ラッキーなルチアーノ・2
バリスタの本拠地は街の中心からは外れたところにある。日中ならば黒煉瓦の屋根が目立つ、細長い建物だ。建物の最上には櫓のようなものが備えられており、目のいい者や、夜目の利く者がそこで見張りをしている時もある。とはいえ、街中で戦闘を仕掛ける者など殆どいない。今となっては、バリスタに入団したばかりの新人が、物珍しさに櫓へ登るだけであった。
七階建ての建物にはメンバーが寝起きする部屋があり、一階は主に、依頼者や入団希望者を待たせる空間となっている。
「……行こうか」
ローブを羽織り、顔を隠す。トーマとレオは塒から這い出て、真っ暗の中を早足で進み始めた。草木も眠るような時間だが、街はまだ完全には眠らない。酒場からは明かりが漏れ出て、窓の開いた部屋からは嬌声が聞こえてくる。
「もう一度仕掛けを説明しておくよ。俺が表から。君は裏から。相手は多くても五人かそこらだ。前みたいに火をかける必要も、建物ごとぶち壊す必要もない。見つけた端に殺すだけだ」
「は、俺はお前のそういうところは好きだぞ。何かにつけて理屈っぽく言うが、やることはそこらの悪党と大して変わらん、分かりやすいところがな。……バルボロに行ったやつらはどうするつもりだ?」
「新人の育成には時間をかけるだろうから、バリスタのホームを潰した足であっちに出向くのもいいかもしれない。使えるメンバーが向こうにいたって、新人を庇いながらじゃ辛いだろ。それか、バリスタからの差し入れとか言って、毒を使うのもいいかもね」
「どちらにせよ、先にホームを潰すのを考えた方がよさそうだな」
二人は人目を避けながら、バリスタの本拠地付近まで辿り着く。表、裏、どちらの入り口にも鍵はかかっているだろうから、そこを壊したのなら相手の体勢が整うよりも早く仕掛ける必要があった。だが、トーマとレオが二手に分かれようとした時、
「おいおい、あんたら、うちに何の用だ?」
と、上から声が降ってきた。
その男は黒煉瓦の屋根の上に立っており、植物性の髪油で整えた黒髪を後ろに撫でつけながら、口の端をつり上げた。彼は小型の弓を片手で弄び、にやにやとした笑みを浮かべて、トーマたちを見下ろす。男の歳はまだ若く、トーマ、レオと同年代にも見えた。
「入団希望者には見えねえなあ」
緑色のマントを翻した男は、油断なく眼下の二人を見据える。
「帯剣に、ツラ見せないのはよしとしようや。けどさ、どうにもあんたら、胡散臭さ以上に血生臭いぜ。つーわけで、勝手ながらバリスタへの入団は認めねえ。帰んな」
「……スコルピか? いや、それにしては若い。なるほど、残った護衛ということか」
「へえ? なるほど、俺はラッキーってわけだ。あんたらを今ぶっ殺せば、団長にゃあ余計な苦労掛けずに済む。……一刀猟団をやったのはあんたらだな?」
男は短弓を構え、屋根上からトーマに狙いを定める。
「俺の名はルチアーノ。バリスタで一番出来る男だ」
「……つまり、君を殺せば俺たちもやりやすくなるってわけだ」
トーマはルチアーノに対してナイフを投擲する。上昇する凶器を、ルチアーノは苦もなく避けた。が、その隙にレオが裏へと回ろうとする。
「させねえって」
「……っ!」
ルチアーノの射撃は素早いものであった。まず、動く人間に狙いをつけるのが早く、矢を射るのもつがえるのも一級品である。また、小さい弓は大きいものよりも貫通力に劣るが、まともな防具を装備していないトーマたちには関係がなかった。得物が小さい分、速射と連射に優れており、しかもルチアーノが放つ矢の狙いは正確である。一発が致命傷にならなくとも、何度も食らえば危険な代物であった。
「はしこいなっ。小回りがきいている」
呟き、レオは剣を抜く。そうして、物陰に身を隠した。トーマは、ルチアーノからは死角になる軒下に逃れたが、二人は身動きを封じられてしまう。高所という地の利を活かされるばかりか、彼自身も身のこなしは素早く柔軟であり、トーマとレオのどちらかが動けば、その瞬間に矢の雨を降らせる事だろう。
「詰みだぜお二人さん。ここで引くってんなら俺も見逃す。面倒ごとは苦手なんでな。だが、それでも向かってくるってんなら容赦しねえ。バリスタは今、大事な時だからよ。……あんたらにとっちゃラッキーな状況だったろうが、俺がいたのはアンラッキーだったな?」
「よく回る舌だ。引き抜いてやりたいな。なあ、相棒?」
「……その通りだよ相棒。だけど、まずいね」
バリスタのホームに入れば状況は変わるだろう。しかし、その為には身を晒し、入り口の鍵を壊す必要がある。ルチアーノはその隙を見逃さないだろう。ここで引けば次に仕掛けるのは難しくなる。ルチアーノがトーマたちの襲撃について喋れば、スコルピは命惜しさにホームを出て潜伏するかもしれない。それどころか、新人の育成を中断し、守りを固めるかもしれないのだ。
「大したイヌだな、ルチアーノとやら。だが、俺たちがここで引くと思うのか?」
「普通なら思わんね。だけどな、俺が、あんたらのことを黙ってるってんならどうだい?」
