再会は少し早くて
食事を終えたトーマたちは食堂を出て中庭のベンチに腰掛けていた。
「……料理をやってる奴らか。悪いが、私はそういう者とは無縁でな」
トーマはがっくりと肩を落とす。プリカは申し訳なさそうな表情を浮かべていた。が、レオは二人に事など気にせずに口を開いた。
「おい、女。このギルドの頂点に立つにはどうすれば良いのだ?」
プリカは半眼でレオを見つめた後、寮の屋根を指差す。
「あそこに上ると良いんじゃないか」
「貴様ぁ! 俺の質問には真面目に答えろっ、それが臣下としての務めだろうが!」
「誰が臣下だ」とプリカは反論して腕を組んだ。
「……良く分からないが、頂点と言えばやはりギルドマスターの事だろうか」
レオはベンチから立ち上がり、辺りを見回す。多分、ギルドマスターとやらを探しているのだろう。中庭にいた周囲の者たちからの視線を感じて、恥ずかしくなったトーマは俯いた。
「決まりだ! 俺はギルドマスターに会うぞ。そしてその地位を退いてもらう」
「無理だろうな」
「無理ではない! 良いか女っ、やる前から無理だと言っていてはな……」
「そうではなく、ギルドマスターに会うのが無理だと言っているんだ」
プリカは黒い屋根の建物を示して、皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「突風同盟は街が作られてから、初期に出来たギルドだ。所属する者の人数も多い。だが、ギルドマスターの正体を知る者は少ない。会ったと言う話など聞いた事もない」
「え、そうなんですか?」
「……うん。ただ、うちのギルドは特別に何かをやっている訳ではないし、ギルドマスターも陰から手を貸しているとは聞いたが、手を貸すほどの事があるかどうか。正直に言えば、班長クラスの私ですらそうなのだから、末端の者たちはギルドマスターなんて、いてもいなくてもどっちでも良いと思っているのが殆どだろう」
レオはベンチに座り込み、難しい顔で何かを考えていた。
「それでは俺がギルドマスターになれん。何か策を講じるのだ者ども」
者どもは中庭にいる人々の流れを眺めてぼんやりとしている。
「プリカさん、あの人って狼人族なんですか?」
「……ああ、うちには他にも色々な種族の奴らが所属しているぞ。鳥人族、蜥蜴人、竜人、猫。どうだ、退屈しないだろう」
「貴様ら俺を無視するとは良い度胸だ!」
「……だから、ギルドマスターとは会えないと言ったろう」
「じゃあどうしたら良いのだーっ! ……ん。そうだ、一番上がいないならその次を当たっていけば良い」
また良からぬ事を考えているらしい。トーマはレオが何を言っても驚いてやらないと決めた。
「力だ。何はともかく強くなければ下々は付いてこないだろう。女、このギルドで強い者の名を挙げろ」
「……強い、ねえ」
プリカは迷う。今ここで名前を言ってしまえば、この少年はすぐにでも走り出してそいつのところまで行くのだろう。しかし、会ったところで彼がそいつらをどうにか出来るとは思わなかった。逆に、どうにか出来るのなら見てみたい。見て、思い切り笑ってやるのだ。
「私の知る限りハイゴブリンを単独で、しかも苦戦しないで倒せるのは……まずはコビャクだ」
「ほう、あの試験官か。なるほど。しかし、まずはと言ったな。他にも強者がいるのか?」
「それから、ザッパか。巨大なハンマーを使う男だ。奴なら、強化魔法なしでもハイゴブリンと素手で戦えそうだな」
それは果たして人間なのだろうかと、トーマは想像を膨らませた。
「逆巻く炎も外せないだろう。彼は突風同盟の中でも、いや、街でもトップクラスの魔法使いだからな」
「……リベルファイアとはそいつの名前なのか?」
「いや、言わば二つ名だな。奴が好んで使うのが火属性の魔法だから、そこから、いつの間にかリベルファイアと呼ばれるようになっていた」
レオは掌を開いたり、閉じたりするのを繰り返す。
「魔法か。使えれば便利なのだが」
「使えないのか?」
「簡単に言ってくれる。アレは剣術とは全く次元が違うのだ。持って生まれた才能、素養がものを言う。……俺には無理なのだ」
