風は鉄のように鋭く
ルートナインに居を構える者は多い。冒険者――――プレイヤーを相手に商売する為だ。特に酒場と宿屋は繁盛した。質さえ問わなければ、裏路地にも看板を出す安い店が軒を連ねている。だが、ギルドに所属するプレイヤーはそうもいかなかった。彼らの多くはよそから流れてきた者であり、懐には余裕がない。そこで、プレイヤーは宿の一室を借り受けるのが殆どだった。店主と交渉して金を払い、自らの塒とする。大規模なギルドともなれば、新人を住まわせる寮を備えているが、それはあくまで一部のギルドに限る話である。
トーマとレオは、人の寄り付きそうにない宿を選んだ。……突風同盟の世話になっていた、シェルターという宿屋である。四年前、シェルターは大通りに店を構えていたが、突風同盟がなくなった事の余波を受け、入り組んだ裏路地の、最も奥まった場所にまで追い遣られた。プレイヤーで賑わっていたシェルターも、今では数日に一人の客を取るまでに売り上げは落ち込んでいる。
尤も、トーマたちには都合がよかった。宿泊料金は破格の値である。シェルターの店主はトーマとレオの顔に覚えがないらしく、二人がここを塒にしたいと言った時には、偏屈そうだった仏頂面を破顔させた。
トーマは、シェルターを気に入っていた。レオと二人で借りた一室は、突風同盟の寮部屋を思い起こさせたからだ。瑣末な作りのベッドも、薄汚れた毛布も、煤で色の変わった壁も、何も気にならなかった。……レオだけは、ここで暮らすのを渋り、嫌な顔をしていたが。
「よう、お帰り」
「ただいま。ごはん、まだ食べられる?」
台帳を眺めていたシェルターの店主、ジービーは頷き、食堂へと引っ込んだ。ジービーは白髪交じりの、線の細い男だ。彼は、今までにもトーマたちの事情については何一つとして聞かなかった。深夜に出かけ、朝に帰ってくる二人を怪しんでいただろうが、同時に、その二人は唯一の収入源でもあったからだろう。詮索して気を悪くされても困ると考えているらしかった。
「……メシが出来るまでに着替えておくか」
レオはあくびを漏らしながら階段を上っていく。ぎいぎい、と、腐りかけの木材が悲鳴を上げた。トーマは彼の背中を追いかけるようにして、懐から鍵を取り出し、それをくるくると回す。
シェルターの二階の一番奥の部屋が、トーマたちの塒であった。
突風同盟を襲ったギルドを探し出すのに、大した時間はかからなかった。羽振りが良くなった者たちの噂は街中に広まっていたのである。襲撃に参加したギルドは塔に踏み入り、戦利品で利益を手にしたのだ。だが、注意深い者も中にはいる。彼らは次の標的になるのを恐れて、以前と変わらない生活を送っていた。
だから、トーマとレオは数ヶ月前から行動を始めた。目を付けていたギルドのメンバーを一人ずつ、少しずつ殺害し、その過程で情報を聞き出していたのだ。その結果、一刀猟団に行き当たったのである。サムライたちの長が、四年前の夜、中庭での戦闘に参加していた、と。
「一刀猟団の長、ヒリュウか。だが、やつを殺せば他のギルドに勘付かれるぞ。今は、誇り高さとやらが邪魔して、ヒリュウが黙しているに過ぎん。しかし、やつが死ねば誰かは動くかもしれん。そうなれば、俺たちが動くのも難しくなる。トーマ、お前はどうするつもりだ?」
「一刀猟団を潰したあと? バリスタをやるつもりだけど」
レオは溜め息を吐いた。彼は汚れた服を部屋の隅に放り投げて、新しいシャツに袖を通す。
「警戒されている中でどう動くのか聞いている」
「上手くやるだけだよ。一刀猟団を狙ったのは、あのギルドが小さいからだ。襲撃に参加していたのは、街の半数以上のギルドだよ。四年も経ったんだ。波風立てなくないだろうし、よそとの連携を密にしているところだって少ないはずだ。だから、一刀猟団みたいなギルドを潰したって、他のギルドの耳には入らないかもしれないし、その話を聞いたって何とも思わない」
「しかし、噂にはなる。確実にな。頭の回るやつなら、あの日の生き残りが復讐を始めたのだと気づき、何か、手を打つかもしれん。打たれれば、俺たちは死ぬ。これも確実な話だ」
トーマはベッドサイドの酒瓶に手を伸ばし、それを一口だけ飲んだ。
「分かってる。あいつらがその気になれば、僕たちなんて道ばたの石ころのようなものだろうね。でも、すぐには動けない。分かってるだろ。大きくなり過ぎた。やつら、肥えたんだ。そういうところは鈍い。突風同盟がそうだったようにね。失うものがなくなったのは僕らの方だ。小回りがきく。……何も、でかいギルドを狙うからって下っ端まで殺すことはない。頭を潰せば手足は働かなくなる。これも、突風同盟と同じだ」
