テスト・2
何もない通路を進んでいくと、小さな部屋らしき空間を見つけた。トーマたちは今までにもこういった空間を見つけてはいたのだが、空だったり、モンスターの死体が転がっているばかりだったのである。
「い、いる……」
トーマは僅かに顔を覗かせて、その中の様子を確認する。
そこには、ゴブリンが二匹いた。意地の悪い顔をした小人らしきモノが二匹。ゴブリンは広くない部屋の中をぐるぐると回り続けている。意味はない。知能の低い彼らの行動に意味を問うのは無駄なのだ。
「何がいた?」
声を潜めて尋ねてくるレオに、トーマは指を二本立てる。
「二匹だけか」
トーマにとっては二匹も、である。彼は今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られた。が、レオは鞘から剣を抜いていつでも飛び出せる状態である。むしろ、彼の気性から言えば今飛び出していないのが奇跡なのだと思えた。
「帰ろう」
「馬鹿か貴様、俺たちは先を越されているのだぞ。これ以上足踏みしていられるかっ」
あっと声を掛けるには遅過ぎる。レオはがちゃがちゃと、容赦なく音を鳴らして部屋に踏み込んだ。彼の侵入に気付いたゴブリンがぎいぎいと奇声を発する。言葉の通じない相手だと判断したのだろうか、彼はゴブリンの頭に剣を振り下ろした。そこには、一切の躊躇いという物が感じられない。
「ギイイイイイイッ!?」
モンスターとの戦闘と言うのは、トーマが思っていたよりあまりにもあっさりとしていた。剣で斬られれば、いとも簡単に命が終わる。そんな事、分かっていたつもりだった。
「ギイイ!」
「俺に触れるな!」
同胞を殺されたゴブリンがレオに飛び掛かるも、彼のガントレットに胴体を殴られて壁に叩き付けられる。頭を強打したのだろうか、ゴブリンは痙攣を繰り返した後、二度と動く事はなかった。
音が止み、しいんとした静寂がトーマの鼓膜に襲い掛かる。耳鳴りがして、吐き気がした。その場に蹲り、必死で呼吸を試みたが、悪臭が邪魔をする。彼は諦めて座り込み、胃の中のものを全て戻した。
「落ち着いたか、農民」
「……ん、うん」
水筒の水は口をゆすいだせいで空っぽになっている。これからの事を考えて、トーマの気は滅入るばかりだった。
「ごめん、時間取らせちゃって」
「ふん、気にする事はない。貴様が足を引っ張ったところで俺には何の影響も及ぼさん。それに、テストとやらは終わってしまったからな」
レオは麻袋を誇らしげに提げている。その中にはモンスターを倒したという証明が、即ちゴブリンの頭が二つ入っていた。
「あ、また誰か来る」
足音に気付いて、トーマとレオは部屋の隅に隠れる。やってくるのはモンスターではないのだが、彼らは何となくこうしていたのだ。
「うわきったねえ!」
トーマは心の中でごめんなさいと謝っておく。
部屋を確かめもせず通り過ぎていったのはバンダナをした小柄な男だった。彼は袋になるようなものを所持していなかったのか、ゴブリンの頭部をその手に抱えたままである。
「……これで三人目か。まずいな、俺たちより先にクリアした者がいるとは」
「しょうがないよ。僕たちが遺跡に入ったのは後の方だったもの」
「急いで戻るか」
「あ、でもまだ時間はあるよ」
トーマがあまりにも何気なく言ったので、レオは目を丸くさせた。
「時間は残っているかもしれんが、あとどれくらい残っているかまでは分からん。戻る事も考えれば、そろそろ地上を目指すのが良いだろう」
「まだ一時間ぐらいしか経ってないよ?」
「……何故分かる?」
「村には時計なんてなかったからね。何となく、体感で分かるんだ」
「自慢じゃないけど」と付け足し、トーマは苦笑する。
「だがテストはクリアしてしまったではないか。こんなところに残る理由はないぞ」
レオの言う事は尤もだが、トーマは腕を組んで考えを巡らせる。
「ちょっと変じゃないかな?」
「何がおかしいと言うのだ」
「時間だよ。どうして制限時間なんて作ったんだろうと思って」
その問いに、レオは鼻で笑う事で返した。
「突風同盟とは街でも最大のギルド。しかし有象無象の雑魚など必要ない筈だ。テストとはその雑魚をふるいに掛けるものなのだからな、時間を設けるのも頷ける」
