残り火
「聞いたかよ。一刀猟団がやられたんだってよ」
「ヒリュウまで殺されたんだろ。どこの死にたがりの仕業だろうな。俺には理解できねえ」
「そりゃそうだろ。……しかし、誰がやったんだろうな」
酒場の隅の席に座っていたトーマは、カウンターに銅貨を五枚置き、レオと共に席を立った。二人はじっと、ここでの喧騒に耳を澄ませていたが、得られるものは少なかった。
酒場には人が集まる。酒気は人の口を緩くさせ、情報を吐き出させるものだ。ここに留まり、質さえ問わなければ話の種には困らなくなる。
トーマとレオは酒場を出て、街の大通りに向けて足を伸ばした。外はもう、すっかり暗くなっていた。
「早速噂になっていたな」
そうだねと、トーマは短く答えて、足を速める。
「だから言ったろう、やりづらくなると。俺は知らんぞ。……あのヒリュウとやらに勝てて気分がいいのだ。少しくらいの無茶は許す」
「明日は、もう一日だけ様子を見ようか。君が先に無茶をしたせいで、武器が使い物にならない。大事にしてたナイフは予備まで全部あいつに折られたしね」
「手強かった……だが、いい経験になったな」
「二度とごめんだよ。竜殺しは伊達じゃなかったってわけだ」
翌朝、塒であるシェルターで朝食を取った後、トーマとレオはトバの森へと向かった。装備を整える為に魔物を狩るつもりであった。が、無理は出来ない。ヒリュウとの戦いでは手持ちの武具を大部分失ったのである。代わりのものを調達する金が必要だった。
「マッドボアの牙は値が落ちてるらしいから、今日は一区でウサギでも狩ろうか」
「……ウサギだと?」
トーマの言うウサギとは、トバの森の一区で見かける跳ねウサギの事である。額に小さな角が一本生えた、小型の獣だ。慣れたプレイヤーにとっては草木と変わらない。ぴょんぴょんと跳ねるだけで害はないのだ。
「新人でもあるまいし、何を言っている」
「確かにウサギ肉は安いけど、安全に数を集められる。今の僕たちにはまともな武器さえないんだよ?」
「武器を揃えるまでに何匹殺すつもりだ。俺は嫌だ。竜の後にウサギだと? 腕が鈍る」
トーマは溜め息を吐いた。レオのわがままな部分は四年前と変わらない。特に、戦闘に関しては口を挟む事すら許さない時もある。
「お金ってのはね、空から降ってくるわけじゃあないんだよ。こつこつとやらなきゃ」
「……ならば、俺は大物を狙う。お前はウサギと遊んでいればいいだろう」
「そんな、小さいナイフで?」
うるさいと、トーマを突っぱねて、レオはすたすたと歩いて行ってしまう。トーマは肩を竦めた。レオはこうなったらてこでも動かない。……流石に命を落とすような無茶はやらないと思い、彼とは逆の方向へと進んだ。
トバの森では金を稼ぎづらい。危険なダンジョンにはそれに見合う魔物の素材が手に入るが、二人だけでは大した収穫は得られないだろう。かと言って、比較的安全なギナ遺跡や森では、他のプレイヤーの隙を窺いつつ、効率的に魔物を狩るのも難しい。人を雇うのにも、強力な武具を得るのにも金がいる。ましてや、仇をとる為には金を稼ぐ過程で怪我をするのは許されない。八方を塞がれているわけではなかったが、選べる手段は少なかった。トーマは悩みながら、跳ねウサギを探して歩く。
「一刀猟団の持ってた刀を売れば良かったかな……ダメか。そんなことしたらバレるし」
ひとりごちながら大きく垂れた枝を払うと、少しだけ開けた場所に出る。プレイヤーの休息地として作られたところであった。トーマは近くにいたウサギを一匹仕留めて、切り株に腰を下ろす。そこで肉の解体をしていると、
「……あ」
「やあ。前にもあったね」
以前助けた、魔法を使うであろう少年と出会った。
トーマはにこやかに微笑みかけたが、少年は警戒し、切り株に座ろうとはしなかった。
「また、そんな小さいのを殺したんだ」
軽蔑の視線で見られるが、トーマは動じない。
「生きてくためだからね。仕方ないよ」
「あなたは強いのに、もっと、凶悪な魔物を倒せばいいじゃないか。そうすれば、他の人たちも助かる」
