オーダーメイド・3
前を歩いていたジュリが部屋の前で立ち止まった。ウェッジは彼女を無視してドアを開けようとするが、手首を捕まれてしまう。体格こそウェッジの方がジュリに勝っているが、こと、腕力に関しては彼女が上だった。
「…………折れてしまう」
ジュリは口の端をつり上げて、嫌らしい笑みを浮かべている。何かよからぬ企みでも思いついたのだろう。ウェッジは諦めて吐息を漏らした。
「あの田舎モン、女連れ込んでやがる。良い度胸じゃねぇか、ナニすんのかさ、ここで聞いてようぜ」
「悪趣味だぞ」
「黙ってろ素人が」
ドアに耳を近づけると、ジュリは舌なめずりして喉の奥で笑みを殺す。彼女の行為を悪趣味だと言ったが、ウェッジもその場を動かなかった。
「トーマさんは、坊ちゃまをどのように思っていますか?」
「え?」
レイネに問われて、トーマはううんと唸った。……レオは自分にとって何なのだろう。
レオ・バーンハイトは、トーマが街で最初に会った人物で、わがままで、うるさくて、偉そうにしていて、モンスターの群れに嬉々として突っ込む考えなしで、八つ当たりをして、寝相が悪くて、寝起きも悪くて……。そこまでで、トーマは溜め息を吐いた。
「……我が強くて、子供っぽい、ですか?」
「え、ええと」トーマはレイネに遠慮して、考える振りを見せる。全くもって、彼女の人物評は的を射ていた。
「お気になさらず。事実ですので」
「でも、僕はレオは良いやつだと思います。確かに強引だし、野菜は食べないし、すぐに怒るけど、だけど、僕は、友達だと思ってます。この街で出来た、最初の」
尤も、向こうがこちらをどう思っているかは知らない。レオはトーマをどう見て、何を思っているのか、トーマには分からないのだ。
「レオは、僕の事を子分みたいに言ってるけど」
「それは坊ちゃまの照れ隠しです。ええ、きっと」
「そうですかあ?」
頷き、レイネは笑みを浮かべた。見る者の心を穏やかにするようなそれである。
「でもやっぱりすごいです。メイドさんなんて僕の住んでるところにはいませんでしたから。ええと、バーンハイトって、お金持ちなんですね」
「やはり坊ちゃまは、何もお話しておられませんでしたか」
トーマは小首を傾げた。レイネは胸に手を当て、彼の瞳を見つめる。
「坊ちゃまがここへ来たのは、バーンハイトの家を助ける為なのです」
「お家を助ける?」
「バーンハイトは、確かに栄華を極めたのでしょう。名高いプレイヤーであり、多くのモンスターを討伐し、財を成したのでしょう。ですが、時間とは移ろい、力とは衰えるものなのです。お恥ずかしい話ですが、今、バーンハイト家は力を失いつつあります」
それでも、トーマには今ひとつレオの家の事情を分かっていない。彼の家が落ちぶれたとして、シアンの村での生活よりは安定しているのだろうから。だが、自分と同じなのかもしれない。そう、トーマは思う。レオも、自分の家を、生活を守る為にここへ来たのだ。
「そして、坊ちゃまはバーンハイトを見返すつもりなのかもしれません」
「……どういう意味、なんですか」
「バーンハイト家の現当主、レオナルド・バーンハイトは病床に就いております。跡継ぎが必要なのです。かつての栄華を取り戻す、そんな力を持った者が」
「それって、レオじゃないんですか?」
レイネは首を振り、床に視線を落とす。
「坊ちゃまは確かに長子です。しかし、嗣子……跡継ぎではないのです。次の当主は坊ちゃまの弟に当たる、レナード・バーンハイト様と目されておりますから」
「えっ、でも、レオがお兄さんでしょう」
「我が強く、子供っぽい」