レオが後ろ向きな事を言ったのが珍しくて、トーマは少し驚いた。
「あの、魔法って僕にも使えるんですか?」
「……その前に、トーマは魔法についてどれくらい知っているんだ?」
「あー、いえ、あんまり」
「だから貴様は農民なのだ。良いか、魔法とは……魔法とは、だな。あー、魔法とは!」
「もう良い」と、プリカはレオを黙らせる。
「……私は魔法使いじゃないけど魔法を使える。トーマ、魔法を使うにはね、まずは魔法を知るのが大事なんだ」
師匠からの受け売りだがなと付け足して、プリカは指を一本立てた。
「地、水、火、風、光、闇。魔法ってのはこの六つの属性に分けられる。どんな魔法もこの六つのいずれかに属するんだ」
「へえ、じゃあプリカさんの魔法は?」
「……光。身体強化も回復魔法も光の属性だ」
レオは魔法について知っているのか、それとも興味がないのか、ベンチに寝そべりそっぽを向いていた。
「六つの属性から、更に二つに分けられる。低位魔法と高位魔法だ」
「こうい……? その二つはどう違うんですか?」
「……単純にレベルが違う。低位魔法は魔法陣と呼ばれる特殊な図形を描かなくても発生するし、早い」
トーマには良く分からないが、それは良い事ずくめではないだろうかと思ってしまう。
「ただし威力が低いんだ。魔法の効果も弱く、短い。高位魔法はその逆だな」
つまり、高位魔法は魔法陣が必要で魔法の発生は遅いが、威力がある。効果は強く、時間も長い。
トーマは頭の中で魔法についての情報を組み立てていた。
「どちらが良いかと聞かれたら難しいが。一長一短だな、その場に応じて使う魔法を選択していかないと駄目だ」
「プリカさんは二つしかないから、簡単ですね」
「……う、まあ、そうだな。そして、そこが私が魔法使いではない証明になる」
プリカは傷付いていた様子だったが、気を取り直して話を続けた。
「魔法使いと呼ばれるには数種類の低位魔法を習得するのは勿論、高位魔法も習得しないと駄目なんだ。魔法を使える者は街にもたくさんいるが、魔法使いとなれば話は別だ」
「えーと、プリカさんは他の魔法や高位魔法を覚えなかったんですか?」
「……また嫌な事を聞く。魔法を習得するには、基本的に二つの方法がある」
プリカは指を二本立てる。
「一つは魔法使いに師事する。魔法使いを師匠と仰ぎ、魔法の勉強を教わるんだ」
「プリカさんはお師匠さんに教わったんですね」
「ああ」と頷き、プリカはそのまま俯いた。その師との間にはあまり良い思い出はなかったのか、彼女は渋い顔をしている。
「……もう一つは魔法について書かれた本、魔導書を読んで覚える方法だ。こっちはおすすめしない。完全に独学だからな、失敗も多い」
「僕には向いてなさそう……」
「まあ、結局どちらも難しい事に変わりはない。そもそも師事すべき魔法使いの数自体が少ないんだ。魔導書もかなり希少な本でな、どんなにつまらない魔導書でも、金貨百枚はくだらないだろう」
「僕、別に魔法が使えなくても良いです」
「あははっ、そうだね、うん。魔法が使えなくても美味しい料理は作れるもんな」
トーマは嬉しそうに頷く。
「……ううん、あと教えておくべきなのは……ああ、でも明日になればトーマたちの班長が嫌でも教えてくれるだろうし」
「話は済んだのか? ならば俺たちは部屋に戻るぞ」
「……ああ、忘れてた。街へ買い物に行ったらどうだ?」
「必要ない」とレオは言うが、彼が今着ているシャツはトーマの私物なのだ。
「デカブツ。お前の荷物はあの鎧だけだったらしいな。生活に必要なものは買っておけ」
「そうしようよ。ついでに街を見て回れば楽しそうじゃないか」
「……なるほどな。まあ、良いだろう。では農民、今から行くぞ。金はしっかり持っているだろうな?」
部屋に戻ればお金はある。だが、何かが引っ掛かった。
「ねえ、もしかして君、お金持ってないでしょ」
「当然だ。バーンハイトの長子たる俺が金貨をぶら下げて歩ける訳なかろう。農民、俺の買い物の代金は貴様が払え」
予想が当たったせいか、トーマは怒る気にもならなかった。
