テスト
自然に囲まれてのんびりとした時間を過ごしてきたトーマに、慌しい街の空気は合わなかったのかもしれない。彼は溜め息を吐き、自分に付いて来いと言わんばかりな男の背中を眺めた。村にいた時は向かいのジョゼフおじさんの押しも中々に手強いものではあったが、レオの強引さはそれ以上だと思う。
街を引き回されて辿り着いたのは、多くのプレイヤーで賑わうルートナインでも屈指の規模と業績を誇る武器屋であった。出入り口は広く、客を迎え入れる正面には、交差した剣が描かれた大きな看板が吊り下げられている。
「うむ、ここなら期待出来そうだな」
レオは、流石俺の見つけた店だ、などと満足そうに頷いているが、トーマにその気はなかった。武器を買うどころか、店に入る事すら躊躇われたのである。
そもそもトーマは武器を必要としていない。それに、彼には充分な手持ちがなかった。有り体に言えばお金がなかった。大きなギルドならば、ギルドのメンバーが住む為の建物も宛がわれるが、規模の小さなものだとそうはいかない。街に来たばかりで頼れる者もおらず、勿論当面の住居すらあてがない。道端で寝転がるつもりのないトーマは、適当な宿屋に泊まるつもりだった。その為には代金が要る。生活費を削ってまで立派な武器を手に入れるなど宝の持ち腐れと言うものだ。
「やっぱり止めよう。僕はテストを受けないから。君だけでも頑張りなよ」
心ない励ましはレオに届かない。彼はさっきから店頭に並んだ武器を物色している。
「この槍を見ろ農民、地味だが長いぞ。実に長い!」
長さは関係なかった。
「おお、こっちの剣も良いな。どんなモンスターだろうと両断出来そうな太さがある! 気に入った!」
「だから、僕は武器なんていらないってば」
商品に釘付けになっているレオを無視して、トーマは辺りに視線を向ける。武器屋に用のある人間というのは、そこにいるだけでも恐ろしく思えた。目を合わせて因縁を付けられても面白くない。彼は人のいない方へと視線を逃がしていく。と、向かいの路地裏に看板が立っているのが見えた。年月の経ったぼろぼろの看板にはハンマーが描かれている。
「……ねえ、ねえってば」
「む、どうした農民。気に入った武器はあったのか?」
「ほら、あそこにも武器屋があるよ」
レオはトーマの指差している方に目を遣るが、つまらなさそうに息を吐いた。
「豚小屋ではないか」
「豚小屋って……。でも、看板は立ってるよ」
「まともなものが置いてあるとは思えんな。そして、まともな者が入るような場所ではない」
尤も至極な意見だが、このままではレオに押し切られて武器を買わされてしまう。ならばとトーマは考えた。どうせ買わされるのなら最低限の出費で済ませたい。この店では最低ランクの武器でも自分にとっては目玉が飛び出るほどの金額だろう。しかし、あの武器屋ならまだマシではないのかと、そう考えたのだ。
「ああいう雰囲気のあるお店の方が良いものを置いているんじゃないのかな。ほら、掘り出し物って言うのかな」
「……ふん、農民の意見を鵜呑みにするほど俺は馬鹿ではない。が、一理あるかもしれんな。良いだろう、付き合ってやる」
ありがとうと素直に言うほど馬鹿ではない。トーマは苦笑し、路地裏の武器屋に向けて歩を進める。
トーマたちは店の前で立ち止まった。
「扉が閉まっているではないか。ふん、どうやらとうに潰れていたらしいな」
看板は出たままである。しかし、閉まり切った木製の雨戸は来客を歓迎するどころか、拒否しているようにさえ思えた。
「でも、何だか人の気配がするよ。それに何もプレートが掛かっていないし、案外普通にやってるんじゃないのかな」
「な、の、農民貴様っ」
トーマは躊躇わず、雨戸に手を掛ける。するりとはいかなかったが、力を込めると少しずつ雨戸が開いていった。
暗く、埃っぽかった店内に光が差し込み、風が入り込んでいく。
「お邪魔します」
トーマは短く告げて、足を踏み入れた。ぎしりと、木製の床が軋む。レオは剣を抜いていた。
「……何してるの?」
「邪悪な気配がするのだ。気を付けろ農民、ここには強大なモンスターが潜んでいるに違いない!」
「邪悪なのはてめえの方だろう」
「何者だっ!?」
声のした方にレオが剣を向ける。トーマは呆れて物も言えなかった。
