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風の終わり  作者: 竹内すくね
二部
35/37

上の空のチェルシー



 バリスタの襲撃が失敗に終わった翌日の夕方、トーマはベッドから降りて、一人きりで『黒蟻』へと向かった。

「いらっしゃいませー。お一人様ですかー?」

「うん。個室、空いてるかな?」

「はーい、お一人様ごあんなーい」

 トーマは二階建ての料理屋に顔を出し、能天気な声の女店員に個室を頼んだ。

 傭兵ギルド黒蟻は、何も人目を隠れるようにして街の路地裏にひっそりと存在しているわけではない。大通りに面した、一際栄える料理屋こそが傭兵ギルド、黒蟻なのだ。しかし、その事実を知る物は少ない。あくまで傭兵ギルドは副業なのである。黒蟻の本業は食事処であった。

「ふう……」黒蟻の個室は東洋のそれを模している。椅子と机、壁や天井には四足で歩行する竜ではなく、体の長い蛇のような姿をした龍や、トーマが今までに見た事がない獣が描かれており、色彩は酷く派手であった。店員の服装も見た目鮮やかな丈の長い上着で、深い切れ込みが入っている。女性店員の健康的な太股が、トーマの目から離れなかった。

「ご注文お決まりになりましたらー、こっちの鈴を鳴らしてくださいねー」

「分かりました。……ああ、そういえば、チェルシーはまだ上の空なんですかね」

「……ああ、店長とお知り合いなんですね」

 猫のように真ん丸い目をした店員は、目つきを鋭くさせる。肉食の獣を思わせるような視線に、トーマは思わず緊張した。

「ええ。まあ。知り合いといえば知り合いですかね」

「それでお客さん、ご注文は?」

「傭兵を何人か、お願いします」



 店員が立ち去ってからしばらくすると、一人の女がトーマのいる個室へとやってきた。この店の店員と同じく、東洋のドレスに身を包んでいるが、給仕のものよりも遥かに値が張りそうな意匠が凝らされている。彼女は十指に指輪、首、手首、はては足首にまで飾りをつけていた。トーマの見る限り、その一つを売り捌くだけでも、彼が半年は遊んで暮らせるような代物である。

「相変わらず若々しいですね」

 トーマは濃い化粧の匂いに顔をしかめた。

「そうかい、ありがとうよ」

 女性はトーマの皮肉を受け流して、彼の対面の椅子を引く。……彼女の歳は誰にも分からない。その事について触れると、女性は気分を害してしまうものだから、誰も聞けずにいるのだ。女性は豊かな黒髪を二つに分けて、団子状に巻いており、それを指で弄んでいる。表情こそ温和そうではあるが、視線は鋭く、対面のトーマをじっと見据えている。

「久しぶりだねえ、トーマ。どうだい、景気は。あんたのなすべきことってのはうまくいってるのかい? いってるんだろうねえ、何せ、わざわざうちに傭兵借りに来てるんだから」