風がそよぎ、少年の茶色がかった髪が揺れる。彼は、まだ十歳程度の年頃であった。顔立ちや体つきは中性的で、声変わりも済んでいない。ともすれば、女の子にも見える。
「そのために俺が危ない目に遭えばいいって言うのかい。……その杖は飾り? 自分でやればいいじゃないか」
「飾りなんかじゃないよ。僕は、そのために森に入ったんだから」
少年はむっとした様子で答えた。青臭いなと、トーマは目を細める。
「でも、ハグベアにやられそうになってたよね」
「あれはっ……うまく、魔法が出なかっただけだよ!集中できなかったからだっ」
魔法を発動させるのには、魔力を練り上げる必要がある。力を練るには、心を研ぎ済ます事が不可欠だ。心が乱れれば魔法は扱えない。何事にも怯まず、震えない、強靭な精神力が魔法使いとしての、第一の素養であった。
「一応、魔法は使えるんだ?」
「当たり前だよ。僕は大魔法使いになるんだ。この街で一番の魔法使いになれば、みんな、僕をそうだって認める」
「……なんだ。結局自分のために魔物を殺すんじゃないか。俺と同じだね」
そう言うと、少年は黙り込んでしまう。いじめ過ぎたかと、トーマは反省して、ウサギの解体に意識を集中した。
「……あなたは、魔法が使えるの?」
「俺? いや、無理だったよ。試したけどね、せいぜい、地面に小さな穴をあけるくらいだった」
「地属性なんだ。ふうん、すごいね」
少年は笑った。他者を見下すような、意地の悪い顔である。
「僕はね、六つの属性の魔法を全部使えるんだ」
「嘘だね」
トーマは少年を見ないまま言った。……魔法には、地、水、火、風、光、闇の六つの属性がある。しかし、一人の魔法使いが扱えるのは、せいぜい二つの属性がやっとだ。それは、個人によって扱える属性の素養が決められているからだ。地属性の魔法を極めた者ですら、他の属性の下級魔法を扱えない事もある。しかも、そう珍しい事ではない。
「嘘じゃないっ。本当だよ! 師匠だって、僕にはすごい力があるって言ってたんだ」
「君を慰める方便かもしれないよ。僕も、力のある魔法使いを見たことがあるけどね、そんな人でも、一つの属性の魔法しか使えなかったんだ」
肉の解体を終えると、トーマは皮袋にそれを入れて、切り株から立ち上がった。少年の与太を聞くつもりはなかったのである。
「じゃあね。君がそんなじゃあ、君の師匠とやらもたかが知れてるよ」
「なっ、ま、待ってよ! 謝ってよっ。僕を馬鹿にしたっていい、けど、師匠を馬鹿にするのは許さない!」
少年はトーマの前に立ちはだかり、じっと、彼を見上げる。
「ふうん。じゃあ、相当に名の通った魔法使いなんだろうね、君の師匠は」
「……それは、その、言えない」
「名前を教えてくれないの? 別にいいよ。どっちにしたって信じないから」
「言ったってしようがないからだよっ。もう、師匠はこの街の人たちに忘れられてる、師匠の名前も知らないやつばかりだ。師匠は、あんなにすごかったのに……」
「分かったからいいなよ。聞くだけ聞いてあげるから。けど、気が済んだら俺の邪魔はしないでよ」
少年は涙目になってトーマを睨んだ後、ぐっと息を呑んだ。
「リベルファイアだ。その人が、僕の師匠なんだ」
少年の名は、ファンと言った。彼は大陸の南方にある村の生まれで、十歳になるまで、そこを出た事はなかった。野良仕事ばかりの日々を過ごしていたが、ファンが五つの時、旅人が村を訪れた。その人物こそ、突風同盟の魔法使い、逆巻く炎と呼ばれた男だったのである。が、彼は自らが何者なのかを詳しくは語らず、村長の家に一ヶ月ほど逗留し、街へと戻った。彼がなぜ、ファンの村にやってきたのかは分からない。だが、その一月の間に、リベルファイアはファンに魔法の手ほどきをし、自分の名だけを告げた。
ファンの話を聞き終えたあとも、トーマは沈黙し続けた。突風同盟の残したものは、何もかもが失われたわけではなかったのである。リベルファイアの思惑は見当すらつかなかったが、ファンの師匠が確かな人物だとは分かった。
「なに黙ってるのさ。だから言ったじゃないか。師匠の名前は、誰にも分からないんだって」
