クロスファイト
エイミ・アップルショットは、自分からは口を開こうとしなかったが、尋ねられた事柄には答えた。トーマは、彼女が無口だと思っていたのだが、決して口数の少ない方ではない。むしろ、エイミはよく喋った。彼女は自分の素性や過去というものに無頓着であった。
トーマは、エイミが過去にバリスタに所属していたことや、街に来てからチェルシーに買われるまでは裕福な家庭で育ったことなどを聞いた。気になるところはあったが、エイミは傭兵である。友人でもなんでもない。彼は雑談を切り上げて、今夜の手はずを確認し合い、個室を出て、店の外に出た。
「話は済んだのかい?」
「もしかして、ずっとそこで待ってました?」
チェルシーは両手を擦り合わせて、白い息を吐き出す。
「ばか言うんじゃないの。ちょうど、上客をここまで見送ってたところだよ。あんたが来たのはたまたまさ」
「ああ、それじゃあ俺は行きますね」
「エイミは役に立ちそう?」
「さあ、なんとも言えないですが」
「そうかい。ああ、これ、持っていきな」
チェルシーは小さな包みを取り出した。彼女はそれをトーマに渡そうとするが、彼は拒む。
「いただけません。これ以上の哀れみは結構です」
「は、何をかっこうつけてるんだい。どうせ素寒貧なんだろう? 別に、これをやったからって貸しを作ろうなんざ思ってないよ。だから、とっときな」
どうせ何を言ってもチェルシーは聞いてくれないだろう。仕方なく、トーマは包みを受け取った。
「また困ったことがあったらうちを訪ねてくるんだよ。それから、最近はとみに冷えるからね。もっといい服買って着込みな。あと……」
「なんか、チェルシーさんってお母さんって感じですよね」
「……うちが年食ってるって言うのかい?」
じろりとねめつけられて、トーマは逃げるようにして駆け出した。しばらく走ったあと、彼は人の目のないところで包みを解く。銀貨が五枚も入っていて、トーマは、黒蟻のある方に向かって頭を下げた。
塒に戻ったトーマは、傭兵が雇えたことをレオに伝えてベッドに倒れこむ。
「ほう、お前にしては上々の働きだな。俺はてっきり、あの女狐に丸め込まれて、いらぬものを背負い込まされて帰ってくると思っていたが」
「……あながち間違いじゃないかもね。借りた傭兵、エイミさんって言うんだけれど、昔、バリスタにいたらしいんだ」
レオは目を丸くさせてから、ゆっくりとそれを閉じる。
「では、そいつも殺すのか? 四年前、あの襲撃に参加していたのなら、殺す理由が出来る」
「分からない。そこまではさすがに聞けなかったよ。深く突っ込むと怪しまれるし。……まあ、バリスタを襲うって時点で色々と思われてるだろうけど」
「黒蟻の傭兵は質がいい。やつら、性根からして奴隷だからな。金さえ払えばなんでもするし、何も聞かん。やつらが何か漏らしても、所詮は奴隷の言うことだ。聞く耳を持つ者もいないだろう」
レオはエイミを奴隷と呼ぶが、トーマは、不思議とそうは思えなかった。自分よりも遥かに恵まれた生まれの彼女の境遇に同情しているのでもない。妙な感覚であった。
「何か、目的があるのかもしれないね」
「何の話だ。それよりも、今夜はどう動く」
「エイミがどれだけやれるかだけど、ルチアーノは任せて、俺たちは表から一気に入ってスコルピを探す。これで行こう」
レオは溜め息を吐く。ルチアーノと戦えないのを残念に思っているらしかった。
夜になり、街がある程度の静まりを見せた頃、トーマとレオは塒を出た。エイミは既に所定の場所で待機しているので、二人だけでバリスタへと向かう。
「エイミとやらはバリスタにいたそうだな。そいつ、射手のことを知っているかもしれん」
弓を扱う者はこの街にも多いが、レオが射手と呼ぶのはただ一人である。トーマは小さく唸った。
「さあ、どうだろう。知ってたとして、彼女が襲撃に参加してたなら、手心を加えるつもりはないけど」
「俺は、あいつ以上の弓兵を知らん。力量という意味ではなく、心構えの話ではあるが。……まあいい。すぐにでも会えるだろう」