「……景気なら相も変わらず悪いままですよ。はっきり言って、傭兵一人だって借りられるほど持っていないですから」

「冷やかしかい? 困るねえ、うちも、こう見えて忙しいんだから。他ならぬあんたが来たってんで、顔を出してやったんだよ?」

 嘘をつけと、トーマは内心で舌を出す。目の前の女、黒蟻のギルドマスター、チェルシーは薄く微笑んだ。

「金がないってんなら、あんたはうちの客じゃない。失せな」

「二年も前になりますか。俺があなたと出会ったのは。当時の無知な俺は、たまに黒蟻の傭兵として働かせてもらってましたね」

「……そうだねえ。懐かしいねえ」

 トーマには本気で金がない。タダで、チェルシーから傭兵を借りる必要がある。だが、彼女を丸め込むのは難しい。

 ――――まだ、札は切れないな。

 チェルシーには貸しがあった。しかし、彼女はうまくはぐらかして誤魔化してしまうだろう。貸しがある事は、匂わせる程度に見せつけるしかなかった。

「あんたは人を選ぶけど、安い金で喜んで殺してくれたからねえ。本当に助かったよ。どうだい、うちに戻ってこない? 前よりは高く雇うけど」

「いい場所にありますよね、この店。普通の飲食店としても儲かってるでしょうし、副業の方でもしこたま稼いでる。俺も、あなたに貢献したんでしょうね。きっと」

「話が見えないよ。あんた、何が言いたいんだい?」

 チェルシーはトーマの望みを知っていて、彼に答えを促した。

「たとえば、ここで俺があなたを殺せばどうなりますかね。金で命は買えるけれど、命で何が買えると思いますか?」

「ふうん、そんなこと言うのかい。ま、そうだね。あんたが余計な真似をしたら、扉の前に控えてる子たちがあんたを殺すだろうね。ついでに、あんたのお仲間も」

 扉の前には誰もいない。恐らく、チェルシーの護衛は部屋の中のどこかにいるはずだった。

「この街じゃあ金が全てさ。貧乏人は真冬でも、路地裏で縮こまって泥水啜るしかない。それが嫌なら体を売るんだね。奴隷でも娼婦でも、身一つでも稼げるもんは稼げるもんさ」

「ここの人たちみたいにですか?」

 黒蟻のメンバーの殆どはチェルシーの奴隷だ。彼女が金で身柄を引き取り、給仕として、あるいは傭兵代わりに使っている。

「これでも、よそよりは気を遣ってやってるんだけどねえ。うちは心が広い。あんたみたいなどうしようもないガキ相手に時間を作ってやってるくらいには心が広いと思うけどねえ」

「奴隷も人ですよ。人はいろんなことを考えます。悲しむし、苦しいと悩むし、劣悪な環境から逃れる為なら雇い主にだって牙を剥く。彼らは飼い犬ではないですからね。……まあ、あなたに言っても仕方ないでしょうが」

 くつくつと、チェルシーは喉の奥で笑みを漏らした。彼女は以前、奴隷に殺されかけた事があったのだ。

「迂遠な物言いだねえ。トーマ。うちはね、そういうかっこつけが一番嫌いなのさ。頼みごとがあるんなら、最初にやっとくことがあるんじゃないのかい?」

「……俺は」

 トーマが何か言うよりも先に、チェルシーは立ち上がって彼の頬を叩いた。

「あんた、勘違いしてないかい。交渉だとか脅迫だとか駆け引きだとか、そんなもの、うちがテーブルについた時点でなくなってるんだよ。お互いが札を見せ合ってるようなもんだ。相手が何を言いたいか分かってるのに、こんな無駄なやり取りはないね」

 トーマは言い返そうとするも、これ以上はチェルシーを怒らせるだけだと、諦めてしまう。札を見せ合っているならば、あとは、ものを言うのは手持ちの金だけなのだ。

「うちと対等に渡り合おうだなんて百万年早いんだよ」

「……その、ごめんなさい。お金がないのは本当なんですよ」

「だから!」

 乾いた音が個室に響く。トーマは熱を持ち始めた頬を摩り、今度こそ口答えはよそうと悟った。

「…………お願いします。人を貸してください。タダで」

 席を立ち、トーマはチェルシーに向かって頭を下げる。彼女は満足そうに笑んだ。

「やりゃあ出来るじゃないのさ。ああ、いいとも。これは貸しにしといてやるよ」

「貸し借りチャラでいいんですけど……」

「あほう。うちの命はそんなに安くないよ。これは貸し借りの話じゃなくて、あんたがあまりにも哀れだからうちが恵んでやるだけの話さ。……ただし、一人しかやれないね」

 借りを作るのは痛かったが、貸しが消えたわけではない。黒蟻の傭兵には今後も頼る事があるだろう。チェルシーの機嫌を今よりも損ねるのはつまらない。そこまで考えたトーマは頷き、再び席につく。

「ありがとうございます。あの、出来るだけ腕のいい人を……」

「うちには仕事が出来るやつしかいないよ。見繕ってやるから、そこで待っときな。……待ってる間、何か頼むかい?」

「手持ちがないので、遠慮しときます」

「そうかい。活きのいい若鳥が入ったんだけどねえ。残念だ」

 後ろ髪を引かれる思いではあったが、黒蟻で食事するほどの贅沢は出来なかった。トーマは心底から残念そうに首を振った。



「……勝てないなあ」

 個室から、外の街並みを見下ろして、トーマは溜め息を吐いた。チェルシーをやり込められるとは思っていなかったが、戦いにすらならなかったのである。まだまだ経験が足りないなと、彼は自嘲気味に笑った。