「……俺たちにも打つ手はあるんだな?」
「もちろん。でも、まずはヒリュウを仕留めよう。噂なら好きに流せておけばいいし、気づくやつは勝手に気づかせておけばいい。そうなったらなったで、やりようはあるよ」
そう言って、トーマは笑みを浮かべた。楽しくてしようがないといった類のそれは、レオの目を逸らさせる。
「分かった。俺は、お前のようには頭が回らんからな。ついていくだけだ。だが、ヒリュウは俺に任せてもらう。……これから先、正面切ってやり合う場面も増えるはずだ。その時は、俺がお前の前に出る。そのために、経験を積む必要があるからな」
「一対一でやるつもり? 嘘だろ、危ないよ。相手はタイマンの権化みたいなやつなんだぞ。ねえ、レオ。君は、ヒリュウみたいに、一人きりで火竜を狩れるのかい?」
「さあ、どうだろうな。だが、やつが仕留めたのはドラゴニュートの老人とも聞くぞ」
「ドラゴニュートだって僕たちからしたらドラゴンと変わらない相手じゃないか。まあ、君は一度言い出したら聞かないからね。任せるよ。ただし、その場には俺も行く。やばくなったら手は出すからそのつもりで」
「よかろう」と、レオは眠たい目をこすりつつ、あくびを漏らした。
トーマとレオは用意された食事を食べ終えた後、三時間だけ眠り、外套を羽織って街に出た。ギルドに属していた時とは違い、何もしないままでは食べられない。金を稼ぐ必要がある。しかし、強大な後ろ盾を無くした今となっては、まともな依頼を受ける事すら難しかった。いわば、おいしい仕事は回ってこない。足を使ったところで、みすぼらしい少年二人に仕事を頼む者も少ない。いたとして、足元を見られるのが殆どであった。
二人が目をつけたのは、魔物の素材を買い取りに出す事だった。魔物を殺し、その肉や皮を武具屋、あるいは料理店に売って回る。ギナ遺跡やトバの森の一区に生息する魔物の素材は安価だったが、危険な地域にのみ生息する魔物の素材は高く売れた。その分、命の危機に瀕した事も何度かあったが。
「どうしようか、今日は二区まで行ってみる?」
「構わん。マッドボアの牙が手に入れば、南瓜亭で美味いものが食えるな」
「決まりだね」
素材を買い取ってもらう事に決めた当初、トーマとレオは縄張りというものを知らなかった。素材を買い取るような武具屋、酒場は数が限られている。新入りである二人の世話になるような店は少なかった。尤も、今では懇意の店をいくつか確保している。二人は、街で生きていくのが少しだけ上手くなっていた。
トバの森は三つのエリアに分けられている。トーマとレオは、三区に足を踏み入れた事もあったが、その時は一日どころか、数時間でダンジョンの探索を断念した。一人二人で挑むような場所ではない。そも、何人で挑んだとしても、死ぬ時は死ぬ。それだけ凶悪な魔物がいるのだ。しかし、今日は一区と二区に生息する魔物を狩るだけで、二人は気楽でいるようだった。マッドボアを仕留める為、小川に沿ってゆっくりとしたペースで歩き続けている。二人が探しているのは、マッドボアが水浴びをした痕跡だ。
「時期が良くなかったかな」
「既に狩られたかもしれん。二区まで足を延ばすか?」
考え込む二人の耳に、甲高い声が聞こえてくる。人の叫び声であった。女のようにも聞こえたが、声変わり前の少年のようにも聞こえてくる。
「……新人さんかな?」
「さあな。魔物に襲われた可能性は高いが」
「様子だけでも見に行ってみようか。うまくいけば、楽して素材を取れるかも」
木々をすり抜けるように進んでいくと、ハグベアの親子が見えた。冬眠前のハグベアは気性が荒く、常よりも餌を求めている。人間に襲いかかるのも珍しくはない。
魔物に襲われているのは、少年だった。彼はぶかぶかのローブを着て、杖を振り回している。そうして、大声で叫びながら逃げていた。
「食べてくれと言わんばかりだな」
ハグベアは動くものに興味を惹かれる。この時期なら尚更であり、助かりたいなら背中を向けず、じりじりと後退りするのが正解だった。少年は、恐らく初めてトバの森に入り、ハグベアと遭遇したのだろう。
「魔法使いかな。……ハグベアの親、火傷してるね。あの子がやったんだ」
「馬鹿だな。冬眠前のアレを狙うとは」
「うっ、うわあーっ、くるなくるなってばあ!」
「このままだと殺されるね」
「あっ、そ、そこの人! たっ、助けてっ、助けてよう!」
「……どうするトーマ。見つかってしまったぞ」