「そうだね」トーマにはエイミに対する猜疑の心があった。彼女はルチアーノと顔見知りである。先刻は殺すとも言っていたが、今ひとつ信用出来ていない。
「裏切られないのを祈ってるよ」
ここ最近、スコルピとトレシュは飲酒の量が増えた。歳からくる疲れもあるだろうが、ギルドを大きくさせてきた心労が出てきたのだろう。
ルチアーノは二人の寝室の前を足音を殺しながら通り過ぎていく。もっとも、スコルピたちは現役を退いているようなもので、以前ほど敏感ではなくなっていた。寝酒は眠りを深くさせ、これから行われる戦闘にも気づかないだろう。
「俺が何とかするからよ」
ルチアーノは、気づいた時には街の路地裏で生活していた。
親に捨てられた子は街の片隅に置き去られるのがほとんどであり、彼もそういった子供の一人だった。
ルチアーノが十二の時、スコルピと出会った。顔を合わせてすぐ、ギルドに来ないかと誘われたのである。屋根のない場所で生活していたルチアーノを哀れに思ったのではない。スコルピは彼の身体能力を買ったのだ。スコルピの期待に、ルチアーノはよく応えた。彼は弓の腕前を上げて、ギルドでも指折りの実力者に育ったのである。
ルチアーノはスコルピに恩があった。だから、彼がバリスタを大きくしていくのにも少なからず貢献していた。依頼をこなし、突風同盟の襲撃にも参加した。その過程で、スコルピも、トレシュも、疲労し、老けていく。これ以上の苦労を背負わせるわけにはいかないと、そう、ルチアーノは思っている。……トーマとレオのことを知られる前に殺し切る。バリスタの前に立つものを容赦することは出来なかった。自分の手が汚れれば汚れるほど、バリスタに、スコルピに対する恩返しになるのだとも、ルチアーノは信じている。
「よう、来たな」
屋根上から声を掛けると、二人の男が反応した。彼らはバリスタの表から押し入ろうとしているらしい。鍵を無理やり壊そうとしているのか、背の低い男はスコップを持っている。
「来てやったぞ、ルチアーノ。ここを通してくれるなら、楽に殺してやらんでもない」
そう言って笑うのは、背の高い方の男だ。彼は剣の柄に手を遣る。その表情までは見えなかったが、きっと、満面の笑みを浮かべているに違いない。
「悪いが三度目はない。旦那の安眠、これ以上は邪魔させねえぜ」
ルチアーノは弓を構えて、二人に狙いを定めた。……先日とは違い、矢には毒が塗られている。今夜で確実に、二人を仕留める為であった。
「じゃあな、とっととくたばれ」
「せっかちだね、今日は」
「では、俺たちも手早くやるとするか」
矢を放とうとした時、ルチアーノはただならぬ気配を感じた。
バリスタの隣は宿屋となっている。三階建ての、街でも賑わっているところだ。その宿屋は、夜になると酒場にもなり、祝い事がある際にはバリスタが貸し切って宴会を開く時もある。
その屋根の上に一人の女が座り込んでいた。彼女は――――黒蟻の傭兵、エイミ・アップルショットは己の気配を消し去り、トーマとレオが来る前からこの場所に待機していた。
彼らが到着したのを認めた後、エイミは得物を取り出した。それは、漆黒の甲殻を持った虫のように見える。多足の虫が開脚し、獲物を腹に抱きかかえようとしている姿をしているのはクロスボウであった。だが、エイミの装備するそれは、通常のものとは違い、彼女自身がカスタマイズし続けた、この世に二つとないものである。エイミはそのクロスボウを篭手の上から装着した。
クロスボウは、矢を板ばねの力により、そして、張られた弦に引っ掛けて発射するものだ。木製の台の上の先端に交差するようにして弓が取りつけられている。そこから普通の矢よりも太く、短い矢を発射させる。
通常と異なる矢はクロスボウの性質により飛距離が伸びる。しかし、太く、短い矢は慣性がかからず、その弾道は安定しない。斜めに曲射したとしてもロングボウやコンポジットボウには及ばないのだ。
しかし、クロスボウには扱い易いという利点がある。通常の弓は剣や槍よりも射程があり、強力だ。だが、弓を引き絞って構えるには筋力が必要で、また、その状態から標的に狙いを定める技術が不可欠である。筋力と技術は生半には身につかず、一朝一夕では弓は扱えない。