「……いや、分からないんじゃない。そりゃ、中には本当に彼を知らない人もいるだろうけど、その名前を口にすることを嫌がる人だっているんだ」
「……どういう意味?」
「さあね。けど、俺は君の話を信じるよ。少なくとも、リベルファイアが君に魔法を教えたってところはね」
魔法使いは、他者に魔法を教えたがらない。少なくとも、タダでモノを教える事は少ない。力量のある魔法使いなら、その技術は金になる。魔道書の一冊でも書けば、数年は遊んで暮らせるだけの金貨が手に入るのだから。だからこそ、リベルファイアがただの子供に魔法を教えるはずはない。彼は、ファンに力があると見込んだのだ。……それでも、六つの属性をファンが扱えるとは、トーマは思わなかった。
「でも、一月だろ。そんなんで魔法を使えるようになるとは思えないけど」
「師匠がいなくなったあとも、僕は自分だけで修行を積んだんだ。やり方は、師匠が教えてくれたから」
「……なんで、五年も経ってから街に来たの?」
リベルファイアは、もうこの街にも、この世にもいないのだ。
「そんなの、あなたには関係ないじゃないか。それより、あなたは師匠を知っているような口ぶりだった。師匠がどこにいるのか、教えて欲しい」
「嫌だ。それこそ俺には関係ない。ただ、面白い話を聞かせてもらったお礼に、一つだけ忠告しておくよ。君の師匠の名前は、もう口にしない方がいい。街の中では特に」
「そんな、どうしてっ、どうしてさ! やっぱり、あなたは何か知ってるはずだよ!」
服の裾を掴まれて、トーマは立ち止まる。
「俺は何も知らないよ。ただ、君みたいにうるさく言ってると、よく思わない人だっている。考えてみなよ。君さ、俺の機嫌を損ねたら殺されたっておかしくない状況にあるんだよ。ここが街の中だとしても関係ない。何せルートナインには法がないから。目の前で人が死のうと、たとえば誰かに襲われたって文句は言えるけどそれだけだ。……今、僕は君をどうやって金に変えようか考えてる。奴隷としてどこかに売り飛ばしてやろうかって。あるいは、君は女の子にも見えるし、そういう店に紹介するって手もあるんだぜ」
「いいよ」
「……なんだって?」
「好きにすればいいんだ。僕だって、箱入りの王子さまなんかじゃない。あの街の仕組みくらい知ってる。でも、僕を売り飛ばしてもいいから、師匠のことを教えて欲しいんだ。僕が大魔法使いになるには、あの人の力が必要だから」
存外、ファンの意思は固かった。尚更、トーマはリベルファイアの事を、突風同盟の事を話すわけにはいかなくなる。
「なんでもする。ねえ、あなたのここに跪けばいいの?」
「二度と俺の前に現れるなよ」
トーマはファンを押し退けて、森の奥へと進もうとした。ファンは、これ以上は無駄だと悟ったのか追ってこなかった。
「やっと見つけた手がかりなんだっ、僕はあなたを追い回す! それが嫌なら教えてよ! 教えてもらうまでは、絶対にあなたを逃がさないから!」
「ふん、やはりお前は魔物を狩るのに向いてないな」
レオは袋をいっぱいにして、トーマの提げていた皮袋を覗き込んだ。
「……君こそ、結局ウサギばかりじゃないか」
「ふはは、大物は俺に恐れをなして逃げ出したに違いない。仕方ないから小物と戯れていたに過ぎん」
「はいはい。けど、これで剣の一本くらいはどうにかなりそうだね。それから、今日の晩ご飯も」
レオはぴくりと眉を動かす。
「俺の奢りか? 貸しにするぞ、いいな」
「いいよ。……それから、やろうか。バリスタを」
「……剣の一本しか用意出来ないのではなかったか?」
「俺なら平気だ。剣は君が、俺は、昔のアレを使う。それから、あそこに人を借りよう。まずは小手調べといこうじゃないか」
レオは、トーマの内心を見抜いている。彼は今、焦っているのだ。ろくな準備をしないまま仕掛ける事は今までになかった。何がトーマを急き立てているのか、レオは考えようとして、やめる。
「勝算はあるのだろうな」
「もちろんさ。八対二で、俺たちに不利だけどね」
「充分だ」レオは明日の事を考えるのはやめ、今晩のメニューに思いを馳せた。