「待たせたね」そう言って、チェルシーが戻ってきた。彼女は背の高い女を従え、席に座る。自然、トーマの視線はチェルシーの連れてきた女へと向かった。

 女はトーマよりも背が高く、枯れ木のように手足が細かった。しかし、頼りないと言う印象ではない。必要な肉はついており、栄養が足りていないと言う風には見えない。単に、女の雰囲気がぼうっとしているだけであった。ウェーブがかった黒髪は長く、女の腰まで届いており、目元も隠れている。色気はあまりなく、海藻を頭に乗せているようだと、トーマは思った。

「こいつをやるよ。うちの中でも腕利きだ。大人しいのが玉に瑕だし、見ての通り色気にゃ欠けてるが、傭兵の仕事ってんなら構いやしないだろ?」

「と言うか、俺ははじめからそう言ってます」

「まだ若いが、こう見えて昔はいいとこのギルドに入っていてね。トーマ、あんたの助けになってくれるよ」

 トーマは、もう一度女を見た。彼女は全身黒ずくめであった。ズボンも、シャツも、コートも、何もかもが黒い。ただ、肌だけは雪のように白かった。

「よろしく。俺はトーマ。悪いけど、仕事をお願いするね」

「……ええ、そう聞いてる。私はエイミ・アップルショット。よろしく」

「え?」

 トーマが驚いたのは、エイミと名乗った女の声が見た目に反し、存外高かった事ではない。黒蟻の傭兵とは、チェルシーの奴隷だ。その奴隷に苗字がある事に驚いたのである。

「チェルシーさん?」

 トーマのような、地方にある村の出の農民には名前しかない。苗字を名乗れるのは、レオのように、それなりに裕福な家柄でないといけなかった。……元貴族であったり、没落した富豪が出自である者が、奴隷として扱わられる事はまず、ない。かなり複雑な、出来れば関わり合いになりたくないほど込み入った事情があるのは間違いなかった。

「一文なしには、こんなもんだろ。まあ、気にしないことだね。何を隠そう、一番気にしてないのはこの子自身だろうし」

「文句を言えない立場ですけど。大丈夫でしょうね? あとでぎゃあぎゃあ言われるのはごめんですよ」

「あっはっはっ。平気平気。……それじゃあ、あとはあんたらで話をつけな。仕事の話だったら、うちはお邪魔だからね」

「すみません。終わったら、店員さんに声をかけたらいいですか?」

「そうしてちょうだいな。じゃあね、またあとで」



 チェルシーが出て行ってしばらくしてから、トーマは口を開いた。

「あ、どうぞ座ってください」

「……遠慮なく」

「うん」エイミはトーマの奴隷ではない。むしろ、協力してもらえるのだから、立場は自分の方が下なのだと、トーマは思っている。

「仕事なんだけれど。その前に、一つだけお願いがあるんだ。俺たちの事情に、首を突っ込まないこと。これを約束して欲しい。たとえ、仕事の内容が意味の分からないことでも、割りに合わなくても、一応、チェルシーさんから話は通ってるはずだからね」

 エイミは小さく首肯する。トーマは少しだけ安心した。

「マスターからもそう聞いてる。もとより、私は傭兵だから。お金さえもらえるなら、何でもやるよ」

「助かるよ。……君は、バリスタってギルドを知ってる?」

「……知ってる」

「今夜、君はそこのルチアーノって男を足止めして欲しい。俺たちが動くのに合わせて。俺たちの邪魔にならないように」

 ルチアーノ、と、エイミは口中で呟いた。

「そいつ、かなり腕がいい弓兵なんだ。どう? なんとかなりそうかな?」

「それが仕事なら。……足止めだけでいいの?」

「必要なら殺しても構わないよ。君の良心にお任せしとく」

「……殺した方が早い。ルチアーノ相手なら足止めの方が手こずる」

 トーマは首を傾げる。エイミは、ルチアーノを知っているような口振りだった。

「もしかして、知り合い? あ、話したくないならいいんだけど」

「……私は四年前、バリスタにいたから」

 なるほどと、トーマは内心で舌打ちした。チェルシーが無償でエイミを貸し出したわけが、なんとなく分かってしまったのである。

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