トーマは、ルチアーノの思惑をはかり損ねた。彼が襲撃者について話さない理由が思いつかなかったのである。
「俺はスコルピやトレシュの旦那には借りがある。色々あってな、俺はここに拾ってもらった。だからよ、あんたらみたいなのがいると知ったら、あの人らは困るんだ」
「つまり、君だけで俺たちをどうにかするって言うのかい?」
「話が早いな。その通りだよ。ここで見逃せば、あんたらはまた明日にでもやってくる。けど、それも永遠ってわけじゃねえ」
新人の育成が終了すれば、バリスタには多くの人が戻る。そうなれば、トーマたちとておいそれとは仕掛けられなくなる。
「君にとっては不利で、不利益な話だな」
「男には、そういうもん背負ってでもやらなきゃならん時があんのさ。で、どうする?」
ルチアーノの言葉が真実か否か、トーマは思考を巡らせる。バリスタを潰す、千載一遇の好機なのだ。ここを逃せば……。
「よかろう」
「ちょっと!? 勝手に何を言ってんのさ!」
「俺はこのままカメのようにこもる気はない。しかし、こいつを仕留められるとも思えん。ならば引く。それに、俺はこの男を信じるぞ」
「……随分と正直だなあ、あんた」
ルチアーノはレオの性根を認めると共に、呆れていた。
「じゃ、ここはお互い命が残ったってことでラッキーとしとこうや。……このまま俺の視界から消えな。少しでも妙な真似をしやがったら、そん時は射つからよ」
トーマは逡巡するも、レオがさっさと物陰から姿を現し、来た道を戻るのを見て、諦めてしまった。
「……まったくあいつは」
「おら、あんたも行きなよ」
屋根上から手を振るルチアーノを見上げて、トーマは息を吐いた。ルチアーノの態度は、この先も殺し合うであろう相手に対しては、親し過ぎる。恐らく、彼はそれだけ修羅場を潜ってきたのだろう。
「なるほど、手強いな。それじゃあね、また会おう」
「おう、二度と来るなよ」
二人はルチアーノの目から逃れる為、塒まで遠回りをしながら、ようやくになって戻ってきた。部屋に辿り着くと、トーマとレオはベッドに倒れ込む。
「……くそっ」
「くく、バリスタのルチアーノか。面白い男だったな」
「どこが。あんなやつがいるなんて知らなかったよ、もう」
「……トーマ。お前の策とやらは穴だらけで荒いのだ。今まではただ奇襲、夜襲を仕掛けて暴れていればよかったがな、今回はそう上手くいくまい」
言い返せないので、トーマは枕に顔を埋める。
「だいたい、俺たちは二人とも頭は良くないのだ。無理してやり方を考えるからこうなる」
「だったら真正面から行けって言うの?」
「そうは言っていない。現状、ルチアーノの存在が邪魔なのだ。やつさえどうにか出来れば……」
だが、屋根上を陣取られてはなす術がない。こちらも、隣の建物から飛び移るなり、そこから飛び道具を仕掛けるなり、あるいはルチアーノのいない時間を見計らって突っ込めばいい。が、どれも実行に移すのは難しかった。まず、飛び移る時に射たれる。飛び道具どころか、トーマたちには武器がない。せいぜいナイフを投擲するくらいである。そして、人目のある時間帯にバリスタを襲えば正体が露見してしまう恐れもあった。
「……たぶん、ルチアーノは昼間にはあそこにいない。けれど、他の人の目がある。それにあいつ、見張りくらいは雇ってるんじゃないかな?」
「ならば仕掛けは夜になる。が、その時間にはやつがいるか。おお、すごいな。八方塞がりだぞ」
「何嬉しそうに言ってるんだよ!」
トーマに怒鳴られてもレオは平然としていた。
「いや、相手も人だ。殺されるつもりはない。その為には必死になって抵抗するだろう。俺たちが殺すのは木偶ではない。楽しむつもりはないが、これしきのことで参っていては次がないぞ」
「正論だね。腹が立つよ。だったら、打開するしかない。俺と君だけで無理なら人を雇おうか」
「……何? 誰にものを頼むつもりだ。俺たちの事情に首を突っ込ませるのか?」
「その必要はないよ。気は進まないけど、手ならある。黒蟻のところに行こう。あそこには貸しがあるからね、うまくやって人を借りるんだ」
なるほどと、レオは得心した。トーマの言う黒蟻とは、とある傭兵ギルドを指している。金さえ払えば彼らは一流となりうる。事情にも首を突っ込まず、与えられた役割をこなすだけだ。ルチアーノを無力化するには打ってつけである。
「で、雇う金はどこにある? 悪いが、そんなものは逆立ちしても出てこないぞ」
「知ってるよ。俺にだってそんなものはない。だからさ、言っただろ。貸しがあるって。俺が上手く交渉して、人を借りるんだ。タダでね」
「……アレを相手に、か? 上手くやれるとは思えんな」
俺もだと、トーマは笑った。
「まあ、何とかなるよ。ダメならその時考える」
「お前の考えとやらはあてにならん。もういい。今日は寝る」
「はーい、お休み」
バリスタを潰す為にはルチアーノが邪魔で、彼を殺す為に、傭兵ギルド、黒蟻のマスターと一戦を交える。遠回りをしているように思えて、トーマは強く目を瞑った。
「……俺は、何をしてるんだろ」
昂ぶった神経は、彼に安らかな眠りをもたらさなかった。