目ざといやつだとレオが笑った。腰を抜かしていた少年は、必死になって助けを求めている。
「仕方ない。ここで死なれるのも寝覚めが良くないからね」
「決まりだな。おい、そこのお前、動くなよ!」
トーマとレオは軽装である。防具の一つも身につけてはいない。彼らはそれぞれ、片手剣を手にしているだけだ。
だから、少年は落胆した。助けを求める相手を間違えてしまった、と。しかし、この場には二人しかいない。命運を託すには頼りなかったが、仕方がないと彼は割り切る。
「回り込めっ」
「楽しちゃって……」
レオが正面からハグベアにぶつかっていく。魔物は右腕を振り上げた。彼は半身になり、その攻撃を避ける。回避すると同時に、ハグベアの右腕を叩き切った。
ハグベアは激痛に苦しみ絶叫しながらも、残った左腕でレオに襲いかかる。が、背後に回り込んでいたトーマが背中に刀身を突き立てた。
「やっぱり硬い……!」
「どこを狙っているっ、やるなら腹だ!」
ハグベアの皮は硬い。特に、背中にあたる部分は攻撃するのを避けてしかるべきだ。並の剣では肉まで届かない。
「回り込めって言っただろ!」
「使えん!」
言いつつ、レオがハグベアの腹に、叩きつけるようにして剣を切り払う。その一撃は魔物の皮を裂き、肉を貫き、臓腑は血液と共にこぼれ落ちた。
トーマはハグベアの左腕を切り落とし、レオの作った傷口を狙って、剣を突いた。趨勢は決し、魔物は断末魔を上げながら、ゆっくりと、仰向けになって倒れていく。ずしんと、大きな音が立ち、木々に止まっていた鳥たちが空へと逃げた。少年はしばらく経ってから、ようやく、息をする事を思い出す。
「……あ、あの」
「なんだお前、素人でもマシなやり方があるぞ」
レオは血振りをして、得物を鞘に収めた。
「そ、その……ごめんなさい。ありがとう、ございます」
「まあ、いいけどね」
「……? あの、何を」
少年は小首を傾げた。トーマは剣を握ったまま、ハグベアの子供に近づいていく。
「何を、するんですか?」
「……お前、馬鹿か。殺すに決まっているだろう。まだ小さいが、ハグベアはハグベアだ。でかくなれば脅威となる」
「で、でも、まだ子供なんですよ!」
その時、トーマの動きが一瞬だけ止まった。戸惑うような彼の素振りに、レオは眉根を寄せる。
「おい。よもや、お前までくだらんことを言うのではなかろうな」
「いや、ちょっと、昔を思い出しただけ。大丈夫」
「あ」
「ちゃんと殺すから」
ハグベアの子供は悲鳴を上げなかった。それだけが救いだと、少年は思った。
予期せぬ獲物であった。この時期ならハグベアの肉は高値で売れる。親のハグベアは肉が固いが、子供なら柔らかい。珍味であり、料理屋に並ぶ事はそうもない。
「ラッキーだったかもね。マッドボアよりおいしいやつだ」
「持って帰るのに苦労するがな」
二人がハグベアの肉を切り分けていると、少年が彼らの前に立った。彼は、涙目になっている。
「どうした? 安心して泣いているのか? ふはは、情けないぞ」
「ちっ、違う! 何も、子供を殺すことはなかったじゃないか!」
「なに? お前、助けてもらった上に文句までつけるのか? 呆れた甘ったれだな」
「でっ、でも……!」
トーマは大きな溜め息を吐き出して、少年に向き直る。
「だったら、最初からハグベアと戦おうとするなよ。君が仕掛けたからこうなったんだ。君に力さえあれば、俺たちがこいつを殺すこともなかった。もっと考えて喋りなよ」
少年は何も言えず、すんすんと鼻を鳴らして俯いてしまった。
「これに懲りたら一人で森に入らないことだね。ギルドの人とパーティでも組むのをすすめるよ。ハグベアに火傷くらいしか作れない魔法使いなら尚更だ」
「……うっ、うるさいっ。パーティなんか、いるもんか。ギルドなんか、誰が入るか!」
「おいトーマ、子供を泣かすやつがあるか」
「これくらいで泣くんなら街で生きてけないよ」
「……っ! うるさい、バカっ、分からずや!」
少年は袖で涙を拭き、トーマたちに背を向けて走り出す。
「助けてくれてありがとう! けどっ、僕はそんなの認めないから!」
「……あー、行っちゃった。帰りにも襲われてなきゃいいけど」
「しかし、何と言うか。少し、お前に似ていたような気がするな」
「俺と、あの子が? ……まあ、少しくらいは」
「ふん。だから、あそこまで強く言ったのだろう。お優しいことだ」
「何のことやら。それより、早く切り分けて街で売ろう。これなら、南瓜亭で一番いいのを食べられる」
トーマは、最後にちらりとだけ少年の後ろ姿を見遣る。彼の優しさが、少しだけ胸に痛かった。