風の終わり
燃える、燃える。燃えている。
突風同盟の幹部たちが住まう、黒い屋根の寮が、ごうごうと燃えている。やがてその火は他の寮にも移り、何もかもを燃やし尽くしてしまうだろう。その光景を見ながら、ザッパは覚悟を決めていた。灰になるのは建物だけではない。突風同盟が築き上げた何もかもが一緒くたに燃えている。地位も、権力も、愛着も。敷地内に染み付いた在りし日の記憶が、ザッパの目頭を熱くさせていた。
剣戟の音は鳴り止まず、中庭は狂乱の坩堝と化している。逃げ出した仲間を咎める暇などなかった。次から次へと押し寄せる襲撃者たちを追い返そうとするので精一杯だった。しかし、数が違い過ぎる。逃げ遅れ、背中から撃たれる者がいた。建物から姿を見せた瞬間、頭を両断される者がいた。まるで烏合の衆である。突風同盟は街で最大のギルドだが、属する者たち全てが同盟の楯になろうとは思っていない。人が多い分、仲間意識が薄く、横の繋がりも希薄なのだ。
「退くな! ここで逃げても明日はないと知れ!」
それでも尚、ザッパは彼らを、突風同盟を見捨てる事が出来ない。得物のハンマーを振るい、群がる襲撃者を吹き飛ばす。踏みとどまる仲間たちを叱咤する。逃げたい気持ちはザッパの心にも残っていた。しかし、逃げ出したところでその先には何もない。行き場はここだった。ここにしか残されていないのである。
ザッパがハンマーを振るう度、襲撃者たちが怖気づき、距離を取る。……彼は、敵の正体を掴もうとしていた。少なくとも、この場には自分の知る顔は見えない。だが、やはり多くのギルドが此度の襲撃に参加しているようであった。それだけ、自分たちは邪魔だと思われていたのだと、ザッパはやり切れない気持ちを抱える。
「立ち止まるなっ、押し返せ……!」
仲間だけでなく、自分に言い聞かせる。数の上では不利だが、個々の質は突風同盟が勝っているはずだと信じて、ザッパは戦い続けていた。
燃え盛る建物を見つめながら、男は息を吐いた。全て、上手くいっている。震える拳を隠して、彼は協力者たちを見回した。……この日を、どれだけ待ち望んだだろうか。突風同盟は街で最大のギルドである。彼らの目から逃れ、彼らの耳には入らないように、慎重に準備を進めた。街に存在する、半数にも上るギルドの支援、協力を受けて、遂に、かの牙城を切り崩す事に成功した。塔の占有を終わらせると共に、一時代を築き上げたであろう突風同盟の息の根を止める。その時はもう、すぐそこまで迫っていた。
中庭での抵抗は依然、激しい。突風同盟の主要なメンバーはそこで己が得物を振るっているのだ。しかし、そこを抑えてしまえば、主力を潰してしまえば侵攻速度は上がるだろう。
「残っているのは誰だ? 誰が壁になっている?」
「大柄の男です。ハンマーを武器にしてるハゲ頭ですよ」
「……ザッパか」
ザッパ自身の膂力と、彼の力を最大限に引き出す得物は接近戦では酷く恐ろしい。だが、後方支援を主とするギルドを呼べば片付くと踏み、男はザッパの討伐を彼らに任せた。
突風同盟には多くの魔法使いが所属しているが、その中でも特に強大な魔術を行使出来る者がいる。炎を操るリベルファイア、風を操るアイアンハート、水を操るラッカ。この三名は突風同盟内だけでなく、街にいる魔法使いの中でもトップクラスの実力者だった。が、アイアンハート、ラッカの両名の姿は確認出来ていない。恐らく、逃げられたのだ。ここで仕留めておきたかったが、その分、こちらの犠牲者も増えるだろう。そう考えれば、リベルファイアだけでも殺害出来たのは不幸中の幸いといえるかもしれなかった。……強力な魔法使いを欠いた突風同盟に攻め入るのは容易い。ガサキ、コーダといった主立ったメンバーの首も確認している。班長、幹部クラスの人間を討ち取れば、その下につく者たちの気勢は殺がれる。
「一人も逃がすなっ、皆殺しにするんだ!」
「おうっ、任せとけ!」
芽は摘む。生き残った者は、必ず復讐を試みるはずだ。自身がそうだったように、と、男は固く決意する。突風同盟に属する者全てに恨みがある訳ではない。しかし、そこに属したのは、自らが選び、決めた事なのだ。恨むのなら、せいぜい自分自身を恨んでくれと、男は思った。
問答は必要なかった。
何を問うても、返ってくる答えは決まっていただろう。だから、コビャクは剣を振るう。彼は裏切り者の剣を受け止め、弾き返す。
「はっ……流石は! と言ったところでしょうかね!」
「……これほどの男が、サークルードの下についていたとはな」
コビャクは距離を取り、塔前の惨状を今一度目に焼き付けた。彼の班員は首を刎ねられて地面に転がっており、サークルードの首もまた、同じように転がっている。……裏切り者は、サークルード班の男であった。そして、裏切っていたのは彼だけではないだろう。
「戻ったら、忙しくなるな」
内通者であった男は金髪をかき上げ、腹を揺すって笑った。
「ふっ、くはは、どこに戻ると? あなた方の家は、とうに灰になっているというのに。あなた方の仲間だって、とうに灰になっているというのに!」
「かもしれん」
塵が塵に。灰が灰に。だが、人さえいれば復興出来る。元通りになる。コビャクは、そう信じていた。そうでもないと、剣を握り続ける事が出来なかったのだ。