「……私もそうだとは思っていた。ほら、これを使え」
そう言ってプリカが差し出したのは金貨が二枚。
「む、二枚か。少ないが何かの足しにはなろう」
「二人で分けろ。一人一枚ずつだからな。良く考えて使うんだぞ」
レオは文句を言いながら受け取ったが、トーマの手は出ないままである。
「……どうした?」
「き、金貨ですよ? 銀貨十枚分ですよ?」
「何を言っているのだ貴様は。どこからどう見ても金貨ではないか」
「遠慮するな。ほら、受け取れ。手が痺れてきたからな」
プリカは大袈裟に手を振ってみせる。
「で、でも……」
「トーマは優しい子だな。頼むからもらってくれ、それはギナ遺跡での借りだ。いや、餞別、お祝いかな。とにかく、受け取ってくれるまで私の腕はこのままだぞ」
トーマは迷いに迷って、金貨を受け取る。
「……ありがとう、ございます」
プリカは彼の髪の毛を撫でた。
「……私の腕を助けてくれてありがとう。ほら、早く買い物に行ってこい」
「貴様に言われるまでもない。行くぞ農民!」
「あ、ちょ、ちょっと待ってよ!」
中庭に残ったプリカは懐を探っていた。と言うより懐具合を確認していたのである。トーマたちに渡した金貨二枚は彼女にとって、かなりの痛手であった。
「…………依頼、受けなきゃな」
正直に言ってしまえば、プリカが金貨を渡したのは罪の意識からである。勿論、ギルドの新人の面倒を見ると言うのも年長者の仕事だが、何も金銭を渡す事はない。明らかにやり過ぎだ。幾らなんでも渡し過ぎた。見栄を張り過ぎた。
溜め息を繰り返すプリカに影が差す。彼女の傍に立ったのは背の高い男だ。彼はにやにやとした笑みを浮かべてプリカに話し掛ける。
「よう、随分と気前が良くなったじゃねえか」
「……黙れ。お人好し」
「いつからお人好しが悪口になったんだよ。そもそもだ、俺はお人好しじゃねえっつーの」
「忙しくなったから戻ってきてくれ。これだけの理由で本当に戻ってくる奴がいるか」
「かもな」と男は笑い、プリカの隣に座った。彼女は立ち上がる。彼は何か言いたげだったが、結局何も言わなかった。
「しかし珍しいな、えこひいきのプリカ様がああまで肩入れしてやるところは初めて見たぜ。どうせなら、てめえの班の奴らに小遣いやれよ」
「……えこひいきではない。借りを返しただけだ」
「ハイゴブリン、か。いやしかし信じられねえぜ、あの坊主がここに来るってのも含めてな。料理人になるとか言ってたのによ」
「知り合いだったのか?」
プリカは意外そうに男の顔を見遣った。
「知り合いどころかパーティ組んで旅した仲だ。けど、複雑な気分だよ」
「……お前はもっと自分の事だけを考えてみたらどうなんだ、ガラン?」
「さあ、根っからのお人好しだからな、俺はよ」
ガランはくつくつと笑い、ベンチに寝そべる。四つの建物に囲まれた中庭。ここから見上げる空は切り取られたみたいに狭く、それでいて懐かしくもあった。
買い物を済ませて、街を見て回ったトーマとレオは自室のベッドで同じように寝転がっていた。
「しかし、金貨一枚では全く足りなかった。まともな物が買えたとは言い難いな」
「……君、王様か何かだったの?」
「似たようなものだ」と言ってのけ、レオは袋から購入した服を取り出す。
「それより農民、貴様どういう買い物をしているのだ。俺にはさっぱり分からん」
「だって、勿体ないんだもん」
トーマはプリカからもらった金貨を使わなかった。と言うより使えなかったのである。おつかいならまだしも、自分の買い物を今までしてこなかった彼にとって、金貨と言うのはあまりにも大きかった。
「折角だから大事に取っておくんだ」
「ふん、俺には見飽きたものだが、農民には手の届かないと言うのも事実。穴が開くまで眺めているのも良かろう。しかし金とは使うものであって見て愛でるものでは……」
トーマは頭から毛布を被り、聞こえてくる声を遮断する。
「俺の話を最後まで聞くのが臣下たる者の務めだろう!」
「君もしつこいなあ。僕は僕だよ。臣下なんかになるもんか」
