タタズの塔・3
「塔の見張りを増やした方がいいだろう」
「ああ、まず狙われるのはそこだろうからな。一度、出来る限り人を呼び戻して、警備を強化するか」
突風同盟の幹部が住まう寮の食堂には、大勢の班長たちが顔を突き合わせていた。リベルファイアからの報告を受けた彼らは事態を重く見ていたのである。塔への襲撃を受けただけでなく、塔内部の凶悪な魔物も問題となっていた。
「命に別状はないとはいえ、プリカは腕を失った。塔の十階層といえば、せいぜい森の二区程度のモンスターが出てくるはずなんだがな」
「正直、あそこは何がなんだか分からないですからね。何が起きたって不思議じゃないんです。前情報があったとして、今後、一斑だけで突入するのは避けた方がいいでしょう」
「待て。塔の中は後回しだ。今は、分かっている敵を何とかするのが先だ。……仕掛けてきたギルドだが、心当たりはあるか?」
ガランはその質問を鼻で笑い、コビャクに見咎められる。
「心当たりならあり過ぎる。突風同盟以外のギルドが組んでても、おかしいとは思わねえな」
「同意見だ」と、ザッパが全員を見回した。
「疑うのなら、全てのギルドを疑う必要がある。だが、徒労に終わるだろうな。問い詰めたところで、まさか『自分たちがやりました』とは言うまい。今回の件、一部の者が先走ったことで起こったのか、それとも、組織的に動いているのか判断はつかない」
「後手に回るしかないということですね」
サークルードは発言してから、溜め息を吐くのを堪えた。突風同盟の班長を務める者たちの中では、彼は比較的若く、加入した時期は遅い。サークルードは席に着く前から既に気づいていた。自分が、内通者ではないかと疑われている事に。
「結局、現状ではこちらから手を出せない。塔の警備を強化するしかない、と」
「それしかないな。あとは、班員に注意でも促しとくか」
「で、今夜、どこの班が当たるんだ?」
誰も、すぐには答えようとしなかった。襲撃は日中に起こっている。しかし、仕掛ける側からすれば夜中のそれこそが本命に近い。班長たちは皆気づいている。恐らく、昼間の襲撃者は斥候であり、捨て駒にしか過ぎないのだと。次の襲撃、敵は増える。闇から現れるモノが相手では、犠牲者の数は増えるに決まっていた。
「俺の班が当たる」
「……いいのか?」
「ああ」と、ガランは頷く。班員を、突風同盟を大事に思っている彼にとっては苦渋の決断であった。
「ただ、俺たちだけじゃ不安でしようがねえ。最低でも、あと二班には回ってもらう」
文句は言わせない、と、ガランは全員を睨みつけるようにして見回した。
塔の警備に回る。ガランからそう聞かされたが、ジュリは納得しなかった。出来なかったのである。彼女にとってみれば、やられたのだからやり返すのが当然で、受身に回る事は考えられなかった。更に言えば、ガラン班は全員が揃っていない。トーマ、レオ、レイネの三人はプリカを見舞う為に医療ギルドに詰めている。
「オレと根暗だけでやれってのか?」
「そうは言ってねえだろ。俺もいるし、コビャクとサークルードの班もいる。トーマたちにも使いを遣って、直に戻らせるさ」
ウェッジは、ジュリから剣呑な雰囲気を感じ取り、部屋の隅で息を殺していた。ガランとて同じように感じているだろうが、彼は班を束ねる者だ。上に立つ者には、時として責任が生じる。突風同盟の為にやる事があった。
「こんなことは言いたくないがな、これまでと同じように美味い飯を食いたいんなら、俺たちは塔を守るしかねえんだよ」
「よくも分かってねえもんに生かしてもらってるってのかよ。くだらねえ」
ジュリはベッドから下り、ガランを強く見据える。
「ここに来りゃあ、ちったあいい思いが出来るとは思ってたぜ。確かに食うもんには困らないけどよ、オレはオレを食わせる気はねえ。てめえらも、塔を狙ってる他のギルドも、何もかもくだらねえ」
「抜けるつもりか?」