「だから、変じゃないかな。そんな凄いところがやってるテストなんでしょ? 三時間なんて長過ぎるとは思わない?」
「……ふん、ここまで来るのに一時間か。貴様が醜態を晒していたせいで時間を取られたが、それがなければとっくに外へ出ていてもおかしくはない時間だな」
その通りだが、その通り過ぎてトーマはへこむ。
「では、奴らは何を求めているのだ?」
「そこまでは。けど、今戻っても一番にはなれないと思うよ」
「速さでは劣るか。ふん、決まりだな」
レオは一人で納得したように頷き、部屋を出た。
「決まりって、何がさ?」
「質と量だ。俺と貴様でモンスターが一体ずつではつまらんだろう。どうせならこの袋をいっぱいにするぐらいの首を集めるとしようではないか」
「……僕の袋なんだけど」
多分、二度と使えない。使う気にはならないだろう袋を見つめてトーマは溜め息を吐く。
「気にするな」
「するよっ」
「貴様の助言もあって俺の気分は実に良い。良し、奥に進むぞ」
何だかんだでレオに協力しながら、自分も少しずつクリアに対しての気持ちが上向きつつあるのに気付いて、トーマはもう一度溜め息を吐いた。
ここで何があったのかは容易に想像が付く。だが、信じたくなかった。こんな事をしでかすような者が本当に存在するのかどうか、果たして、人間なのかどうか、トーマには分からなかった。
辿り着いた大広間にはゴブリンの死体が転がっている。その数は大雑把に見ても軽く二桁に上るだろう。床や柱、壁に付着した体液と悪臭にトーマはまたも吐き気を催した。
「誰が、こんな事を」
「さあな。だが、俺には及ぶまいが中々の腕を持っている」
レオは汚れていない壁に背を預けて、退屈そうに目を細める。
「既に狩られた後か。ここに用はない。農民、そこに階段があるだろう? 下に行くぞ」
「う、うん」
「……馬鹿め。一々モンスター如きの死を気にする奴がいるか」
「だって、しょうがないじゃないか」
ダンジョンに潜って、モンスターと戦うなんて初めてなのだから。そう言おうとして、トーマは気付いた。
「ねえ、君はダンジョンに来るのは初めてじゃないの?」
「初めてだ」
「え、そうなの? だって、さっきはモンスターと戦っていたじゃないか」
「このレオ・バーンハイトがゴブリン程度のモンスターに遅れを取るとでも思ったか。戦いと言うものはな、心構えが大事なのだ。それさえ理解していれば何とかなる」
レオは何でもない事のように言うが、トーマには理解出来なかった。
「大物がいれば良いのだがな」
「いたら困るよ」
一時間が経過して、二十一名の内テストを切り上げて地上に戻ってきた者は八名。
戻ってきた者を、コビャクはつまらなさそうに眺めた。彼らが持ち帰ってきたのは全て同じである。全て、ゴブリンの体、部位だ。頭であったり、腕であったりとばらけてはいたが、それも全員が一つずつのみ。つまり、この八人は一時間掛けてゴブリン一体しか倒せなかった事になる。彼は喉の奥で笑うのを噛み殺して、冷静な風に装った。
「突風同盟っつっても、案外大した事ねえな」
「ああ、他の奴は何してんだろうな? さっさと戻って来いよー」
「良い酒場見つけたんだよ、これが終わったら行こうぜ」
「合格した方のおごりな?」
「はっ、したら割り勘になんだろ」
弛緩し切った者たちを再度眺め、コビャクは口の端をつり上げる。自らの無能さを露呈して、何を笑っているのだろうか、と。
ここにいる者は突風同盟どころか、どこのギルドに行ってもうだつが上がらない。そもそも、彼らを受け入れるような懐の深いところがあるかどうかだ。
今年もまた不作に終わりそうだと、コビャクは愁いを帯びた瞳で遺跡の方角を眺める。
ただ、一人だけ例外はいた。一番最初に戻ってきた少女である。彼女はコビャクが把握している限り一番最初に遺跡に潜っていた。持って帰ったのはゴブリンの腕一本だったが、その戻ってきた時間があまりにも速過ぎる。十分掛かったか、掛かっていないか。このテストは毎年行われており、今回で八度目になるが、その中でも最も早いように思える。
「名前は?」
他のテスト生を避けるように、離れた場所に座り込んでいた少女へコビャクは近付いた。
「……名乗りゃあギルドに入れてくれるのかよ?」
ぎらりとした獰猛な笑みがコビャクを捉える。