「コビャクさん、あなたもお仲間のところに送って差し上げますよっ」
眼前の男が身を低くし、鋭い突きを放つ。コビャクは身を捩りながら、接近する男の胴を狙って切り払った。攻撃は回避され、再び突きが放たれる。コビャクは頭を下げて避ける。剣を振り上げる。
「突風同盟は終わるっ、今日っ、この日をもって!」
男はコビャクの剣を得物の腹で受け、強引に距離を詰めた。
「終わらんさ……っ、風はまだ吹いている!」
「戯言を!」
剣と剣がぶつかり、火花を散らす。刃風が互いの髪を僅かに揺らした。足を使い、距離を取り、片方がそれを追いかける。男は笑いながら得物を振るった。コビャクは無言でそれを受け、押し返す。
剣戟の合間、コビャクは突風同盟に入団した頃の自分を思い出していた。火花が散り、刃風を受ける度、彼は記憶を反芻していく。さながら、それは――――。
「とりましたよ!」
「ぐっ……」
――――走馬灯のようでもあった。
男の繰り出した一撃がコビャクのわき腹に深々と突き刺さる。彼は勝利を確信し、舌なめずりをした。瞬間、コビャクは自らの負傷を一切気にした素振りを見せず、男の首を薙いだ。中空を舞う襲撃者の首を見遣り、コビャクは剣の切っ先を地面に突き刺す。
「……ガラン、後は、任せたぞ……」
先行した友を想い、コビャクは薄く笑って、その場に蹲った。腹部から溢れ出る血は、止まりそうになかった。
塔へと向かっていたトーマたちは、前方から走ってくる人影を認めて、咄嗟に身構える。が、近づいてくるのがガランとウェッジだと気づき、安心してその場に座り込んだ。
「無事だったか……よかった」
ガランは抜いていた剣を鞘に収め、周囲を見回す。
「……行き違いになったかと思ったが、ひとまず揃ったな」
「む、射手よ、どういうことだ。俺たちは塔の見張りにつくはずではなかったか?」
「裏切り者が出たんだよ。サークルードの部下が内通者だったんだ」と、ガランはやり切れないといった表情を浮かべた。
「そいつはコビャクに任せて、俺とウェッジはギルドへ戻るところだったんだ。どうやら、俺らの家が襲撃を受けてるみたいだからな」
「も、戻るんですか……?」
トーマは街の方角に顔を向ける。戻れば、戦いは避けられないだろう。……否、突風同盟のギルドメンバーである以上、もはや戦いは避けられないところまできていたのだ。
「踏み止まってるやつらを見捨てるわけにはいかねえからな。……だが、トーマ、レオ、お前らは先に街を出ろ」
「……どういう意味だ」
レオはガランに詰め寄るが、彼は街の、更に向こうを指差した。
「馬車を呼んでる。……悪いけどな、突風同盟は、もう終わりだ。ここまででかい襲撃を仕掛けてきたんだ。敵だって馬鹿じゃない。ここで俺たちを根こそぎ潰すつもりだろう。今は、生き残って、逃げるしかねえ」
「……っ、だが、俺たちだけ逃げる道理はないだろう!?」
レオとて、襲撃者を全て押し返し、明日からも変わらぬ日々を送れるとは思っていない。だが、納得は出来なかった。
「お前らはまだうちに来て日が浅い。街の出入り口は固められてるだろうが、シラを切ればどうにかなる。だが、俺は駄目だ。ちっと、顔が知られ過ぎてる」
「ならば射手はどうなのだっ」
「……俺も、恐らく無理だろう。襲撃には、バリスタが参加している可能性が高い」
ウェッジは以前、後方支援を主とするギルドに所属していた。顔を知られているのだ。だから、彼は自分がいてはトーマたちが逃げ切れないと分かっている。
「……しかし、死ぬつもりはない」
「でっ、でも」
「それに、ジュリを迎えに行かないとな」
その時、トーマは彼女がいない事にようやく気づいた。彼は仲間の身を案じる事が出来ないほど追い詰められていたのである。
「あいつは、お前らを迎えに行ったんだ。が、たぶんすれ違って、ギルドまで戻ったんだろう。とにかく、俺とウェッジは戻って、動けるやつが逃げるのを助けてくる」
レオは食い下がろうとするが、自分一人が加わったところで助けにはならないと諦めてしまった。そうして、悔しそうに唇を噛みしめる。
「心配するな。必ず戻る。……レイネ、二人を頼んだぞ」
「……はい。お二人も、どうかご無事で」
頷き、ガランとウェッジは駆け出した。残されたトーマらは、彼らの背を見送った。
突風同盟が終わる。
トーマはガランの言葉を胸の奥で、何度も何度も繰り返していた。信じられない、とは、思わなかった。
思えば、塔に足を踏み入れた時から、何かが変わり、動き始めていたのだろう。自分たちではどうしようもない、大きな流れが迫っていたのだ。……予感し、覚悟していた。もう、戻らず、戻れないのだと。あの四人部屋も燃え落ちてしまうだろう。食堂も、中庭も、友達も。何もかもが焼けて、朽ち、風が全てを流してしまう。
涙が止まらなかった。だが、決して足を止める事はなかった。まだ自分たちは生きている。ガランたちも追いつくと信じている。……そうだ。そうだと、トーマは自身に言い聞かせる。まだ全てが終わった訳ではない。ギルドはなくなってしまうだろう。居場所は消えてしまうだろう。それでもまだ、風は――――。