「……いいや? オレが抜ければ、他のやつも抜けなくちゃならねえ。だろ? てめえが言ったんだもんなあ? だから抜けねえ。ただ、あの田舎もんや、そこの根暗が抜けるってんなら話は別だけどな」
ウェッジにそのつもりはない。彼は答えられず、低く唸った。
「上出来だ。すぐに塔へ向かう。準備しとけ」
舌打ちで返し、ジュリは壁を蹴り飛ばした。
命に別状はない。だが、プリカは片腕をなくし、今後、突風同盟で活動出来るかどうかは分かっていないのだ。
トーマたちは医療ギルドの前で、ぼんやりと立ち尽くしている。
「坊ちゃま」
「分かっている」
レオは、声を掛けかねていた。トーマは、一時よりも顔色がよくなったとはいえ、本調子とは呼べない。力をなくしたようで、冷たい地面に座り込んだままだ。
「……分かっていると言っているだろうが」
力になってやりたいが、レオにはどうすればいいかが分からないのだ。尻を蹴飛ばし、髪の毛を掴み上げれば済む話ではない。トーマは、友達なのだ。召使でも奴隷でもない。気恥ずかしくて、格好悪くて自分の口から『そうだ』とは言えないが、この街で出来た――――生まれて初めて出来た、友達だと思っている。だからこそ、何もしてやれない。何をしていいのか思いつかないのだ。
レイネは、レオの事をよく分かっている。何せ、彼が生まれた時から傍にいるのだ。
「じき、冷え込んでまいります。一度、ギルドに戻った方がよろしいかと。プリカ様が回復すれば、ここに詰めている方から連絡が入るでしょう。彼女も心配ですが、私たちが倒れては元も子もありません」
「む……う、うむ、そうだな。今は大事な時だ。農民、そうした方がいい。俺がいる限りありえんが、あいつが戻ってきた時、塔が奪われていたなどとどの顔で告げられようか。情けないと笑われてしまうぞ」
「う、うん、そう、だよね。けど、あの、もう少しだけ……」
「ならん! 行くぞ、俺は腹が空いた。戻るぞ!」
ぐいっと、レオはトーマの腕を引く。
「い、痛いってば!」
「はっは、口答えするな。お前は……む?」
レイネが眉根を寄せ、目を細めた。彼女は、自分たちに近づいてくる男を認めて警戒心を見せる。
若い男は、医療ギルドの前にいるのがトーマたちだと気づき、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「何者だ、貴様は」
「ガランさんからの伝言です。至急、塔に向かってくれと」
レオは舌打ちして男をねめつける。この状況で塔に向かえというのは、自分たちに見張りをしろという事なのだろうと気づいたのだ。
「ガランさんたちも向かっているんですね?」
「ええ。あなたたちは今日の夜警です。他にも、コビャクさんのところと、サークルードさんの班が割り当てられています」
昼間に襲撃があったから夜にはない。とは言い切れなかった。突風同盟が塔を重要視している以上、班員である自分たちはその命に背けない。しかし、今のトーマを連れて行く事は、レオには耐えられなかった。
「分かりました。僕たちも行きます」
「……農民。しかし、いいのか? また、戦うぞ。次は、殺さずに済むとは思えん」
「分かってる。それより、珍しいね」
レオは首を傾げる。先ほどまで死にそうな顔をしていたトーマが、今は笑っているのだ。
「人の心配をしている君なんて、なんだか君じゃないみたいだ」
「なっ、農民の分際でっ、叩き切るぞ!」
トーマが逃げ出し、レオが彼を追いかける。レイネは遣いの男に頭を下げると、二人の後をゆっくりとした足取りで追いかけた。
斜陽。
太陽が西に傾いて沈むように、権力や富もまた、永遠のものではない。
ルートナインにおいて、突風同盟は最大の規模を誇り、そこに属する者たちは我が物顔で通りを歩いていた。彼らが街で最も大きな力を手に入れられたのは『塔』によるものだ。塔から持ち出した遺物や素材、あるいは情報を独占する事によって、富を得て、権力を得て、敵を作った。