「さて、どうだろうな」
少女の体は小さい。だが、自分よりも大きく、立場も上であるコビャクに媚びる姿勢も、動じた様子も見られない。切り揃えられた前髪を指で弄びながら、彼女の笑みは皮肉っぽいものへと変質した。赤々とした髪の色は、彼女の気性を表しているようだとコビャクは思う。
「冗談だよ。ま、あいつらよりもオレの方が見込みはあるって事だろ?」
「想像するのは自由だがな。話し掛けたのはただの気紛れだ」
「そうかよ」
少女は口の端を片方だけつり上げて、流し目でコビャクを見遣った。
「ジュリ」
ジュリと名乗った少女は立ち上がる。彼女の服装は体の殆どを露出させていた。活動的にも見えるのだが、ジュリの持ち合わせる雰囲気と相俟って挑発的でもある。
「生まれは?」
「良いもんじゃねえよ、あの街だ。で? 次は何を聞くつもりだよ?」
「ふ、女性に対していささか無粋だったな。気を付けよう」
「気に入らねえ奴だぜ」
呟き、ジュリはどこかへと歩き去っていった。その後姿を見届け、コビャクはくつくつと喉の奥で笑みを零す。テストをクリアするのは、アレで決まりだ、と。
地下二階も、一階と殆ど変わらない造りであった。どこまで行ってもどこを向いても石造りの通路が伸びている。時折部屋を見つけては、何もないと肩を落とすばかりだった。
「どうなっている、あるのは死体ばかりではないか」
「先を越されたんだろうね」
「貴様ぁ、何をのんびりとした事を! このままでは俺の計画が丸潰れではないか!」
計画なんてあったのかと、トーマは心底から驚く。
「この際他のプレイヤーの首を狩るか」
「お願いだからそれだけは止めてくれないかな」
「だが、こうもモンスターがいないのではな……」
レオは何気なく剣の柄に手を遣った。その仕草が、トーマにはとても恐ろしいものに見える。
誰かに助けて欲しいという気持ちがなかった訳ではない。トーマはレオから視線を逸らして、背後の天井に目を向けた。瞬間、背中に嫌なものが走る。
「もっ、モンスターだ!」
「何だと!?」
叫び、トーマはレオの後ろに身を隠した。
「どこだ、どこにいる?」
レオは焦りながらも抜剣し、前方に向けて構える。
「う、上だよ!」
トーマが指差す方を見ると、何かが天井の辺りを蠢いていた。ゴブリンではない。レオも思わず身震いしてしまうほどの大きさのムカデである。ムカデは牙を剥き出しにして、トーマたちをじっと見ていた。
「虫如きが俺を見下ろすかっ」
レオは剣を天井に向かって突き上げる。ムカデはその体に似合わない俊敏な動きで攻撃を避け、
「あ、うわあ!」
トーマへと襲い掛かった。
「農民っ」
殺されないまでも、何かしらのダメージは負わされてしまう。トーマは背中を向けて逃げ出した。だが、動く彼に反応してムカデは天井から彼を追う。
「馬鹿者止まれ! 俺がこいつを仕留める!」
「むっ、無理だって!」
止まったら死ぬ! 走るのに邪魔なので、トーマは荷物を捨てようとまで考えた。が、閃く。自分だって武器を持っているのだと言う事に。
背負っていた袋を投げ捨て、スコップを両手で構えて立ち止まる。すぐそこまでムカデは迫ってきていた。醜悪な外見をしたモンスターに気圧されたが、彼は目を瞑る事でそれを忘れ去る。何も考えないでスコップを思い切り振り被ると、何かが潰れるような感触が柄を通して伝わってきた。
「良くやった!」
「やったの!?」
目を瞑っているので何が何だか分からない。トーマはふらついて壁に頭をぶつける。レオはうぞうぞと動いている大ムカデを踏み付けて彼に駆け寄った。
「うむ、見事に頭を潰したぞ。しかしだな、目を瞑って戦うと言うのは見苦しい。良いか、バーンハイトは無様な醜態を晒さない。バーンハイトの臣下たる貴様も……」
「僕は君の子分じゃないってば」
心臓がまだ早く脈打っている。思っていたよりも体が動いたのは、対象がムカデという、いかにもモンスター然とした姿だったからだろう。人間に近い姿をしたゴブリン相手ではこうはいかなかったと、トーマは安堵の息を吐く。
「ああ、そうだ」
レオは剣の切っ先をトーマに向けてから、
「え、あ、なっ、何?」
倒れていた大ムカデの体を切り刻んだ。