先程よりもはっきりと言い切ると、レイネは視線をトーマに定めた。
「仮にもバーンハイトの長子である坊ちゃまがここへお一人で来られたのも、そういった事情のせいなのです。率直に申し上げてしまうと、坊ちゃまは期待されていません。好きにやらせておけというのがバーンハイトの総意なのです」
「でも、それって……」
「坊ちゃまの性質もそうなのですが、もっと大きな問題があります。坊ちゃまは、魔法を使えないのです」
あっと、トーマの口から呻きのような声が漏れる。以前、レオが魔法についての話を聞いた時、良い顔をしなかったのを思い出したのだ。
「代々、バーンハイトの当主は魔法を使い、剣を用いてきました。そうして、プレイヤーとして名声を、富を得たのです。……魔法が使えずとも、モンスターを倒す事は可能です。ですがバーンハイトの当主にはなれません。そう、決められているのです」
「そういう、ものなんですね」
「古く、長い家というのは伝統を重んじます。過去に囚われ、形式に縛られるのも無理はありませんが」
言いよどむと、レイネは息を吐き出す。
「レイネさんは、どうしてここに? レオを連れ戻しに来たんですか?」
「あ、いいえ、私は、坊ちゃまの御側付きですので」
つまり、心配だったのか。トーマはそう納得し、少しだけ、嬉しくなる。レオにだって味方がいるじゃないかと思ったのだ。
「……そういうことだったんだ」
レオがバーンハイトの名前を出し、自らを長子と触れて回り、貪欲なまでに成果を求めるのは、まだ、諦めていないからなのだろう。この街で一番のギルド、そこの一番になれれば、認めてもらえると思っているのだろう。魔法が使えなくても、剣一つで当主になれると、そう、信じているのだ。
「あの、どうして今の話を僕に?」
「あら、トーマ様だけにではありませんよ。……今の坊ちゃまは、何だか、昔の坊ちゃまみたいです。とても楽しそうで、とても自然に感情を表にしておられます」
「……? いつもあんな感じじゃあないんですか」
「バーンハイトの者がいる時は、常に気を張られておりますから。弱みを見せないよう、付け込まれないように必死なのでしょう」
想像出来なくて、トーマは首を捻った。
「トーマさん、一つだけ、お願いがあります」
レイネは椅子から立ち上がり、深く、頭を下げる。
「あ、あの」
「これからも、レオをよろしくお願いします」
その時、トーマにはレイネの姿が母親の姿と重なって見えた。
トーマは、レオが複雑な事情を抱えているのだと思い知る。だからと言って、可哀想だとは思わなかった。ましてや、彼が好き勝手に、わがままに生きても良いのだとは到底思えない。誰にだって不幸があり、背負うものがあるのだ。
「僕がやる事は変わらないと思います」
「ええ」
「僕は、レオの友達だから」
「……ええ」
レイネが部屋からいなくなってすぐ、ジュリとウェッジが戻ってくる。トーマはベッドの上で彼らを出迎えた。
「おかえり、遅かったね」
「うるせぇ話し掛けてんなよバーカ」
悪態をついたジュリは自分のベッドの端に腰を下ろし、トーマを睨む。彼は困ったように笑った。
「…………腹は減っていないか?」
「あ、そう言えばお昼、まだだっけ。二人はもう食べたの?」
ウェッジは首を振り、腹を摩る。
「じゃあ食堂に行こうよ。レオも誘いたいけど、どこかで見なかった?」
「知らねぇよあんなヤツ。どっかでぴーぴー泣いてんじゃねぇの? お家に帰りたいよー、とかな。ほっといて行こうぜ」
「そう言えば、ジュリって街に住んでるんだよね。寂しくないの?」
無言で立ち上がると、ジュリはトーマをねめつけた。
「ナニが? ん? 言ってみ」
