞬間脅しかよ。はっ、すげぇぜ突風同盟。良いよう、別に? オレをクビにしたいならしろよ、クズが」
「いいや、駄目だ。ジュリ、お前一人だけを辞めさせる訳にはいかないな。連帯責任って事で、四人共に辞めてもらうぞ」
「そっ、そんなあ!?」
最初は望んでいなかったとは言え、折角入れたギルドである。トーマは上擦った声を出して、縋るようにガランを見つめた。
「何? それは困る。俺はこのギルドの頂点に立たねばならん。足踏みするどころか足を切られてたまるものか。ガランとやら、腹立たしいが仕方あるまい。俺は依頼を受けるぞ」
「は、勝手にやってろよ」
「…………その依頼、受けよう」
ウェッジが参加を表明した事によって、この場を去りかけたジュリが足を止める。彼女は今、自分が不利だと言う事に気付いたのだ。
「ほう、これで依頼を受ける者は三人になったな。女、貴様はどうするのだ。ここで何も成さないままに俺たちを巻き込んで、ギルドを辞めるのか?」
辞めてしまっても構わないが、ジュリだって望んでギルドを辞めたいとは思っていない。何より、こちらを見透かしたようなガランの目が気に入らなかった。
「面白いじゃねぇか、班長サマの依頼とやら、受けてやるぜ」
「成立だな。それじゃあ、仕事場に移動するとすっか」
ガランは席を立ち、何も言わずに歩き出した。
トーマたちが連れてこられたのはギナ遺跡の入り口だった。ギルドに入る為のテストを受けた場所だったので、彼らの記憶にも新しい。
「やる事は簡単だ。ギナ遺跡のゴブリンを退治する。以上。分かれ」
四人は顔を見合わせた。装備を整えてくるよう言われていたので、どんな難題を提示されるか不安だったのである。が、これでは肩透かしを食うのも仕方ない。
「んなちょろいので良いのかよ? オレらはそのゴブリンをぶっ倒してギルドに入ったんだぜ。今更じゃねぇかよ」
「やってみりゃ分かるさ」と、ガランは意味ありげに笑う。
「ふん、良いだろう。俺の力を今一度見せてくれるわ。庶民ども、このレオ・バーンハイトに続け!」
「ま、待ってよう!」
「うざってぇのと同じ班になっちまったな……」
ガラン班はレオを先頭にダンジョンへと足を踏み入れた。彼の後ろにはトーマが続き、その近くにジュリが、最後尾にはウェッジという陣形である。
トーマが見る限り、ギナ遺跡は前回と何も変わっていないように思えた。ハイゴブリンを倒したとはいえ、彼は自分が実力者などとは思っていない。しかし、レオやジュリ、ウェッジはゴブリンには遅れを取らないだろうし、物足りなさそうだ。ガランの意図が掴めず、トーマはただただ歩く。
モンスターと遭遇しないまま通路を歩いていると、レオが突然立ち止まった。
「……つまらん。ゴブリンどころかネズミすら見掛けんではないか。よもや、奴に担がれているのではないか?」
「担ぐ意味なんかないと思うけど」
トーマが答えるが、ジュリは彼の意見を気に入らなかったらしい。
「田舎モン、てめぇはあの班長と知り合いらしいけどよ、オレにとっちゃ奴はゴブリンと変わんねぇんだぜ。つまり何考えてっか読めねぇ。案外、マジに意味なんかねぇかもな」
「そんな事しないと思うけどなあ」
「まあ良い、ここは農民の意見を尊重する。が、広間まで行って何もなければ、俺は戻るぞ。戻って奴を斬る」
物騒な事を言い放ち、レオは前進を再開する。
「けっ、どいつもこいつもくっだらねぇ」
遺跡の入り口近くに座り込んでいたガランのところに、一人の男が近付いてきていた。コビャクである。彼はガランの存在に気が付くと、僅かに笑んだ。それは小さな変化で、良く注意して見なければ気付かない程度の表情である。
「ようコビャク。こんなところに何か用でもあんのか?」
「今からトバの森へ行くところだ。が、新人がどうしているか気になってな。……あの四人、使えそうなのか?」
「使えるなんて言い方は気に入らないけどよ、ま、似たようなもんだ」
コビャクはガランの隣に腰を下ろし、遺跡の入り口を見つめる。
「付いていかなくて良かったのか?」
「俺がかあ? まあ、一度目は様子見だよ。どうせ討伐なんて無理だろうからな」
「ああ、本来なら最低でも四班は費やさねばならないレベルだ。一つの班で、ましてや新人ばかりでは難しいに決まっている」
通例、ハイゴブリンが死んだ後、残ったゴブリンたちの生態系には変化が現れる。一つは性欲の増加だ。ハイゴブリンを生む為に、群れ全体が交尾を行なう。もう一つはゴブリンの凶暴化だ。新たな長が生まれるまでの間、群れや仲間を守る為にオスのゴブリンの気性は荒くなる。戦闘能力が変わったりはしないのだが、やはり気迫が違うのだ。一度や二度のダメージでは怯まなくなる。敵だと見定めたモノに対しては、敵の、あるいは自らの息の根が止まるまで攻撃を仕掛け続ける。
ギナ遺跡で新たなギルドメンバーを獲得する為の試験を行なっているのは突風同盟だけではない。が、暗黙の了解として、ハイゴブリンを始末した後の、更なる後始末は彼らが行なっている。
「私やコーダ、それからガサキの班は仕事がなくなったと喜んでいたがな。本当に任せてしまっても良いのか?」
「ああ、良いぜ。ただし一日で終わるとは限らないからな」
「では何日を予定にしている?」
「三日ぐらい。ただ、今日の駄目具合によるな。本気であいつらが馬鹿だったら俺が一人で終わらせるさ」