ところがクロスボウは違う。台座に弓を取りつけている為、弦は最初から張られており筋力は必要ない。矢を設置し、引き金さえ引けるだけの力があれば問題ない。……そのような利点があっても、この街でクロスボウを用いる者は少なかった。何故なら、これは連射、速射性で通常の弓に劣るからだ。扱いに慣れた者でも、弓を放つまでに準備がかかる。弓を引けるなら、わざわざクロスボウを持ち出す必要はないのだ。この弱点を補う、あるいは克服しようとクロスボウに手を加え、改造を施した者はいたが、やはり、早さで弓に敵うことは一度たりともなかった。
この街で、ただ一人を除いて。
エイミは弓兵だが、力がなかった。技術こそ充分にあったが、男性の筋力と比べればないに等しいものである。とある事情でバリスタを抜けた後、彼女は黒蟻の傭兵として買われた。奴隷という立場は足場がないようなものである。唯一の元手はその身くらいだ。だからエイミは知恵を絞り、チェルシーに頭を下げて頼み込み、金に飽かせてクロスボウを弄り尽くした。エイミの技術をも、チェルシーは買ったのである。
少しでも生き延びる確率を高める為に、エイミは武器を得た。特製のクロスボウである。これは、街に流通しているものよりも小型化がなされていた。篭手の上から取りつけて、ハンドルを引けば弓が飛び出てくる仕組みになっている。台座には矢を装填する為の箱のようなものが取りつけられており、ハンドルを引けば内部で自動的に矢がつがれ、放たれるようになっている。この仕組みのおかげで、エイミのクロスボウは、連射、速射が出来ないという弱点を克服していた。
エイミはバリスタの屋根を睨めつける。そこでは、ルチアーノがトーマたちに向けて弓を構えているのが見えた。……彼女は傭兵だ。金さえもらえれば人を殺すことすら厭わない。しかし、殺人という行為そのものを歓迎している訳ではない。エイミは黒蟻の傭兵の中でも、特にチェルシーに気に入られていた。だからこそ、クロスボウを改造する為に金を借りられた。また、エイミだけは仕事を選べる。火急の依頼でない限り、彼女は自分の意思で仕事を決められる。買われている身分としては、破格の待遇であった。そのエイミがトーマに力を貸すことになったのは、理由がある。しかし、彼女は一切の思考を封じた。これより先、余計な事柄に気を取られれば死に繋がると、エイミは直感していた。
「なんだ、それっ」
矢が雨のように、『真横から』降り注ぐ。防ぎきれないと判断したルチアーノは、いったん、見張り台に姿を隠した。バリスタの見張り台は建物の内部と繋がっている。中に引っ込もうかとも考えたが、彼はそれを堪えた。
矢は見張り台の壁に次々と突き当たっていく。数秒の間に、十本以上の矢が間断なく放たれている。その光景を見上げていたレオは歪な笑みを見せた。
「はっは、傭兵とやら、やるではないか」
「言ってる場合じゃないよ。今だ」
エイミがクロスボウでの攻撃を開始したと同時、トーマが扉の鍵をスコップで叩き壊す。レオが木製の扉を蹴破り、二人はバリスタへと入り込んだ。その直前、頭上からルチアーノの罵声が飛んでくる。
「他にいたのかっ、くそがっ」
見張り台の壁は煉瓦だ。矢ではそう易々と貫けるものではない。クロスボウは金属製の鎧すら貫くが、エイミの得物は平均よりも小さく、連射と速射が優秀な分、破壊力に欠けていた。だが、ルチアーノは相手の武器がただの弓であると思い込んでいる。たった一人で、矢を雨のように射掛けられるとは思っていないのだ。
ルチアーノは矢を番えるが、躊躇していた。相手の人数も判明していない状態での反撃は難しい。彼が一本矢を放っても、向こうはその倍以上の矢を飛ばしてくるのだ。このまま射掛けられるなら、先に侵入した二人を始末した方がいいかもしれない。
「……ルチアーノさん」
そう、ルチアーノが考えた時、矢が止んだ。風を切るような音がなくなって、聞き覚えのある声が、彼の耳に届いた。