そうしていると、不意に瞼が重たくなってきた。歩き回ったし、頭も使った一日である。お風呂に入り、晩ご飯も食べた。つまり、あとは寝るだけである。気付いた時には、トーマの意識は鈍くなり、安らかな眠りへと、緩やかに落ちていくのだった。
目が覚めると朝だった。ちゃんと朝に起きられた。トーマは身を起こして部屋を見回す。どうやら、同室の二人は朝早くからどこかへ行っているらしい。同じ場所で暮らす人なのだから、早く挨拶をしたいと思ったのだが、いない事には仕方がない。
トーマは着替えて、ゆっくりと体を伸ばした。
「ぐ、うう、おっ、俺が最強なのだ……」
寝起きの悪いレオは放っておいて朝食を食べに行きたいのだが、置いていけばあとで何を言われるか分からない。トーマは仕方なく、ベッドの上で彼の目覚めを待った。
すると、部屋の外、廊下から声が聞こえてくる。苛立たしげに何事かを叫ぶ女性の声だ。それと、その女性を諫めるような男の声である。喧嘩でもしているのだろうか。トーマはベッドから下りてドアの近くを行ったり来たりする。止めた方が良いのだろうが、巻き込まれて痛い目を見るのは嫌だったのだ。
『てめぇ誰に触ってると思ってんだ! さっさと離せよクズ!』
『あー、分かったから少し黙ってろ』
声は少しずつ大きくなる。こちらに近付きつつあるのだ。
「……ん、んん? 誰かいるのか?」
「あ、起きた。うん、廊下で誰かが喧嘩しているみたいだよ」
「俺の眠りを妨げるとは……死にたいらしいな。剣を持てい!」
「持たないよ」
起き上がったレオはベッドから飛び降りて、トーマの傍に着地する。
「男と女の声か。くだらん、ただの痴話喧嘩だろう。そんなものはスコープドッグも食わんと相場が決まっておる」
「でも、女の人はすごく嫌がってるみたいだよ」
ぎゃあぎゃあと喚く声に、レオは顔をしかめた。
「やかましい女とは関わり合いになりたくない。農民、首を突っ込むなよ」
言われずとも、である。
しかし、向こうから首を突っ込まれてはどうしようもなかった。勢い良く開け放たれたドア。少年と少女の首根っ子を捕まえている男。彼と目が合ったトーマは声を出せなかった。
「よう、久しぶりだな坊主」
そう言って笑うのはトーマが良く知る人物、ガランだ。トーマは、どうして彼がここにいるのだろうと思うのだが、状況を理解出来ずに口を開くのみである。
「……貴様、どういうつもりだ? 返答いかんによっては命はないと思え」
レオがガランに詰め寄るが、彼はへらへらとした薄ら笑いを浮かべたままだ。
「なんだよ、お前ら俺の事知らないのか?」
「が、ガランさん、ですよね?」
「ガラン? 農民、貴様この男を知っているのか?」
「うん。ほら、僕と一緒に旅をしてたって人だよ」
馬車に揺られ、吐き気を堪え、それでも楽しかった七日間を思い出してトーマの意識はどこか遠くへ行ってしまう。
「農民の連れか。しかし、そいつらは何者なのだ?」
「えっらそうに指差してんじゃねえぞノッポが。その指噛みちぎって気持ち良くさせてやろうか?」
ガランに動きを拘束されている赤毛の少女がレオに突っ掛かった。
「は、面白い。そのまま吠えていろ女。仮に動けたとして、俺に触れる事は叶わんだろうがな」
「舐めてんじゃねぇぞクズが! おらオッサンいつまでオレに触ってんだ、とっとと離しやがれ!」
「今離したら喧嘩になるだろうがよ。おい坊主、こいつらの顔に見覚えはねえのか?」
問われるが、トーマは首を傾げてううんと唸る。
「あ、テストの時に見たかもしれない」
「……この二人はお前らと同じ部屋で、同じ班の仲間だぞ。なんだよ、やっぱり挨拶してないじゃねえか。ジッポウさんに笑われちまうぞ?」
トーマは目を丸くして、ガランに捕まっている二人を見遣る。
「こいつらが俺の部屋に!? ふざけるなよ!」
「てめぇの部屋な訳ねぇだろ! 馬鹿じゃねえのかノッポ!」
わがままなレオと、彼に負けず劣らず言い争いを繰り広げる気性の荒い少女。そして先程から一言も発していないマントを羽織った少年。班長がガランだったのは嬉しいが、これからの生活に不安しか抱けない。トーマは窓へと視線を逃がして、諦めたように息を吐いた。