ガランは差していた鞘から、二振りの短い剣を抜いた。それを両手に構えて、適当な動きで素振りをして見せる。
「……鈍ったな、ガラン」
「うるせえ」と毒づき、ガランはつまらなさそうに武器をしまった。
「何をやっているか貴様らっ!」
レオの怒声が大広間に響き渡った。彼の声を掻き消さんと、ゴブリンたちが奇声を上げる。
「もっ、戻ろうよ! もう駄目だってば!」
「敵を前にして背を向けられるか! バーンハイトたるもの、命を灰のひとかけらまで燃やし尽くさぬ限りはっ!」
そう言っているが、レオの腰は引けている。彼はゴブリンの集団を広間の中央で迎え撃っていたのだが、限界に近い。
最初こそ悪くはなかった。
トーマたちは広間で固まっているゴブリンを確認して、ばらばらに飛び出したのである。作戦は一つもなし。強いて言うなら彼らの狙いは各個にゴブリンを撃破していく事だったのだろう。
ジュリが一番に飛び込み、戦闘に入った。彼女の足は速く、レオですら思わず感嘆の息を漏らしたぐらいである。加えて得物であるナイフの使い方も悪くなかった。武器を手放してしまった後も、独特の蹴術で敵を仕留めていったのである。
しかし、ここまで。動きの素早いジュリに混乱していたゴブリンたちだったが、彼女を囲んで袋叩きの目に遭わせた。彼女は哀れ敵陣のど真ん中で気絶したのである。
ウェッジは離れたところから弓矢でゴブリンを仕留めていたのだが、その狙いは的確ではなかった。モンスターの急所には百発百中なのだが、彼が狙うのは広間の隅や端、戦闘に参加していないゴブリンだけだったのである。前線にいるレオたちの援護をする気配がなかった。挙句、矢を使い切ってしまい、こそこそと逃げ回っている始末である。
レオは最初から最後まで広間の中央でゴブリンと戦っていた。何も考えず、周囲には目を向けないでひたすら剣を振り続ける。
トーマはと言えば、モンスターを見て気が萎えてしまっていた。一番最後に広間へ突入して、中途半端に動くだけである。
ここまで全て、戦闘が始まって、五分ほどの出来事だった。
もはやこれ以上の戦闘の続行は不可能である。荒事に関して日の浅く、素人同然のトーマですらそう思ったのだ。
「無理だよっ、この人気を失ってるんだよ!?」
ジュリを庇いながら、トーマはスコップでゴブリンを追い払う。出入り口に向かって少しずつ後退しているが、レオが一向に中央から動かないのだ。
「名誉の……いや、不名誉の戦死だ! そいつは捨て置け農民、最後の最後まで戦い抜いてこそ!」
「そんなの出来る訳ないよ!」
トーマはウェッジに襲い掛かろうとしたゴブリンを弾き飛ばす。
「……ええと、こ、この人をお願い。先に逃げてても良いから」
ウェッジは頷いてジュリを背負おうとするが、膝立ちのままで起き上がれなかった。トーマの頭が真っ白になる。
「引きずっても良いからっ」
「農民っ! 何を逃げようとしているのだ!」
「逃げないと駄目だってば!」
レオはゴブリンに囲まれてまともに動けない。トーマはスコップを持ち直して広間の中央に向かった。
「来たか農民、良し、見せようではないかバーンハイトのっ……!?」
「いつまでやってんのさ!」
トーマはゴブリンを薙ぎ払ってスペースを作る。唯一、装備をしていなくて剥き出しになっているレオの髪の毛を引っ掴み、後方へと下がっていった。
「貴様ぁ! 農民の分際でバーンハイトの長子たる俺の髪を!?」
ゴブリンが追い縋るが、それはレオが剣を振り回す事で対処する。
「君だって分かってたろ、これ以上続けても皆殺されちゃうんだ」
「……しかし、俺は……」
ずるずると引きずられながら、レオは言いよどんだ。
「逃げるんじゃない。一度戻るだけだよ」
トーマは、それで良いだろと呟き、レオは何も言わなかった。
出入り口付近まで行ったところでようやくレオの髪の毛から手を離し、トーマは息を切らしながらもジュリを背負う。まだゴブリンは彼らを追い掛けようとしていたが、その数はかなり減っていた。
「行こう」
逃げようとは言わなかった。トーマは後ろを振り返らずに駆け出す。ウェッジが続き、レオは最後まで何か言いたげだったが、やがて、広間に背を向けた。
地上に戻ってきたトーマたちを見て、ガランは咎めるような事を言わなかった。
「あーあ、やっぱり。しっかし、ひっでえやられ様じゃねえか」
へらへらと笑い、トーマに代わってジュリを背負う。
全員が生きているのもやっと、と言ったような表情を浮かべており、何も話さない。口を開かない。
「依頼は失敗だな。ま、期限は特に決めてねえから気にすんなよ。明日もよろしくな」
ガランはトーマたちに背を向けるが、彼の背にレオが声を掛ける。
「何故、言わなかったのだ」
「あ、何をだよ?」
「ゴブリンの事に決まっているだろう! 奴ら、前とは違っていた……! あんな事になると知っていたのなら、何故教えなかった!?」
レオは、ゴブリン相手に撤退した事への憤りをガランにぶつけていた。
「あー……」
ガランは冷たい目でレオを見遣る。くだらないとでも言われるのかと思って、トーマは身震いした。
「聞かれなかったからな」
それだけ言うと、ガランはもう何も答えない。
残されたトーマたちは、暫くの間その場を動けないでいた。