タタズの塔は未だ踏破されていない、未開のダンジョンである。ギナ遺跡やトバの森とは違い、塔には歴史的価値のある遺物や、貴重な食材、素材となりうる魔物が存在している。突風同盟は宝物庫にも等しいダンジョンを独占しているのだ。よく思われるはずもなく、事実、多数のギルドが塔を狙っており、徒党を組み、襲撃を仕掛ける。
突風同盟の者も敵対視されているのには気づいていた。だからこそ塔に見張りを立て、略奪を防いでいたのである。今宵、彼らは三つの班を夜警の役に割り振った。ガラン班は新人が多く不安が残る選出であったが、猛者が集うコビャク班とサークルードの班をフォローに回せば釣銭が来るとも判断した。
しかし、突風同盟は一つ、大いなる勘違いをしていたのである。彼らに弓を引く数多のギルドは、塔よりも優先して落とすべきところを理解していたのだ。
「……待て、ガラン」
もう間もなく塔に到着するというところで、ウェッジは足を止めた。先行していたガランとジュリは面倒くさそうに立ち止まる。
「どうした根暗ぁ、疲れちまったのか?」
「違う」と、ウェッジは首を振り、街のある方を指差した。
「……何か、明るくないか?」
ガランは目を凝らすも、彼の視力では、街の灯が微かに見えるだけである。明るいと言われても、いつもと変わらないように見えた。しかし、隣にいるジュリはそうは思わなかったらしい。彼女は訝しげに眉根を寄せて、じっと街を見つめている。
「……ガラン、一つ提案だ。ギルドに戻った方がいい」
「ちょっと待て。待てよ、まだトーマたちとも合流してねえんだ。さっさとコビャクたちのところに行かねえと、塔の守りが薄くなる」
「田舎もんはこっちに向かってんだよな?」
「ああ、確かに遣いはやったぜ」
信頼出来る若手に頼んだ。ガランは間違いないと首肯する。
「分かった。だったら、てめえらは先に塔へ行ってろ。オレが迎えに行ってくる」
「……一人でか?」
「は、ガキの遣いじゃねえんだぞ。こん中なら、オレの足が一番速いしな」
迷ったが、逃げ足の速いジュリなら何が起きても対処出来るだろうと判断し、
「任せた。ただし、気をつけろよ」
「誰にもの言ってんだよ?」
ガランは、彼女を送り出した。
トーマたちは岐路に立たされていた。
彼らは塔へ向かっていたのだが、街を出て暫くの後、背後から物々しい音が聞こえてきたのである。それは、爆音であり、叫び声であり、戦いの音であった。何が起きているのか、トーマたちには分かっていない。しかし、街で何かが起きているのは確かであった。
「昼間の襲撃のこともあります。恐らく、突風同盟への攻撃でしょう」
「まさか、直接……?」
塔へ進むのか。ギルドに戻るのか。ただ、この場に立ち尽くしていても仕方がない。しかし、どうしても足が動かなかった。
「坊ちゃま。一度、街道を外れて身を隠しましょう。落ち着いて判断をするためにも、ここで襲撃者と出くわすのは好ましくありません」
「だが、もしギルドが襲われているのなら隠れ続けるわけにもいかんぞ」
その時、トーマは確かに見た。夜の中、街から一本の火柱が立つのを。彼は怯え、レオの手を引っ張って巨大な岩の陰に身を隠す。そうしてから、ゆっくりと呼吸を繰り返した。
「農民っ……貴様は、どうする。どうするのだ? ガランたちとの合流を急ぐか? それとも、ギルドの者たちに助太刀するのか?」
「僕は、僕には、選べない。分からないんだ……」
トーマの顔色は目に見えて悪くなっていた。無理もないだろうと、レイネは息を吐く。襲撃を受け、塔ではプリカが負傷し、今は、自分たちの家が危ういのかもしれないのだ。
「……塔へ向かいましょう。私たち三人だけで何か出来るとは思えません。それに、ギルドには人が集まっていますから、そちらでどうにかしているでしょう。塔にはガランさんたちしかいないんです」
「分かった。動くぞ、農民。いいな?」
「う、うん。僕も、それでいい。いいから、早く行こう」
トーマたちは見通しのいい道を避け、脇にある森へと入り、そこから塔を目指した。だから、彼らはジュリが街に戻っていった事に気づけなかったのだ。