「お母さんやお父さんと離れて暮らしてるじゃないか。だからさ」
「オレの事情に突っ掛かってくんじゃねぇよ。オマエ、何様? 人様を詮索するほどエライのかよ。あ?」
「ご、ごめん。怒らせるつもりはなかったんだけど……」
鼻を鳴らし、ジュリはトーマの横に座り込む。彼女はトーマの額を殴り、彼を押し倒した。
「…………乱暴だぞ」
「根暗、オマエだって誰かがガタガタうるさけりゃイラつくよなあ? おい田舎モン、オレとオマエは違うんだよ。オレには優しいママもいなけりゃ守ってくれる強いパパもいないんだ。寂しいかだって? 舐めた事抜かしてんじゃねぇぞ、甘ちゃんが。『かわいそう』なんて思ってんじゃねぇだろうな。泣かすよ、オマエ」
「寂しくないの?」
「だからっ、そう言ってんだろうが!」
「でも、泣きそうな顔してる」
「な……! て、てめえはっ」
ジュリが拳を振り上げ、トーマは短く叫ぶ。
「ご、ごめんっ、だから痛いのはやめてよっ」
「どこまでオレをムカつかせりゃ気が済むんだ、畜生!」
ベッドから飛び降りると、ジュリは自分の毛布に包まって奇声を上げた。
「今日のジュリはいつにも増しておかしい」
「…………トーマ、お前とは相性が悪いんだ。いや、良いと言うべきか?」
「ええ? それより、早く食堂に行こうよ。ジュリー、ほら、君もお腹空いてるでしょ」
「今はそっとしておいた方が良い」
ウェッジは分厚い本の表紙を撫で、窓に目を遣った。
声が嗄れ始めたジュリを無理矢理に引っ張る形で、トーマたちは食堂に向かっていた。その途中で、レイネが中庭に出るのが見えて、彼らは足を止める。
「おい、あの女も誘うつもりじゃねぇだろうな」
「え、嫌なの?」
「そんなんじゃねぇけど、オレとは合わないんだよ、あいつ」
「あはは、なんか変な声」
ジュリはトーマの顔と、彼の下半身を交互に見比べた。
「み、見ないでよ!」
「アハハ、情けねぇ声」
「…………声を掛けなくて良いのか?」
ウェッジに促され、トーマは口を開いた。が、声が出なかった。中庭には、彼女を待ち受けるように仁王立ちするレオがいたのだ。
「ど、どうしよう、また喧嘩するんじゃ……」
「高みの見物と行こうぜ」
「俺に話しかける勇気はない」
傍観者と化した二人を見遣り、トーマはおろおろとするだけだった。
「あら坊ちゃま、何か?」
「ふん、化けの皮が剥がれつつあるな。言葉遣いや立ち振る舞いにはもっと気を付けると良い。貴様とてバーンハイトを背負う者だと言う事を忘れるな」
「私はその名前を捨てた者ですから」
レイネは悪戯っぽく笑う。
「ふざけるな。バーンハイトとして生まれた以上、死ぬまでバーンハイトであり続けるのが当然だろう」
「坊ちゃまは逃げ出したではありませんか。そのお名前から」
「……違う。俺は……」
「私からも逃げ出しますか?」
レオは口を開きかけるが、俯き、つまらなさそうに息を吐く。
「俺に恨み言を伝えに来たのか?」
「ご冗談を。私は坊ちゃまの御側付きです。それに、坊ちゃまはバーンハイトの為になると思って飛び出したのでしょう?」
「ぐ、分かっていて言うのか。まあ、良い。特別に許す」
「感謝の極みです、坊ちゃま」
レイネは恭しく頭を下げてみせた。
「それで、お屋敷にはお戻りになられないのですか」
「まだ、俺は何も成し遂げていない。もっと力を蓄える必要があるのだ。この街で強者と剣を交え、この島で怪物を剣の錆とする。そうして……」
「……レナード様は、坊ちゃまに会いたがっておられますよ」
「ふん、次期当主としての自覚が足りんな。言わば、俺は敵なのだぞ」
「レナード様はお優しいお方ですから」
