風の終わり・4
小雨が降り始めていた。男は曇天を仰ぎ、馬の腹に鞭を入れる。本降りになる前に、仕事を始めようと思ったのだ。
「こりゃ、長引きそうだ」
男の名はジッポウ。彼は、ルートナインへと人を運ぶ、運び屋を営んでいた。昨日、南方にある村から若者たちを連れ、街へと戻ってきたのである。その折、彼は旧知の間柄である、突風同盟のガランと出会った。ガランには、馬車を出してくれと頼まれたのである。どこへ向かうのかと問えば、街でなければどこでもいいという答えが返ってきた。ジッポウは不思議に思っていたが、常と比べて倍近い料金を出すともなれば、仕事を請けない道理はない。それに、他ならぬガランの頼みだ。馬を休ませて、食料などの準備を終えてからという条件で、依頼を引き受けた。
ジッポウは、ガランとの待ち合わせ場所まで急ぐ。その途中、火事を見かけた。……突風同盟の建物が燃えていたのである。その時、ジッポウは全てを悟った。ガランは、街から逃げようとしていたのだと。
「急げよ、急げ」と、相棒に声を掛けながら、ジッポウは深夜の大通りに馬車を走らせた。
幸いな事に、誰にも見つからず、つけられる事もなかった。恐らく、それどころではないのだ。街の住民たちは火事の現場へと向かっている。こんな時間に馬車が走っていても気に留める者はいなかった。何せ、街で一番のギルドが終わろうとしているのだから。それ以上に興味を引くものなど、ここには存在しない。
街を出てすぐに、ジッポウは異常を察知した。馬が走る速度を緩めたのである。雨のせいで薄くなり始めたが、彼は確かに血の臭いを嗅いだ。馬車を止めると、街道を少し離れたところに、誰かが倒れていたのである。それも複数だ。
ジッポウは護身用の短剣に手をかけながら、注意深く周囲を見回す。辺りには、自分以外には誰もいなかった。……倒れているのは、男が四人と、珍妙な格好をした女が一人だ。争った形跡があり、周囲の地面は血で汚れている。皆、息はなかった。全員が死んでいた。
「……まさか、突風同盟の……?」
待ち合わせの時間はとうに過ぎている。ジッポウは、ガランがここにいない事から、彼が、自分以外の誰かを逃がそうとしていたのに気づいた。恐らく、槍に貫かれた女を逃がそうとしていたのだろうが……ジッポウは死者を運ぼうとは思わなかった。ガランとの約束を守れなかったのは残念だったが、どうする事も出来ない。。
街に戻り、死人を埋葬する手伝いを探さなければならないと、ジッポウは馬車に戻ろうとする。が、彼は、森へと続く、点々とした血痕を認めた。もう少しここに来るのが遅ければ、雨に消されて見失っていただろう。ジッポウは唾を飲み、森へと足を踏み入れた。
ほどなくして、血痕は途切れた。大きな木の幹に背中を預けていたのは、二人の少年だった。気を失っているのか、ジッポウの存在に気づかない。二人のうち、一人は、鎧を着込んだ大柄の少年で、
「……トーマ君!?」
もう一人はスコップを抱いたトーマである。彼らは寄り添って、か細い呼吸を繰り返していた。ジッポウの思考は停止しかかるも、彼は次の瞬間には状況を把握していた。ガランが逃がそうとしていたのは、彼らなのだ、と。
「しっかり、しっかりするんだ、君たち」
トーマの頬をはたきながら、ジッポウはレオの鎧を脱がし始める。そうして、顔をしかめた。彼の腹部には穴が開いており、未だに血が止まっていないのである。急がなければならないと、ジッポウは重装備のレオを背負い、片腕でトーマをかき抱き、ゆっくりと歩き始めた。
森から抜けたジッポウは口笛を吹き、馬をここまで来させる。馬車の荷台にトーマとレオを乗せ、街へと戻ろうとした。しかし、二人を街まで連れ帰ってもよいものかと考える。突風同盟は以前から、他のギルドから攻撃を受けていた。しかし、今回の襲撃は今までとは違う。襲撃した者たちは建物を焼くだけでは収まらないだろう。ギルドに所属する人間を皆殺しに、塔を奪うつもりなのだ。医療ギルドにトーマたちを連れて行っても、そこにも追っ手がいるかもしれない。見つかれば、二人だけではなく、自分も殺されるだろう。
「う、くっ……」ジッポウは決意した。これ以上は迷えない。時間が経てば、レオの容態は悪くなる。ここでじっとしていても、状況は好転しないと判断したのだ。
「……ガラン君、我々を守ってくれ……!」
ジッポウはトーマとレオに新しい毛布を被せると、御者台へと走った。
雨は降り続けた。小雨はやがて篠突くようなそれに変わり、地面を強く叩いた。天水は街を濡らす。建物も、そこに住む者も区別なく。
今宵、突風同盟は襲撃を受け、壊滅した。四つの寮は例外なく燃やされて、名だたる者は全て討ち取られた。首は中庭に晒されたまま、業火と共に灰と化す。黒煙と炎は雨に打たれて勢いを失うも、一晩中消えなかった。
全てを失った者がいる一方で、何もかもを得た者もいる。塔を独占し続けた突風同盟は、街から姿を消す事になるだろう。名は廃れ、その記憶は徐々に、掠れていくに違いない。人々は死者を悼むだろう。悲劇を悲しむだろう。だが、彼らは生きている。今日を、明日を。だから、悼みも悲しみも長くは続かない。風は今日、終わったのだ。勢いを増し続け、街に君臨し続けた突風は、塵となった。残るのは灰だけで、風が吹き抜けた後には何も残らないのだろう。