「虫の生命力を侮るなよ、農民。俺とは違ってこいつらには恥も外聞もなければプライドの一欠けらだって持ち合わせてはいない。隙を見せれば生き残る為に襲い掛かってくる。この手のモンスターは確実に息の根を止めるのが常道だ」
「そこまでする事はないんじゃ……」
「このムカデに囲まれても同じ事が言えるか?」
「時と場合によるよね。さあ、先を急ごう」
レオはムカデの頭を袋に入れて担ぎ直す。
「地下への階段を見つけるのが手っ取り早いな。凶悪なモンスターは一番下にいるものだ。そいつの首を持って帰ればテストもクリア出来るだろう」
「凶悪な……」
想像するにおぞましい。トーマは頭を振って、そんなモンスターとは出会いませんようにと強く祈った。
地下一階と同じく、地下二階でも大広間を見つけた。トーマたちは広間の真ん中に腰を下ろして、辺りをぼんやりと見回す。
「通路を進んで広間。広間には階段。……どの階も造りは同じ、つまらん」
「分かりやすくて良いんじゃないかな。ほら、多分迷わないで済みそう」
「モンスターも小鬼と虫だけだ。袋はだいぶ重くなってきたが、中身は変わらん」
何が不満だと言うのだろう。レオは長い息を吐き、その場に寝転がった。
「起き上がれるの?」
「案ずるな。この鎧はオーダーメイド、俺の体格にぴったりと合っているだけでなく、軽くて丈夫な素材で作られている。起き上がるくらい訳はない」
「そっか。……あと一時間ってところだね」
そろそろ戻らなければ、モンスターを何匹倒していようが問答すら無用で失格になる。レオは何も言わずに立ち上がり、誰もいない広間を見回した。
「袋には十を超えるモンスターが入っている。この辺で良かろう」
全然良くない。レオの表情からは満足していないといった色が見て取れる。彼が口に出したのは、自身に言い聞かせる為なのだ。
「農民、道は覚えているか?」
「何となくだけどね」
「では行くぞ」
諦めたように薄く笑うと、レオは歩き始める。先を行かれてしまってはどうやって案内すれば良いのか分からない。トーマは苦笑して彼を追い掛けた。
――何かがおかしい。
試験官のプリカは言い知れぬ不安を覚えていた。
テスト生の殆どは遺跡を抜け出した。残っているのは二名。プレートアーマーを装備した少年と、スコップを持ったそのお供の少年である。彼らは地下二階の大広間まで到達したらしいが、空振りに終わって地上に戻ってくる様子だった。仕留めたのはゴブリン八匹と大ムカデが二匹。実に平凡な戦果である。今回のテストではゴブリン二十四匹を一人で殺し切った射手がいる。何をやったところで、あの二人が彼を押し退けてクリアするのは難しい。であるから、早く地上に戻れと言うのがプリカの正直な意見だった。
彼女は最後まで残ったテスト生、レオたちの後方に位置取りながら帰還を目指している。しかし、一つだけ問題があった。
どうにも、臭う。空気が重く、淀んでいた。今の時期のギナ遺跡で感じるレベルの圧ではない。気のせいかもしれないが、今まで培ってきたモノが訴えている。早く逃げろ、ここは危険だ、と。
それでも、前を行く二人が脱出しなければ動けない。焦れた気持ちを抱えたまま、プリカは歯噛みした。
地下二階の広間を抜けて、地下一階に上がる為の階段を目指す。遺跡内には自分たち以外の足音はない。物音すらなかった。テストを受けていた者の多くはダンジョンを抜け出したのだろう。二時間以上も経っているのだから、モンスターも殆どが狩り尽くされている。
つまり、これ以上ここにいても何も起こらない。時間はまだ少し残っているが、テストは終わったも同然だった。
レオは最初の頃の勢いもなく、疲れた風に歩いている。トーマはと言うと、テストが終わりに近付きつつあるので緊張から解き放たれようとしていた。まさか自分のような人間が訳も分からぬままダンジョンに入り、モンスターと戦闘する事になるとは、馬車に乗って旅をしている時には思いもしなかっただろう。そんな事を考えて、でも意外とやれるものだと、ほんの少しの自信も得ていた。
「……まあ、このギルドが駄目でも他があるじゃないか」
「バーンハイトに敗北は許されぬ。くっ、よもや最初の一歩で躓くとはな。だが、俺はここで終わらんぞ。必ずや……」
人生設計を語るレオを無視して、トーマは階段を上っていく。先ほど得た自信を粉々に砕かれる事など、今の彼は知る由もなかった。