「情など捨てるものだ。他者の上に立ち、愚者を切り捨てなければバーンハイトの当主にはなれん。レイネ、今すぐ戻り、そう伝えておけ。そして二度と戻ってくるな」
お断りしますと告げ、レイネは腕を組む。仕える者と相対するにしてはそぐわない仕草だが、レオは咎めなかった。
「ご自分でお伝えになられてはどうでしょうか。尤も、今戻ればレナード様に捕まって逃げ出せなくなるでしょうけれど」
「尚更戻れん。……ふん、息災であるらしい。どうやら心配は要らんようだな」
「あら、心配していたのですか?」
「いや、していない。俺はあいつが嫌いだからな。魔法を使える者は、皆、嫌いだ。いつか、この世の魔法使い全てを俺の前にかしずかせてみせる」
強がりにしか聞こえなかったので、レイネは苦笑する。第一、レオにそんな真似は出来ないだろう。力が足りないのではなく、彼の心根はどうしようもないほどには捻くれていないのだから。
「……坊ちゃま、ここでの暮らしはいかがでしょう? 豪奢な家具に囲まれた生活を懐かしいとは思いませんか?」
「思う。俺には相応しくない街だ。家畜の小屋にも劣る部屋で寝泊りし、それの餌にも似たものを食べ、薄汚いダンジョンにもぐり、泥に塗れながらモンスターに食らいつく日もある」
「では、お屋敷に」
「戻らん」
断言し、レオは腕を組む。
「理由を聞いても?」
「先も言ったろう。俺はここでやる事がある。お前が何を言ったとしても、俺はここを動かんぞ」
「強情」
「口の利き方がなっていないぞ、メイドの分際で」
「何を話してるんだろ」
「なんだよ、オマエだって興味津々じゃねぇか」
「だって、気になるじゃないか」
「…………まるで家族のようだな」
ウェッジが呟いたので、トーマは彼に向き直った。
「御側付きって言ってたから、レオが小さい頃から一緒にいたんじゃないかな。家族みたいに見えるのも当たり前だと思うよ」
「かもしれん」
「レイネ、お前は戻らなくても良いのか?」
「ええ、レオナルド様からの許可は頂いておりますから」
「……そうか」
「坊ちゃまと一緒になら戻っても良いのですが」
レオはレイネの言を鼻で笑い飛ばす。
「なら、お前も当分の間は屋敷に戻れんな」
「あら、いつかはお戻りになられるのですか」
「ここに骨を埋めるつもりはない。そうだな、ドラゴンの首でも挙げれば、屋敷の者に見せて回る為に戻るとするか。まずは……」
「ところで坊ちゃま」
「俺の話を遮るな」
「これは失礼を」
わざとらしい所作で頭を下げると、レイネはたおやかな笑みを作ってみせた。
「ここでの暮らしは楽しいですか」
「新鮮であるのは確かだ。下々の生活に触れるのは、屋敷にこもりきりでは味わえん」
「それだけですか?」
レオは訝しげにレイネを見つめる。
「まあ、坊ちゃまは素直ではありませんから」
「何が言いたい?」
「もう言いました。さ、坊ちゃま、食事に参りましょう。皆様もあちらでお待ちになっております」
「……何?」
「あ、こっち向いた」
「…………どうやら、レイネさんは最初から気付いていたようだな」
「食えねぇ女だぜ。お、デカブツが走ってくるぞ」
「なんか怒ってるように見えるけど」
トーマたちはいつでも逃げられるように身構えた。
「貴様らあ! 盗み聞きとは良い度胸だ、そこに直れ! 矯正してくれる!」
「うわ、やっぱり」
「農民っ、まずは貴様の卑しい性根からだ!」
ウェッジとジュリは既に逃走を始めており、トーマからは、彼らが食堂に逃げ込む背中が見える。
「おっ、置いてかないでよう!」
「逃げるな!」
トーマはレイネに助けを求めるが、彼女は心底から楽しそうに笑うばかりだった。