カウンターの隅で何かが蠢いている。トーマは雨戸を全開にして、店内の隅々にまで光を行き渡らせた。
眩しそうに目を細めたのは背の低い、しかしがっしりとした体付きの老人である。長い白髭を蓄えた彼は、迷惑そうにトーマたちへ視線を遣った。
「客じゃねえなら……いや、客だろうが帰ってくれ」
「貴様、店の者か? は、客に向ける言葉とは思えんな。お客様は神様ですと言う言葉を知らぬようだ」
レオの言葉を受け、店主らしき老人は口の端をつり上げる。
「大なり小なり商いをしている者なら誰でも知ってらぁ。だがな小僧、そりゃあお客様の言う台詞じゃねえ。俺たち店の人間が言う言葉なんだよ。知ってるか? 神様には疫病神や貧乏神、死神なんてものもいるんだよ」
気難しそうな人だとトーマは思った。そして運が良いとも思った。帰れと言われたのだから従うのが無難だろう。つまり、何も買わずにここを出られるという事だ。
「良し、出よう」
「良しではない! この男は俺を貶めたのだぞ! よりにもよってこの俺をっ、レオ・バーンハイトを!」
「うるせえガキだな。そっちの大人しいの、そいつを連れて帰るんだな。ああ、戸は閉めていけよ」
トーマはしっかりと頷く。
「頷くな馬鹿者が。おい店主、決めたぞ。ここで絶対に何か買ってやる。さあ農民、選べ」
「ええー……」
店主は舌打ちして、トーマたちからは顔を背けて椅子に座り直した。
仕方なく、トーマは壁に立て掛けられた剣や、樽に入れられている槍などに目を遣る。
ナイフ。サイズ。ガントレット。ハンマー。トマホーク。ウォーハンマー。カットラス。トライデント。フレイル。メイス。バスタードソード。ファルシオン。サーベル。刀。古今東西の武器がここには陳列されていた。
「まるで節操がないな」
「気に入らないならとっとと帰るんだな」
トーマの興味は店内の隅に置かれたものに移る。陳列されている訳ではない。ただ単に、そこに置かれているだけだ。彼の目を引いたのは大きなスコップである。
「これ、売り物ですか?」
店主はカウンターから身を乗り出して、トーマの指差しているものを確認した。瞬間、目を見開く。
「まさか、こいつが欲しいってのか?」
「お幾らですか?」
「まあ、欲しいってんなら売るけどよ」
「ちょっと待て!」
スコップとトーマの間にレオが割り込んだ。
「貴様ぁ! このようなものを買うと言うのか!? ふざけるな、武器を探しているのだろう!」
「うーん、これで叩かれたら痛いと思うよ」
「ならば棒でも持った方がまだマシだ! こんな、スコップなどと、格好が付かないだろうが!」
トーマはスコップを手に取り、重さを確かめる。
「うん、馴染む馴染む。やっぱりこれにする」
「貴様ぁ!」
「作っちまった俺が言うのも何だがな、奇特な野郎だぜ。銅貨三枚で良い」
金貨。銀貨。銅貨。この大陸では三つの硬貨によって売買が成り立っている。凡そ、銅貨十枚で銀貨一枚分、銀貨十枚で金貨一枚分と言うのが基本的な価値だ。
トーマの手持ちは銀貨七枚と銅貨が十二枚。悩んだが、今後街で生活するに当たって使い道の見出せない武器を買うよりも、上等なスコップを買うのならばと、無理矢理自身を納得させる。
「じゃあ、はい。これで」
「ひいふうみい、と。毎度あり。さあ、さっさと帰るんだな」
「農民、貴様正気か!?」
「僕が剣や刀を持つなんて想像出来ないよ。これで良いってば。ほら、スコップって結構色々出来ると思うし」
「だから貴様は農民なのだ!」
レオは荒い足取りで店を出て行った。トーマは頭を掻き、スコップを持ってその後ろを追い掛ける。
西側ゲートには二十人程度のプレイヤーと、それから突風同盟の者が二人、既に集まっていた。髪の長い男と、背の低い女である。二人はテストを受ける者たちに値踏みするような視線を送り続けていた。
「俺たちが最後のようだな。ふ、主役とは遅れて登場するものだ」
レオは楽しそうだが、トーマの気分は重い。深く、沈んでいる。
トーマは何度も逃げ出そうとしたのだが、その度に捕まり、街中だと言うのに剣を振るわれそうになり、不承不承ここまで付いてきてしまったのだ。
「……行きたくないって言ったのに」
「情けない武器ではあるが、貴様は確かにそれを手にしたのだ。さあ、行くぞ農民」
プレートアーマーを着込んだレオと、スコップを持っているトーマに視線が注がれる。得体の知れない取り合わせに、その場が俄かにざわついた。
が、長髪の男が掌を叩き合わせて全員の注意を引き付ける。彼の眼光に射竦められて殆どの者が押し黙った。
「時間だ。……集まったのは全部で二十、二十一名か。私はコビャク。試験官を務めさせてもらう者だ。隣の者はプリカ、私の補佐をしてもらう」
プリカと呼ばれた髪の短い女は頭を下げるが、声は発さなかった。コビャクと名乗った男は提げていたロングソードを鞘から抜き取り、あらぬ方角を示す。
「テストは簡単だ。今からダンジョンに潜ってもらい、モンスターを倒す。それだけだ」
「……それだけ?」
「おいおい、マジかよ」
場がざわつくが、コビャクはそれを止めようとはしない。思い思いに口を開く志願者たちを見て、薄く笑うだけである。
「ふん、どんな難題を突き付けられようがクリア出来る自信はあったがな」
「拍子抜けだ」と呟き、レオは不敵に笑った。
トーマの頭は真っ白になっていた。彼の顔色は少し、悪い。そのつもりもないと言うのに、いきなりダンジョンに潜れと言われ、挙句モンスターを倒せとも。そんなの無理だと頭を抱えて、トーマは蹲った。
「但し、制限時間を設ける」
コビャクはロングソードを鞘に収めて、指を三本立てる。
「三時間だ。三時間以内にモンスターを倒したと言う証拠を持ってここに戻って来れば、それでテストは終わりだ。尚――」
プリカに視線を送り、コビャクは髪の毛をかき上げた。
「――彼女にもダンジョンへ潜ってもらう。何か問題が起これば彼女を見つけて助けてもらうと良い。潜ってもらうダンジョンはギナ遺跡、この道を十分ほど進めば見えてくる。……では、テストを始める」
コビャクが告げた瞬間、大勢のプレイヤーが我先にと走り出す。トーマは未だ自身が置かれている状況を飲み込めず、その場にぼんやりと立ち尽くしていた。
「何をしている農民、俺たちも行くぞ」
「ほ、本当に行くの?」
「その為に来たのだろうが!」
レオは鼻息も荒く歩き始める。トーマはこの場に残っていた数人のプレイヤーとコビャクの様子を窺うが、勿論、助けてくれそうな者などいなかった。
ギナ遺跡。
ルートナインから最も近いダンジョンだ。その為、ここは最も早く踏破されている。手垢の付いていない場所など殆どなく、ここでの生活に慣れた人間は寄り付かない。尤も、人の寄り付かなくなった場所なので、小鬼、大ムカデなどの比較的低級なモンスターが棲み付いている。最近では突風同盟のように、新人の育成及びテストに使われるのが専らだった。
「う、うわ……」
しかし、幾らレベルの低いダンジョンと言えども、新人にとっては未知の領域であり、初めての経験なのだ。足を踏み入れた瞬間から、その独特の空気に呑まれてしまう者も多い。
トーマもその一人であり、きょろきょろと辺りを見回しながら、レオの背中を追い掛けるので精一杯だった。
「暗いね」
「うむ。地下のダンジョンだからな」
ギナ遺跡を建造した者も、建造した理由もはっきりとはしていない。何かを祭る為だとか、宝を隠す為だとか言われてはいるが、祭る対象はおろか祭壇らしきものも見当たらず、金目の物は全て掘り尽くされている。石造りの遺跡も、今はただモンスターの巣と化していた。
レオはずんずんと進んでいく。その歩みには一切の迷いがない。恐怖を感じていないのか、そんなものはとっくに麻痺しているのか、トーマには判断が付かなかった。
「恐くないの?」
「石の通路が続くばかりで他には何もない。一体何に怯えろと言うのだ」
「モンスターが出てきたらどうするんだよ」
レオは立ち止まり、鞘を叩く。かしゃりと音がして、トーマの心臓が跳ねた。
「その時は剣を抜くまでだ。元より、テストをクリアするにはモンスターを倒せねばならんからな」
両手を腰に当てて笑うレオを見ていると、トーマも幾分か落ち着きを取り戻してきた。
「僕はクリアしたいとは思わないけど、まあ、君がどうなるかくらいは見届けたくなったよ」
「何を言う。俺がクリアするからには貴様もクリアするのだ」
「ふうん、僕が失敗したら君はどうするの?」
「失敗する事を考えて動こうとするな。ふん、俺には前しか見えておらん。が、そうだな、仮に貴様が失敗した時は……」
レオが何か言い掛けたが、トーマはその口を手で塞ぐ。
「きっ、きさ――」
「静かに。今、何か音がしなかった?」
トーマは目を瞑って耳を澄ませた。尋ねてはみたものの答えには期待していない。確かに物音が聞こえたのである。
「……俺たちより先に入った者の足音だろう」
「いや、何かが倒れるような音だった気がする」
「この先か?」
トーマは小さく頷いた。
「実際に見た方が早いな。行くぞ農民、俺に続け」
「まっ、待ってよ。だって一本道だよ? ここから先はどうなってるか知らないけどさ、何かが待ち構えているかも……」
「仕掛けられた罠は打ち壊し、待ち受けている敵は斬るだけだ。バーンハイトは怯まない。前進あるのみだ」
レオは剣を抜いて右手で構える。そして先程と変わらない速度で悠然と歩き始めた。
「どうなってもしらないからね」
結局、トーマも彼のあとを追い掛けていく。
少し進むと、道が二つに分かれていた。先は暗くて見通しが利かない。何があるにせよ、奥に行って確かめるしかないのだ。
「右と左、どちらに進むべきか……」
レオは通路に背中を預けて腕を組んでいる。
トーマはさっきから鼻をすんすんと鳴らしていた。泣いているのではなく、臭いを嗅いでいるらしい。
「貴様、その耳障りな音を止めろ」
「何か臭わない? ほら、油が燃えたような感じの」
「……油? そうか、なるほど。農民も役に立つのだな。おい、その臭いはどちらからしているのだ」
「右、かなあ」
その言葉を聞いて、レオは左の通路をすたすたと歩き始める。
「何か分かったの?」
「誰かがたいまつを使ったのだろう」
「じゃあ、右に行ったら誰かと会えるんじゃないの?」
「馬鹿め」
立ち止まり、レオは通路の先を指差した。
「俺が後塵を拝する訳にはいかないだろう。モンスターの数も有限ではない。先を進まれているのなら、誰も足を踏み入れていない方へと行くのが当たり前だ」
レオが何かを考えて動いていると言うのは意外だったので、トーマは溜め息を漏らす。
「あ、でも、こっちにも誰かがいるかもしれないよ」
「その時はその時だ」
「やっぱり何も考えてなかった……」
ギナ遺跡地下一階の大広間は惨状と化していた。
広間ではモンスターの奇声や怒号が飛び交っている。風を切るような音がして、ゴブリンの頭に矢が突き刺さった。
広間には二十を超えるゴブリンが潜んでいたのである。どうやらここを巣の代わりとしていたらしい。が、一人の人間が足を踏み入れた。
ゴブリンは力も弱く、知能も低い。しかし、繁殖力が異常に高く、個体数が多い。一体だけでは脅威に成り得なくとも、集団で襲い掛かられては熟練のプレイヤーでも命を落としかねない。新人ならば尚の事だろう。だからこそ、今回のテストにはプリカがいた。
プリカ。突風同盟では主にダンジョンでの偵察や、街での情報収集を担当している女性である。前衛に立つ戦士や騎士には及ばないが、それでもギナ遺跡周辺のモンスターには遅れを取らない程度の戦闘能力を有している。今回、ギナ遺跡に潜った彼女の役割は危険な状況に陥ったテスト生を救出する事だ。無論、よほどの事態で助け出された者でない限りは失格となる。ギナ遺跡程度に手こずる者は突風同盟に必要ないと、そう考えられていたのだ。
「…………」
少なくとも、今はそんな事を考えなくても良さそうではあったが。
また一匹、ゴブリンが生き絶えていく。柱に飛び散った緑色の体液を見遣り、プリカは息を呑んだ。
ここで殺戮を繰り返しているの人物の横顔が、あまりにも綺麗だったからである。
やがて、声が止んだ。広間にいたゴブリンが全て死んだのだ。広間の真ん中にはたいまつが置かれており、明かりに照らされた男の顔を浮かび上がらせた。冷たい目だった。今まさに多くの命を狩り終えた後だと言うのに、そこには何の感情も宿ってはいない。透き通った白い肌、整った鼻梁、引き締まった細身の体。しかし、彼に言い寄るような女は存在しないだろうと思われた。視線に射竦められて動けなくなるので関の山、あるいは本当に射殺されてしまうか、だろう。
間違いなく、テストをクリアするのはこの男だ。プリカはそう判断して広間を後にする。
「……趣味の悪い人だ」
広間に残った男は、プリカが去っていった出入口に目を向けると、退屈そうに視線を逸らした。